今日はブログ者にとって運命の日、7月7日だ。
あの日、ブログ者さえ勤務していなければ・・・いや、そもそも、1年前にブログ者さえ入社していなければ、あの未曽有の大事故は起きなかった。
本日から掲載する、この記事は、掲載すべきか止めるべきか、今の今まで大いに迷ったが、あの事故を風化させてはならない・・古びた情報でも、現在、産業現場で働く人たちの事故防止に何らかの形で役立つかも・・・との思い捨てがたく、掲載することにした。
【はじめに】
1973年(昭和48年)7月7日の夜、山口県徳山市(現;周南市)のI社石油化学工場第2エチレン装置で火災が発生した。
原因は、アセチレン水添塔でエチレンの接触分解反応が起こり、出口配管が高温となって、ついにはフランジが開口してしまったことだ。
その際、色が赤変したフランジに現場で対応していたN氏が死亡した。
装置内には液化石油ガスが大量にあったため、火災は4日間続き、その間、工場の横を通る国鉄(現;JR)山陽本線はストップ。
後の高圧ガス取締法(当時の呼称)改正などにつながった大事故であった。
詳細は、以下の「失敗知識データベース・失敗100選」参照。
http://www.shippai.org/fkd/hf/HC0000040.pdf
当該資料中、そもそものキッカケは装置が緊急停止したことであり、その原因はバルブの誤操作だったことが、以下のように記されている。
※IAは計装用空気の略。
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2.経過
18時 50分頃、計器室の計器類が一斉に不調になった。
制御担当運転員は直ぐに原因は掴めず、緊急停止作業に入った。
フィールド担当運転員が、ある分解炉のデコーキングを行うため、作業用空気配管(以下 YA)の 6インチバルブを開け、2インチのバルブを閉めに行き、誤って 2インチバルブではなく、6インチバルブの近くの 4インチ IAバルブを閉めた。
そのため、制御計器類が failure positionに動き、装置は緊急停止となり、フレアスタックから黒煙が上がった。
黒煙に驚いたその運転員は IAバルブを開に戻した。
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閉めるべきバルブを間違えて、YA の替わりに IA を停止したことが最初のトリガーである。
典型的なヒューマンエラーで片づけることもできる。
しかし、ここで考えなければならないのは、何故ヒューマンエラーを起こしたか、防止できなかったのかである。
図4に関連する配管とバルブの位置を示す。
100m 離れたバルブを取り違えた原因は分からないが、設備のあり方や管理の状態について、いくつか指摘できる。
先ずバルブの位置であるが、全てラック上に配置されている。
エチレン装置のデコーキ ングは年に何回か行われるので、YA バルブは操作バルブであり、本来は操作しやすく確認しやすい場所に設置するのが原則であろう。
次に、「何故 IA バルブが閉止されたか」が、運転管理面では問題である。
IA バルブは運転中には絶対に閉止してはならないバルブである。
この様に絶対に開閉してはならないバルブに対しては、運転責任者は開閉禁止の措置を取らなければならない。
最低でもバルブの色分けや札掛けをして注意を喚起する。
望ましくは、バルブを正しい開閉位置にしたら責任者が立合のもとに封印をすることである。
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今ではもう、語られることも少なくなったであろう、あの大事故。
その事故も、元をたどればバルブの誤操作に端を発しているのだが、事故後48年の今となっては、誤操作したという事実は知ることができても、なぜ誤操作したのか、その経緯については情報が埋没している感がある。
バルブ誤操作に至る経緯など、事故全体からみれば些細なことにつき、情報が埋没するのは当然かもしれないが、実は、かくいうブログ者こそがバルブ誤操作のきっかけを作った張本人なのだ。
(次回は7月14日 予定)
その間、ずっと奥歯に挟まっていたのは、他社の事故情報がほとんど耳に入ってこなかったことです。
そこで退職を機に、有り余る時間を有効に使うべく、全国各地でどのような事故が起きているか本ブログで情報提供することにしました。
また同時に、安全に関する最近の情報なども提供することにしました。