2024年3月31日7時0分に産経新聞から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
元日に発生した能登半島地震では、空路、鉄路、海路、陸路とあらゆる交通網が寸断され、救援や支援の手が阻まれた。
被害が甚大だった奥能登地域まで到達できたのは道路のみ。
通行できるのかどうかも定かではないなか、現地では少しでも道路をつなげるため、あらゆる工夫が重ねられた。
その工夫の一つが周回約18キロに及ぶ巨大な〝ラウンドアバウト〟だった。
【阻まれた救援】
「1分1秒でも早く着くことが重要だったが、我慢の時間が続いた」。
堺市消防局の担当者は、こう悔しさをにじませた。
特別高度救助隊も抱える同局は、発生当日に組織された緊急消防援助隊の大阪府大隊に参加。
発生から翌日の1月2日早朝、金沢市内に到着したが、大きな壁が待ち構えていた。
土砂崩れ、崩落、陥没、亀裂と大きく損傷し、寸断された道路。
救援に入る大型の緊急車両は到底通れない。
先遣隊を出して状況確認を進めたが、通信環境も悪く、情報共有もままならない。
2日のうちに奥能登にたどり着けなかった。
宿営地の金沢市内に戻り、活動拠点となった輪島市内に着いたのは3日夜。
走行できても道の損傷は激しく、通常2時間台の道のりに9時間かかった。
同局担当者は「道に関する情報がなかったことが厳しかった」と振り返った。
【車の流れを優先】
発生直後、「のと里山海道」や「能越自動車道」などの自動車専用道は被災して通行止め。
奥能登に大型車が通行できる道は七尾市から穴水町に通る国道249号に限られたが、土砂崩れや亀裂の発生で片側交互通行を余儀なくされた。
早急に通行可能な道を示すことが課題だった。
石川県は2日から、ホームページ上で「アクセスルート」の公開を始める。
ただ、輪島市中心部に向かう県道1号が「調査中」として点線とするなど、道路状況は集約しきれていなかった。
県道路整備課の福村参事は、「迂回(うかい)路を使いながらでも通れる道を地図に示した」と話す。
4日昼、奥能登の道路一帯での一方通行規制が始まった。
約18キロの楕円形の道のりを一周する形で、時計回りに走行しながら目的の方向に抜ける形だ。
石川県警内に組織された「災害警備本部交通対策班」からの提案だったという。
県警の担当者は、ねらいを「『ラウンドアバウト』が発想にあった」と明かす。
ラウンドアバウトとは、走行部分をドーナツ状にした交差点のことで、環状交差点とも呼ばれる。
車両は左折して進入し右回りに流れ、自分が行きたい方向に抜ける。
国内では平成26年9月から本格運用が始まり、石川県内でも5カ所あるという。
その考えを応用した。
道路損壊などで片側車線しか走行できない箇所が多数発生し、交互通行を行えば、渋滞が発生する。
一方通行規制で車列を流すことを優先したのだ。
【大雪にも対応】
石川県内で1月中に3度見舞われた大雪も道を阻んだ。
ここで取った対応は「予防的通行止め」だった。
7日、15日、23日は、いずれも夜から積雪が予想されたため、アクセスルートとした区間を中心に翌日早朝まで通行止めにし、集中除雪を行った。
「予防的通行止め」は近年浸透した、大雪で発生する幹線道路での車の立ち往生を防ぐ方策だ。
県道路整備課の福村参事は、「(走行可能部分も)地震による亀裂や段差などが発生していた状況から、より慎重な除雪が必要と判断し、積雪が増える前に除雪を実施した」と説明する。
国とも連携しながら道路復旧を進め、一方通行規制を減らしてきた。
2月2日からは、片側通行が可能になった自動車専用道を迂回路として活用、対面通行化できていなかったアクセスルートの一部を通行止めにし、一気に復旧工事を進めた。
3月15日からは自動車専用道が、一方通行規制を残しながらも、全線で通行を再開。
福村参事は、「復旧から復興に向けたルートがつながった。孤立集落は生まないような道路づくりにつなげていきたい」と話した。
https://www.sankei.com/article/20240331-OH7Z6BYFRRI7RE7ASBTURXL2DM/
その間、ずっと奥歯に挟まっていたのは、他社の事故情報がほとんど耳に入ってこなかったことです。
そこで退職を機に、有り余る時間を有効に使うべく、全国各地でどのような事故が起きているか本ブログで情報提供することにしました。
また同時に、安全に関する最近の情報なども提供することにしました。