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                                                       本ブログでは、産業現場などで最近起きた事故、過去に起きた事故のフォロー報道などの情報を提供しています。  それは、そういった情報が皆さんの職場の安全を考える上でのヒントにでもなればと考えているからであり、また、明日は我が身と気を引き締めることで事故防止が図れるかもしれない・・・・そのように思っているからです。  本ブログは、都度の閲覧以外、ラフな事例データーベースとして使っていただくことも可能です。        一方、安全担当者は環境も担当していることが多いと思いますので、あわせて環境問題に関する情報も提供するようにしています。       (旧タイトル;産業安全と事故防止について考える)
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202321962分にYAHOOニュース(JB press)から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

「津波堆積物」という言葉を東日本大震災(2011)の前から知っていた人は少ないだろう。

津波堆積物は、地層に残された過去の大津波の痕跡だ。

古文書だけではわからない過去の地震の様子を詳しく知り、将来の地震予測をするための有力な研究方法になっている。

宮城県や福島県で津波堆積物を調べていた研究者たちは、大津波が内陸深くどこまで襲来するか、2010年までにほぼ予測できていた。

いつ起きてもおかしくないとも考えていた。

その危険性を地域住民に伝えられていたら、東日本大震災の死者は減らせていたかも知れない。

しかし、その知らせは紙一重の差で間に合わなかった。

大津波の危険性をはっきりさせたくなかった東京電力の裏工作が、それを遅らせてしまったように見える。

2011311日。
茨城県つくば市の産業技術総合研究所(産総研)に勤める宍倉さんは、津波で大勢の人が亡くなったニュースを知って「私の胸の中は後悔の念でいっぱいになり、激しく痛んだ」と著書で述べている。 

産総研活断層・地震研究センターの宍倉さんらの研究チームは、宮城県や福島県で過去に巨大津波が押し寄せていた事実を調べ上げ、文部科学省に前年までに報告していたからだ。

11323日には、福島県庁を訪問して、大津波襲来の危険性を説明する予定も決まっていた。

地域の住民に、過去の大津波で浸水していた事実と将来のリスクを知ってもらうために「津波浸水履歴地図」を無料配布することも計画していた。

宍倉さんらが突き止めていたのは、貞観地震と呼ばれる仙台湾沖で発生するマグニチュード8.4の大地震の正体だった。

・・・

宍倉さんらの研究成果などをもとに、東北地方沿岸を襲う津波の最新予測を、政府の地震調査研究推進本部(地震本部)がまとめ、当初は201139日に発表する予定だった。

東日本大震災の2日前だ。

ところがそれは、217日に突然、4月に延期されてしまっていた。

予測をとりまとめた島崎邦彦・東大名誉教授は、東電旧経営陣が強制起訴された刑事裁判(20185月)で、こう証言している。

「順調にいけば、3月の9日ですね。
水曜日に評価をして、その晩の7時のニュースと、翌日10日の朝刊で、東北地方には海岸から3キロ、4キロまでくる津波があるんだという警告が載ったでしょう。
そうすれば、その翌日の津波に遭遇した人は、ひょっとして、昨日見た、ああいう津波があったというのを思い出されて、おそらく何人かの方は助かったに違いないと思うわけです」

「貞観津波について、報告書では、海岸から非常に遠いところまで津波がくるんだ、これが本当に一般の人に知らせたいことなんだということで、報告書を途中で書き直してもらったぐらい、そのことは考えていましたので、なんで4月に延期したのかと思って、自分を責めました。
ああ、これで一体何人の方が命を救われなくなったのだろうか。
これは、確かに私もその責任の一半はあるんだと思いました」

3月の公表予定が4月に延びた理由の一つは、地震本部の事務局(文部科学省)が、貞観地震の危険性を一般に公開する前に、その影響を受ける原発を持つ東電、東北電力(女川)、日本原子力発電(東海第二)に見せ、情報交換する場を設けるためだったとみられている。

217日に、地震本部の事務局は、東電などに報告書の事前説明を提案するメールを送り、同じ日に島崎さんには公表延期を提案するメールを送っている。

33日(東日本大震災8日前)に、公表予定の報告書を文部科学省から見せられた東電の津波想定担当社員は、「貞観地震の震源はまだ特定できていない、と読めるようにしていただきたい」、「貞観地震が繰り返して発生しているかのようにも読めるので、表現を工夫していただきたい」と要望した。

地震本部が貞観地震の報告書を公開すれば、東電がそれに備えていないことが明確になることを恐れ、報告書を改変させようとしたのだろう。

地震本部の事務局は東電の要望に応じ、報告書をまとめた島崎さんらに無断で、貞観地震のリスクがまだ不確定であるように書き換えてしまった。

・・・

文科省によると、政府公式の地震予測は1996年以降、東日本大震災までに130回以上発表していたが、一般に公表する前に電力会社に見せたのは201133日が初めてだったという。

もし、文科省がそんな極めて変則的な手順を踏まずに、当初予定通り39日に公表していれば、島崎さんの言うように助かった命は多かったに違いない。

岡村さんは、社会に周知する直前に地震が発生してしまったことについて、「このようなことを繰り返さないためにも、巨大地震に関する研究成果はできるだけ早く社会へ伝える必要がある」と述べている。

貞観地震の危険性を早く社会に伝えることに失敗した過程については、まだ詳しくわかっていないことも多い。

・文科省は、公開前になぜ東電に先に報告書を見せ、書き換えにまで応じたのか。東電がそこまでの影響力を持っていたのはなぜか

・報告書の書き換えや専門家への根回しなどの経緯を知っていた経産省が、東電に対し何も指導しなかったのはなぜか

・岡村さん以外の研究者たちは、どうして東電の根回しに応じてしまっていたのか

失敗を繰り返さないためには、東日本大震災前の経緯を、きちんと検証しておく必要があるだろう。

https://news.yahoo.co.jp/articles/bcb8be274f16949b8af8f2fd11c73b2568fad30f  

 

 

 

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20223960分にYAHOOニュース(CHANTO WEB)から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

11年前の東日本大震災で大きな被害を受けた福島県浪江町。

海からほど近い場所にあり、多くの津波による犠牲者が生まれた請戸地区にある小学校が、昨年秋から震災遺構として公開が始まりました。

津波が到達した校舎は、柱などを残して、ほとんどが津波で押し流されましたが、当時校内にいた児童と教職員は全員が避難して無事でした。

あのとき何が起きて、どんな行動が全員の命を救ったのか…。

当時を振り返りながら考えます。

 

【絵本「請戸小学校物語」はこうして生まれた】

・・・

 

【先頭に立って避難した先生が語る 請戸小で起きていた
  数々の奇跡】

あの日、全員が助かった背景には何があったのか…。

絵本「請戸小学校物語 大平山をこえて」とともに、振り返ります。

当時、校内には、帰宅していた1年生をのぞく2年生から6年生までの児童82人と、教職員13人のあわせて95人がいました。

3年生の担任をしていた武内さんは5校時目の授業を終えて、帰りの会を始めようとした矢先に、今まで経験したことのない大きな揺れを感じたと話します。

「地震だ、と思っていたら、だんだん揺れが大きくなってきました。
避難訓練もしていたので、子どもたちは自主的に机の下に隠れました。
私は、揺れが収まったら外に避難しようと思っていました。
そのあとは、まず全学年が校庭に避難しました。
3
年生の教室は1階の東側でしたので、すぐに校庭に出ることができました。
校舎から一番遠い西側へ向かって、校庭を端から端まで走りました」

武内さんや児童が校庭で待機している間に、校長などがいったん校舎へ戻ったといいます。

「管理職の先生が、職員室にあるテレビで大津波警報が出たことを知りました。
校舎は地震の影響で停電していたのですが、少し前にソーラーパネルがたまたま設置されていたことで、奇跡的にテレビの電源が生きていて情報を得ることができたそうです。
津波は7メートルだという報道がありました。
本来、校庭の次の2次避難先は2階の西側の音楽室でした。
ただ、学校が海から近く津波の高さもあると知り、音楽室では津波が到達してしまうのではないかという判断があり、大平山に避難するよう指示がありました。
請戸小学校は屋根が三角形で、屋上がないんです。
屋上への避難ができないので、3次避難場所は大平山というのが元から決まっていました」

 

【「6年生が泣いてしまった子の手を引いていた」一丸となり走って避難した大平山】

請戸小学校から西におよそ2キロのところにある大平山への避難は、教職員の中で一番若く、保健体育が専門の武内先生が途中から先頭を走りました。

「はじめは6年生から順番に一列になって避難を始めました。
私も後ろを振り返りながら走っていたのですが、足が速い子が前に来て、走るのが苦手な子は先頭との差が開いてきてしまって。
6
年生が面倒を見て、低学年の子の手を引いてくれました。
泣いてしまっていた子もいたのですが、その子の横について一緒に走ってくれている子どももいました。
避難している最中にも余震がかなりありまして、道路と縁石の間が地割れしていたんです。
今まで見たことがない現象が起きていて、恐怖を感じて泣いてしまったんだと思います。
子どもたちは着の身着のまま、足元は上履きでした。
その日、日中はとても天気が良かったんですが、地震のあとに天気が急変して、途中で雪も降ってきました。
この辺りは雪が多い地域ではないので驚きました。
寒かったのですが、上着もありませんでした」

山を登ろうとしていたとき、ある男子児童が武内さんに声を掛けにきたといいます。

4年生で野球のスポ少に入っていた子が、山のだいぶ手前のところで『先生、ここから山に入れるよ、練習で来たことがある』と言ったんです。
私はその道を知らなかったので、『本当に入れるのか』と聞いたら『入れる』というんで、そこから登って行きました。
その子の担任をしたことはなかったのですが、学年の垣根がなく、私もどういう子がよく知っていたので、彼を信じて、すぐに受け入れました」

本来の避難ルートは、山の外側を回る形で頂上を目指すものでしたが、武内さんは男子児童から聞いた道を通ることで1015分ほど、避難場所に到着するまでの時間を短縮できたといいます。

「山のちょうど真ん中あたりを登っているときに、ゴーっという音が聞こえてきました。
木々の茂みで町の様子は見えなかったので、その時の音が津波の音だとわかったのは、のちに町の様子を確認しに行ったときでした。
後々考えると、本来のルートで登っていたら、私たち先頭は大丈夫だったかもしれないけれど、もしかしたら後ろの子たちや、私たちの列に続いて地元の方も来ていたので、間に合わなかった人も出てきてしまったのではないかと思います。
避難場所に到着して、子どもたちの人数確認ができてから、私ともう一人の先生で町の様子を伺うために来た道を戻ったのですが、山のふもとのところまで津波の水が来ていました。
町は一部の屋根しか見えない状態で、一面が海になっているかのようでした。
このとき、もうここには戻れないと思いました。
でも子どもたちには、まだ、この事実を伝えずにいました」

 

【大型トラックの荷台に乗って町の避難所を目指す】

武内さんたちが町の様子を見に行ったのと同時に、別の教職員や一緒に避難していた地元の方が、さらに遠くへと避難すべく、国道6号線が通っている山の反対側へ抜ける道を探し出しました。

その後、全員で大平山を降りて避難を続けたそうです。

「国道6号線に出たところで、避難誘導をしていた役場の方と出会いました。
このとき、子どもたちを避難させるために、町のバスが私たちのところに向かっていたそうなんですが、連絡を取れる手段が何もなくて。
後から聞いたのですが、バスは大平山の当初の避難場所に行っていたそうで、入れ違いになっていました。
ここからどうしようと思っていた矢先に一台、大きなトラックが止まってくれました。
大きな荷台がついていて、運転手の方が乗せてくれると言ったんです。
荷台には荷物もなくて、私たち教員と児童に加えて地元の方数名の100人程度をいっぺんに乗せて役場へと連れて行ってくれました」

 

【地震、津波、原子力発電所の事故…バラバラになった子どもたち】

・・・

 

【震災から半年後の請戸小学校の姿】

・・・

 

【力を合わせたら救える命がある】

・・・

取材・文/内橋明日香 絵本「請戸小学校物語」/NPO法人「団塊のノーブレス・オブリージュ」提供

https://news.yahoo.co.jp/articles/edce6130be3a016a8b9623f0f8feb3b9aaf869ce?page=1

 

 

 

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202236140分にYAHOOニュース(千葉日報)から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

地響きのような爆発音、立ち上がる真っ赤な炎と黒煙―。

東日本大震災の本震直後に発生したコスモ石油千葉製油所(市原市)の爆発炎上事故。

作業員ら6人がけがを負い、鎮火まで11日間を要した「想定外の事故」は、熟練の消防士にとっても難しい判断の連続だった。

善意か悪意か。
「有害物質の雨が降る」というデマを伝えるチェーンメールも拡散し、近隣住民は不安な日々を過ごした。

あれから11年。
「日本の縮図」とも語られる千葉県市原市で見えた震災の教訓とは―。

2011311日、市原市内は震度5弱の大きな揺れだった。

点検のため満水状態で放置されていたコスモ石油千葉製油所のタンクが、余震の際に荷重に耐えられず倒壊。
配管から漏れたガスに引火し、大規模火災が発生した。

大地を揺るがすような激しい爆発音が鳴り、巨大な火柱と黒煙が立ち上がった。

 

【消えかかる炎、よぎる再爆発】

「我々は火を消してはいけなかった」  

市原市消防局で現場指揮を取った天野さん(男性、56歳)は、難しい判断の連続だった当時を振り返り、火災が長引いた理由を説明する。  

事故から11年、度々聞かれた質問は「なぜ11日間も消せなかったのか」。

大規模災害を物語る数字として伝えられてきたが、臨場した消防士らの共通認識は「安定的な燃焼を継続させる」ことだった。  

一番恐れていたのは、タンク内にガスが残ったまま火が消えてしまうこと。

未燃ガスが放出されると再爆発などが起き、犠牲者の出る恐れがあった。

「家庭用カセットボンベのガスを抜く作業と同じ原理」と説明する。  

事故発生から6日目の16日、再爆発の危機に直面した。

日没とともに外気温が下がり、氷点下3040度のガス貯蔵部も冷え込んだ。
燃焼が不安定になった。  

「キーン」という金属音が響き、火が消えかかった。

この日、指揮隊長だった天野さんは、1度目の加温作戦を中断。
温度の低下により、タンクは熱収縮を起こしていた。  

「死を覚悟したとか、そういったことは全くない。頭の中は冷静だった」。

天野さんは現場に残った作業員と2人、もう一度海水を掛け、タンクを温めた。

火はあとどれぐらい持つのか。
金属音や蒸気圧の状態を分析。
いったん退避した物陰で、再び燃え上がった炎を確認した。

その後も、ガスが燃え尽きるまで作戦立案と実行を繰り返し、21日に鎮火した。

 

【避難所も被災「安全ではない」】

コスモ石油千葉製油所から、内陸に約25キロの市原市五井地区。

爆発炎上事故で唯一避難勧告が発令された地域で、11日夕方から、最大1142人が避難所に集まった。

県の記録によると、1次避難場所となった市立若葉小学校は、火災が起きた午後345分ごろから、近隣住民やコンビナートの作業員を受け入れた。

重傷者1人を運ぶドクターヘリが校庭に到着するなど混乱を極めた中、午後5時ごろの爆発時に熱風が直撃した。  

校舎の窓ガラスが破損するなどし、学校は「避難場所として安全ではない」と判断。

避難者約300人を、市役所のある約3キロ離れた国分寺台地区に輸送した。

一方、職員は同校に残り、翌朝まで逃げ込んでくる地域住民に対応。

「近隣工場の非常事態」という学区特有の課題が浮き彫りとなり、その後の防災計画に生かされた。

 

【真偽不明の情報拡散、募る不安】

行政は住民の安全確保に悩んだほか、チェーンメールで飛び交った誤情報の対応にも追われた。  

「工場勤務の方から情報。外出に注意して、肌を露出しないようにしてください!コスモ石油の爆発により有害物質が雲などに付着し、雨などといっしょに降るので」  

爆発音が続く中、真偽不明のチェーンメールを不特定多数の携帯電話が受信した。

「メールの内容は本当か」。
被害状況の把握や安全確保を急ぐ県や周辺自治体に、市民からの問い合わせが殺到。

ツイッターでも同じ内容の投稿が拡散され、翌12日には全国へ広まったとされている。  

事故当時コンビナートで働いていた50代男性は「生きた心地がしなかった」と振り返る。  

爆発の瞬間は、勤務先の工場にタンクの破片とみられる物体が飛来。
コンクリートの天井に穴が空くほどだった。

「自宅の上には2週間ぐらい黒煙が漂っていた」。
妻と子どもたちは状況が分かるまでの数日間、知人宅に避難させてもらった。  

「熱風とともに、コンビナート方面の窓ガラスが吹っ飛んだ。真っ暗な空が見えた」。  
五井地区で商店を営む女性(72)も、経験したことのない状況に恐怖を覚えたという。  
店の商品を守るため避難できず、不安な夜を過ごした。

 

【「信頼する友人から」全国に広まるチェーンメール】

「信頼する友人から来て信じてしまった」
「チェーンメールを受け取った親戚から心配する連絡が届き、びっくりした」
「真っ赤な炎を見て、うそだと思い切れなかった」―。

地域住民に話を聞くと、誤情報とすぐに判断できなかった人も多かった。  

福島第1原発事故関連の研究を進めてきた千葉科学大学の王晋民教授(心理学)は、チェーンメールが広まった背景をこう説明する。

「災害時は不安やストレスを解消するため、会話が増える傾向にある。メールも他者とつながりを持つ手段の一つで、何か情報が入るだけで安心してしまった」。

「工場勤務の方から」という前置きも、コンビナート従業員の人口が多い地域で、信用度を上げた要因の一つだった。  

デマは一般的に、
1)悪意のない不正確な情報
2)意図的に作られた不正確な情報
3)事実に基づくが、不適切に操作された情報
に分類される。

情報の出どころや発信者の真意は分かっていないが、「メールを回した人の多くは(1)に該当する可能性が高い。
『教えてあげないと』という優しさが働いたのでは」と推測する。

発災翌日の12日午後には、コスモ石油や千葉県がデマを撤回する文書をホームページ上で公開した。

コスモ石油は「製油所関連のメールにご注意ください」として、事実関係を否定。
「貯蔵するガスが人体へ及ぼす影響は非常に少ない」との見解を示した。

SNS上での火消しに加え、人々の恐怖心が津波や福島第1原発事故に向かったこともあり、収束に向かっていった。  

「企業や自治体は、デマが流れる前に情報を開示することが重要」と王教授。

「集まった情報を整理し、分かっていない部分についても『確認中』と明記してほしい。言及がないと、不安や臆測が広がる」と警鐘を鳴らす。

 

【マニュアル通りは不可能】

市原市消防局の天野さんは震災後、コンビナート向け研修会などで講師を務め、当時の経験を伝えている。  

各事業所に強調しているのは、「この事故自体を教訓とするのは難しい」ということ。

異例な事故で、同じことがもう一度起きる確率は極めて低いからだ。

「災害はいつも異なる様相。全てマニュアル通りに対応することは不可能」。

各事業所内で意見を出し合い、想定外をつぶす訓練が重要と訴える。

さらに現在は、業務の合理化や効率化、装置の自動化などが進んでいるため、それらの中で見逃されがちな「安全対策の落とし穴」にも一層の注意が必要と指摘する。

消防局の後進には、「基本の大切さ」を説いている。  

人口27万人の都市に臨海部のコンビナートと田園部、ベッドタウンや観光地が共存する市原市は「日本の縮図」。

それだけ多様な災害にも見舞われる。

2019年秋の房総半島台風では、ゴルフ練習場の鉄柱が倒壊。

被害を受けたのは、コスモ石油の事故でも窓ガラスが割れるなどした五井地区の住宅街だった。

同年は竜巻や停電、断水も相次いで発生し、消防局は数々のイレギュラーな対応を迫られた。

天野さんは現在、臨海部から離れた南総消防署で署長を務める。

自ら業務の合間にパソコンを開き、放水技術の基本を図解。
現場で役立つ知識を集め、若手に分かりやすく学んでもらう狙いだ。

「基本的な技術を身に付ければ、どんな災害にも応用できる。足元を固めてほしい」と話す。

震災を経験していない若手が増えた現状に、大きな不安はない。

「常に最悪のケースを考え、訓練することで補える。何事も想定外にしてはならない」

※この記事は、千葉日報とYahoo!ニュースとの共同連携企画です。

https://news.yahoo.co.jp/articles/3624f57a5c5ec3bdd8806979299ef3d80288b347 

 

(ブログ者コメント)

天野氏が研修会で「この事故自体を教訓とするのは難しい」と強調しているのは、消火という観点でのことではないだろうか?

というのは、タンクが倒壊し火災が長時間続いた原因として、タンク検査後、LPGを入れる前にタンク内の空気を抜く目的で満水にしていたタンクを、すぐにLPGを入れて水を抜くことはせず、事故時まで12日間放置していたとか、計装空気配管漏れのため緊急遮断弁を「開」状態でロックしていたなど、日常管理で教訓にすべき事項が何点かあったからだ。

その内容については下記の該社プレスリリース参照。

201182日)
千葉製油所火災爆発事故の概要・事故原因及び再発防止策等について
 https://ceh.cosmo-oil.co.jp/press/p_110802/index.html 

また、放置期間は12日だったなど、当時の報道については本ブログの下記記事参照。
(当時、記事の内容は要約して掲載していた。またアーカイブサイトの存在など
 知らなかったので元記事URLはほとんど閲覧不能)

大震災時のコスモ石油千葉製油所LPGタンクの倒壊原因 (修正9)
https://anzendaiichi.blog.shinobi.jp/Entry/473/

 

 

 

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20211010200分に朝日新聞から、『震度6強、空港に取り残された1695人 見知らぬ相手と生き延びた』というタイトルで、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
長文につき、災害の拡大防止に多大の貢献をした行為があったという部分だけ紹介する。

 

2011311日金曜午後、地上の気温5度。

午後245分仙台着の大阪発日本航空便は、遅れがアナウンスされていた。
40分に中国大連行き、41分に大阪行きが飛び立つ。

奇跡的に、滑走路から旅客機が1機もいなくなったそのとき――。

震度6強の激震が、宮城県名取、岩沼両市にまたがる仙台空港を襲った。

・・・・

【惨事を防いだ いつもの閉栓作業】

時計を地震のときに戻す。

アクセス鉄道仙台空港駅と道路をはさんだ南側に、高さ12メートルの燃料タンク2基が並ぶ。

航空機が着くたびに、エプロンとの間を給油車が行き来し、短い駐機時間に正確な量を給油する。
いわば、フルサービスの出張ガソリンスタンドだ。

小野寺(61)の震災時の肩書は、株式会社パシフィック(本社・岩沼市)の航空給油事業部長。
同社は仙台、福島両空港の給油を請け負ってきた。

311日、980キロリットルが入るタンクは、2基ともほぼ満杯だった。

揺れが収まった後、やって来た消防団員が小野寺に避難を促した。

小野寺は10人ほどの従業員に「空港ビルに行け」と指示。
残った2人と施設の点検に出た。

1人をタンクの上に登らせ、海を見張らせる。
小野寺たちは周囲を見て回ったが、タンクの耐震性は十分で、異状なし。
最後に、タンクの外についているバルブをきつく閉めた。

津波警報時のマニュアルがあったわけではない。

いつも終業時、戸締まりと閉栓をする。
このときも、「事務所が留守になるな」と考えただけだった。

小野寺たちは、水に囲まれた空港ビルで、その夜を過ごす。
周囲には2千台もの車が流れ着き、ガソリンが漏れ、一部が発火した。

自分たちのタンクがどうなったかは、わからない。

数日後、がれきをかきわけタンクにたどりついた小野寺は、「あっ」と声をあげた。

タンクと給油車の積み込み場所を結ぶパイプが、地上に出るところでねじ切られていた。
想像を超えた津波の力だった。

もしもバルブを閉めていなかったら、タンクいっぱいの燃料がパイプから噴出していたはずだ。

容易に引火し、約1700人が閉じ込められた空港ビルは炎の海に包まれて――。

地震時に旅客機がいなかったことと合わせ、タンクの無事は、空港がさらなる惨事を免れた幸運の一つだ。

空港長だった大坪は、小野寺が「空港の一番の恩人」と振り返る。

小野寺はいまも勤務を続け、全国の空港の同業者に、あの時の教訓を伝え続けている。

・・・

https://digital.asahi.com/articles/ASPB76TRZPB5UNHB00W.html?pn=21&unlock=1#continuehere 

 

(ブログ者コメント)

津波対応マニュアルがなくても・・・。
津波対応訓練を行っていなくても(?)・・・。
現場に誰もいなくなる時にはバルブを閉める・・・そんな基本動作が身についていたことで災害の拡大を防ぐことができた・・・そのように感じた。

 

 

 

 

  

 

 

 

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2021311140分に毎日新聞から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

東日本大震災の発生から11日で10年を迎える。

千葉県内では旭市を襲った津波などで22人が死亡(災害関連死含む)し、2人が行方不明となった。
県内の最大震度は6弱(成田市、印西市)で、建物の損壊などで多くの負傷者が出た。
また、東京電力福島第1原発事故などによる避難者が多く暮らしている。

東京湾の空を赤く焦がした炎は、東日本大震災の被害の全容がつかめぬまま夜を迎えた多くの人々を動揺させた。

発生から鎮火まで10日間を要したコスモ石油千葉製油所(市原市)の液化石油ガス(LPガス)の火災爆発事故で、消火活動にあたった同市消防局消防総務課長、天野S次さん(55)に当時の様子を聞いた。

2011年3月11日午後3時15分、東日本大震災の余震とされる茨城県沖を震源とする地震が発生し、市原市では震度4を観測。

その後、同製油所のガスタンクが倒壊し、漏れたガスに引火して火災が発生した。

天野さんが現場に到着したのは午後3時50分ごろ。

倒壊したタンクを含む17基のタンク周辺で火災が発生していたという。

午後5時ごろ、加熱されたタンクが蒸気爆発を起こした。

爆発は計5回発生し「殉職者が出るかもしれない」と感じたという。

市消防局から延べ443人の消防士らが、24時間態勢で消火活動にあたった。

天野さんが現場で指揮を執ったのは発生から6日目。
現場では火勢が不安定になり、未燃ガスが拡散して再び爆発が起きる危険性があった。

天野さんは、タンク内のLPガスの気化を進め、すべて燃焼させるため、温水を散水する作戦を立案。
海水と水蒸気を混ぜる特殊な器具を現場で組み立てて作戦を成功させ、火災の終息に大きく貢献した。

「当時、火災の映像を見ていた人は『ずっと火を消せなかった』と感じたと思うが、現場ではガスを燃やし尽くすために、火勢をコントール下に置く作業が10日間続けられていた」と天野さんは説明する。
「これまで経験したことのない規模の消火活動だった」という。

発生当初、爆発の恐れから消火活動が進まなかったこともあり、市消防局には遠くから放水できる大型放水車が配備された。

また、遠隔操作で消火活動が行える機器も導入した。

震災から10年、現場で指揮を執り、全容を知る消防士は天野さんを含め2人しか残っていない。

天野さんは「震災の経験と当時の消火活動の経験を次の世代につなげていきたい」と話す。

https://mainichi.jp/articles/20210311/k00/00m/040/111000c

 

 

 

 

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2021391953分にNHK東北から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。 

東北大学の研究グループが、東日本大震災で「低体温症」で死亡した人を調べた結果、8割近くが屋内で発見されていたことがわかりました。

研究グループは、自宅などで救助を待つ間に、寒さが原因で死亡に至ったケースも考えられるとして、避難所などでの対策の重要性を指摘しています。

東北大学災害科学国際研究所の門廻充侍助教らのグループは、東日本大震災で死亡した人のうち、宮城県の9527人について、死因や、遺体が発見された場所などの記録を宮城県警から提供を受け、3年前から分析を進めています。

研究グループは、このうち、「低体温症」で死亡した22人を詳しく調べた、今年度の研究結果を今月発表しました。

それによりますと、22人のうち、8割近くにあたる17人は、建物の中など屋内から発見されていたということです。

15人は、津波が到達している地区の屋内で発見されましたが、残りの2人は、浸水していない気仙沼市の大峠山地区で見つかっていました。

2人の自宅はいずれも別の地区にあり、大峠山地区には、避難所となっていた中学校などがあるということです。

このため研究グループは、津波を逃れて体がぬれなかった人でも住宅などの高い階に避難して救助を待つ間や、避難所に移動して過ごしているうちに、寒さが原因で死亡に至ったケースも考えられるとしています。

門廻助教は、「津波で体がぬれて低体温症になった人が多いと考えていたが、浸水していない地域で亡くなった人がいたのは正直驚いた。寒さにどう備えるかについて次の災害に向き合う人たちに今回わかったことを届け、1人でも多くの命を救うことにつなげたい」と話しています。

門廻助教らの研究グループが宮城県警から提供を受けたデータは、9527人分の年代や性別、死因のほか、遺体が発見された場所などがまとめられています。

死因は多い順に
「溺死」が8677人
「焼死」が  81人
「窒息」が  63人
「頭部損傷」が49人
などとなっていて、「低体温症」は海上で見つかった1人も含めて23人でした。

今年度の研究では、陸上で見つかった「低体温症」の22人を詳しく分析しています。

このうち、見つかった場所は、気仙沼市の大峠山地区が3人と最も多く、石巻市の雄勝町雄勝と、南三陸町の志津川汐見町、亘理町吉田、山元町山寺が、いずれも2人で、沿岸部8自治体の16地区となっています。

さらに、「低体温症」で死亡した人は、70代以上の人が7割を超えていました。

高齢者は自分で熱を生む力が低下し、外気温の影響を受けやすいとされていて、研究グループは、特に高齢者に対して、災害時の寒さ対策が必要だと指摘しています。

今回の研究結果をもとに、門廻助教は、自分でできる低体温症対策の1つとして、小さな袋に入れて持ち運びができるタイプの上着を災害時の非常持ち出し袋に入れておくことを提案しています。

着るだけでなく、床にしいたりひざかけにしたりなどさまざまな用途で寒さをしのげることから、活用を呼びかけています。

https://www3.nhk.or.jp/tohoku-news/20210309/6000013859.html

 

 

 

 

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202139196分にNHK NEWS WEBから、下記趣旨の記事が複数枚の写真付きでネット配信されていた。
これはブログ者も視聴した番組が文字情報として配信された記事。
主だった写真と共に主要部分を紹介する。

 

・・・・・


あの日、地震発生から津波到達まで30分から1時間ほどの時間がありました。

どうすれば避難することができるのか。

何が生死をわけたのか。

今、津波避難の専門家が注目しているのが、“避難のカスケード”です。

※カスケード:連なった小さな滝、連鎖的に物事が生じる様子

NHKスペシャル「津波避難 何が生死を分けたのか」取材班)

 

【「津波から逃げる目的ではない人」が避難できていた】


津波到達までの時間、人々は何を考え、どのように行動していたのか。

震災を伝える団体と研究機関が、1200人分の詳細な調査を行った地域があります。
宮城県石巻市にある、門脇・南浜地区です。

海に面した住宅地の奥に標高60メートルの日和山があり、あの日、ここに多くの人が避難し助かっていました。

この避難行動の調査を分析した富士通研究所の牧野嶋さんは、人が避難した理由に注目します。

日和山にたどりついた人のうち、半数近くが、「津波から逃げる目的ではない人」が避難していたのです。

 

【避難できるきっかけ カギとなる「率先避難」】

なぜ、こうした人が日和山までたどり着けたのか。
カギとなっていたのが、門脇小学校です。

当時の校長、鈴木Y子さんは、地震の直後、児童224人を日和山まで避難させると決断します。

当時、門脇小学校は津波の指定避難所になっていましたが、災害に絶対の安全はないという考えで、地震発生の15分後には日和山まで避難していたのです。

実はこの行動が、多くの命を救うきっかけとなっていました。

まず保護者です。

津波から逃げる明確な意思がなくても子どもに会いに行かないと”“子どもの無事を確認したいという理由で日和山に向かい助かっていました。

当時の日和山で撮影された映像にも、子どもの傍らに多くの保護者がいることがうかがえます。

避難に踏み切れない状況を打ち破り、真っ先に避難をし始める人を「率先避難者」といいます。

避難行動の専門家、東京大学大学院特任教授の片田敏孝さんは、「率先避難者は避難の弾み車のような役割で、避難するかしないか迷う膠着(こうちゃく)した状況を変え、周囲を避難するんだという雰囲気に向かわせることができる重要な役割」と指摘しています。

 

【率先避難が連鎖し広がる「避難のカスケード」】

さらに、この「率先避難者」は、学校と関係の薄い地域の住民までも日和山までひっぱりあげる効果がありました。
その一人が石川Y恵さんです。

当時、津波への意識はなく、日和山まで避難することは全く考えていませんでした。

そんな石川さんが日和山まで行くことになったのは、小学校の校庭にいた知人の女性が「高台まで避難して」と声をかけたことでした。

石川さんは、「多くの人が校庭で戸惑っていたけど、知人の女性が『子どもも日和山へ避難しました。皆さんも山に上がってください』と言われ、そのとき、逃げなきゃと思った」といいます。

知人の女性が、こうした声がけができたのは、保護者の対応をするためにとどまった教員から、「山へ逃げろ」と言われたからでした。

教員から知人、知人から石川さんへの避難が連鎖しました。

こうして、「津波から逃げる目的ではない」という住民が、日和山へたどりついていました。

分析を行った牧野嶋さんは、身近な人だけでなく、関係性のない人にまで、避難が連鎖する様子を滝の流れになぞらえ、「避難のカスケード」と名付けました。

「自分の避難行動は、考えている以上に、その先の人にまで影響することが示唆される」と牧野嶋さんは話します。

校長と児童から始まった率先避難がどのような広がりで影響したのかをまとめました。

 

【校長と児童の率先避難からまず、保護者へ広がった避難。】

保護者のなかには、3人の住民に声をかけ、日和山まで導いた人もいました。

さらに、校庭にとどまった教員からは、保護者だけでなく、住民に繰り返し避難が連鎖していました。

調査から、「避難のカスケード」によって、少なくとも300人を超える人が日和山までたどりついていたのです。

 

【指定避難所だった門脇小学校は津波に巻き込まれた】

その後、想定をこえる津波は安全とされたはずの門脇小学校にまで到達しました。
火災も発生し、大きな被害となりました。
門脇・南浜地区では545人が犠牲になりました。

知人からの声がけで日和山までのぼった石川さんは、「あの声がけがなければ、私はおそらく死んでいたかもしれない」と振り返っています。

 

【避難できなかった人の傾向も明らかに】

命を救う「避難のカスケード」があった一方で、避難ができなかった人も多くいました。

石巻市に暮らす草島M人さんは避難が遅れ、津波から間一髪逃れた一人です。
地震が発生した時、石巻市内を車で移動していました。
草島さんは、家族の安否が気になり、海のそばにある自宅に車を走らせます。
家族は自宅におらず、避難所になっている小学校へ向かいますが、「防寒具も何も持っていない」と思い、再び自宅へと向かいます。

この時、すでに地震発生から1時間近くが過ぎ、津波が迫っていました。

草島さんの目に飛び込んだのは建物の2階を超える高さの津波。
車を全速力で走らせなんとか逃げきりました。

「私の人生はこれで終わるんだなと思いました。
 自分のすべての行動・判断が間違えていたんだと

 

【逃げ遅れるリスク「外出先」「自宅兼店舗」】

1200人分の避難行動の調査から、逃げ遅れるリスクの高い人の傾向がわかってきました。

その一つが草島さんのように「外出先」にいた人です。

家族や、自宅の被災状況などが気になり、自宅に戻ったり家族を探したりすることで避難が遅れてしまいます。

調査からは、外出先にいた人のうち4割が津波に遭遇したなど、危険な状況にあったことがわかりました。

もう一つリスクの高い傾向にあったのが、地震発生時に「自宅兼店舗」にいた人たちです。

「店の片付けを急いだ」「客の安全確認などの対応をした」などの理由で避難が遅れていました。

片田敏孝教授は、こうした行動は災害時に多くの人に起こりやすいと指摘しています。

「人は、逃げないといけないとわかっていてもなかなか逃げられないものです。人は逃げない選択を積極的にとっているわけではなく、逃げようという最後の意思決定ができずにいる状態が続いてしまう。避難というのは、行動に移すことが難しい行為なんです」


【新たな技術で「避難のカスケード」をサポート】

東日本大震災の大規模調査から見えてきた、一人の行動が他の人の避難行動に影響し広がっていく避難のパターン。

どうすれば、今後、発生が懸念される災害でいかしていけるでしょうか。

今回、「避難のカスケード」を提唱する牧野嶋さんは、効率よくカスケードを引き起こそうと新たな技術の開発を進めています。

・・・・・

災害に絶対安全はない様々な選択肢で避難訓練を】

東日本大震災の教訓から様々な選択肢を見据えた訓練を続ける地域もあります。
高知県の黒潮町です。

・・・・・

【自分の避難行動は知らない誰かを救っている】

避難行動を研究する京都大学の矢守克也教授は、いざというとき私たちにできることを教えてくれました。

「自分が避難するという行動をとることが、知らないだれかの命を救うことにつながる。逆に、とどまっていることが、ほかの人に影響するということを知っていてほしい。津波に限らず、災害の時、みずからが動けるかどうか、それが周囲の命を守るカギにもなる」

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210309/k10012903971000.html

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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これはブログ者も視聴した番組が文字情報として配信された記事。
主だった写真と共に主要部分を紹介する。

 

・・・・・


あの日、地震発生から津波到達まで30分から1時間ほどの時間がありました。

どうすれば避難することができるのか。

何が生死をわけたのか。

今、津波避難の専門家が注目しているのが、“避難のカスケード”です。

※カスケード:連なった小さな滝、連鎖的に物事が生じる
 様子

NHKスペシャル「津波避難 何が生死を分けたのか」
 取材班)

 

【「津波から逃げる目的ではない人」が避難できていた】

津波到達までの時間、人々は何を考え、どのように行動していたのか。

震災を伝える団体と研究機関が、1200人分の詳細な調査を行った地域があります。
宮城県石巻市にある、門脇・南浜地区です。

海に面した住宅地の奥に標高60メートルの日和山があり、あの日、ここに多くの人が避難し助かっていました。

この避難行動の調査を分析した富士通研究所の牧野嶋さんは、人が避難した理由に注目します。

日和山にたどりついた人のうち、半数近くが、「津波から逃げる目的ではない人」が避難していたのです。

 

【避難できるきっかけ カギとなる「率先避難」】

なぜ、こうした人が日和山までたどり着けたのか。
カギとなっていたのが、門脇小学校です。

当時の校長、鈴木Y子さんは、地震の直後、児童224人を日和山まで避難させると決断します。

当時、門脇小学校は津波の指定避難所になっていましたが、災害に絶対の安全はないという考えで、地震発生の15分後には日和山まで避難していたのです。

実はこの行動が、多くの命を救うきっかけとなっていました。

まず保護者です。

津波から逃げる明確な意思がなくても子どもに会いに行かないと”“子どもの無事を確認したいという理由で日和山に向かい助かっていました。

当時の日和山で撮影された映像にも、子どもの傍らに多くの保護者がいることがうかがえます。

避難に踏み切れない状況を打ち破り、真っ先に避難をし始める人を「率先避難者」といいます。

避難行動の専門家、東京大学大学院特任教授の片田敏孝さんは、「率先避難者は避難の弾み車のような役割で、避難するかしないか迷う膠着(こうちゃく)した状況を変え、周囲を避難するんだという雰囲気に向かわせることができる重要な役割」と指摘しています。

 

【率先避難が連鎖し広がる「避難のカスケード」】

さらに、この「率先避難者」は、学校と関係の薄い地域の住民までも日和山までひっぱりあげる効果がありました。
その一人が石川Y恵さんです。

当時、津波への意識はなく、日和山まで避難することは全く考えていませんでした。

そんな石川さんが日和山まで行くことになったのは、小学校の校庭にいた知人の女性が「高台まで避難して」と声をかけたことでした。

石川さんは、「多くの人が校庭で戸惑っていたけど、知人の女性が『子どもも日和山へ避難しました。皆さんも山に上がってください』と言われ、そのとき、逃げなきゃと思った」といいます。

知人の女性が、こうした声がけができたのは、保護者の対応をするためにとどまった教員から、「山へ逃げろ」と言われたからでした。

教員から知人、知人から石川さんへの避難が連鎖しました。

こうして、「津波から逃げる目的ではない」という住民が、日和山へたどりついていました。

分析を行った牧野嶋さんは、身近な人だけでなく、関係性のない人にまで、避難が連鎖する様子を滝の流れになぞらえ、「避難のカスケード」と名付けました。

「自分の避難行動は、考えている以上に、その先の人にまで影響することが示唆される」と牧野嶋さんは話します。

校長と児童から始まった率先避難がどのような広がりで影響したのかをまとめました。

 

【校長と児童の率先避難からまず、保護者へ広がった避難。】

保護者のなかには、3人の住民に声をかけ、日和山まで導いた人もいました。

さらに、校庭にとどまった教員からは、保護者だけでなく、住民に繰り返し避難が連鎖していました。

調査から、「避難のカスケード」によって、少なくとも300人を超える人が日和山までたどりついていたのです。

 

【指定避難所だった門脇小学校は津波に巻き込まれた】

その後、想定をこえる津波は安全とされたはずの門脇小学校にまで到達しました。
火災も発生し、大きな被害となりました。
門脇・南浜地区では545人が犠牲になりました。

知人からの声がけで日和山までのぼった石川さんは、「あの声がけがなければ、私はおそらく死んでいたかもしれない」と振り返っています。

 

【避難できなかった人の傾向も明らかに】

命を救う「避難のカスケード」があった一方で、避難ができなかった人も多くいました。

石巻市に暮らす草島M人さんは避難が遅れ、津波から間一髪逃れた一人です。
地震が発生した時、石巻市内を車で移動していました。
草島さんは、家族の安否が気になり、海のそばにある自宅に車を走らせます。
家族は自宅におらず、避難所になっている小学校へ向かいますが、「防寒具も何も持っていない」と思い、再び自宅へと向かいます。

この時、すでに地震発生から1時間近くが過ぎ、津波が迫っていました。

草島さんの目に飛び込んだのは建物の2階を超える高さの津波。
車を全速力で走らせなんとか逃げきりました。
「私の人生はこれで終わるんだなと思いました。
 自分のすべての行動・判断が間違えていたんだと

 

【逃げ遅れるリスク「外出先」「自宅兼店舗」】

1200人分の避難行動の調査から、逃げ遅れるリスクの高い人の傾向がわかってきました。

その一つが草島さんのように「外出先」にいた人です。

家族や、自宅の被災状況などが気になり、自宅に戻ったり家族を探したりすることで避難が遅れてしまいます。

調査からは、外出先にいた人のうち4割が津波に遭遇したなど、危険な状況にあったことがわかりました。

もう一つリスクの高い傾向にあったのが、地震発生時に「自宅兼店舗」にいた人たちです。

「店の片付けを急いだ」「客の安全確認などの対応をした」などの理由で避難が遅れていました。

片田敏孝教授は、こうした行動は災害時に多くの人に起こりやすいと指摘しています。

「人は、逃げないといけないとわかっていてもなかなか逃げられないものです。人は逃げない選択を積極的にとっているわけではなく、逃げようという最後の意思決定ができずにいる状態が続いてしまう。避難というのは、行動に移すことが難しい行為なんです」


【新たな技術で「避難のカスケード」をサポート】

東日本大震災の大規模調査から見えてきた、一人の行動が他の人の避難行動に影響し広がっていく避難のパターン。

どうすれば、今後、発生が懸念される災害でいかしていけるでしょうか。

今回、「避難のカスケード」を提唱する牧野嶋さんは、効率よくカスケードを引き起こそうと新たな技術の開発を進めています。

・・・・・

災害に絶対安全はない様々な選択肢で避難訓練を】

東日本大震災の教訓から様々な選択肢を見据えた訓練を続ける地域もあります。
高知県の黒潮町です。

・・・・・

【自分の避難行動は知らない誰かを救っている】

避難行動を研究する京都大学の矢守克也教授は、いざというとき私たちにできることを教えてくれました。

「自分が避難するという行動をとることが、知らないだれかの命を救うことにつながる。逆に、とどまっていることが、ほかの人に影響するということを知っていてほしい。津波に限らず、災害の時、みずからが動けるかどうか、それが周囲の命を守るカギにもなる」

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210309/k10012903971000.html

 

 

 

 

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2020726100分にYAHOOニュース(幻灯舎OLD ONLINE)から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

 

あなたは、「水の力」で鉄が切れることを知っていますか? 

もしかしたら、テレビや新聞などでご覧になって、「知っている」という方もいらっしゃるかもしれません。

 

でも、“厚さ40mmの鉄板”も切れると聞いたら、たぶん、驚かれるのではないでしょうか? 

 

詳しくは本文をお読みいただくとして、水の力はさまざまな産業分野で用いられ、 現在の日本を支える一翼を担っているのです。

 

今回は、東日本大震災の際、直径20mのタンクを切断したエピソードをご紹介しましょう。

 

 

【「ピンヒールを履いた象」に踏み潰されたら…】

 

水の力は、鉄を切るだけではありません。

例えばコンクリートを切断したり、砕いたり、こびりついた汚れを落としたり、塗装を剝がしたりと、さまざまなことができるのです。

 

この水の力は、「ウォータージェット工法」と呼ばれる、高圧力の水を噴射する技術で実現されるものです。 

 

圧力のことを身近に感じていただくために、例え話をします。

 

ピンヒールを履いた女性に、思い切り足を踏みつけられたと想像してみてください。

下手をすると靴に穴が開いてしまうかもしれません。

もちろん足も無事ではすまないでしょう。

かかとが平らなビジネスシューズならそうでもないのに、ピンヒールは恐ろしい。

これは、重さが狭い面積に集中するからです。 

 

次に、ウォータージェットで使用する水圧をこれに例えて説明を試みてみましょう。

ピンヒールを履いた象を想像していただけますか? 

象の体重といったら4tほど、ピンヒールのヒール部分は1cm四方。

こんなピンヒールを履いた象が力を込めてステップを踏んできたら......

 

イメージするだけで恐ろしいことです。

もしかしたら、道路すら砕いてしまうかもしれません。 

これが高圧水を集中させてコンクリートの構造物を「水の力でたたき割る」原理です。

 

 

3.11の被災地でも役立った知られざる水の力】

 

忘れもしない2011311日。

仕事に没頭していた私は、大きな揺れを感じて我に返りました。

 

幸いにも、本社のある名古屋市守山区では震度3を観測するにとどまり、大きな被害もありませんでしたが、その後もしばらく余震は続き、その揺れの強さはこれが普通の地震ではないことを物語っていました。

 

この時、宮城県北部を中心に最大震度7の大地震が発生していたのです。

 

地震の情報を得るためにつけたテレビには、既に津波が押し寄せる衝撃的な映像が流れていました。

 

情報を収集していくと、地震そのものよりも津波の被害が大きいということがわかってきました。

 

さらに、東北から関東にかけて石油コンビナートで火災が発生していることも報道されていました。

 

千葉県の石油コンビナートの火災では、高さ30mはあろうかという爆炎の燃えさかる映像が流れ、ショックと不安をかき立てるには十分すぎるものでした。

 

過去に例をみない高圧ガスタンクなどの大規模火災であったため、有効な消火活動が行えず、火災の鎮圧を確認したのは8日後の319日の夕方、鎮火をみたのは21日の朝という大事故でした。

 

そして、東日本大震災のショックに日本全体が沈んでいた4月中旬、当社に突然の連絡が入りました。

 

「あの石油コンビナートの火災について調査したいので、損壊した球形タンクを切断してほしい。しかもゴールデンウィーク中に実施したい」という依頼でした。

 

カレンダーを見ると、準備期間はわずか2週間。

その間に、作業計画と費用見積りを出し、要員と設備の手配を済ませる必要がありました。

 

大変な作業でしたが、震災の被災地に力を貸したいという思いが強く、準備をやり終えて4月の終わりには現地入りすることができたのです。 

 

当社にこの依頼があったのには理由がありました。

 

石油コンビナートという場所のため火気厳禁という制約があり、鉄を切る方法として広く普及しているガスでの切断は検討することができなかったからです。

 

ノコギリなどを使っての切断も、摩擦により火花が散ってしまいます。 

 

すべての制約をクリアする唯一の手段が水の力、ウォータージェットによる切断だったため、その技術のエキスパートである当社に白羽の矢が立ちました。

 

化学プラントや発電所でのメンテナンス実績が多数あり、このような火気厳禁の現場に慣れているということも大きな理由でした。

 

この作業では、直径20mという大きな球形タンクを上下半分に切り分け、上半分をクレーンで取り除きました。

 

指定の工期は3日間でしたが、安全第一で無事やり遂げることができました。

 

災害時の事故を100%防止するのは難しいことですが、同様の事故を起こさないように対策を練ることと、万が一起こったときには被害を最小にとどめて復旧することが求められます。

 

このために、災害発生後の詳しい原因究明は不可欠のことであり、そのために少なからずお役に立てたことは、私たちの誇りとするところです。

 

 

【どうして水の力で鉄が切れるのか】

 

水の力をご理解いただくため、当社が携わった具体的な事例を先にご紹介させていただきましたが、ここで水で鉄が切れる原理について見ていきたいと思います。

 

「どうして水の力で鉄が切れるのか?」、原理は簡単です。

 

細いノズルから超高圧力の水と研掃材と呼ばれる粉状の硬い物質を同時に吹き付けることで、鉄でさえ切ることができるのです。

 

正確には、「切る」というよりも「水の当たった幅だけを削り取る」のです。

 

この超高圧の水を吹き付ける技術、および装置を「ウォータージェット」と呼んでいます。

 

「水でモノを切る」ことは、実は以前から研究されていました。

 

私たちが実際のメンテナンスの現場に「活用できる」と確信を得たのは19918月にドイツのWOMA社の「エコマスター2000」という超高圧ウォータージェットのデモンストレーションを見てからでした。

 

名前につく数字の「2000」とは、2,000kgf/cm²(工学気圧)を示し、約200MPaの圧力が出せるという意味です。

 

これは最初にご紹介した「ピンヒールを履いた象」に踏みつけられるくらいの力の水圧です。

 

このような圧力を直径2mm程度の細いノズルから吹き付けることで、さまざまな素材が切れてもおかしくない力になるのです。 

 

鉄などの硬い物質を切断するには、水の力だけでは時間がかかりすぎるので、作業効率を上げるため、研掃材(一般的な研磨材と同じものです。英語ではアブレーシブと言います)を水に混ぜて同時に吹き付けます。

 

これは砂粒のような細かい粉ざくろで、今のところガーネット(柘榴石)の粉が最も効率が良いことがわかっています。 

 

単純に圧力が高ければ高いほど良いかというとそうではありません。

現場で利用できる機材や用途、コストなどの兼ね合いで最適な圧力を選択します。

 

 林 伸一 日進機工株式会社 代表取締役社長

 *本記事は、林伸一著『鋼の水』(幻冬舎MC)より一部を抜粋し、
    再編集したものです。

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/135b2893f52a67eb7de0fad9d34d9c6f26c0ef15

 

 

 

 

 

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20203271631分にNHK東北から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

 

東北大学の研究グループが東日本大震災で亡くなった人たちの死因について調べた結果、「低体温症」で亡くなった人が沿岸部に集中していたことがわかりました。


研究グループでは、津波から逃れたあと、体がぬれたままでいたため、低体温症で亡くなったとみていて、適切な対策をとれば救える命があったと分析しています。

東北大学災害科学国際研究所の門廻充侍助教らのグループは、東日本大震災で亡くなった人のうち、宮城県の9527人の死因や遺体が発見された場所などの記録について宮城県警から提供を受け、平成29年から分析を進めています。


研究グループが今月、今年度の研究結果を発表し、それによりますと、全体の9割に相当する8677人の死因は津波による「溺死」だったとする一方、あわせて23人が「低体温症」で亡くなったということです。


「低体温症」で亡くなった人の遺体が見つかった場所は、いずれも沿岸部の市と町に集中していて、石巻市が8人と最も多く、気仙沼市が4人などとなっています。


この原因について研究グループは、津波から逃れたあと、体がぬれたままでいたため、冬場の寒さもあって低体温症で亡くなったとみていて、適切な対策をとれば救える命があったと分析しています。


門廻助教は、「津波に巻き込まれ低体温症につながったことがデータからも明確になったと感じている。

 

次の災害で1人でも多くの命を救えるよう研究を進め、何らかの提言や提案につなげていきたい」と話しています。


研究グループはさらに分析を進め、震災から10年となる来年3月ごろに、最終的な成果をまとめることにしています。



「低体温症」は、医学的には何らかの原因で体の中心部の温度が35度以下まで低下した状態を指します。

 

人間の体温のメカニズムに詳しい東北大学病院の高度救命救急センターの久志本成樹センター長によりますと、「低体温症」になる要因として、寒い環境に長時間いたり、ぬれた服を着たままでいたりすることなどが考えられるということです。


その上で、体温が35度を下回ると、体にさまざまな不調が現れ、たとえば、呼びかけても反応がにぶくなったり、動作が遅くなったりするほか、まっすぐ歩けなくなるなどの症状が出てくるということです。


このため、「低体温症」を防ぐには、風にさらされないよう屋内にとどまることや、服が濡れた場合は、直ちに脱いで毛布を何重にも重ねること、さらに、毛布がなければ新聞紙やビニールなどぬれていないもので体を覆うなどして、体を冷やさないようにすることが有効だとしています。


久志本センター長は、「低体温症になると、最初は“寒い、寒い”と震えているが、だんだんと反応がにぶくなってくる。少しでも低体温の危険性があるときには、周囲の人がきちんとケアすることも必要となってくる」と話していました。


門廻助教らの研究グループが宮城県警から提供を受けたデータには、9527人分の年代や性別、死因のほか、遺体が発見された場所などが盛り込まれています。


このデータをもとに研究グループが死因を分析したところ、「溺死」が8677人と最も多く、次いで「焼死」が81人などとなりました。


その上で、警察庁の統計では「損傷死・圧死・その他」とひとくくりにされていた死因を9つに分類した結果、「低体温症」で亡くなった人が23人いたことがわかりました。


そして、死因ごとに遺体が発見された自治体をまとめ、今月、その結果を発表しました。


研究グループは、震災から10年にあたる来年3月に最終的な研究結果をまとめることにしていて、遺体が発見された場所が津波の浸水域かどうかなど、さらに詳しい分析を進めることにしています。


東日本大震災の教訓を生かそうと、県内では、津波からの避難施設に「低体温症」を防ぐ設備を導入する動きがあります。


仙台市では震災以降、市内のあわせて11か所に、津波が起きた際の一時的な避難施設となる津波避難タワーや津波避難ビルを整備しました。


その大きな特徴は、冬場の寒さの中でも「低体温症」を防ぎ、命を守るための設備が導入されたことです。


宮城野区の仙台港近くにある「中野五丁目津波避難タワー」には、地上6.6メートルの高さにある2階部分に100人を収容でき、風を避けることができる屋内スペースが設けられています。
また、電気が使えない場合を想定して、ガスボンベを燃料とするストーブなど、体を暖めるための器材も備えられています。


こうした設備はすべての施設で導入されていて、寒さの中でも1日は過ごせるよう、食料なども備蓄されています。


仙台市防災計画課の鈴木課長は、「震災当時、寒さで苦労したという教訓から、こうした寒さ対策に重点を置いた施設を整備した。地域の声を反映しながら、備蓄なども考えている」と話していました。

 

https://www3.nhk.or.jp/tohoku-news/20200327/6000009440.html

 

 

 

(ブログ者コメント)

 

〇本件、東北大学が「生存学」の構築を目指し、死亡状況の分析に着手するという情報を、一昨年9月、本ブログで紹介した。

その続報として紹介する。

 

〇同種情報がないか調べたところ、4年前の下記記事が見つかった。

ご参考まで。

 

<アーカイブ大震災>氷点下の寒さ追い打ち

2016210日 河北新報)

 

2011年3月11日夕、東北の震災被災地では広い範囲で雪が降った。

津波でずぶぬれになった人、建物の屋上で救助を待つ人…。

暖が取れない状況の下で、冷たい雪は多くの人の目に「非情の雪」と映った。

 

天候は夜には回復し、満天の星空が広がったが、それもまた「無情の星空」。

放射冷却で翌朝にかけて厳しく冷え込み、多くの命を苦境へと追い込んだ。

◎その時 何が(22完)非情の雪、無情の星空(宮城・南三陸町)

皆、寒さでガタガタと震えていた。唇は紫色で顔面は蒼白(そうはく)。外は雪。低体温症の症状だった。


「震えがひどく、自分で思うように動けない人もいた。3人がかりで着替えさせた」
宮城県南三陸町の公立志津川病院の看護師佐藤のり子さん(52)は、目の当たりにした低体温症の怖さを思い起こす。


海岸から距離約400メートルに位置する同病院は津波に襲われ、水は4階まで達した。

全身ずぶぬれになったり、横たわったまま水に漬かって半身が泥まみれになったりした患者も多かった。


浸水を免れた西棟5階会議室には、入院患者42人と病院スタッフ約80人、駆け込んだ近隣住民約120人の計約240人がいた。


看護師らは5階の限られた物資で、患者の体温を保つ工夫を重ねた。

ぬれた衣服を脱がせてタオルで包み、新聞紙を体に巻いた。ゴム手袋もはめさせた。

床には段ボールを敷き、体を寄せ合うように寝かせた。

毛布代わりに介護用おむつと、外したカーテンを掛けた。


「体を温めてあげたくても電気も火もない。ありったけの物で、できる限りのことはしたんですが…」と佐藤さん。


必死の措置もむなしく、12日午後に救出ヘリが来るまでに、患者7人が低体温症などで息を引き取った。

宮城県石巻市大街道小でも、女性1人が低体温症とみられる症状で亡くなった。

東松島市野蒜小でも多くの人がぬれた服のまま避難。

割れた窓から吹き込む冷気が体温を奪い、お年寄りらが次々と低体温症で死亡した。


宮城県警が震災から1カ月後にまとめた県内犠牲者8015人の死因によると、低体温症を含む「その他」が58人いた。


あの日の冷え込み、その後の停電や燃料難による暖房の欠如…。

過酷な寒さが地震や津波から取り留めた命を死のふちに追いやったのも、この震災の特徴だ。

仙台管区気象台によると、東北太平洋側各地の気象データは震災後、津波被害や停電の影響で入手できなくなった。

 

宮城県内で唯一、切れ目なくデータが残る仙台は11日午後、断続的に雪を観測。

第1波襲来後の午後4時半前後は見通しが利かないほどの強さになった。


多くの証言によると、宮城県沿岸の各地は同日夕、雪に見舞われた。

夜は西から高気圧が張り出し、東北は広い範囲で晴れた。


気象台は当時の天気図から、「12日朝は放射冷却で、津波被災地は軒並み氷点下2~3度。被災者には厳しい気象条件だった」と推測する。


志津川病院の看護師畠山啓子さん(53)には二つの「もし」が交錯する。

「もし、もう少し暖かかったら助かった人もいたかもしれない。でも、もし阪神大震災のような真冬だったら、もっと大変なことになっていた」

 

          ◆         ◆         ◆


2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。


とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。


中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。


5年の節目に際し、一連の記事をあえて、当時のままの形でまとめた。

 

記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。

 

https://www.kahoku.co.jp/special/spe1168/20160210_01.html 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019430日付で毎日新聞東京版から、下記趣旨の記事が図解付きでネット配信されていた。

 

東日本大震災(2011年)でプレート(岩板)境界の断層が大規模に滑り、巨大津波となった原因を特定したと、大阪大の研究チームが29日、発表した。

 

地震発生時、プレート同士の摩擦で500℃以上の熱が生じ、内部の水が膨張した結果、隙間を押し広げる力が働いて滑りやすくなったという。

 

南海トラフ地震や内陸地震などで、津波の大きさや地震の特徴の予測を可能にする成果と言える。

 

論文が同日、英電子版科学誌「サイエンティフィック・リポーツ」に掲載された。

 

大震災では、日本海溝付近の浅い場所が50~80m滑り、海底が隆起して巨大津波を引き起こした。

 

それまで、浅い場所は滑りにくいと考えられ、大規模に滑った原因を探るため、海洋研究開発機構の地球深部探査船「ちきゅう」が12年、断層の岩石を採取した。

 

広野哲朗・大阪大准教授(地震断層学)らの研究チームはこの岩石を分析し、境界付近の圧力や温度、透水率などの条件でどのように断層が動いたり壊れたりするかを解析した。

 

大規模滑りの原因としては、断層に含まれる滑りやすい粘土が原因との見方もあったが、摩擦熱による水の膨張がなければ大規模滑りは起こらなかったと判明した。

 

現在、大地震の発生確率や揺れの大きさは、文献に残された歴史地震の記述などから推定している。

 

今回の成果で、断層の性質を調べれば、津波や揺れの大きさなどを事前に評価できる可能性があることが分かった。

 

広野准教授は、「平成は大地震による被害が多かったが、地震研究は後手後手に回っていた。令和の時代には地震研究がさらに進み、減災に貢献できるようにしたい」と話している。

 

出典

東日本大震災 巨大津波、断層の摩擦熱原因 大規模滑り、大阪大チーム特定

https://mainichi.jp/articles/20190430/ddm/002/040/087000c 

 

 

 

(ブログ者コメント)

 

他にも情報がないか調べていたところ、6年前にも日米欧の研究チームが同様な研究成果を発表していた。


その際の研究ネタも、2012年に「ちきゅう」が採取した岩石。

今回の発表は、どこが違うのだろう?

 

20131261019分 朝日新聞)

 

東日本大震災の巨大津波は、プレート境界にある粘土層が滑って引き起こされていたことがわかった。

 

地震発生時に摩擦熱が生じ、最大1250℃に達した可能性があり、さらに滑りやすくなった。

 

日米欧などの統合国際深海掘削計画の枠組みによる研究チームが、6日付の米科学誌サイエンスに研究成果を発表した。

 

巨大津波は、太平洋プレートと日本列島が載る北米プレートの境界が、約50mずれて起きたとみられている。

 

海洋研究開発機構の掘削船「ちきゅう」が昨年4~5月、宮城県沖東220kmの震源域の海底を掘り進め、地下821m付近で厚さ5m未満の粘土層を見つけた。

 

分析したところ、摩擦が小さく滑りやすいスメクタイトという鉱物が多く含まれていた。

 

また、掘削した穴の中に温度計55個を設置して、昨年7月から9カ月間にわたって観測。

地層がずれ動いて生じた摩擦熱とみられる温度上昇を確認。

熱が地中を拡散していた。

 

研究チームの氏家恒太郎・筑波大准教授(構造地質学)は、「ずれ動いた時の摩擦熱で粘土層に含まれていた水分が逃げ場を失って液体のようになり、大規模な滑りを引き起こしたと考えられる」としている。

 

出典

震災の大津波、滑る粘土層が引き金 摩擦熱は1千度超に

http://www.asahi.com/special/news/articles/TKY201312050455.html

 

 

 

 

 

 

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201944日付で河北新報から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

 

塩釜市の塩釜漁港にある東防波堤(全長1439m)の一部が外洋側に傾いた問題で、宮城県は3日、傾斜箇所120mが倒壊、うち60mが海中に沈んだと発表した。

 

県は、付近を航行する漁船などに注意を呼び掛けるとともに、作業船が手配でき次第、撤去作業を始める方針。


倒壊したのは防波堤の北東から南西に延びる約800mの区間の一部。

3日朝、近くで作業中だった建設業者が県側に連絡した。


県は1月下旬、水中ロボットカメラによる海中調査を実施した。

水没した部分は東日本大震災の津波の影響などで海底が削られ、周りより3~4m深くなっていた。


防波堤はコンクリート製の堤体を鉄製のくいが海中で支えている構造。

海底が削られ、本来は埋まっている部分が海中で露出したことで、くいに負荷がかかったことが原因とみられる。

 

当初は今月下旬に撤去を開始する予定だった。


県は800m区間の周囲50mの海域を警戒範囲に設定しており、海上に設置していたブイを増やして注意を呼び掛ける。

 

東防波堤は1970~93年度に県が整備した。

付近にはワカメの養殖海域がある。

 

出典

<塩釜漁港>傾いた東防波堤、120メートル倒壊、60メートル水没

https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201904/20190404_13025.html

 

 

432027分に産経新聞からも、同趣旨の記事がネット配信されていた。

 

防波堤では昨年12月、一部が外洋側に最大約30cm傾いているのが確認され、県は倒壊の恐れがあるとして、周辺への立ち入りを規制した。

 

県は1月に現地で海中調査を実施し、水没した60m区間で海底地盤が深くえぐられているのを確認。

 

同推進室は、震災の津波でえぐられた可能性があり、防波堤を支えるくいが露出したことで揺れやすい状態となり、「波や余震が作用して傾きが始まったものとみられる」としている。

 

出典

宮城・塩釜漁港の東防波堤の一部が倒壊

https://www.sankei.com/affairs/news/190403/afr1904030020-n1.html 

 

 

※関連記事

 

防波堤倒壊 震災の津波が原因か

431741分 NHK東北)

https://www3.nhk.or.jp/tohoku-news/20190403/0005109.html

 

防波堤が一部倒壊 宮城・塩釜、震災時の津波の影響か

442249分 日本経済新聞)

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43307660T00C19A4CC1000/ 

 

 

481740分にNHK東北からは、他にも4カ所、倒壊の恐れがある防波堤があるという、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

 

村井知事は8日の定例の記者会見で、「けが人や事故がなかったので、胸をなで下ろしている。周辺で漁業をしている方などにご心配をおかけし、おわび申し上げたい」と述べた。


そのうえで村井知事は、「くいの補強工事などの対策を行う必要がある防波堤が県内に数か所ある」として、緊急点検を行うことを明らかにした。


県によると、これまでの調査で、石巻漁港や鮎川漁港、それに女川漁港や気仙沼市の松岩漁港の4か所の防波堤でも倒壊のおそれがあり、補強工事などの対策が必要なことが分かったという。


県では、改めてこれらの防波堤の緊急点検を行ったうえで、塩釜市の防波堤を含めて、今年度中に補修工事やくいの補強工事などを行う方針だ。

 

出典

倒壊おそれの防波堤 ほかにも

https://www3.nhk.or.jp/tohoku-news/20190408/0005156.html 

 

 

 

(2019年4月24日 修正1 ;追記)

 

2019423175分にNHK東北から、被害拡大防止のため水中ワイヤソーによる倒壊部分の切り離し工事が行われたなど、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

 

被害が拡大するのを防ぐため、応急の措置として、倒壊した部分を切り離す工事が行われた。

工事が行われたのは、塩釜市の漁港からおよそ200m沖にある東防波堤。


東防波堤は、今月3日、およそ120mにわたって倒壊し、県は東日本大震災の津波で海底が深くえぐられたことが原因だと見ている。


県は、このままでは倒れた部分に引っ張られて残りの部分も倒壊する恐れがあるとして、23日、被害が拡大するのを防ぐため、倒壊した部分を切り離す工事を行った。


工事は「水中ワイヤーソー」と呼ばれるワイヤー状ののこぎりを使って行われ、コンクリートを切断していった。


県によると、切断作業は23日で終了し、今後は、倒壊した防波堤の撤去や復旧にむけた作業を行うという。


県仙台地方振興事務所水産漁港部の菅野技術次長は、「工事に関する情報を漁港の利用者と密に共有し、理解をいただきながら、作業を進めていきたい」と話していた。

 

出典

倒壊の防波堤 切り離し工事

https://www3.nhk.or.jp/tohoku-news/20190423/0005318.html

 

 

424日付で河北新報からも、同趣旨の記事がネット配信されていた。

 

県によると、倒壊部分と、被害を受けていない他の部分はコンクリート製の防波堤内部に通した鋼材でつながっている。

 

倒壊部分に引っ張られ、残る部分も倒れる恐れがあった。


作業は午前9時に始まった。

防波堤近くに作業用台船が停泊し、作業員が刃にダイヤモンドをちりばめた水中ワイヤソーと呼ばれるワイヤ状ののこぎりを操作して、鋼材を切断した。


切断作業は同日中に完了した。

費用は約6000万円を見込む。

 

今後、倒壊部分の撤去、防波堤の復旧の方法を検討する。

出典

倒壊の東防波堤 分離作業に着手 塩釜漁港で宮城県

https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201904/20190424_13040.html 

 

 

 

(ブログ者コメント)

 

以下は、423日NHK映像の1コマ。

倒壊して一部が水没した防波堤が写っている。

 

 

 

 

 

 

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201931860分に朝日新聞から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

 

大災害時に膨大な傷病者の中から治療の優先順位を判断する「トリアージ」でミスがあったら・・・。

 

東日本大震災で亡くなった被災者の遺族が病院を提訴した。

 

トリアージに特別な免責規定はなく、法的整備を検討すべきだとの声もあった中での提訴で、災害医療関係者には波紋が広がっている。

 

日本災害医学会は、近く、法制化に向けて議論を始める。

 

裁判は、東日本大震災で被災し、搬送先の病院で亡くなった宮城県石巻市の女性(当時95)の遺族が、病院正面玄関で行われたトリアージに過失があったとして、石巻赤十字病院を仙台地裁に提訴。

約3200万円の損害賠償を求め、1月に口頭弁論が始まった。

 

訴状などによると、女性は治療不要の「緑」と判定され、避難所への搬送まで院内の待機エリアで待つ間に、脱水症で死亡した。

 

しかし、自立歩行や適切な意思疎通ができない要介護5の認定を被災前に受けていたことから、少なくとも中等度の「黄」とされるべきだったと指摘。

必要なケアを受けられないまま搬送3日後に死亡したのは病院に責任があると主張する。

 

病院側は取材に、「トリアージは手順に沿って、医師か看護師が適切に行ったと考えている。治療不要と判断された人は自宅に帰るか避難所に移ってもらうのが本来のあり方」と説明。

 

当時、最大約600人の被災者が院内にいたといい、「乏しい物資の中から、女性に点滴を1本打ったが、精いっぱいだった」と話す。

 

この訴訟を注視するのが日弁連・元災害復興支援委員長の永井幸寿弁護士。

災害トリアージの課題を指摘し、立法措置を訴えてきた。

 

「混乱状態の災害時であっても、医療に求められる注意義務を平常時より軽減する規定はない。

やむを得ない判断ミスでも責任を問われる可能性がある」

 

看護師や救急隊員が医師の代わりに担当した場合、治療や搬送の優先順位の判断を「診断行為」とみなされれば、医師法違反になりかねないという。

 

「災害時の医療の萎縮を防ぐため、故意や重過失がない場合、責任を問われないといった規定が必要では」

 

国の判断はあいまいだ。

 

厚労省の「災害医療体制のあり方に関する検討会」の報告書(2001年)でも、

①災害時の状況下の合理的判断であれば、一般に法的責任は生じない

②救急救命士や看護師などは、緊急時のやむを得ない行為(緊急避難)として違法性は問われないのではないか

と、現行法の解釈の可能性を示すにとどまる。

 

厚労省が委託するDMAT(災害派遣医療チーム)の事務局長で、日本災害医学会代表理事の小井土雄一医師は、「極めて短時間で、診断ツールも使えないなか、100%正しい判断は困難。間違いの責任をと言われると、トリアージができなくなってしまう」と訴える。

 

医療訴訟に長く関わってきた明治大学学長特任補佐の鈴木利廣弁護士は、「災害トリアージは、医師個人や病院の責任で何とかできる分野ではない。個人責任を追及しても再発防止につながらず、医療者がこの分野から手を引いてしまう恐れもある」と指摘。

 

「患者に犠牲を強いてしまった場合の公的救済制度を整えたうえで、医師や病院の免責を法律で明記する必要がある」と語る。

 

日本災害医学会は18日からの総会で法制化を訴える声明文を検討するなど、議論を提起する方針だ。

 

     ◇

 

〈トリアージ〉

 

フランス語の「選別」が語源で、治療の優先順位を判断すること。

 

大災害時は、最初に専門医の治療を必要としない人(緑)と、既に死亡しているか蘇生の可能性のない人(黒)を除外し、治療を必要とする人のうち、迅速な医療を必要とする重症患者(赤)と、治療が多少遅れても生命には危険がない中等症患者(黄)を分ける。

 

1人30秒以内が目安とされる。

 

中尾博之・岡山大教授(災害医療マネジメント学)は、「通常の救急医療は『点の医療』つまり個人を救うものだが、災害医療は『面の医療』つまり集団として生き延びることを考える医療。その違いを踏まえて、トリアージを理解する必要がある」と話す。

 

出典

災害トリアージ、ミスの責任あいまい 法制化を議論へ

https://www.asahi.com/articles/ASM3F4S3NM3FUWPJ004.html 

 

 

ちょっと前、2019122日付で河北新報からは、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

 

遺族が病院に約3220万円の損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が21日、仙台地裁であり、病院は請求棄却を求めた。


病院は答弁書などで、「震災時は傷病者や避難者、要介護の被災者が殺到し、限られた医療資源でできる限り対応した。当時の状況を踏まえれば、女性の死亡は病院の対応に原因があるとはいえない」と反論した。


遺族は、「病院の主治医は、女性が自力での飲食が困難だと震災前から把握していた。病院は女性の生命維持に必要な措置を講じる義務を負っていた」と主張している。


訴えによると、女性は2011年3月14日、自宅周辺が津波で水没し孤立していたところを救助され、病院に搬送された。

 

震災前、日常生活に全面的な介助が必要とされる要介護5の認定を受けたが、病院は治療の優先度を決めるトリアージで、女性を軽症患者を意味する「緑」と判定。

女性は搬送から3日後の同17日に脱水症で死亡した。


閉廷後に仙台市内で記者会見した石橋院長は、「当時は、震災前のカルテを参照する余裕がなかった。トリアージに法的根拠はなく、緊急的な対応の結果で責任を負うことになれば、災害医療が萎縮しかねない。遺族と認識にずれが生じているのは残念だ」と述べた。

 

出典

<被災搬送後死亡訴訟>石巻赤十字「対応した」 請求棄却求める

https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201901/20190122_13039.html 

 

 

20191211211分に産経新聞からは、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

 

遺族側は、「飲食にも介助が必要だったのに、病院が放置した」と主張し、昨年10月29日に提訴した。

 

石巻市は津波で沿岸部の病院が被災したため、内陸にあり被害を免れた赤十字病院がけが人や患者の多くを受け入れ、震災直後の災害医療の拠点となった。

 

出典

治療優先度誤りと日赤提訴 津波被災の90代女性死亡

https://www.sankei.com/affairs/news/190121/afr1901210007-n1.html 

 

 

 

(ブログ者コメント)

 

混乱の極みだった東日本大震災直後の医療現場で、通常に近い対応を期待するのは無理な話しだ。

 

遺族側の感情も解らなくはないが、使命感をもって、おそらくは寝る間も惜しんで救急医療に当たったであろう病院が訴えられたとは、ちょっと信じられない。

 

 

 

 

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2019331818分にNHK東北から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

 

東日本大震災から8年となるのを前に、NHKが当時、遺体の検視を行った法医学者にアンケートを行ったところ、津波が泥や砂などを巻き込み、いわゆる“黒い津波”となって押し寄せたことが死者の増加につながったと指摘する人が8割にのぼった。

東日本大震災では、遺体の数が多く身元の確認が優先されたため、死因を調べる解剖はほとんど行われず、9割以上が溺死と判断された。


NHKは、被害が拡大した背景を探るため、当時、遺体の検視にあたった法医学者87人にアンケートを行い、30人から回答を得た。


まず、津波が砂や泥、ガレキなどを巻き込んで押し寄せたことが死者の増加につながったと感じるか尋ねたところ、

〇「感じる」が15人

〇「どちらかといえば感じる」が9人

で、8割が死因に影響したと回答した。


その理由について複数回答で尋ねたところ、

〇最も多かったのが「遺体の口や鼻の中に砂や泥が付いていた」と「遺体の損傷状況」で、それぞれ15人

〇次いで「体の衣服に砂や泥が付いていた」が13人

〇自由記述では、窒息や避難の妨げにつながったと回答する人が相次いだ。


当時、300人以上の検視にあたった東北医科薬科大学の高木徹也教授は、「津波に砂や泥が混じると、重くなって体への負荷が増すうえに、気管に詰まりやすく、窒息も起こしやすい。“黒い津波”となって押し寄せたことが、死者を増やした要因になったのではないか」と話している。

 

出典

死者増に“黒い津波影響” 8割

https://www3.nhk.or.jp/tohoku-news/20190303/0004724.html 

 

 

34日付でNHK NEWS WEBからは、3321時から放映されたNHKスペシャルの内容が下記趣旨でネット配信されていた。

 

「黒い波」。

東日本大震災で津波を目撃した人たちが口にする言葉です。

 

波が黒くなった要因のひとつは、海底の土砂。

宮城県気仙沼市では、津波が湾の入り口付近の海底を掘り下げ、大量の土砂とともに一気に陸上に押し寄せ、被害を拡大させました。

 

また、「黒い波」に人が巻き込まれると、土砂などの異物が肺へと入り込み、「津波肺」と呼ばれる重篤な肺炎を引き起こすことも分かりました。

 

ほかにも、健康被害を訴える声をよく耳にします。 

震災からまもなく8年。

津波や医療の専門家たちは、今、「黒い波」に着目し、土砂が混じった津波がどのように威力を増し、どう人体に影響するか、次の巨大災害に備えるべく解析を始めています。

 

NHKでは、「黒い波」の取材チームを結成。

ただの海水ではない「黒い波」が押し寄せる津波の脅威について、皆さんからの情報提供をもとに掘り下げていきます。

 

 

『黒い波 ~津波の新たな脅威とは~』

 

人々が証言する「黒い波」

「黒い、恐ろしいものが押し寄せてきた」
「想像できないほど黒い水だった」

 

2011年3月11日。

東日本大震災の経験者は、「黒い波」という言葉で、あの日の津波を表現する人が目立ちました。

 

(当時の写真;転載省略)

 

なぜ、あれほど黒かったのか。

そして、黒くなることで、どのような影響があったのか。

 

震災発生からまもなく8年。

私たちは取材チームを立ち上げ、検証を始めました。

 

 

【最新シミュレーションで「黒い波」に迫る】

 

津波の深刻な被害を受けた宮城県気仙沼市は、住宅の半数近くが被災し、1400人以上が犠牲になりました。

 

なぜ、ここまで被害が拡大したのか。

 

東北大学災害科学国際研究所の今村文彦教授たちのグループは、スーパーコンピューターを使った最新のシミュレーション技術で検証しました。

 

すると、湾の狭くなった部分に津波の猛烈な流れが集中し、海底の土砂を掘り下げていたことが分かりました。

 

(シミュレーション画像;転載省略)

 

シミュレーションでは、その深さはおよそ6m。

湾の入り口が掘り下げられたことで、津波の巨大な通り道ができていたのです。

 

この結果、津波は海底の土砂を巻き込みながら陸地の奥まで押し寄せ、被害を拡大させていました。

 

「これまでは津波は海から来る水だと考えられていたが、実際は黒い水だった。その結果、被害は拡大していた」(今村文彦教授)

 

 

【「黒い波」は燃料タンク流出にも影響か】

 

勢いを増した気仙沼市の「黒い波」は、沿岸に設置されていた燃料タンクの流出にも影響を及ぼしたと見られています。

 

気仙沼市では、23基あるタンクのうち22基が流出。

海底の土砂が掘り下げられたことで、湾の狭くなった部分に流れが一気に集中。

それに引っ張られるように津波は速度をあげ、タンクを引き倒していったと見られます。

 

タンクから漏れ出した油は1万kℓあまり。

引火したことにより、気仙沼の街は火に包まれてしまいました。

 

(当時の画像;転載省略)

 

 

【人体への影響も深刻な「黒い波」】

 

海底の土砂や、油などの化学物質が混ざった「黒い波」がひとたび人体に入り込むと、命を脅かす深刻な状況をもたらすことも分かってきました。

 

石巻赤十字病院には、津波に含まれた砂や泥などを吸い込んでしまった患者が相次ぎました。

 

これらの物質は肺の奥まで入り込み、「津波肺」と呼ばれる重い肺炎を引き起こしていたのです。

 

せっかく津波から助かったにも関わらず、命を落とす人も出たのです。

 

これ以外にも、空気中に舞った土ぼこりで健康に影響が出たり、漂流物にぶつかった後遺症が残ったりしたことへの影響を指摘する人もいます。

 

(レントゲン写真;転載省略)

 

出典

『NHKスペシャル 黒い津波 知られざる実像』

https://www3.nhk.or.jp/news/special/shinsai8portal/kuroinami/

 

 

 

(ブログ者コメント)

 

〇NHKスペシャルの番組中、以下のような情報も流されていた。

・保管されていた黒い水を分析したところ、ヘドロが10%含まれていた。
場所によっては20%、30%のところもあったかもしれない。

・ただの海水は先端が平らな状態で押し寄せるが、黒い津波の場合、密度が高いため、波の底は海底部分で摩擦を受け、結果、波は盛り上がるように押し寄せて、衝撃力が強くなる。

・また、普通の住宅は2~3m水に浸かると浮力で浮き、流されることがわかっているが、密度の高い黒い津波の場合は浮力も大きく、1~1.5m浸かっただけでも流される。

 

〇ブログ者は、津波の映像は数多く見てきたが、この番組を見るまでは、透き通った海水と一緒に瓦礫などが流されていて、黒く見えるのは流出した重油などのせいだろう・・・程度の認識しか持っていなかった。

 

 

 

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201191日に掲載した元記事がプロバイダーの字数制限オーバーとなりましたので、ここに新情報を第2報修正4として掲載します。

第1報は下記参照。

http://anzendaiichi.blog.shinobi.jp/Entry/698/

 

 

(2018年6月6日 修正4 ;追記)

 

20185311430分にNHK神奈川から、市の訴えは棄却されたという、下記趣旨の記事がネット配信されていた。(新情報に基づき、第1報ともどもタイトルも修正した)

 

東日本大震災の影響で音楽ホールのつり天井が落下したのは、設計業者らの取り付け方法が原因だったとして、ホールを所有する川崎市が業者ら8社に対し損害賠償を求めた裁判で、横浜地裁は31日、「落下の原因が金具の破断と断定することはできない」などとして、訴えを棄却した。


川崎市が所有する音楽ホール「ミューザ川崎シンフォニーホール」は、7年前の東日本大震災で、けが人はなかったが、つり天井がはがれ落ち、ステージや客席が壊れる被害が出た。


この事故について川崎市は、天井をつり下げていた金具が安全を確保する基準より広い間隔で取り付けられていたことなどが原因だったとして、設計担当や工事担当の業者、合わせて8社に対し20億5000万円余りの損害賠償を求める裁判を5年前に起こしていた。


31日の判決で横浜地裁の石橋裁判長は、「天井の落下の原因は、金具の破断によるものだと断定できないうえ、金具を使ったことに安全性を損なう瑕疵があったとはいえない」と指摘し、訴えを棄却した。

 

出典

音楽ホール天井落下 川崎市敗訴

https://www3.nhk.or.jp/lnews/yokohama/20180531/1050002649.html 

 

 

5311950分に神奈川新聞からも、同趣旨の記事がネット配信されていた。

 

訴訟で市側は、つり天井を支えるボルトやフック状金具の設置間隔をもっと狭めるべきだったと主張したが、裁判長は「建築当時、そのような技術水準があったとは認められない」と指摘。

 

さらにフック状金具の耐久性についても、想定地震時に受ける慣性力との比較で問題はないとし、「フック状金具を用いたことは瑕疵に当たらない」と述べた。

 

訴訟では、同ホールを本拠地とする東京交響楽団(東響)と所属演奏家も、公演会場の変更を余儀なくされたため不必要な経費負担や逸失利益があったとして、UR側に約1億4000万円の損害賠償を求めていたが、同様に棄却された。

 

出典

『ホール天井崩落、川崎市が敗訴 地裁「建築主に過失なし」』

https://www.kanaloco.jp/article/335444/ 

 

 

61日付で東京新聞神奈川版からは、下記趣旨の解説的記事がネット配信されていた。

 

事故を巡り、市などが建築主らに損害賠償を求めた裁判で、横浜地裁は31日、請求を棄却した。

 

震災では、つり天井の崩落事故が多発。

後に法令上の安全基準が設けられたが、費用の負担がネックになり、音楽ホールの対策は遅れているとみられている。

 

震災当時、つり天井などの内装材は「地震の震動で脱落しないようにする」とされるだけで、具体的な構造基準の規定はなく、全国でつり天井が落ちる事故が約2000件発生。

九段会館(東京都千代田区)では、死傷者が出た。

 

このため国交省は、震災後、面積が200m2を超える場合などは、国の仕様を守るか、落下防止策を取ることを義務づけた。

 

学校の体育館に関しては文科省が、安全性を優先させて原則、撤去する方針を提示。

 

音楽ホールは、音響効果を計算して取り付けられているため、撤去するわけにいかず、後手に回っている施設もあるという。

 

国交省の担当者は、「昨年度に補助金を増やしたが、改修費を完全にカバーできるわけではないだろう」と話した。

 

出典

ミューザ事故、地裁が請求棄却 音楽ホールの対策に遅れ

http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201806/CK2018060102000152.html 

 

 

 

(2019年11月21日 修正5 ;追記)

 

2019112150分に神奈川新聞からは、高裁に控訴を棄却された川崎市は上告を断念したという、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

 

2011年の東日本大震災でミューザ川崎シンフォニーホールのつり天井の一部が落下したのは施工不良が原因だとして、川崎市が建築主の都市再生機構(UR)と清水建設など施工業者7社に約20億5千万円の損害賠償を求めた訴訟で、川崎市は20日、請求を退けた東京高裁判決について上告を断念すると発表した。

福田紀彦市長は「上告しても有利な結果を得られる可能性が極めて低いという現実的な判断から断念した」とコメントした。

18年5月の一審横浜地裁判決は「建物の基本的な安全性を損なう瑕疵(かし)はない」と判断し、市側の請求を棄却。

 

今月7日の高裁判決もこれを支持し、市側の控訴を棄却していた。

同ホールを本拠地とする東京交響楽団と所属演奏家も、公演会場の変更を余儀なくされたため不必要な経費負担や逸失利益があったとして、UR側に約1億4千万円の損害賠償を求めていたが、同様に上告を断念した。

 

https://www.kanaloco.jp/article/entry-210057.html

 

 

 

 

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2016111日に掲載した第3報がプロバイダーの字数制限オーバーとなりましたので、ここに新情報を第4報として掲載します。

第3報は下記参照。

http://anzendaiichi.blog.shinobi.jp/Entry/6420/

 

 

(2017年7月26日 修正11 ;追記)

 

20177181831分に産経新聞から、東京地検が異例の再捜査をしていたが不起訴になったという、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

 

業務上過失致死傷罪に問われた石川県の1級建築士(70)を逆転無罪とし、設計の総括責任者ら3人の責任に言及した東京高裁判決を受け、異例の再捜査をしていた東京地検は、18日までに3人を嫌疑不十分で再び不起訴とした。


これで、書類送検された4人全員の刑事責任が認定されず、捜査は終結した。

 

地検は、1級建築士が変更した設計内容を総括責任者ら3人が十分に確認していたかなどを中心に再捜査を進めてきたが、「(3人を不起訴とした)当初の判断を覆すだけのものはなかった」(検察幹部)といい、3人の刑事責任を問うのは困難と判断した。

 

事故は平成23年3月11日、震度5弱~5強の揺れでスロープが崩落して発生。

2人が死亡、6人がけがをした。

 

東京地検立川支部は25年12月、設計ミスがあったとして1級建築士を起訴する一方、総括責任者や前任の建築士ら3人は嫌疑不十分で不起訴とした。

 

東京地裁立川支部は28年2月、設計変更を総括責任者に確実に伝えなかった過失を認め、1級建築士に禁錮8月、執行猶予2年の判決を言い渡した。

 

だが、2審東京高裁は、1級建築士は設計変更を書面で総括責任者らに伝えており、説明義務は果たしていたと指摘。

1審判決を破棄、逆転無罪を言い渡した。

むしろ、総括責任者にも同等の責任があり、前任の建築士にはより大きな責任があると言及していた。

 

1級建築士の弁護人は産経新聞の取材に、「高裁では3人の過失が指摘されたのに、捜査が終わってしまうのはおかしい。手抜き工事は誰の目からも明らかで、真相が分からないままだと遺族が納得しないのではないか」と話した。

 

出典

『コストコ崩落事故で高裁判決が責任言及 設計責任者ら3人再び不起訴 東京地検、異例の再捜査』

http://www.sankei.com/affairs/news/170718/afr1707180014-n1.html 

 

 

 

 

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2016121050分に朝日新聞から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

(今回の情報で過去のコストコ記事タイトル修正忘れに気付き、修正した)

 

東京地検が異例の再捜査を始める「コストコ多摩境店」(東京都町田市)の駐車場スロープ崩落事故。

業務上過失致死傷罪で起訴され無罪が確定した1級建築士Tさん(70)は、真相解明に期待する一方、振り回された捜査に疑問も感じている。

 

1月下旬、Tさんは、石川県野々市市にある自身の建築事務所で、新しい設計の仕事に取りかかっていた。

 

東京高裁で無罪判決を受けてから約1カ月。

「幸い、仕事は減らなかった。設計ミスではなく施工ミスだと説明し、取引先は分かってくれたが、検事は理解してくれない。誰かを起訴しないと都合が悪く、私が一番起訴しやすかったのだろう」

 

同店の設計に関わったのは、15年前の2001年12月。

知り合いのコストコ担当者から、「当初の設計では、工期も費用も間に合わない。設計を引き継いでほしい」と依頼された。

 

着工予定まで1カ月ほどで、一度は断ったが、「前任者がつくった設計図を手直しするだけでいい。他の設計者との協議もしなくていい」と言われ、引き受けたという。

 

11年3月の東日本大震災で事故が起きて2日後、現場を見て唖然とした。

建物とスロープをコンクリートでつなぐ一体構造の設計にしたはずなのに、接合部はきれいに分断されていた。

「設計通りに施工されていない」と感じた。

 

「まさか起訴されないだろう」と、警察や検察の取り調べは1人で対応した。

起訴されて初めて、地元の弁護士に依頼。

公判が始まり、弁護人が「設計のどこが間違っているのか」と重ねて説明を求めると、検察は、当初の起訴内容を変更した。

 

主任を務めた細見弁護士は、「検察は、本来起訴すべき相手を間違えた。訴因変更の段階で捜査をやり直すべきだった」と指摘する。

 

今年2月の一審は有罪判決。

その日の夕方、ともに事務所を切り盛りしてきた妻が倒れた。

病床で「無一文になってもいいから闘って」と言い続けていたが、一度も退院することなく、6月に亡くなった。

「無罪を報告できず、一生の心残り。検察は正しい捜査をしてほしい」と話している。

 

 

業務上過失致死傷の罪に問われた被告が無罪になるケースが目立つ。

原因や過失の特定が難しい一方、遺族からは真相解明と処罰を求められ、難しい捜査を迫られることが背景にある。

 

スロープ崩落事故の捜査は迷走した。

東京地検立川支部は、当初、Tさんの設計に過失があるとしたが、初公判後に弁護人の指摘を受けて起訴内容を変更。

他の担当者に設計内容を適切に伝えなかった配慮義務違反を問う内容にした。

 

東京高裁はTさんを無罪とする一方、それ以外の担当者の責任に触れた。

 

 

東京都港区で、2006年、高校2年生がシンドラー社製のエレベーターに挟まれて死亡した事故では、東京地裁は、業務上過失致死罪に問われた保守点検会社の幹部らを有罪とする一方、シンドラー社元課長は「事故を予測できなかった」と、無罪にした。

 

札幌市で10年に認知症高齢者向け施設が全焼し、7人が死亡した火災でも、業務上過失致死罪に問われた運営会社代表に、札幌地裁が無罪を言い渡した。

「原因が特定できない」という理由だった。

 

ある検察幹部は、「複数人が関係する事故は、過失責任の認定が難しい。事故原因の特定も専門家の鑑定に頼る部分があり、意見が分かれることが多い」と話す。

 

一方、業務上過失致死傷事件に詳しい山本憲光弁護士は、「個人にしか罰を科せられない同罪の限界がある」と、問題提起する。

警察や検察の捜査で明らかになる事実が多い一方、処罰をおそれて、関係者が口を閉ざすことも多いという。

 

「真相解明や遺族、社会の納得のためには、企業などの法人を処罰できるようにするとともに、捜査対象者個人の刑事免責を可能にすることも検討する必要がある」と話している。

 

 

 <コストコ事故> 

 

東日本大震災で、震度5弱から5強の揺れがあった東京都町田市の「コストコ多摩境店」で、建物本体と鋼板で接合されていたスロープが崩落し乗用車3台が下敷きになり、夫婦2人が死亡、6人が負傷した。

 

2013年12月、東京地検立川支部は、接合部の設計に問題があったとして、構造設計を担当した1級建築士を起訴。

一審・東京地裁立川支部は有罪としたが、東京高裁は、今年10月、逆転無罪を言い渡し、確定した。

 

出典

「検察は正しい捜査を」 コストコ・スロープ崩落、無罪の建築士

http://digital.asahi.com/articles/DA3S12699574.html?rm=150

 

 

 

(ブログ者コメント)

 

コストコ事例については、本ブログで数件、情報を掲載しているが、今回の情報で、東京地検が異例の再捜査に乗り出した意味が、より理解できた。

 

 

 

 

 

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20131229日に掲載した元記事がプロバイダーの字数制限オーバーとなりましたので、ここに新情報を第3報修正9として掲載します。

第2報は下記。

http://anzendaiichi.blog.shinobi.jp/Entry/3559/

 

 

(2016年11月1日 修正9 ;追記)

 

2016101472分に産経新聞から、設計者が2審で逆転無罪の判決を受けたという、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

1014225分に毎日新聞からも、同趣旨の記事がネット配信されていた。

(これまでの情報に基づき、第1報第2報ともども、タイトルも修正した)

 

スロープを設計した1級建築士で、業務上過失致死傷罪に問われた被告(69)の控訴審判決公判が13日、東京高裁で開かれた。

裁判長は、1審有罪判決を破棄し、無罪を言い渡した。

 

判決によると、被告は、建物とスロープを耐震性の高い床でつなげるよう設計。

しかし、実際の工事では、耐震性の低い鋼板だけでつながれていた。

そのため、震災で崩落した。

 

1審東京地裁立川支部は、「被告は、床でつなぐという自身の設計を、設計の総括責任者らに十分に説明しないと設計とは異なる工事が行われる危険があったのに、説明義務を怠った」として過失を認定。禁錮8月、執行猶予2年(求刑禁錮1年6月)とした。

 

しかし、東京高裁は「被告は、設計内容を書面で総括責任者らに伝えており、説明義務は果たしていた。むしろ総括責任者らの側に、被告の設計内容を確認すべき義務があった」と指摘した。

 

この事故では、警視庁が被告や総括責任者ら計4人を書類送検。

東京地検立川支部は、平成25年、被告を起訴し、他の3人は不起訴とした。

 

検察は当初、被告の設計ミスで事故が起きたとして起訴したが、その後、弁護側から反論され、正確な設計図をつくったものの、関係者に内容を確実に伝える配慮義務を怠ったと、起訴内容を変更した。

 

被告を有罪とした1審判決も、前任の構造設計担当者の責任について、「(被告よりも)相当程度大きい」と、異例の言及をしていた。

 

判決後に会見した被告は、「死傷者がおり、手放しで喜べないが、司法の良識を再確認した。ほっとした」と話した。

 

弁護団は、「なぜ設計通りに施工されなかったのかは不明のままだ。検察官は真相を解明し、起訴すべき人間を起訴すべきだ」と述べた。

 

出典

コストコ崩落、逆転無罪 「建築士、説明義務果たす」 東京高裁

http://www.sankei.com/affairs/news/161014/afr1610140004-n1.html

『コストコ崩落事故 1級建築士、逆転無罪 東京高裁判決』

http://mainichi.jp/articles/20161014/k00/00m/040/079000c

 

 

102804分に共同通信から、無罪が確定したという、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

10251459分に産経新聞からも、同趣旨の記事がネット配信されていた。

 

東京高検は、27日、業務上過失致死傷罪に問われた被告を逆転無罪とした東京高裁判決について、上告を断念したと発表した。

上告期限の28日午前0時に無罪が確定した。

 

高検は、憲法違反や判例違反といった上告に必要な理由がないと判断したもよう。

 

(出典)

震災崩落、建築士の逆転無罪確定 東京高検が上告断念

http://this.kiji.is/164286533018206217?c=39546741839462401

コストコ崩落事故、建築士の逆転無罪確定へ 東京高検が上告断念方針

http://www.sankei.com/affairs/news/161025/afr1610250024-n1.html

 

 

 

(2016年11月24日 修正10 ;追記)

 

201611231141分に朝日新聞から、無罪判決を受けた被告以外の関係者が再捜査されるという、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

 

東京高裁判決を受けて、東京地検が再捜査に乗り出すことが分かった。

判決は他の関係者の責任に言及しており、1級建築士以外の過失の有無を調べ直す。

 

検察審査会の判断などで再捜査することはあるが、無罪判決を受けて再捜査を始めるのは異例のことだ。 

 

「明らかな人災。2人が亡くなった事故で誰も罪に問われないのは放っておけない」。

検察幹部は、再捜査の理由をそう説明する。

震源から離れた東京都町田市で事故が起きたのは、建物の構造設計に欠陥があったことが明白だとみている。

 

設計の途中で建築士が交代し、複数の建築士が関わっていたことで、当初の捜査は混迷。

別の検察幹部は、無罪判決の後、「起訴の対象を絞りすぎてしまった」と判断ミスを認めた。

 

「一事不再理」の原則から、無罪が確定した1級建築士が改めて起訴されることはない。

一方、不起訴になった関係者の刑事責任を問うことは可能だ。

 

ただ、設計当時から約15年がたち、捜査は難航が予想される。

業務上過失事件に詳しい高井康行弁護士は、「捜査を見直す姿勢は評価できる。ただ二度の失敗は許されず、慎重な捜査を求めたい」と話している。

 

出典

コストコのスロープ崩壊、再捜査へ 無罪判決で東京地検

http://www.asahi.com/articles/ASJCQ5Q4FJCQUTIL05Q.html

 

 

 

 

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2014102365分にNHK水戸から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

 

東日本大震災で一部が崩落した旧鹿行大橋について、腐食が進んでいた橋脚の鋼管が地震の揺れで破断したのが原因とみられるとする報告書を、県がまとめていたことが分かった。


昭和43年に建設された鉾田市と行方市を結ぶ旧鹿行大橋は、東日本大震災で、中央部分がおよそ60mにわたって崩れ落ち、車で通行していた男性が転落して死亡した。


この橋の崩落の原因について、橋を管理する茨城県が、報告書をまとめていたことが、NHKの取材で分かった。


報告書によると、崩落の原因について、「設計当時の想定を超える地震の揺れで、橋脚の鋼管が破断し、橋桁が落下した」としている。
また、破断の原因について、水中にあった鋼管の溶接部分で腐食が進み、強度が弱くなっていたことが考えられるとしている。


県の担当者は、「隣に新しい橋の建設を進めていたために耐震性を高める工事は行っていなかった。遺族には原因を丁寧に説明したい」と話している。


また、亡くなった男性の遺族は、「点検や管理をもう少し実施できたのではないか。このような悲しい思いをほかの人がすることのないよう、しっかり対策をしてほしい」と話している。

 

出典URL

http://www.nhk.or.jp/lnews/mito/1075610671.html?t=1414014746992

 

 

20141024日付で毎日新聞茨城版からは、腐食の影響という点で、若干ニュアンスの異なる下記趣旨の記事がネット配信されていた。

 

東日本大震災で全国で唯一、橋崩落に伴う死者を出した霞ケ浦の北浦にかかる旧鹿行(ろっこう)大橋について、橋本知事は23日の定例記者会見で、崩落の原因を「設計当時の想定基準を超える揺れ」とする報告書をまとめたことを明らかにした上で、「設計基準を満たしており、県の責任はない」と述べ、管理責任を否定した。


県は2013年4月、崩落した橋桁などを引き上げ、コンサルタント会社に委託して事故原因を調べていた。

県道路維持課によると、崩落しなかった橋桁のくいを調べたところ、日本工業規格(JIS)を満たしており、基準をクリアしていた。


さらに、腐食など老朽化との関連性を調べるため、シミュレーションを実施。

東日本大震災と同規模の揺れを受けた場合、建設直後の同橋でも崩落の可能性があるとの結果が出た。

このため、報告書は、「想定を超える揺れが崩落の原因」と結論付けている。


橋本知事は、「(崩落を)想定することは不可能だった。遺族には分かりやすく説明したい」と述べた。

補強対策の不備を問われると、「義務的な対策は怠っていない」と答えた。


鉾田市と行方市を結ぶ旧鹿行大橋は1968年に開通。全長は約404m。

大震災では、中央部の橋桁3カ所(計約58m)と橋脚2カ所が崩落し、鉾田市の男性(当時61歳)が自動車ごと転落して死亡した。

 

出典URL

http://mainichi.jp/area/ibaraki/news/20141024ddlk08040159000c.html

 

 

 

(ブログ者コメント)

 

ブログ者は、崩落前の橋を、新規建設中の橋を横目に見ながら、何回か通ったことがある。

1車線で橋の途中に何箇所かふくらみがあり、そこで対向車とすれ違うシステムで、いかにも古そうな橋だった。

もうすぐお役御免になる古い橋。

明らかに危険だと判断される理由でもない限り、耐震性アップ工事は困難だったのかもしれない。

 

 

 

 

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201491378分にmsn産経ニュース岩手から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

 

東日本大震災からの復興工事が本格化する中、水道管の破損が増加している。

 

大型ダンプカーの交通量が急増し、埋設された水道管の傷みが激しくなっていることや、元の水道管の位置が把握しにくい更地での工事で、誤って傷をつけてしまうことなどが原因という。

人手不足から修理に時間がかかるケースもあり、各自治体は対応を迫られている。
                    

6日午後5時、釜石市の国道45号と国道283号の交差点が水浸しになった。

土砂を大量に積み込んだ大型ダンプカーなどの荷重で水道管がたわみ、コンクリート土台の境目部分に大きな力がかかり、亀裂が入ったとみられている。

 

市水道事業所は、「水道管の中には年数がたっているものも多い。市が管理する市道に比べ、国道では震災前から水道管の交換が進んでいなかった」という。


国交省東北地方整備局三陸国道事務所によると、釜石市の大型車の交通量は、震災前の平成22年度で1日平均1200台だったのに比べ、25年度は1日平均2600台と倍以上に増加している。


修理工事が始まったのは丸1日以上たった7日午後8時。

復興工事による人手不足の影響で工事業者と交通誘導員の確保が難しく、その日のうちに工事ができなかった。

 

増えている交通量に配慮して夜間工事になったことも、遅れの要因の1つだった。

「復興工事に誘導員が抱え込まれ、突発的な工事には人が集まらない」(釜石市)と担当者は頭を抱える。


釜石市では、直近の約1カ月で約5件の水道管の破損事故が起きている。電柱の施設工事や盛り土工事の際に重機で傷をつけることが多いという。

市の担当者は、「建物が何も無くなっている場所では、業者も水道管の位置の認識が難しいのではないか」と話す。


山田町でも、住宅などの基礎の撤去工事があれば、工事期間中に数件の破損が生じるという。

同町では事前に仮設の配管を設置して、水道管破損による漏水に備えている。


被災地では、かさ上げ工事で一時的に道路の形が変わるなど、インフラ環境がめまぐるしく変化している。思わぬ事故も起きかねない状況に、各自治体とも対応に苦慮している。

 

出典URL

http://sankei.jp.msn.com/region/news/140913/iwt14091307080001-n1.htm

 

 

 

 

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化学関係の工場で約20年、安全基準の制定、安全活動の推進、事故原因の究明と再発防止策立案などを担当しました。
その間、ずっと奥歯に挟まっていたのは、他社の事故情報がほとんど耳に入ってこなかったことです。
そこで退職を機に、有り余る時間を有効に使うべく、全国各地でどのような事故が起きているか本ブログで情報提供することにしました。
また同時に、安全に関する最近の情報なども提供することにしました。

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