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                                                       本ブログでは、産業現場などで最近起きた事故、過去に起きた事故のフォロー報道などの情報を提供しています。  それは、そういった情報が皆さんの職場の安全を考える上でのヒントにでもなればと考えているからであり、また、明日は我が身と気を引き締めることで事故防止が図れるかもしれない・・・・そのように思っているからです。  本ブログは、都度の閲覧以外、ラフな事例データーベースとして使っていただくことも可能です。        一方、安全担当者は環境も担当していることが多いと思いますので、あわせて環境問題に関する情報も提供するようにしています。       (旧タイトル;産業安全と事故防止について考える)
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2024317128分に産経新聞から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

原子力規制庁は、東京電力福島第1原発3号機の爆発では、炉心溶融で発生した水素以外に、建屋天井に雨漏り防止目的で張られたアスファルト製の防水材が、燃えやすい性質のガスを供給した可能性があると明らかにした。

事故解明に取り組む同庁が、ガスの発生源を調べていた。

3号機は平成23年3月14日午前に水素爆発を起こした。

規制庁は、福島中央テレビ(福島県郡山市)が第1原発の南西約17キロに設置したカメラの映像解析や現地調査を実施。

原子炉建屋の4階で水素爆発が発生し、建屋が損壊した際に流れ込んだ酸素が、内部の可燃性ガスと混ざって引火爆発し、火炎と黒煙が上空に噴き上がったと結論付けた。

当初、ケーブルを覆う樹脂などがガスの発生源と推定したが、爆発の規模に比べ量が少なかったとしている。

https://www.sankei.com/article/20240317-RO2BNRUYLJP4XJTNZXZFH6E274/

 

 

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20237972分にYAHOOニュース(JB press)から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

役所広司主演のNetflixシリーズ『THE DAYS』は、福島第一原子力発電所の事故を描いた災害ドラマだ。

「事実に基づく物語」をうたい、最悪ランク「レベル7」の事故を細部まで丁寧に再現し、その場に立ち会っているかのような感覚で原子力災害の怖さを淡々と伝える。

61日の世界公開以降、非英語部門ではトップ10にランクインするなど、人気があるようだ。

ただしメインの宣伝コピー「これは天災か、それとも人災か。」は看板に偽りあり、だろう。

役所の演じる吉田昌郎・福島第一原発所長が、所長就任前の約3年間にわたり東京電力の本店で津波の想定や対策をする部門の責任者を務めていたという「もう一つの顔」に全く触れていないからだ。  

吉田が責任者の時期に、東電は津波対策で他の原発に後れをとり、それが事故を招いた。

そんな重要な背景情報が抜け落ちているから、「事故の真相/深層をぎりぎりまで追求した」(プロダクションノート)ドラマかと思って視聴すると、肩透かしをくらう。

・・・

事故の再現度は、とても優れているように見える。

・・・

死に至る高い放射線の恐怖のもとでも、事故収束に立ち向かった現場の所員や自衛隊の活躍と葛藤。

必要な物資さえ送り込まないまま、「なんとかしろ」と現場を怒鳴るだけの東電本店。

国の危機が迫っているのに、情報不足に苛立つ官邸。

それぞれの様子がよくわかる。

わずか12年前に、東日本壊滅の一歩手前の事態が迫っていたことを多くの人がもう忘れかけているが、それを再び実感することができるだろう。

・・・

しかし事故直後の対応をいくら掘り下げても、それだけで事故の真実にたどり着けるわけではない。

たとえば、東日本大震災で津波に襲われた原発はほかにもあるのに、なぜ東電だけが事故を起こしたのか、シリーズ8話を見終わってもわからない。  

事故を起こさなかった原発と福島第一原発では、事前の備えが大きく異なっていたためだが、その備えの差が生じた意思決定の場にも、吉田は主役の一人として深く関わっている。

それが『THE DAYS』が触れていない「もう一つの顔」だ。

・・・

2000年代に、東日本大震災と同じような大津波をもたらした平安時代の貞観津波(869年)の研究が急速に進んだ。

東北電力は、その成果を取り入れて、女川原発(宮城県女川町)に襲来する津波の想定をやり直し、2008年秋には国に提出する報告書をまとめていた。

東電は、東北電力と同じように貞観津波を計算すると、福島第一原発の敷地を越えてしまうことを200811月に知った。

そこで東電は、東北電力に報告書を改ざんさせ、貞観津波の対策が不要であるように見せかけることにした。

そんな対応策を決めた東電の会議のトップは、吉田だった。

彼の部下が東北電力に圧力をかけて報告書を書き換えさせたメールが裁判に証拠として提出されている。

2009年夏、貞観津波の研究者は「今から調査をしても無駄だ。先に対策をした方がいい」と吉田の部下に伝えた。

ところが東電は、「専門家から特段の意見は無かった」と国に虚偽の報告をしている。 

日本原子力発電の東海第二原発(茨城県東海村)は、東電が先送りした大津波への対策を2008年から進めていた。

敷地に盛土したり、建屋に水が入らないようにドアを取り替えたりしたほか、非常用ディーゼル発電機が津波で使えなくなっても最低限の電力を確保できるように、海抜22mに新たに設けた発電機からケーブルを原子炉建屋につないだ。

これらの対策のおかげで、東海第二は事故をぎりぎり避けている。

・・・

原子力災害を扱った傑作に、1986年のチェルノブイリ原発事故を取り上げたアメリカHBOの『チェルノブイリ』(2018年、全5話)がある。

こちらは、事故の収束のため命をなげうって作業にあたった人たちの姿だけでなく、事故の原因や責任追及をあいまいにしようとする政府と、それに立ち向かう研究者の姿を通して、事故の全体像を解き明かそうとしている。

放射線の恐怖だけでなく、事故原因を闇に埋もれさせまいと行動する研究者の迫力、凄みも伝わってくる構成で、エミー賞を作品賞など10部門で受賞している。  

対照的に『THE DAYS』は、Netflixの潤沢な資金で事故の再現精度を上げ、放射線の恐怖や原子力災害の途方も無い被害の大きさを伝えることに成功したと思われるものの、事故を起こした原因を立体的に浮かび上がらせる力は乏しい

脚本は、門田隆将『死の淵を見た男』(2012)、東電自身がまとめた事故調査報告書(2012)、吉田が政府の事故調査委員会の聴取に答えた調書(2011)を柱にしているという。

2017年以降に裁判で明らかになった吉田の「もう一つの顔」に触れないまま、『チェルノブイリ』のように事故の真相に迫ることは難しいだろう。

制作側のリサーチ不足によるものか、それとも東電や政府に都合の悪い事故原因を深掘りしたくなかったのか、どちらなのだろうか。

非常用復水器(IC:アイソレーションコンデンサー)の作動状態の誤認について『THE DAYS』は取り上げている。

しかし、それは「天災か人災か」を問う問題のうち、ごく一部にすぎず、事故をめぐる多くの裁判では検討課題に挙がっていない。

https://news.yahoo.co.jp/articles/f9527c8553359bb2ef73615ee5788dc6508b979f  

 

(ブログ者コメント)

つい先日、巨大防潮堤を作ると周辺集落に大きな被害を出す恐れがあったので検討途次だったという情報を紹介したばかりだが、今回は防潮堤以外の対策も進めていなかったという情報。

今回、改めて他の情報もザッと見直してみたが、こちらの情報のほうが実態に近いのかなあ・・・?

 

 

 

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20236271229分にYAHOOニュース(nippon.com;ノンフィクション作家門田氏の寄稿文)から、『日本を救った男-吉田昌郎元所長の原発との壮絶な闘いと死』というタイトルで、下記趣旨の記事がネット配信(再公開)されていた。

東日本大震災の際、福島第1原発事故の収束作業を現場で指揮した故・吉田昌郎元所長。

吉田氏への長時間インタビュー、多くの関係者取材を行ったノンフィクション作家が、改めて吉田元所長の闘いを振り返る。

 

<吉田元所長が亡くなって、202379日で10周忌の節目を迎えるのを前に、生前の闘いを報じたnippon.comの記事を再公開する(初出:2013 821日、肩書きは公開時のまま)。>

 

「お疲れさまでした。本当にありがとうございました」
7
9日午前1132分、吉田昌郎・福島第1原発元所長が亡くなったという一報を吉田さんの親友からもらった時、私はそうつぶやいて、胸の前でそっと手を合わせた。

吉田さんは、最後まで原子力発電に携わる人間としての「本義」を忘れず、「チェルノブイリ事故の10倍」規模の被害に至る事態をぎりぎりで回避させ、文字通り、「日本を救った男」だった。

今も東京に住み続けている一人として、吉田さんへの心からの感謝の念が込み上げてきたのである。

 

【国家の「死の淵」で闘い、「戦死」した男】 

吉田さんは、昨年27日に食道がんの手術を受け、回復するかにみえたが、726日に今度は脳内出血で倒れ、二度の開頭手術とカテーテル手術を受けた。

しかし、がん細胞は肝臓へと転移、最後は、肺にも転移し、太腿に肉腫もでき、肝臓の腫瘍はこぶし大になっていた。

そのことを聞いていた私は、「いつかはこの日が来る」ことを覚悟していた。

吉田さんは暴走しようとする原子炉と闘い、過剰介入を繰り返す首相官邸とも闘い、時には、理不尽な要求をする東京電力本店とも闘った。

自分だけでなく、国家の「死の淵」に立って究極のストレスの中で闘った吉田さんは、58歳という若さで「戦死」したのだと私は思っている。

昨年7月に脳内出血で倒れる前、私の二度にわたる都合4時間半のインタビューを受けてくれた。

それは、あらゆるルートを通じて13カ月も説得作業を続けた末のインタビューだった。

初めて会った吉田さんは、184センチという長身だが、闘病生活で痩せ、すっかり面変わりしていた。

吉田さんは、それでも生来の明るさとざっくばらんな表情で、さまざまなことを私に語ってくれた。

前述のように、あそこで被害の拡大を止められなかったら、原子炉の暴走によって「チェルノブイリ事故の10倍」規模の被害になったこと、そして、それを阻止するべく原子炉冷却のための海水注入活動を行い、汚染された原子炉建屋へ突入を繰り返した部下たちの姿を詳細に語ったのである。

 

【官邸、東電上層部の命に反して、断固として海水注入を続行】

吉田さんは、いち早く自衛隊に消防車の要請をし、海水注入のためのライン構築を実行させ、1号機の原子炉格納容器爆発を避けるための「ベント」(格納容器の弁を開けて放射性物質を含む蒸気を排出する緊急措置)の指揮を執っている。

空気ボンベを背負ってエアマスクをつけ、炎の中に飛び込む耐火服まで身に着けての決死の「ベント作業」は、すさまじいものだった。

その決死の作業を行った部下たちは、私のインタビューに、「吉田さんとなら一緒に死ねる、と思っていた」、「所長が吉田さんじゃなかったら、事故の拡大は防げなかったと思う」、そう口々に語った。

自分の命をかけて放射能汚染された原子炉建屋に突入する時、心が通い合っていない上司の命令では、“決死の突入”を果たすことはできないだろう。

吉田さんは、彼らが作業から帰ってくると、その度に一人一人の手をとって、「よく帰ってきてくれた! ありがとう」と、労をねぎらった。

テレビ会議で本店にかみつき、一歩も引かない吉田さんの姿を見て、部下たちは、ますます吉田さんのもとで心がひとつになっていった。

吉田さんらしさが最も出たのは、なんといっても官邸に詰めていた東電の武黒一郎フェローから、官邸の意向として海水注入の中止命令が来た時だろう。

「官邸がグジグジ言ってんだよ! いますぐ止めろ」

武黒フェローの命令に吉田さんは反発した。
「なに言ってるんですか! 止められません!」

海水注入の中止命令を敢然と拒否した吉田さんは、今度は東電本店からも中止命令が来ることを予想し、あらかじめ担当の班長のところに行って、「いいか、これから海水注入の中止命令が本店から来るかもしれない。俺がお前にテレビ会議の中では海水注入中止を言うが、その命令は聞く必要はない。そのまま注入を続けろ。いいな」。
そう耳打ちしている。

案の定、本店から直後に海水注入の中止命令が来る。

だが、この吉田さんの機転によって、原子炉の唯一の冷却手段だった海水注入は続行されたのである。

多くの原子力専門家がいる東電の中で、吉田さんだけは、原子力に携わる技術者としての本来の「使命」を見失わなかったことになる。

 

【最後まで現場で闘った「フクシマ69」】

2011315日早朝、いよいよ2号機の格納容器の圧力が上昇して最大の危機を迎えた時、吉田さんは「一緒に死んでくれる人間」の顔を一人一人思い浮かべ、その選別をする場面を私に語ってくれた。

吉田さんは指揮を執っていた免震重要棟2階の緊急時対策室の席からふらりと立ち上がったかと思うと、今度はそのまま床にぺたんと座り込んで頭を垂れ、瞑想を始めた。
それは、座禅を組み、なにか物思いにふけっているような姿だった。

「あの時、海水注入を続けるしか原子炉の暴走を止める手段はなかったですね。
水を入れる人間を誰にするか、私は選ばなければなりませんでした。
それは誰に“一緒に死んでもらうか”ということでもあります。
こいつも一緒に死んでもらうことになる、こいつも、こいつもって、次々、顔が浮かんできました。
最初に浮かんだのは、自分と同い年の復旧班長です。
高卒で東電に入った男なんですけど、昔からいろんなことを一緒にやってきた男です。
こいつは一緒に死んでくれるだろうな、と真っ先に思いました…」

生と死を考える場面では、やはり若い時から長くつき合ってきた仲間の顔が浮かんだ、と吉田さんは語った。

「やっぱり自分と年嵩(としかさ)が似た、長いこと一緒にやってきた連中の顔が浮かんできましてね。
死なせたらかわいそうだなと思ったんですね。
だけど、ここまできたら、水を入れ続けるしかねぇんだから、最後はもう諦めてもらうしかねぇのかな、と。
そんなことがずっと頭に去来しながら、座ってたんですね…」

それは、壮絶な場面だった。

この時、のちに欧米メディアから“フクシマ・フィフティ(Fukushima 50)”と呼ばれて吉田さんと共に現場に残った人間は、実際には「69人」いた。

どんなことになろうと、俺たちが原子炉の暴走を止める―。
その思いは、事故に対処した福島第1原発の現場の人間に共通するものだっただろう。

こうして、あきらめることのない吉田さんたちの格闘は、ついに福島が壊滅し、日本が「3分割」される事態を食い止めた。

 

【津波対策にも奔走していた矢先に発生した大震災】

吉田さんの死後、反原発を主張するメディアが、「吉田は津波対策に消極的な人物だった」というバッシングを始めたことに私は驚いた。

それは、まったく事実に反するからだ。

吉田さんは、20074月に本店の原子力設備管理部長に就任した。
その時から、津波について研究を続けている。

土木学会の津波評価部会が福島県沖に津波を起こす「波源」がないことを公表し、日本の防災の最高機関である中央防災会議(本部長・総理大臣)が、「福島沖を防災対策の検討対象から除外する」という決定を行っていたにもかかわらず、吉田さんは明治三陸沖地震(1896年岩手県三陸沖で発生、津波による犠牲者が約22000人)を起こした波源が「仮に福島沖にあった場合はどうなるか」という、いわば“架空の試算”を行わせた。

これによって「最大波高15.7メートル」という試算結果を得ると、今度は、土木学会の津波評価部会に正式に「波源の策定」の審議を依頼している。

さらに吉田さんは、西暦869年の貞観(じょうがん)津波の波高を得るために堆積物調査まで行い、「4メートル」という調査結果を得ている。

巨大防潮堤の建設は、簡単なものではない。

仮に本当に大津波が来て巨大防潮堤にぶち当たれば、津波は横にそれ、周辺集落へ大きな被害をもたらすことになる。

巨大防潮堤は、海の環境も変えてしまうので、漁業への影響ほか「環境影響評価(環境アセスメント)」など、クリアしなければいけない問題もある。

吉田さんは、津波対策に「消極的」どころか、その対策をとるため、周辺自治体を説得できるオーソライズされた「根拠」を得ようと、最も「積極的」に動いた男だったのである。

しかし、その途中でエネルギー量が阪神淡路大震災の358倍、関東大震災の45倍という、どの学会も研究機関も予想し得なかった「過去に類例を見ない巨大地震」が襲った。

福島第1原発の所長となっていた吉田さんは、自らの命を賭けてこの事故と闘った。

吉田さんのもと、心をひとつにした部下たちが放射能汚染された原子炉建屋に何度も突入を繰り返し、ついに最悪の事態は回避された。

吉田さんが、「あの時」「あそこにいた」からこそ、日本が救われたのである。

https://news.yahoo.co.jp/articles/d43892b04225cd55beb631eb8e8d372b49de53b2?page=1  

 

(ブログ者コメント)

〇当時の報道を思い起こせば、確かに、「吉田氏は本店勤務時代に津波対策の責任者だったのに大津波への対応を怠った・・・」的な報道がメディアから繰り返し流され、ブログ者もそれを信じていた。

〇巨大防潮堤を作ると、それた波が周辺の集落に大きな被害をもたらすという件、千葉県では利根川の流れによって津波がそれ、銚子は無事だったが隣の飯岡などに大きな被害をもたらした・・・それと相通じるところがあると感じた。

〇それにしても、権力者の思いつきに振り回され、あの時、海水注入を停止していたら・・・。
考えるだに恐ろしい。

 

 

 

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2021520152分にYAHOOニュース(FRIDAY DIGITAL)から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

【原発冷却のために日本中からポンプ車が集められたが……】

413日、政府は福島第一原発の放射性物質を含む処理水の海洋放出を決定した。

この処理水はトリチウムなど放射性物質を合計約860兆ベクレル含んでいるが、国やWHOの基準を大幅に下回る濃度に薄められて年間最大22兆ベクレルが海洋放出される予定だ。

最近の例では韓国の古里原発では50兆ベクレル(2018年)、中国・福清原発では52兆ベクレル(2020年)を液体として放出。

福島の2倍以上の濃度の処理水を放出した両国から猛反発を受けている。

 

このような状況において、福島第一原発の敷地内には、今も原発の冷却で大活躍をした中国製のコンクリートポンプ車が置かれていることをご存知だろうか?

62Mもの長いブームを持つその風貌から『大キリン』なる愛称が付けられている。
名付け親は当時の経済産業大臣、海江田万里氏だ。

東京電力ホールディングス株式会社福島本部福島広報部はこう明かす。

「当該コンクリートポンプ車は、現在も福島第一原子力発電所構内に保管されています。
保管の目的は緊急時に活用するためです。
動作確認により、現在も使用できることを確認しています」

製造元の中国・長沙市に拠点を置く三SANY)の本正規代理店WWB㈱によると、『大キリン』は、東京電力が運営する福島第一原子力発電所に隣接したメンテナンスセンターに設置されています。

毎月、東京電力のスタッフは、ポンプ車に問題がないことを確認するために、腕(ブーム)を伸ばし、脚を上げ、動かして走らせるなどしてメンテナンスとオーバーホールを行っていて、良好な状態を保っている。

しかも、このメンテナンスへの協力はWWB代表である龍潤生氏の意思によって無償で行われているのだ。

処理水の海洋放出で猛反発を受けている中国の製品を、原発事故から10年経った今でも福島第一原発の敷地内に「即応態勢」で置いておく…。

一見矛盾する現象の背景には、「大キリン」が日本を救った実績があるからだ。

2011311日に発生した東北地方太平洋沖地震や津波によって、東京電力福島第一原子力発電所では深刻な原子力事故が発生した。

被害を拡大させないためには早急に原子炉を冷やす必要があったのだが、その冷却方法として、限られた時間の中、東京電力や日本政府は様々な方法を模索した。

消防車やはしご車、ヘリコプターからの放水はすべて失敗に終わっており、絶望的な状況の中、提案されたのが「長いブームを持つ、コンクリートポンプ車による注水」という方法であった。

政府や東京電力は当時、日本国内にあるコンクリートポンプ車を「金に糸目をつけず」手あたり次第集めようとした。

中には5000万円の中古コンクリートポンプ車を2億円で販売しようとした会社もあったという。

国内の様々なメーカーのポンプ車が集まったが…結局どれも使い物にならなかった。

日本では道路運送車両法などでブームの長さが最大33mに制限されており、原発の注水作業を可能とする60m級のポンプ車は皆無だったのだ。

 

【超法規的措置で… 】

関係者が血眼になって世界中のメーカーを探した結果、条件を満たすポンプ車が見つかった。
中国・三一重工(SANY HEAVY INDUSTRY CO.,Ltd.)の『SY5502THB62B』という型番を持つ62mブームのポンプ車である。

当時の様子を中国南部に位置する長沙市に位置する三一重工本社に聞いてみた。

60m級のブームを持つポンプ車は日本にはもちろんなく、全世界を調べた結果、唯一、弊社だけが作っていることが分かりました。
日本政府(東電)は外交ルートで三一重工に62mコンクリートポンプ車の購入したい、できるだけ早い出荷をお願いしたいと依頼してきたのです。
その時、三一重工業の梁(りょう)会長は会議に出席するため浙江省湖州にいたのですが、日本の原発事故のニュースや日本政府からの販売要請を聞いたあと、すぐに断言しました。

『日本へは絶対にポンプ車を売ってはいけません。
 売るのではなく、寄贈します。
 無償で62mブームのポンプ車1台を寄付し、完全な技術
 サポートを提供します』」

そのポンプ車の値段は、輸送費など含めてなんと100万ドル!(当時の邦貨換算で15000万円)。

機械だけを送るのではなく、操作方法などを教えるため、3人の熟練したエンジニアまでつけた。

幸運なことに、たまたまドイツに向けてすでに船積みを完了し、出発する直前だった62mポンプ車が上海の港にあった。

送り先のドイツ企業の快諾も得て、そのポンプ車を急遽、福島向けに送り出したのだ。

同社の日本法人『三一日本』の代表取締役(当時)川添氏によると、「日本の道路では通常、走行ができないサイズ、重量であったので、通過予定の道路状況、道路の幅、トンネルなどの高さ制限、橋の重量制限などもをすべて詳細に調査して、通行可能なルートを決めました」

三一重工の担当者は続ける。

「このポンプ車を最短時間で届けるために中国外務省、上海警察、そして中国税関は、日本政府が通関手続きを免除し、一刻も早く福島で稼働できるよう、できることはすべて行いました。
日本に上陸したあとは、日本のパトカーが護衛するルートを走りました。
ポンプ車には三一重工が開発した遠隔操作装置をつけて、原発から2km離れた場所で操作を行い、現場では無人で運転することになったのです。
ポンプ車の上部にはカメラと感温装置のデバイスを取り付け、リアルタイムで最新情報を中継することも可能でした」

最初の水注入後、原子炉の温度は著しく低下し、良好な結果を示した。
三一重工のポンプ車は優れた性能で原発事故の被害拡大をくいとめることに成功したのである。

日本人の中には、「中国製」という言葉を耳にした途端、ネガティブなイメージを持つ人は少なからずいると思われるが、私が先日紹介したBYD製の電気バスが日本製に比べて格段に安い価格で性能のよいものが作れる土壌ができあがっていて、世界でもトップシェアを誇る存在になっている。

分野によっては、中国に完全に置き去りにされている。

少なくとも10年前、東日本大震災で、福島第一原発が窮地に立たされたときに中国の企業による好意で、結果的に日本が救われた事実は忘れてはならないだろう。

https://news.yahoo.co.jp/articles/47f004a3bc165e29a46a969327a82f7948039a6d

 

 

 

 

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2021322200分に朝日新聞から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

東京電力福島第一原発で事故が発生して間もない201131618日、米政府が4号機の使用済み燃料プールに水がないと誤って判断したのは、同原発構内の一部で放射線が人の死亡に直結する高線量率になっているとの情報が根拠の一つだった――。
そんな事情が米政府側の記録や関係者の話でわかった。

実際にはプールに水はあった。
が、米政府はプールに水がないため、大量の放射性物質が火災で大気中に巻き上げられ、首都圏まで運ばれかねないと懸念。
原発80キロ圏内の自国民に避難を勧告した。

首都圏に放射能汚染が及ぶ最悪の事態の恐れをめぐり、日米の深刻な認識の相違が生じていた。

4号機の原子炉建屋は315日朝に爆発。
最上階のプールには1331体の使用済み燃料が保管されていた。

記者が参加した「福島原発事故10年検証委員会」(座長=鈴木一人・東京大教授)事務局に対する東電の回答によると、東電は当時、燃料が水面に露出すれば建屋周辺は毎時10シーベルト(1万ミリシーベルト)の線量になると試算していた。

だが実際には、10シーベルトと比べれば線量は桁違いに低く、東電が3月中旬に建屋外で測定した最高値は毎時400ミリシーベルト。
急性放射線障害になった人もいなかった。

東電は当時、測定した線量を逐一公表しており、政府も東電もプールに水があると判断していた。

米原子力規制委員会(NRC)の当時の電話会議などの記録によると、NRC16日早朝(日本時間同日夜)、東京に派遣した職員から「プールは爆発で壁が崩壊し、水を保持する能力を失った」との報告を受けた。

グレゴリー・ヤツコ委員長(当時)は、80キロ圏内の米国人に避難を勧告する方針を決定。
米議会の公聴会で「プールに水はない」と述べた。

ヤツコ氏は19年に出した著書で、この発言の誤りを認めている。

水がないと判断したことについて、日本に派遣されたNRC職員のトップだったチャールズ・カストー氏は18年に出した著書で「建屋の外部の放射線レベルが非常に高いとの話があり、その線源は燃料そのものに違いないと判断した」と振り返っている。

NRCの記録を検証したところ、カストー氏は17日夜(日本時間18日午前)の電話会議で、同じ敷地内にある2号機と3号機の建屋の間に6千ミリシーベルト相当の線量があると発言していた。

別の会議参加者が「私もその数字を見た」と応じると、カストー氏は「それは致死線量(lethal doses)だ」と述べた。

検証委の聞き取りに対し、「致死線量」情報の出所について、カストー氏は「NRCの人間から聞いたとうっすら覚えている」と答えるにとどまった。

記録によると、1517日、NRCの内部では「5人が致死放射線量(lethal doses of radiation)を受けた」、「施設や制御室は致死線量(fatal doses)で、何も制御できなくなるだろう」といった情報も共有されていた。

これらは事実と異なる情報だった。

https://www.asahi.com/articles/ASP3Q5SJKP3QUTIL044.html

 

 

 

 

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20213192012分にNHK福島から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

東京電力福島第一原子力発電所の3号機で地震計が故障したまま放置され、先月の福島県沖を震源とする地震でデータが取れなかった問題で、東京電力は、新しい地震計を設置して、19日から運用を再開したと発表しました。

福島第一原発3号機では、地震の揺れによる建物への影響を調べるため、去年4月から、2台の地震計が設置されていました。

しかし、去年7月の大雨などで、いずれも故障したまま放置され、県内で最大震度6強の揺れを観測した先月13日の地震で、データを取ることができませんでした。

これについて、東京電力は、今月5日までに、もともと設置していた場所と同じ1階と5階に、新しい地震計を設置し、19日から運用を再開したと発表しました。

東京電力は、去年7月の地震計の故障のあと、すぐに復旧させなかった理由について、1階にあった1台が水没したあと、10月になって5階の屋上部分にあったもう1台で原因不明のトラブルが発生し、これが現場の高い放射線量の影響なのかどうか、原因の究明に時間がかかっていたためだと説明しています。

この問題では、原子力規制委員会が「東京電力の対応に問題がある」として、ほかの計測機器を含めた対応を検証する考えを示しているほか、地震から1週間以上たって地震計の故障を初めて公表した対応にも、地元から批判が高まっています。

https://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/20210319/6050013870.html

 

3191023分にNHK福島からは、地震計が故障していなければ、しっかりしたデータをとることができたという、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

この問題について、18日夜、東京電力の小早川社長は、「地震があったときに計器が故障せず動いていれば、しっかりとデータを得られる千載一遇のチャンスだったので残念だ」と述べ、地震を「チャンス」と表現したうえで、「計器をすぐ更新することが出来ていなかったのは非常に問題がある。しっかり改善したい」と話しました。

https://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/20210319/6050013862.html

 

(ブログ者コメント)

先日、柏崎刈羽原発でテロ対策侵入検知装置が故障していた問題を紹介したばかり。
事情は異なるようだが、同じようなことが、こうも続けて報道されるようでは、ちょっと心配になってしまう。

 

 

 

 

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2021310120分に文藝春秋digitalから、「トモダチ作戦に隠れた熾烈な攻防戦──10年後に明かされた驚愕の真実!」というタイトルで、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

【原発事故の情報を隠している】

20113月上旬。
福島第1原子力発電所の事故が発生して数日後、在日アメリカ大使館の駐在武官から、一通の極秘公電がアメリカ・ワシントンにある国防総省宛てに「緊急扱い」で届けられた。

そこには政府機関の公文書にも関わらず感情的な言葉が幾つも並べられ、最後をこう結んでいた。

〈日本政府は、原発事故に関する情報を隠している。この状態は現在のリビアより酷い〉

当時、北アフリカのリビアは40年間に渡って独裁政治を続けていたカダフィ政権と反体制派の激しい内戦が続き、政府機関は機能せず、全土が混乱していた。

駐在武官は、それよりも日本政府の状況が“酷い”と怒りを込めた公電で言い切ったのである。

「しかし、そのうち、日本は隠しているのではなく、事態を把握できていないのではないかという疑心暗鬼が広がりました。
そして、もはや菅直人首相率いる日本政府に原発対処を任せられないとの雰囲気がアメリカ軍内で高まっていったのです」(アメリカ太平洋軍幹部)

     *

1枚の文書がある。
題名は、〈BCAT(ビーキャット)横田調整所の役割分担〉。
東日本大震災対処のために、自衛隊とアメリカ軍が連携して行う任務を調整する、自衛隊側の対応チームの編成表である。

細かく見ると、「原発対処主務」、「HADR(人道災害支援)主務」、「輸送機能担当」――など、任務別の名称が並ぶ。

チームのトップは、陸上幕僚監部(陸幕)防衛部長の番匠幸一郎(ばんしょうこういちろう)陸将補。
それを支えるスタッフとして自衛官と防衛省内局員の氏名が記載されている。

日米部隊の調整は、すでに東京・市ヶ谷の統合幕僚監部(統幕)でも「中央BCAT調整所」として立ち上がっていた。

しかし、この「BCAT横田調整所」が、原発の対処を巡り、日米の軍事関係者が密かに激論を交わした“最前線”であったことは、これまで明らかにされることはなかった。

アメリカ軍は震災発生の直後から東北地方一帯で、航空機や艦船を使って救助や生活支援の作戦を展開していた。

だが、それとはまったく別のところで、密やかな“日米の熾烈な攻防”があったのだ。

 

【「外征軍」がやってくる!】

東日本大震災&アメリカとのフレーズでネット検索して目立つのは「トモダチ作戦」という言葉だ。

アメリカ軍が命懸けで、必死で日本を支援してくれた、離島にも生活物資を運んでくれたことへの感謝の言葉は多い。

冠水した仙台空港の早期復旧には、多くの日本人から敬服する声が送られた。

震災から4日後、陸幕作成の315日付け「モーニングレポート」によれば、第3海兵遠征旅団の前方司令部が編成されて早くも仙台空港の修復準備に入り、第7艦隊に属する空母や7隻の艦船搭載のヘリコプターが捜索と救難活動を実施。
さらに厚木や横田の基地のヘリコプターも人命救助活動を活発化していた。

ところが同じ頃、部下からの報告を受けた陸上自衛隊(陸自)の最高幹部は思わず声を上げた。

「なに! アメリカ軍が『JTF』を編成して日本にやって来るだと!」

JTFとは、特別な作戦を行う時、任務ごとに陸海空から部隊を引き抜いて一つの「特別任務部隊(タスクフォース)」を作るアメリカ軍の主たる作戦形態である。

軍事関係者の間では聞き慣れた言葉だが、その時は違った。

最高幹部は「JTF」というフレーズに激しく反応したのだ。

「日米が共同作戦を組むというならわかります。
しかし、あの状況下で、“JTFを編成してやって来る”と聞かされたので、これはもう『HADR』などの『支援』や『共同作戦』ではなく、アメリカがアフガンなどで『外征軍』として行ってきた、政治も民政もすべて指揮下に置く軍のイメージがすぐに頭に浮かびました。
しかし日本は独立国であり、自衛隊も健在であるし、中央政府も存続している。
また韓国のように戦争時指揮権があるわけでもない。
ですから非常に深刻に受け止めました」(同陸自最高幹部)

同じ報告を受けていた統合幕僚監部(統幕)の幹部も当時を思い出す。

「真っ先に思ったことは、まさか自衛隊はアメリカ軍の隷下に入るのか!という驚きでした。
毎年の日米共同演習(ワイエス)でやっているような、日米は共同で、指揮関係はなく、並列(パラ)であるというのはいったい何だったんだ、という不満も抱きました」

その直後、同陸自最高幹部の悪い予感は当たった。

「アメリカ軍は、捜索、救助、生活支援をするためのテレビカメラに映る活動を行ったその裏側で、JTFこそ編成しませんでしたが、原発対処のために本国から次々と、放射能専門対処チームを送り込んで来たのです」(統幕関係者)

同統幕関係者によれば、それは原発事故の翌日からだった。

国防総省の「RCMT」(アメリカ軍放射能収集管理チーム)や、「DTRA(デトラ)」(脅威削減局)などの放射能専門対処チームは、来日直後から原発の現状に関する最新情報を要求してきた。

DTRA」とは、陸自が16日付で主要部隊に配布した資料によれば、〈弾道ミサイル等の高強度脅威に関する見積・検討を担当する国防総省の機関〉とある。

陸自幹部の一人は、これら放射能専門対処チームの訪日に強い危惧を抱き始めていた。

「放射能専門対処チームは、自分たちのやり方で自衛隊や日本政府を動かし、この危機を乗り切るつもりではないか、との思いを強く持つようになってゆきました。
なぜなら、今までのような“共同で”という雰囲気をまったく感じなかったからです」

 

【アメリカ軍はまるでGHQだ】

その動きを察した陸幕は、本国からやってきた放射能専門対処チームと直接会って“膝詰め”でのタフな交渉が必要と判断。

日米協議の最前線とする新しい調整所の設置をアメリカ側に提案した上で、そこへ番匠を貼り付けることになったのである。

そして、その“タフな交渉の最前線”のために作られたのが、前述した番匠率いる「BCAT横田調整所」だった。

番匠は、かつてイラクの復興支援活動の初陣を切った部隊指揮官として名を馳せたが、自衛隊の中では“清濁(せいだく)併せ飲む軍師”として知られ、“笑わない目”という異名もとる。

番匠をトップとする「BCAT横田調整所」のチームが向かったのは、東京・福生市の横田基地にある在日米軍司令部だった。

もともと在日米軍司令部には、有事や合同演習で活躍する「BOCC」(日米共同運用調整所)という拠点がある。

そこを使って、アメリカ軍と膝を突き合わせてのタフな交渉が始まったのである。

さっそく協議を開始した「BCAT横田調整所」チームだったが、最初から大きな壁にぶつかることになる。

協議の冒頭から、アメリカ軍は原発対処を日本に任せず、自分たちで統治して作戦を行うのだ、というオーラが半端なかったと、統幕最高幹部は証言する。

「いち早くそれを悟って強い危機感を持った番匠は、日本が主体となって対処する事を繰り返し説明しました。
しかし、アメリカ軍は、日本政府の対応の不味さを暗に指摘した上で、日本だけで対応できる、という番匠の説得を一向に信用しようとしなかったのです」

そして間もなくして、「BCAT横田調整所」チームの中で、ある言葉が囁かれるようになった。

「アメリカ軍はまるでGHQだ」

 

(以下は有料 目次のみ記す)

10万人の在日米国人の大規模避難】

【日本政府の代わりに統治する】

【番匠とウオルシュの大激論】

【それでも日本政府を信用できない】

【米軍を驚愕させた“日本の事情”】

【日本を統治してくる】

【戦慄の「石棺作戦」】

https://bungeishunju.com/n/nc9afa3562167

 

(ブログ者コメント)

前回も紹介した映画「Fukushima 50」中、上記内容と同じようなことを描いた横田基地などのシーンもあった。

























 

 

 

 

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2021382128分に産経新聞から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

東京電力福島第1原発事故から11日で10年となるのを前に、首相官邸で当時、内閣危機管理監として対応に当たった伊藤哲朗東大生産技術研究所客員教授(72)が産経新聞の取材に応じ、新型コロナウイルスへの政府対応について「原発事故の教訓が生きていない」と述べた。

「情報共有が不十分だったのが一番の問題だ。官邸の危機管理部門が有効に活用されなかった」

伊藤氏は、こう振り返る。

政府は平成7年の阪神大震災で統一的な対応ができなかった反省から、10年に危機管理監以下の対応部門を発足させ、官邸地下に危機管理センターを設置した。

23年3月11日。

大地震と大津波への対応に、こうした体制は機能した。

だが、福島第1原発で起きた停電で事態は一変した。

当時の原子力安全・保安院は現地の情報を把握できずに初動が遅れ、民主党政権下の菅(かん)直人首相(当時)をトップとする官邸は、午後7時ごろに原子力緊急事態宣言を発出するまで事態発生から2時間以上かかった。

午後8時半ごろ、伊藤氏はある異変に気付く。

幹部会議室に政治家の姿が突然見えなくなった。

首相や海江田万里経済産業相ら政権幹部が保安院幹部らとセンター内の休憩室にこもってしまったからだ。

首相らは、伊藤氏がいる危機管理センターとは別に東電から直接情報を集めていたことが後で分かった。

センターには一部の重要な情報が入ってきていない状態だった。

「緊急事態に重要なのは、情報を共有し、指揮命令系統を一元化すること。基本が全くできていなかった」

この1年間の政府の新型コロナ対応を見ていると、伊藤氏は情報共有が図られず、対応が後手に回っているのではと感じる。

一連の対応では、昨年1月上旬に中国が感染の確認を公に発表したが、中国全土との事実上の往来停止は同年3月上旬だった。

当時の安倍晋三首相が2月下旬に突然、全国小中高校の一斉休校を発表した際には、官房長官だった菅義偉(すが・よしひで)首相らに事前の相談がなかった。

21年の新型インフルエンザ流行時も危機管理監として対応に当たった伊藤氏は、「パンデミック(世界的大流行)の時こそ危機管理部門の出番のはずだ。政治家は役人をフル活用すべきだ。今回の官邸の危機管理は、むしろ後退している印象すら抱く」と危機感をあらわにした。

https://www.sankei.com/affairs/news/210308/afr2103080033-n1.html 

 

(ブログ者コメント)

先日、渡辺謙氏が吉田所長を演じた映画「Fukushima 50」が日テレから放映されていた。

以下は、政府首脳が部屋にこもり東電首脳らから説明を受けていたシーン。
この情報は、これまでブログ者のアンテナにひっかかっていなかったが、この映画、そこまで再現していたことに驚いた。

それ以外にも、ブログ者のアンテナにひっかかっていなかった情報としては、本社が手配した電源車が到着したものの、必要だった高圧電源用ではなく低圧電源用だったため使えなかったとか、あれやれ、これやれと言うだけの本社首脳の指示や、官邸からの素人考えの指示に対し吉田所長がテレビ会議で何回もキレ、それに対し本社首脳が「やれ!」と怒鳴り返していたとか、菅首相はヘリで現地に飛んだ際、着替えという入室ルールを拒絶した、といった情報が盛り込まれていた。

 ※電源車の件だが、ブログ者は当時、消防車のカップリングが合わなかったかのような報道があったと記憶していた。
しかし、その後、調べ直しても、そのような情報なし。
もしかすると、高圧電源の装置側カップリングに低圧電源車のカップリングが合わなかった、ということだったのかもしれない。

一方、アンテナにひっかかっていた情報としては、官邸からの海水注入停止指示に対し面従腹背で海水注入を続行した件や、全員退避という誤情報を信じた首相が東電本社に怒鳴りこんだ件など、細かいところまで再現されていた。

それやこれやで、ドキュメンタリータッチのこの映画、当時の緊迫した状況をかなり忠実に再現しているようにお見受けした。

 

 (2021年3月21日 修正1 ;追記)

20213201219分にYAHOOニュース(映画ジャーナリスト斉藤氏の寄稿文?)からは、映画「Fukushima 50」は政治色をできるだけ少なく描いていたなど、下記趣旨の解説記事がネット配信されていた。
ブログ者は、ここまで描いたか!と感じていたのだが・・・。

319日、2020年度の日本アカデミー賞は、最優秀作品賞を『ミッドナイトスワン』に授与して幕を閉じた。
最優秀主演男優賞も同作の草彅剛で、2冠となる。

・・・・・

授賞式の流れからして、最優秀作品賞は『Fukushima 50』という可能性も高かった。
監督賞、渡辺謙の助演男優賞など6部門で最優秀を獲得していたからだ。

しかも『Fukushima 50』は、東日本大震災、福島第一原発事故から10年目というタイミングであり、一昨年の『万引き家族』、昨年の『新聞記者』の流れをくむと、社会性という点では今年の栄冠にふさわしいとも考えられた。

同じように『浅田家!』も東日本大震災、『罪の声』もグリコ・森永事件を背景/モデルにしているので、社会性という点に適合する。

ただ、『Fukushima 50』は賛否が大きく分かれた作品でもあった。

原発事故の現場を生々しく克明に再現しつつ、政治色はできるだけ少なく描いたこと。
原発の是非というメッセージ性は抑えめで、ヒューマンな感動を追求したこと。

それらが複雑に絡み合って、ストレートに感動した人が多くいた一方で、描き方の甘さを指摘する声もたくさんあった。

Fukushima 50』は日本アカデミー賞授賞式のちょうど一週間前に、日本テレビで地上波ノーカット初放映された。

日本アカデミー賞の生中継も同じく日テレ。

なんだか『Fukushima 50』が最優秀作品賞に輝いたら、「やらせ」「できすぎ」の香りも漂ったが、あえてそれを避けたようにも感じられる(投票者はそこまで考えていないだろうが…)。

・・・・・

https://news.yahoo.co.jp/byline/saitohiroaki/20210320-00228378/ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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202133731分にYAHOOニュース(現代ビジネス)から、『福島原発事故「10年目の真実」…「東日本壊滅」という最悪シナリオを回避できた「本当の深層」』というタイトルで、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

長文につき、一部のみ抜粋して紹介する。

 

福島第一原発事故が発生した2011311日から10年が経とうとしている。

 

・・・・・

 

実は、事故発生直後に極秘裏に行われた「シミュレーション」によると、帰宅困難区域は東日本全体に及ぶ可能性があった。

 

当時の原子力委員会委員長の近藤駿介氏が行ったシミュレーションでは、最悪の場合、東日本全体がチェルノブイリ原発事故に匹敵するような大量な放射性物質に汚染され、原発から250キロメートル半径の住民が避難を強いられるという予測をしていた。  

 

なぜ、福島第一原発事故は、「東日本壊滅」という最悪シナリオを回避できたのか。  

 

事故後、10年にわたって1500人以上の関係者や専門家を取材、事故を検証してきたNHKメルトダウン取材班は、『福島第一原発事故の「真実」』で、東日本壊滅が避けられたのは、いくつかの僥倖が重なった「偶然の産物」だったというショッキングな分析を明らかにした。

 

・・・・・

 

冷却が途絶えた2号機は、何度試みてもベントができなくなり、なんとか原子炉を減圧したが、消防車の燃料切れで水を入れることができず、原子炉が空焚き状態になった。

 

テレビ会議では、吉田所長や武藤副社長が血相をかえて「格納容器がぶっ壊れる」「とにかく水をいれろ」と怒鳴っている。  

 

後に吉田所長は、「このまま水が入らないと核燃料が格納容器を突き破り、あたり一面に放射性物質がまき散らされ、東日本一帯が壊滅すると思った」と打ち明けている。

 

吉田所長が語った「東日本壊滅」は、事故後、専門家によってシミュレーションが行われている。

 

当時の菅総理大臣が近藤駿介原子力委員会委員長に、事故が連鎖的に悪化すると最終的にどうなるかシミュレーションをしてほしいと依頼して作成された「最悪シナリオ」である。  

 

そこに描かれていたのは、戦慄すべき日本の姿だった。  

 

最悪シナリオによると、もし1号機の原子炉か格納容器が水素爆発して、作業員が全員退避すると、原子炉への注水ができなくなり、格納容器が破損。

 

2号機、3号機、さらに4号機の燃料プールの注水も連鎖してできなくなり、各号機の格納容器が破損。

 

さらに燃料プールの核燃料もメルトダウンし、大量の放射性物質が放出される。  

 

その結果、福島第一原発の半径170キロメートル圏内がチェルノブイリ事故の強制移住基準に達し、半径250キロメートル圏内が、住民が移住を希望した場合には認めるべき汚染地域になるとされている。

 

半径250キロメートルとは、北は岩手県盛岡市、南は横浜市に至る。

 

東京を含む東日本3000万人が退避を強いられ、これらの地域が自然放射線レベルに戻るには、数十年かかると予測されていた。

 

この東日本壊滅の光景は、2号機危機の局面で、吉田所長だけでなく、最前線にいたかなりの当事者の頭をよぎっている。

 

しかし、2号機の格納容器は決定的には破壊されなかった。

 

なぜ、破壊されなかったのか。

 

そこに、決死の覚悟で行われたいくつかの対応策が何らかの形で貢献していたのだろうか。

 

・・・・・

 

事故から10年。

この謎を包んでいた厚いベールが剥がれ始めてきた。  

 

廃炉作業が進むうちに原子炉や格納容器に溶け落ちた核燃料デブリの状態が垣間見えてきたからである。

 

ベントができず肝心なときに水が入らなかったため過酷な高温高圧状態だったと思われた2号機の原子炉や格納容器の中には、思いのほか溶け残っている金属が多く、予想に反して高温に達していなかったことがわかってきた。

 

その理由は、皮肉にも肝心なときに水が入らなかったことではないかと研究者は指摘している。

 

メルトダウンは、核燃料に含まれるジルコニウムという金属と水が高温下で化学反応を起こすことで促進される。

 

消防車の燃料切れでしばらく水が入らなかった2号機は、水─ジルコニウム反応が鈍くなり、1号機や3号機に比べて原子炉温度が上昇せず、メルトダウンが抑制された可能性が出てきたのである。  

 

さらに格納容器は破壊ぎりぎりの高圧になったが、上部の繫ぎ目や、配管との接続部分が高熱で溶けて隙間ができ、図らずも放射性物質が漏れ出ていたことも破壊を防いだ一因とみられている。  

 

そして2号機は、電源喪失から3日間にわたってRCICと呼ばれる冷却装置で原子炉を冷やし続けていたため、核燃料のもつ熱量が、1号機や3号機に比べると小さくなり、メルトダウンを抑制させたのではないかと指摘する専門家もいる。

 

こうした僥倖が複雑に折り重なって、格納容器は決定的に壊れなかった。  

 

しかし、もしこの僥倖の何かが欠けていれば、果たしてどうなっていたか。

 

吉田所長ら当事者の頭を「最悪シナリオ」がよぎった後、私たちの目の前に、事故後日本社会が積み上げてきた10年とまったく違った10年が広がっていたのかもしれない。

 

核の暴走に人間が向き合った最前線では、時に決死の覚悟と英知が最悪の事態からの脱出に寄与したこともある。

 

2号機の危機でも3日間奇跡的に原子炉を冷却し続けたRCICは、津波で電源喪失する直前に中央制御室の運転員がとっさの判断で起動させたものだった。  

 

しかし、こうした人間の力をはるかに超えた偶然が重なって、2号機は格納容器が決定的に壊れるという事態を免れた。

 

それが事故から10年経って見えてきた「真実」ではないだろうか。

 

最悪シナリオで示された4号機の燃料プールの水がなくなり、高熱の使用済み核燃料がメルトダウンして、大量の放射性物質が放出されなかったのも偶然のなせるわざだった。  

 

4号機プールの水が干上がらなかったのは、たまたま隣接する原子炉ウェルの仕切り板に隙間ができて、大量の水が流れ込んだおかげだった。

 

4号機が水素爆発し、原子炉建屋最上階が壊れたことで、外からの注水が可能になったことも、まさに怪我の功名だった。  

 

爆発前、3号機の格納容器ベントによって排出された放射性物質が流れ込み、4号機の原子炉建屋には人が立ち入れない状態だった。

 

コンクリート注入用の特殊車両を遠隔操作し、燃料プールに冷却水を注入できたのも4号機の爆発があったからに他ならない。  

 

もし、これらの偶然が重なっていなかったら、4号機プールの水位はどんどん低下し、使用済み核燃料がむき出しになる恐れがあった。

 

そうなると、最悪シナリオで描かれた恐怖が現実のものになりかねなかったのである。

 

・・・・・

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/8c2bd167dc6d3d50130dfa87218916841143b27e 

 

 

 

 

 

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2021227215分に朝日新聞から下記趣旨の記事が、ベント配管が上まで延びていないイラストなど付きでネット配信されていた。

 

高さ120メートルの排気筒の中をてっぺんまで延びているはずの配管が、根元で途切れていた。

 

東京電力福島第一原発の事故調査を進めていた原子力規制委員会は今年1月、見過ごされていた設計の不備を記した報告書をまとめた。

 

配管は、10年前に炉心溶融(メルトダウン)を起こした12号機につながっている。

 

空だき状態になった原子炉を囲む格納容器の圧力を下げるため、放射性物質を含む蒸気や水素ガスを外に放出する「ベント」で使うものだ。

 

12号機の共用排気筒の根元部分には、事故直後から謎があった。

 

放射線量が1時間あたり10シーベルト以上と人が容易に近づけないほどで、34号機の排気筒と比べても異様に高かった。

 

なぜ汚染がひどいか。

 

事故10年を前に未解明事項の調査を再開した規制委が、写真や図面を精査する中で見えてきたのが、ベントの配管が根元で止まっているという、思いもよらぬ事実だった。

 

このせいで、外部に出るはずだった放射性物質の一部が排気筒の中に蓄積し、根元部分にたまったと報告書は結論づけた。

 

ベントの成否に直接の影響はなかったが、規制委の更田豊志委員長は、水素が排気筒内に出る構造だったことを問題視する。

 

高濃度の水素が空気中の酸素と混ざれば、水素爆発のおそれがある。

 

排気筒が壊れれば、事故はより深刻になっていた。

 

ベントの配管は、1992年に国が求めた「過酷事故対策」で追加された設備の一つ。

 

79年の米スリーマイル島、86年の旧ソ連チェルノブイリの原発事故を受け、炉心溶融に備える目的だった。

 

ただ、電力会社の自主的な取り組みとされ、国が詳しい設計や施工を確認することはなかった。

 

「当時も水素のことは意識されていたのに、なぜああいう設計になるのか。どこまで真剣だったのか」

「どうぞお任せくださいと言った電力がどう取り組んだのか。信用を得たいなら、過去について正直に語るべきだ」。

 

報告書公表後の記者会見で更田氏は不信感を隠さなかった。

 

排気筒の爆発は、あながち杞憂(きゆう)とは言えない。

 

配管がきちんと上まで延びていた34号機でも、3号機の水素が4号機に逆流し、運転停止中だった4号機の建屋の爆発を招いた。

 

配管が途切れていた経緯はいまだ明らかでなく、規制委は同型の他原発についても確認していく。

 

東電は朝日新聞の取材に、「設計段階で十分な考慮がなされていたとは言えない」と認めつつ、「理由は追えていない」と答えた。

 

 

【「最悪シナリオ」は半径250キロ】

 

東京電力福島第一原発で発覚した「途切れた配管」は、事故前の対策の「本気度」を疑わせる一例に過ぎない。

 

原子炉が冷やせなくなれば、事故は一気に深刻化する。

 

だからこそ、あらかじめ設備や手順を整えておく必要があった。

 

10年前の311日、福島第…

 

(以下は有料)

 

https://www.asahi.com/articles/ASP2W675CP2JULZU022.html

 

 

 

(ブログ者コメント)

 

設計不良ということは、とても考えられない。

 

施工不良、かつ工事検収不備、といったことではなかっただろうか?

 

それにしても・・・。

 

 

 

 

 

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2015101日に掲載した元記事がブログサイト運営会社の字数制限に抵触しましたので、ここに新情報を第2報修正2として掲載します。

第1報は下記参照。

https://anzendaiichi.blog.shinobi.jp/Entry/5250/

 

 

(2020年10月18日 修正2 ;追記)

 

2020101080分にYAHOOニュース(AERAdot)からは、2002年に保安院からの働きかけを東電が拒否した時の、やや詳しい状況などが、下記趣旨でネット配信されていた。

 

国が隠し続けた原発事故の「真実」が、時が経つにつれてあぶり出されている。

 

東日本大震災から来年で10年。

司法が下した判決は、「国にも責任がある」だった。

 

AERA 20201012日号の記事を紹介する。

 

*  *  *

 

「事故は防げた、人災だった」  

高裁が初めて、そう判断した。  

 

東京電力福島第一原発の事故で、住民が国や東電に損害賠償を求めた集団訴訟は、全国で約30ある。

 

これまでの判決で、国の責任を認めたのは7地裁、認めなかったのは6地裁と、司法判断は割れていた。

 

930日、仙台高裁(上田哲裁判長)は、国が東電に津波対策をとらせなかったことは違法だと、明快に認めた。

 

国の責任を示す事実が、少しずつ解明されてきたことが背景にある。  

 

東日本大震災から遡ること約9年前、200281日の朝刊に、東北地方でマグニチュード(M8クラスの巨大地震が高い確率で発生すると警告した記事が載った。

 

「津波地震、発生率20%」

「今後30年三陸─房総沖」  

朝日新聞も、このような見出しで社会面に大きな記事を載せている。

 

三陸沖で1896年に発生した津波地震は、岩手県で30メートルを超える高さまで遡上し、死者は2万人を超えた。

同じような地震が、もっと南の福島沖や茨城沖でも起きる、という内容だった。

 

・・・・・

 

81日付朝刊の記事を読んだ経済産業省の旧原子力安全・保安院の担当者は、同日午後6時半ごろ、東電に電話した。

「本日新聞に掲載された『三陸沖津波地震確率20%』に対して、プラントが大丈夫であるかどうか、説明を聞きたい」

 

4日後、東電の担当者は、資料を持って保安院に説明に行った。

 

東電が他社に送ったメールによると、保安院の担当者4人は、「福島から茨城沖も津波地震の津波を計算するべきだ」と要求。 

しかし東電は、「論文を説明するなどして、40分間くらい抵抗した」、「結果的には計算するとはなっていない」と報告している。

逃げ切ったのだ。  

 

保安院は東電の言い分を聞いただけ。

自分たちで調査したり、専門家に意見を聞いたりして確認することをしなかった。  

 

30日の仙台高裁の判決では、この時点の保安院の動きを、「不誠実ともいえる東電の報告を唯々諾々(いいだくだく)と受け入れることとなったものであり、規制当局に期待される役割を果たさなかったものといわざるを得ない」と厳しく批判した。  

 

東電に40分抵抗された揚げ句、対策をとらせることができなかった保安院。

その大きな失敗を保安院の関係者は、政府や国会の事故調査委員会には黙っていた。

 

181月になって、国が訴訟に提出した文書で初めて明らかになった。  

 

事故調に隠し、裁判で明らかになった事実はほかにもある。  

 

065月、福島第一に敷地を超える津波が襲来した場合、炉心溶融を引き起こすと東電は保安院に報告していた。

 

危機感を持った当時の保安院の担当者が、06年から07年にかけて、東電に津波対策をとらせようと激しくやりとりしていたことは、東電元幹部の刑事裁判(18年)で初めてわかった。

 

担当者は、「電力事業者はコストをかけることを本当にいやがっていると思うと、正直、電力事業者の対応の遅さに腹が立ちました」と、検察に述べていた。  

 

これらを踏まえ、国が規制権限を行使しなかったことについて、仙台高裁は「遅くとも06年末までには、許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くに至ったものと認めることが相当」として、国の責任を認めた。

 

(ジャーナリスト・添田孝史) 

AERA 20201012日号より抜粋

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/3e9f95d7c36da94194597cf26d7a710daf86fff7

 

 

 

 

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20191232119分にNHK福島から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

 

福島第一原発で、海側にあるタンクにたまっていた放射性物質を含む水が2年あまり前から漏れ出していたことがわかった。

 

漏れ出した水は近くの施設に流入したとみられ、東京電力は、「水位のデータはとっていたが、数値の変動が小さく気づかなかった」としている。

東京電力によると、福島第一原発4号機の海側にある配管などが通る地下の空間で今月10日、水たまりが見つかり、調べたところ、近くにある復水貯蔵タンクと呼ばれる設備の水位が、2年あまり前の平成28年11月ごろから下がっていて、あわせておよそ300トンが漏れ出していたことがわかったという。


タンク内の水には、一般の原発から放出する際の基準の2倍にあたる1ℓあたり12万ベクレルのトリチウムが含まれていたが、地下の空間にたまっていた水は基準を下回っていたという。


周囲の井戸の水などの放射性物質の濃度に大きな変化はなく、タンクから漏れ出した水は配管を通じて、4号機のタービン建屋という建屋内に流れ込んだと見られるとしている。


東京電力によると、タンクの水位は2年あまりでおよそ1.7m低下していたが、1日4回の計測では変動が小さく、気がつかなかったとしている。


東京電力は、タンクから漏れ出た原因を調べ、結果によっては、ほかに同じような漏えいがないか調べることにしている。

 

出典

タンク漏水2年余気づかず

https://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/20190123/6050004143.html 

 

 

 

(ブログ者コメント)

 

どのような目的で1日4回もデータを採っていたのだろうか?

 

「水位は2年前ごろから下っていて・・・」という表現から考えると、満水になったタンクからの漏洩がないことを確認するためだったのかもしれない。

 

もしそうだったとすれば、データ用紙に基準となる満水時のレベルをベンチマークとして記載しておき、そこからの低下がないことをデータで確認すべきだったと思うのだが・・・・。

 

 

 

 

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201895日付で毎日新聞東京版から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

 

厚労省は4日、東京電力福島第1原発事故後に放射線量の測定作業などに従事し、肺がんで死亡した50代男性について労災認定したと発表した。

 

第1原発事故後の被ばくを巡る労災認定は5例目で、死亡事案で認めたのは初めて。

認定は8月31日付。

 

厚労省によると、男性は1980年6月~2015年9月のうち約28年3カ月、第1原発を中心に全国の原発で作業に従事し、累積の被ばく線量は約195ミリシーベルトだった。

 

このうち11年3月の事故後の被ばく線量は、同年12月までが約34ミリシーベルトで、15年9月には約74ミリシーベルトに達した。

 

主に第1原発の構内外で放射線を測定し、作業中は防護服や全面マスクを着用していたという。

 

男性は16年2月に肺がんを発症した。

厚労省は遺族の意向として、死亡時期などを明らかにしていない。

 

肺がんに関する原発労働者の労災認定の基準は

▽被ばく線量が100ミリシーベルト以上

▽被ばくから5年以上経過して発症

など。

 

放射線医学の専門家らで作る厚労省の検討会の意見を踏まえ、認定した。

 

東京電力ホールディングス広報室は、「引き続き、発電所の安全確保、労働環境の改善に努めたい」としている。

 

出典

『東日本大震災 福島第1原発事故 作業員、死亡は労災 事故後の被ばく認定』

https://mainichi.jp/articles/20180905/ddm/041/040/105000c 

 

 

 

(ブログ者コメント)

 

廃炉作業中の労災認定としては、本ブログで以下の情報を紹介している。

 

20151029日掲載

20151021日報道 福島第1原発の廃炉作業で被ばくし白血病を発症したとして、事故後の作業被ばくで初の労災認定

http://anzendaiichi.blog.shinobi.jp/Entry/5331/

 

 

 

 

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20187112111分にNHK福島から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

 

福島第一原発の事故をめぐり、東電の旧経営陣3人が強制的に起訴された裁判で、東電の社内で巨大な津波を想定して沖合の防潮堤の建設を検討した社員が証人として呼ばれ、建設には数百億円かかると元副社長に報告していたと証言した。

 

東京地裁で開かれた11日の審理では、福島第一原発の沖合に防潮堤を建設することを検討した東電の社員が証人として呼ばれた。


この社員は、原発に巨大な津波が押し寄せる可能性があるとする社内の想定を受けて、事故の3年前に防潮堤のおおまかな工程や費用を検討した結果、完成までおよそ4年かかり、費用は数百億円にのぼると試算したと証言した。


社員は、この検討結果を武藤元副社長に報告したが、沖合に防潮堤を建設すると、遮られた津波が近隣の地域に影響することも懸念され、その後は、具体的な対策としては進まなかったという。

出典

沖合の防潮堤検討した社員が証言

https://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/20180711/6050001784.html 

 

 

7111943分に毎日新聞からは、若干ニュアンスの異なる、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

 

原発の土木設備を担当していた東電社員が出廷し、東日本大震災前に防潮堤の工程案を旧経営陣側に示したが、旧経営陣が対策を先送りしたと証言した。

 

証言によると、社員は2008年6月、社内の別グループが出した第1原発への想定津波の試算結果に基づき、元副社長の武藤栄被告(68)から、防潮堤の設置に必要な許認可などを調べるよう指示を受けた。

 

社員は、原発の東側沖合に高さ20m、長さ1.5~2kmの防潮堤を設置することを想定して資料を作成。


緊急発注すると、最短で16カ月後に着工でき、費用は数百億円になるとの概算を武藤元副社長に提出した。

 

だが、対策は取られなかったといい、社員は「沖合に防潮堤を作ると、防いだ波が(堤の両側に流れ)近隣地域に影響すると懸念したのではないか」と推測した。

 

出典

『東電公判 防潮堤工程案示すも、旧経営陣が対策先送り』

https://mainichi.jp/articles/20180712/k00/00m/040/062000c 

 

 

 

 

 

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2018615日付で河北新報から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

 

東京電力が廃炉の方針を明らかにした福島第2原発は、2011年3月11日の東日本大震災で炉心溶融(メルトダウン)を起こし大量の放射性物質が放出された福島第1原発(双葉町、大熊町)と同様、原子炉の冷却機能を一時失い、危機にひんした。

一部の外部電源が使えるなどしたため、最悪の事態を回避できた。


第2原発は4基あり、震災発生時は全て運転中だった。

 

地震直後の原子炉の自動停止には成功したが、その後、津波に襲われ、1、2、4号機の原子炉が冷却機能を失った。

原子炉格納容器の圧力も上昇し、放射性物質を大量に含む蒸気を外部に放出する「ベント」の準備も進めた。


政府は、第1原発に続き、同12日に第2原発も「原子力緊急事態」の対象に追加。

半径3km圏の住民に避難指示を出し、10km圏の住民に屋内退避を求めた。


ただ、第1原発と比べて襲来した津波が低かったことや、外部電源の一部が使えたことなどから、震災4日後までに全4基の原子炉の安定的な冷却に成功。

ベントも実施されなかった。


事故収束後、原子炉内にあった核燃料は順次、使用済み燃料プールへ移送し、15年3月までに全4基で取り出しが完了、それぞれのプールで冷却を続けている。


第2原発は、現在、第1原発の廃炉作業の後方支援拠点として、汚染水タンクの組み立てなどに活用されている。

 

4基は運転開始から30~36年が経過し、原則40年の運転期間に近づきつつある。

 

出典

<福島第2廃炉>震災時冷却機能、一時失う

https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201806/20180615_63023.html 

 

 

 

(ブログ者コメント)

 

震災当時の状況については、東電HPに詳しく説明されている。

以下は冒頭部分。

 

福島第二原子力発電所は、福島第一原子力発電所と同様に地震・津波の被害を受けましたが、炉心損傷に至ることなく全号機の冷温停止を達成しました。

 

その要因としては、地震・津波の後も外部電源等、交流電源設備が使用可能であり、原子炉を冷やすことができたことが挙げられます。

 

一方で、海水ポンプが津波によって損傷したため、原子炉からの除熱を行うことができなくなりました。

 

このため、原子炉隔離時冷却系や復水補給水系といった、海水ポンプのサポートを必要としない系統を活用するなど、臨機応変に圧力容器や格納容器内の冷却を進めました。

 

その間に損傷していた海水ポンプのモーター交換や仮設ケーブルの敷設を行い、海水ポンプを復旧したことで除熱が可能になり、全号機を冷温停止とすることができました。

 

・・・・・

 

福島第二原子力発電所はなぜ過酷事故を免れたのか

http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/outline/2_12-j.html 

 

 

 

 

 

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201851690分に福島民友から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

 

東京電力福島第1原発周辺の野生動物を調査している福島大環境放射能研究所のトーマス・ヒントン特任教授は、今夏、原発周辺に生息するヘビに衛星利用測位システム(GPS)と線量計の機能を備えた装置を取り付け、被ばく量などの分析を始める。

 

15日、同研究所がウクライナの行政関係者や研究者を招いて福島市で開いた国際シンポジウムで発表した。 

ヘビに装置を付けることで、場所と被ばく量を把握できる。

これまでも、イノシシに同様の装置を取り付けて放射線の野生動物への影響を調査してきたヒントン氏は、「ヘビは土壌と深く結び付いた生き物。土は放射能汚染の影響を受けやすく、調査する意義がある」と話した。

 

アオダイショウなどに代表されるネズミヘビに装置を取り付ける。

ネズミヘビは、虫を食べる種と小型の哺乳類を食べる種があり、この違いが被ばく量に与える影響も調べるという。

 

ヒントン氏は、このほか、原発周辺のイノシシの目への放射線影響を調査した研究成果を、来月、発表する予定であることも説明した。

 

シンポジウムでは、福島大共生システム理工学類の高貝慶隆准教授と筑波大生命環境系の加藤弘亮准教授も、研究成果を発表した。

 

出典

原発周辺「ヘビ」にGPSと線量計 被ばく量など把握、分析へ

http://www.minyu-net.com/news/news/FM20180516-270526.php 

 

 

 

 

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2018424198分にNHK福島から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

 

福島第一原発の事故をめぐり、東京電力の旧経営陣3人が強制的に起訴された裁判で、当時、東京電力で津波対策の部署を統括する立場だった元社員が証言した。


元社員は、事故の3年前に社内でまとめられた巨大な津波の想定は信頼性が低いと考えていたと証言した。


東京電力は、高さ15.7mの津波が福島第一原発に押し寄せる可能性があるという想定を事故の3年前の平成20年にまとめていて、旧経営陣がこの想定をどう受け止めていたのかが裁判で争われている。


東京地裁で開かれた24日の審理では、当時、東京電力で津波対策の部署を統括する立場だった元社員が証言した。


元社員は、津波対策を取ることについて社内を説得しなければならないと考え、当時の上司と相談し、武藤元副社長に報告することになったと証言した。


その後、武藤元副社長からは、津波対策を保留し、専門の学会に検討を依頼する方針が示されたが、元社員は、「私も想定は信頼性が低いと考えていた。元副社長の話は合理的だと感じた」と証言した。

一方、元社員の当時の部下は、今月10日に開かれた法廷で、対策の保留について「予想外で力が抜けた」と証言していて、違いが表れた。


次回は今月27日に引き続き、元社員が証言する。

 

出典

東電元社員「想定は信頼性低い」

https://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/20180424/6050000866.html

 

 

4241249分に産経新聞からは、上記記事とはニュアンスの異なる、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

 

第8回公判が24日、東京地裁で開かれ、東電で津波の試算を担当する部署の責任者だった元社員が、巨大津波が襲来するとの試算結果が出る前から「対策を始める必要があると思っていた」と証言した。

検察官役の指定弁護士の尋問に答えた。

 

元社員は東電の地震対策センターで土木調査グループのマネジャーを務め、これまでに計3回の公判で証言した社員の元上司。

 

2人は2008年6月、最大15.7mの津波が福島第1原発を襲うとの試算結果を、被告の武藤元副社長(67)に報告していた。

 

出典

『元東電社員証言「津波対策始める必要あると思っていた」東電強制起訴公判、東京地裁』

https://www.sankei.com/affairs/news/180424/afr1804240013-n1.html 

 

 

 

(ブログ者コメント)

 

当時の部下の証言内容は、本ブログでも紹介スミ。

 

 

 

 

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2018417184分にNHK NEWS WEBから、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

 

福島第一原発の事故をめぐり、東電の旧経営陣3人が強制的に起訴された裁判で、東電の津波対策の担当者が先週に続いて証言した。

 

担当者は、事故の3年前にまとめた津波の想定をもとに防潮壁を作っていたとしても、浸水は防げなかったと説明した。

 

東京地裁で開かれた7回目の審理では、先週に続いて、当時、東電で津波対策を担当していた社員が証言した。

 

この中で、事故の3年前に想定していた津波と東日本大震災の津波との違いについて聞かれ、「実際の津波の方が規模が大きかった。巨大な地震が連動して起きるという科学的な知見はなかった」と答えた。


また、事故の後、平成20年の想定をもとに防潮壁を作っていた場合についてシミュレーションしたところ、浸水は防げなかったという結果が出たと説明した。

一方で、「浸水の程度は違っていた」とも証言した。



【「運転停止もありえる」 危機感を証言】

 

先週に続いて証言した東電の社員は、福島県沖で巨大な津波が起きるという想定は取り入れざるを得ず、対策が取れないまま公表に至れば原発の運転の停止もありうるという危機感を持っていたことを証言した。


社員は、平成19年ごろから、地震や津波などの最新の研究の成果をもとに原発の安全性を再検討する「バックチェック」という作業に関わっていたが、これまでの裁判で、福島県沖でも巨大津波が起こる可能性があるという政府の地震調査研究推進本部の見解を取り入れ、対策を取るべきだと考えていたと証言している。


これに関連して、被告人の弁護士から、対策を取るまでの間は原発の運転を停止すべきと考えていたか問われると、「そのようには考えていなかった。バックチェックでは、原発の運転停止は義務づけられていなかった。切迫性もなかった」と述べた。


その一方で社員は、「場合によっては、運転継続が難しくなる可能性もあると考えた」とも証言した。


具体的には、平成20年7月に東電は、内部の検討で津波対策を保留したあと、福島県沖で巨大な津波を想定するかどうか、改めて専門の土木学会に検討を依頼していた。


しかし社員は、その結果がまとまって公表された時点で、対策工事が完了していない場合には、なぜ完了していないのかなどと問われる可能性があると考えたという。


さらに、事故の4日前、平成23年3月7日に社員が原子力安全・保安院と面談した際、審査官から、土木学会の検討結果が公表された時点で対策が完了できていないと「即アウトになりかねない」と言われたとする東電側の記録の意味について聞かれ、社員は「プラントを停止することだと思う」と答えた。


また、記録の中では、バックチェックを通して安全性を再検討させる立場の保安院の審査官が、社員に対して、土木学会が検討結果を公表する前にはバックチェックの審議を終えてしまうか、対策が完了したあとにバックチェックの最終報告書を出すべきだと提案したとされていることが明らかにされた。

 

これについて社員は、「自分たちからは回答しなかった」と述べた。

 

出典

『「防潮壁作っても浸水」東電社員が証言 原発事故刑事裁判』

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180417/k10011407161000.html  

 

 

 

(ブログ者コメント)

 

今回と同じ担当者が前の週に証言した内容は、本ブログでも紹介スミ。

 

 

 

 

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2018410209分にNHK福島から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

 

福島第一原発の事故をめぐり、東電の元副社長ら3人が強制的に起訴された裁判で、東電の津波対策の担当者が証人として呼ばれた。


担当者は、巨大な津波が来るという想定を事故の3年前に報告したものの、元副社長から、さらに時間をかけて検討するという方針を告げられ、「予想外で力が抜けた」と証言した。

東電の元会長の勝俣被告(78)、元副社長の武黒被告(72)、元副社長の武藤被告(67)の3人は、原発事故をめぐって業務上過失致死傷の罪で強制的に起訴され、いずれも無罪を主張している。


事故の9年前、平成14年には、政府の地震調査研究推進本部が、福島県沖で巨大な津波を伴う地震が起きる可能性を公表していて、裁判では、こうした地震を想定して対策をとっていれば事故を防げたかどうかが争われている。


10日、東京地裁で開かれた5回目の審理では、当時、東京電力で津波対策を担当していた社員が証言した。


社員は、福島県沖の地震の可能性について、「権威のある組織の評価結果であることなどから、想定の見直しに取り入れるべきだと思った」と証言した。


そして、この見解をもとに、事故の3年ほど前の平成20年6月に、巨大な津波が来るという想定を武藤元副社長に報告したものの、7月になって、さらに時間をかけて専門の学会に検討を依頼するという方針を元副社長から告げられたと説明した。

この時の心境について、社員は、「津波対策を進めていくと思っていたので、予想外で力が抜けた」と証言した。
審理は11日も行われ、同じ社員が証言する。

法廷で証言した東京電力の社員は、福島第一原発の事故の20年近く前から、原発に押し寄せると想定される津波の高さについての検討などに関わっていた。


10日の裁判で社員は、事故の4年前には、政府の「長期評価」を原発の津波の想定に取り入れるべきと考えていたと証言した。


「長期評価」とは、政府の地震調査研究推進本部が、地震が起きる地域や発生確率を推計して公表するもので、東日本大震災の9年前の平成14年に、太平洋の日本海溝沿いの福島県沖を含む三陸沖から房総沖のどこでも、巨大な津波を引き起こす地震が起きる可能性があると公表した。


社員は、この「長期評価」の見解について、平成16年に土木学会が行った専門家へのアンケート調査で、「支持する」とした専門家が過半数になった結果を重視していたと証言した。


また、「長期評価」を取りまとめる地震調査研究推進本部は国の権威であることや、東電自身が青森県に建設を計画している東通原発1号機の地震の想定には、「長期評価」の見解を取り入れていたことなどをあげ、福島第一原発の津波の想定にも取り入れるべきと考えていたと証言した。


そして、「長期評価」の見解をもとに、グループ会社の「東電設計」に計算させたところ、平成20年3月には、福島第一原発に押し寄せる津波が、最大で15.7mに達する可能性があるという結果がまとまり、6月には、対策の検討状況と合わせて、当時、副社長だった武藤被告に報告した。


しかし、翌7月、武藤元副社長から「研究を実施する」として、すぐには対策を行わず、さらに時間をかけて検討する方針を伝えられたという。


この結論について社員は、「私が前のめりに検討に携わってきたのもありますが、対策を進めていくと思っていたので、いったん保留になるというのは予想しなかった結論で、力が抜けた」と証言した。

東京電力の旧経営陣3人が強制的に起訴されるきっかけとなった告訴や告発を行ったグループは、10日の審理の後、会見を開いた。

グループの海渡弁護士は、10日証言した社員について、「裁判全体の中で最も重要な証人だと思う」と述べた。
そのうえで、「技術者として、一生懸命、津波対策をやろうとしていたのだろうと思う。『力が抜けた』という感想は、最も重要な証言ではないか」と話していた。

 

出典

東電社員「予想外で力が抜けた」

https://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/20180410/6050000703.html

 

 

4101422分に朝日新聞からは、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

 

証言した社員は、当時、土木調査グループの責任者を務め、検討内容を元副社長の武藤被告に報告する立場だった。

検察官役の指定弁護士は、重要証人と位置づけているとみられる。

 

公判では、長期評価が事故前にどれだけ重要視されていたかが、争点の一つになっている。

 

勝俣元会長や武藤元副社長らは、長期評価について「信頼性に疑問がある」と主張。

15.7mの津波高も、「試算に過ぎない」などとして、事故を予見できたとする起訴内容を否認している。

 

出典

津波の可能性、旧東電担当者が証言 信頼性に疑問も

https://www.asahi.com/articles/ASL4B36CPL4BUTIL006.html 

 

 

412541分に朝日新聞からは、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

 

出廷した社員は、東電が2007年11月に設けた「地震対策センター」で同原発の津波対策を検討した「土木調査グループ」に所属。

検討結果を武藤氏に直接、報告していた。

 

グループは長期評価に基づく予想津波高の分析を子会社に依頼。

08年3月に「最大15.7m」との結果を得て、同年6月にこの社員らが武藤氏に報告。

 

防潮堤設置の許認可手続きの調査を指示されて検討を続けたが、同年7月になって理由を示されぬまま、武藤氏からこの津波高の採用見送りを指示されたという。

 

社員は、「対策を進める方向だと担当者たちは思っていたが保留になった」「予想しない回答だった」などと振り返り、「力が抜け、その後の会議の記憶が残っていない」と述べた。

 

社員は、津波高見送りを指示された後も「長期評価を否定することは困難と思っていた」と証言。

他社との打ち合わせでも、同様に説明したと述べた。

 

出典

15.7m前提の津波対策、元副社長が見送り指示 東電

https://www.asahi.com/articles/ASL4B56K9L4BUTIL021.html 

 

 

 

 

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2018328842分に福島民報から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

 

原子力関係の有識者らでつくる福島事故対策検討会と京都大の研究チームは、福島第一原発1、3、4各号機の原子炉建屋で起きた水素爆発について、原子炉格納容器内のガスを排出(ベント)する際、配管出口の消音器(サイレンサー)に炉心溶融で発生した粉じんや氷が詰まったのが原因とする検証結果をまとめた。

 

ガスが外部に十分に排出されず建屋内に充満し、爆発したとしている。

27日に大阪府の大阪大で開かれた日本原子力学会春の大会で示した。

 

研究チームは、事故当時、1~3号機格納容器内は溶融燃料により内部構造物が溶け落ちて、発生した粉じんと水素を含んだ水蒸気が充満していたとみている。

 

ベントによってガスは配管を通り排気筒から排出されるはずだったが、サイレンサーが大量の粉じんでふさがれ、別の配管から建屋内に逆流したと指摘。

 

さらに、ガス内の水蒸気がサイレンサーへの到達時に気圧の変化で凍結し、目詰まりしたとしている。


研究チームは、2011(平成23)年8月に1、2号機原子炉建屋の間にある排気筒周辺の配管付近で、毎時10シーベルト超の高線量が確認された経緯などを踏まえ、粉じんや高線量の氷が発生したと分析した。


1、2号機と3、4号機は2機で一つの排気筒を使用しており、ベント用配管は排気筒の直前で合流している。

 

東電は、2011年3月12日に1号機のベントを実施した。

2号機では、同13、15の両日にベントを行ったが、事実上、失敗に終わった。

 

研究チームは、先に実施した1号機のベントでサイレンサーが目詰まりした影響により、2号機で成功しなかったとみている。


研究チームは、サイレンサーが多くの原発で採用されているとした上で、「重大事故に備え、対応策の検討が必要だ」と訴えた。

 

出典

消音器の詰まり原因か 第一原発水素爆発

http://www.minpo.jp/news/detail/2018032850305 

 

 

 

一方、少し前、20171225230分に日本経済新聞からは、3号機からのベントガスの35%が共用ベント配管を通って4号機に流れたことがデータで確認されたという、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

 

東電は25日、福島第1原発で発生した4号機の水素爆発の原因を調べた評価結果を、新潟県の技術委員会に示した。

 

事故を防ぐため原子炉を覆う格納容器の圧力を下げる排気の「ベント」について、3号機ではガスの35%が排気筒に向かわず、隣の4号機に流入したとみられることが分かった。

従来の東電による推定が裏付けられた。

 

福島第1原発の3号機と4号機は同じ排気筒を使い、配管でつながっている。

4号機は事故時に運転していなかったが、水素爆発が発生。

東電は3号機からのガス流入が原因と推定していたが、データを改めて評価して確認した。

 

再稼働を目指す柏崎刈羽原発では、各基ごとに独立した排気用の配管を設けて流入が起こらない対策を取っている。

 

技術委員会は、柏崎刈羽原発の安全性などを検証するため、原子力の専門家らが参加した県の組織。

 

出典

福島第1原発4号機の水素爆発、原因裏付け 東電

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO25057020V21C17A2L21000/ 

 

 

 

(ブログ者コメント)

 

建屋に水素が充満した原因については、過去に以下の情報を紹介しているが、サイレンサーが詰まったためという情報は初めてだ。

 

2015527日掲載

2015520日報道 福島第1原発2号機のベントが失敗したのは排気ラインに設置されていたラプチャーディスクが破れなかったことが原因か?

http://anzendaiichi.blog.shinobi.jp/Entry/4901/

 

201219日掲載

[福島原発事故] 3号機建屋の水素爆発はベント配管につながる配管を通って水素が原子炉建屋に逆流したことが原因か?

http://anzendaiichi.blog.shinobi.jp/Entry/1198/4

 

2011516日掲載

[昔の事例の顛末] 2011315日 福島第一原発4号機建屋の爆発は3号機水素の逆流が原因か?

http://anzendaiichi.blog.shinobi.jp/Entry/377/

 

 

 

 

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化学関係の工場で約20年、安全基準の制定、安全活動の推進、事故原因の究明と再発防止策立案などを担当しました。
その間、ずっと奥歯に挟まっていたのは、他社の事故情報がほとんど耳に入ってこなかったことです。
そこで退職を機に、有り余る時間を有効に使うべく、全国各地でどのような事故が起きているか本ブログで情報提供することにしました。
また同時に、安全に関する最近の情報なども提供することにしました。

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