2014年10月5日20時55分に産経新聞から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
「2つのサインを見逃した…」。
御嶽山で噴火に見舞われ、山頂付近から生還した長野県伊那市の山岳写真家、津野祐次さん(68)は、登り慣れた霊峰の登山道で、普段とは異なる2つの自然現象に遭遇していた。
突然に晴れた濃霧、腐った卵のような強烈な臭い。噴火の前兆だった可能性もあり、津野さんは「油断があった」と後悔を語った。
御嶽山が噴火した9月27日。津野さんは朝、長野県側の黒沢登山口から頂を目指し、濃い霧が立ちこめる登山道を進んだ。
視界は50mほど。噴火の約40分前となる午前11時10分ごろに8合目半を過ぎた。
「わー、きれいだね」。登山者たちがそろって歓声を上げた。
立ち込めていた霧が一気に晴れ、澄んだ青空がのぞいた。
「こんなこともあるんだな」。20年以上前から年に10回ほど御嶽山に登り続けているが、初めての経験だった。
いつもと異なる現象は続いた。
噴火30分前。8合目半から200mほど進んだときだ。
不意に、卵が腐ったような臭気が鼻を突いた。
「いつもよりきついな」。1kmほど西の「地獄谷」と呼ばれる急峻な谷では、いつもこの臭気がただよっている。
「風に乗って、こちらまで流れてきたのかな」
その30分後、頂上まで残り200mほどの地点に立つと、薄黒い夏の積乱雲のような大きな雲が頂きを覆っていた。
登山者たちは一様に、その異様な光景を見上げていた。
噴煙だった。
そう気づくや否や、「パチーン」と花火のような乾いた音が響いた。
山頂付近にいた登山者らは助け合いながら、急いで下山を始めた。
「年配の方どうぞ!」「子供は先に!」。背後から巨大な壁のような噴煙が迫る。山小屋に逃げ込む人、さらに下る人とさまざまだった。
煙に追いつかれた。真っ暗だった。熱い砂が舞っていた。周囲で雷鳴が何度もとどろいた。じっと伏せて待った。「我慢できる限界の暑さだった」。
煙が晴れた。
近くにいた男性は「子供とはぐれてしまった」と再び山頂へ向かった。津野さんは近くの山小屋へ一時避難し、無事に下山した。
「今思えば、僕は2つのサインを見逃した。あのとき気づくべきだった」
津野さんが当時携えていたカメラには火山灰がこびりついていた。悔しそうに続ける。
「霧が晴れたのは噴火直前に山が温まり霧を消したのではないか。臭いにも注意すべきだった」
御嶽山は35年前の昭和54年にも噴火している。死者こそ出なかったものの、大量の火山灰被害が出た。
翌年には日帰り登山が、さらにその翌年には山小屋での宿泊も再開した。
噴火後、火山に登山する際の注意を呼びかけるチラシが登山者に配られたという。
いつしかその教訓は、風化していたかもしれない。
津野さんは「僕自身を含め危険な山という認識は薄れていた。今後、この山とどう関わっていくのか見つめ直すためにも、僕は今回の体験を語り継いでいかなければならない」と話した。
火山に詳しいNPO法人「防災情報機構」の伊藤和明会長の話;
「登山者が証言する強烈な臭気は、地上に近づいたマグマから二酸化硫黄が噴出するなどした現象を感じていた可能性があり、噴火の予兆だったとも考えられる。濃霧が突然晴れるのを見た人もいるようだが、一般的な気象の変化とも受け止められる。数時間前に白い噴気を目撃したとの情報もあり、結果的に噴火の前兆だったとされる現象は多いが、一般の登山者が気づくのは困難だ」
出典URL
http://www.sankei.com/affairs/news/141005/afr1410050036-n1.html
(ブログ者コメント)
『5感を研ぎ澄ませて現場の異常兆候を早期に発見せよ』とか、『過去の事例がいつしか風化して事故が再発した』という話しは、産業現場でもしばしば耳にするところだ。
(2014年10月23日 修正1 ;追記)
その後、同様な異変を感じていた人が複数いたという、以下の情報が報道されていた。
2014年10月23日掲載
2014年10月13日報道 御嶽山噴火前に複数の異変を山に詳しい人たちが感じていたが、そういった情報が気象庁には届かず
http://anzendaiichi.blog.shinobi.jp/Entry/4365/
その間、ずっと奥歯に挟まっていたのは、他社の事故情報がほとんど耳に入ってこなかったことです。
そこで退職を機に、有り余る時間を有効に使うべく、全国各地でどのような事故が起きているか本ブログで情報提供することにしました。
また同時に、安全に関する最近の情報なども提供することにしました。