2020年5月6日18時0分に朝日新聞から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
スーパーやドラッグストアでトイレットペーパー(トイレ紙)が売り切れた騒動は、新型コロナウイルスの不安によるうわさがきっかけとされる。
騒動の直後に供給力も在庫も十分と安心情報が流れ、うわさはデマだとされたのに、買いだめが続いた。
それは過去にもあった。
人々の心理状態は、あの有名な童話とそっくりだという。
京都市山科区に住む清水さん(男性、77歳)に「悪夢」がよみがえったのは、今年2月末ごろのことだ。
空になったスーパーのトイレ紙の棚やお年寄りらの長い列がテレビに映っていた。
新型コロナウイルスの感染拡大で「マスクと同じ素材で作られるトイレットペーパーも品不足になる」とのうわさがきっかけとされる。
「この社会には学習効果があるんやろうか」
1973年に大阪・千里ニュータウンのスーパー「大丸ピーコック千里中央店」(当時)で起きたトイレ紙騒動。
店の家庭用品係長だった清水さんが10月31日に出勤すると、約300人の行列ができていた。
聞けば、トイレ紙が目当てだという。
「店内を走り回られるとけが人が出る」。
急きょ、1パック4個入りのトイレ紙計300パックを店の奥から入り口に移した。
すでに周辺の店や問屋ではトイレ紙が品薄になり、清水さんの店は以前から計画していた特売の初日だった。
特売品が売り切れた後に通常価格のトイレ紙を出すと、「便乗値上げ」と一部で報じられ、首都圏に飛び火した騒動の「火元」と汚名も着せられた。
清水さんは公正取引委員会に呼ばれ、特売の経緯を聴かれたという。
第4次中東戦争による石油危機で世界経済が混乱した年。
「石油危機でトイレットペーパーがなくなる」とのデマが品薄に拍車をかけていたと、清水さんは後で知った。
水洗式トイレが完備されたニュータウンの各戸では溶けやすいトイレ紙を使うしかなく、客の切迫感をさらに強めたという。
今年のトイレ紙騒動も、業界や政府が十分な供給力と在庫を訴えたにもかかわらず、沈静化しなかった。
清水さんは「今の方が怖い」と言う。
「インターネットの交流サイト(SNS)で一気に拡散するでしょ。口コミでジワジワ広がり、パニックの報道で過熱した47年前とは違いますね」
物は必要な時に買えばよく、買いだめをすると、本当に必要な人が困る。
そんな常識がもろくも崩れる時がある。
自分も他人と同じ行動をとらなければ不利益をこうむるのでは、と。
SNSのツイッターで広まった東日本大震災のデマを調べたことがある大阪電気通信大学教授の小森政嗣さん(47)=認知科学=は、トイレ紙の買いだめをした人々を三つの波に分ける。
第1波が、うわさを真実と信じた人々。
第2波が、デマと分かりながら品切れを恐れた人々。
第3波が、報道に接して品切れを恐れた人々。
いずれも、その前に起きたマスク不足の実体験と連動しているという。
小森さんは第1波への対処法について、「公的機関やマスメディアの情報を参考にして自分が伝えたうわさを訂正すれば、拡散を抑えられると思います」と提案する。
ただ、第2波と第3波の方がはるかに大きかったようだ。
「日本トレンドリサーチ」が3月初め、全国の958人にインターネットでアンケートをした結果、通常よりも多く買いだめをした人のうち約9割が、トイレ紙が今後不足するという情報がデマで、買いだめが品薄状態を引き起こしていると認識していたと答えた。
小森さんは、こうした動きの背景に「多元的無知」があると指摘する。
自分は賛成していない集団内の行動を「他人は賛成している」と考え、多くの人も同様に思い込む心理状態のことだ。
アンデルセン童話「裸の王様」にもたとえられるという。
「自分にふさわしくない仕事をしている人とばかな人には透明で見えない服」と偽る詐欺師に、当初は見えないと感じた王様が恐ろしくなり、着たふりをして裸で堂々と行進。群衆も同様に服が見えるふりをしたが、一人の子どもが「王様は裸だよ」と言ったことから全員が「裸だ!」と叫ぶ――。
この子どもの一声のように、人々をトイレ紙騒動の心理状態から解き放つ手立てはないのだろうか。
小森さんは、「集団は、恐怖や不安の情報を共有し、防御機能を働かせることで、生存率を高めてきました。だから、怖いと思った時ほど他人に伝えてしまうのが自然な心理なのです」。
ただ、光明もなくはない。
「恐怖や不安に影響されやすい社会的存在だと自覚すれば、騒動の過熱を多少は抑えられるかもしれません」
https://digital.asahi.com/articles/ASN525S7RN52UCLV00B.html?pn=6
(ブログ者コメント)
「多元的無知」の定義などについては、下記記事参照。
『「裸の王様」のメカニズムを実験で検証』
(日本社会心理学会HP 論文ニュース)
【裸の王様はどうして「裸だ」と言われないのか】
「裸の王様」の物語はご存じだろうか。
本当は王様の服は誰にも見えていないにもかかわらず,「バカ」と思われるのが嫌なので,みんな王様の服を褒めてしまう。
結果的に,「みんなには王様の服が見えている」と思ってしまって,だれも「王様は裸」とは言えない状態になってしまう。
社会心理学では,多元的無知を「集団の多くの成員が,自らは集団規範を受け入れていないにもかかわらず,他の成員のほとんどがその規範を受け入れていると信じている状態」と定義されている。
そして多元的無知は,実際は嫌々行っていても,行動を見た人から見れば「みんなは規範を受け入れている」と思われてしまうことによって,「嫌だ」とはいえない状態がさらに維持されてしまうという特徴がある。
本論文では,この「多元的無知が維持されるメカニズム」に焦点を当てようとしている。
それでは,この多元的無知はどうして生じてしまうのだろうか?
そして,それを解消する方法はないのだろうか?
【「多元的無知」の心理メカニズム】
多元的無知は,どのようなプロセスで生じるのだろうか。
本論文では,多元的無知の先行因となる心理プロセスとして二段階あることを指摘している。
一つは,他者はたとえそれを嫌々行っていたとしても,その人がそれをしたくて行ったのだろう,と思う認知バイアス(対応バイアス)のことである。
もう一つのプロセスは,自分が嫌でも,「みんなはそれが好きだ」と思い込むと,みんなの好みに合わせて行動してしまうというものである。
この二つのプロセスによって,本当はみんなが嫌々行っていることでも,みんなはそれが好きでやっていると思い込み(段階1),それに合わせて嫌々行動してしまう(段階2)という状態が引き起こされてしまう。
また,それに加えて本論文では多元的無知の帰結についても注目している。
多元的無知が生じた後,人々は当初は嫌々した行動も,だんだん嫌でなくなって好きでやるようになるのではないか。
これは認知的不協和理論で説明される現象である。
つまり,自分の意志に反する行動を続けるのは苦痛なので,その行動を好きになることでその苦痛を解消しようというわけである。
本論文では,このプロセスが多元的無知の解消の糸口になるのではないかと考えているのである。
これらの心理プロセスを実験で再現しよう,というのが本論文の狙いである。
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http://www.socialpsychology.jp/ronbun_news/31_02_02.html
その間、ずっと奥歯に挟まっていたのは、他社の事故情報がほとんど耳に入ってこなかったことです。
そこで退職を機に、有り余る時間を有効に使うべく、全国各地でどのような事故が起きているか本ブログで情報提供することにしました。
また同時に、安全に関する最近の情報なども提供することにしました。