【記憶に残るマスコミ取材2;何日かぶりに帰った寮で】
事故後、会議室で仮眠する日が続いていたが、何日か後に、ようやく独身寮に帰ることができた。
ここで一つのエピソード。
靴を脱ぎ、スリッパに履き替えて受付け窓口の前を通っていた時、ちょうどマスコミの人が来て、「〇〇さん(ブログ者の名前)いらっしゃいますか?」と受付け当番の寮生に聞いていた。
その寮生とは顔なじみ。
当然、ブログ者が目の前を通っていることに気づいている筈なのだが、「さあ、まだ帰ってないんじゃないですか?」などと、とぼけてくれていた。
あの寮生の機転には感謝、感謝だった。
【警察での事情聴取】
その後、当時の直勤務者全員が警察に呼ばれ、調書をとられた。
警察に行く前、会社として口裏合わせとか口止めがあるかと思っていたが、呼ばれた全員を集めた席では、意外にも上司から「知っていること、思っていることは何でもしゃべっていい」との言葉が出た。
皆の反応「本当に、思っていることをしゃべっていいんですか?」
上司「いい」
この点、テレビドラマとは違っていた。
個別にどうだったかは定かでないが・・・。
そして警察での取り調べ時、ブログ者も当日の業務内容などを聞かれたが、IM氏の関与は隠したまま答えていた。
すると、刑事が一言。
「かばう気持ちは分かるが、IM氏のことは別の人間から話を聞いている」
それで気持ちがふっきれて、あとはスラスラと自供?した。
一方、会社の特異な経営体質について、どう思うかとも聞かれたが、事故のキッカケを作ってしまった負い目もあって、そこは模範的に答えておいた。
ブログ者、よほど印象に残ったのか?
【装置復旧までのブログ者の業務】
事故の一因は、しっかりしたマニュアルがなかったこと。
マニュアル整備が新エチレン装置稼働許可条件の一つとなったこともあって、装置の建設と並行して、マニュアル作成が始まった。
ブログ者は、そのマニュアル作成班に所属したが、中で一番記憶に残っているのは、印刷屋に出向いて製本の助成を行ったことだ。
というのは、あまりにもマニュアルの量が膨大だったため、製本段階で印刷屋が人手不足になったためだ。
狭い部屋に5人だったか、10人だったか、大勢で入り込み、手伝った覚えがある。
【唯一の殉職者】
最初に火災が発生したのはアセチレン水添塔の出口配管だった。
その塔では、製品ガス中に存在する微量アセチレンに水素を添加し、エチレンに変えていた。
装置緊急停止時、添加する水素の調整弁を閉めたのだが、バイパス弁が少し開いており(・・・とブログ者は記憶しているのだが、改めてネット情報を調べたところ、そのように記述されている記事は見つからなかった)、そのため過剰に流れ込んだ水素によって、塔内に残留していたエチレンの水添反応が起きていた。
水添反応は発熱反応。
それに加えて、新規にガスを流した際にエチレンの接触分解反応まで起きてしまったため出口ガスが高温となり、出口配管のフランジが赤熱した・・・とまあ、そのような状態だったらしい。
(このあたりのメカニズムは初回に部分引用した「失敗100
選」などに詳しい)
配管が赤くなっている。
このままではマズイ。
口が開かないよう冷却しなくては・・・。
しかし、水をかけると逆効果。
そこで、何人かでスチームを吹きかけていたらしい。
その途中、N氏1人を現場に残し、他の先輩方は、足りなくなった用具類を取りに工具庫まで戻ったのだが、最初の火災が起きたのは、まさにその時だった。
結果、現場に残っていたN氏だけが死亡。
赤熱進展状況を監視していたのか、それとも1人でスチーム噴射作業を継続していたのかは不明だ。
そのN氏だが、装置停止に伴う緊急呼び出しに応じて出社し、再スタート作業に従事していた。
用具類を取りに戻ったことで助かった何人かのうちの1人だったIT氏は、後日、ことあるたびに、あの時、自分が死んでいたかもしれない・・・と、しみじみ述回していた。
ブログ者が本ブログで、しばしば、事故は運に左右されることが多いとコメントしているのは、この体験もあってのことだ。
現在では、フランジ赤熱といった危険な状態を見つけたら、現場には近づかないようにさせる・・・そういった人命最優先の考えが、どこの会社でも基本になっていることだろう。
しかし、当時は高度成長時代の真っただ中。
イケイケドンドン。
守りよりも攻めの姿勢が重視されていた。
そんな時代背景もあってか、これ以上、事態を悪化させないよう、自分たちの責任で対処しようと考えた・・・そういうことだったのかもしれない。
N氏については後日談がある。
独身だったN氏の福岡県K市にある実家に、各直ごと、日勤者も分散参加して弔問に行ったのだが、その際、御母堂から以下のようなことを言われた。
「死んだ息子が現場で何かしたから爆発した・・・そのように言う人がいる」
それを聞いて全員、ビックリ。
まさか、そのように言う人がいようとは・・・。
即座に全員が否定したが、御母堂の心中、いかばかりだっただろうか。
どんな人が発信源だったかは不明だが、流言飛語の類、いつの世にも絶えないものだ。
【事故の責任】
この事故の責任はいずこにありや?
結論からいうと、責任を問われた人はいなかった。
まずは事故に至るキッカケを作ったIM氏とブログ者。
両名は、装置緊急停止の原因を作ったものの、その後、順調に再スタートできていたため、責任なしとされた。
責任を問われたのは、係長と直長、アセチレン水添塔を管理していたボードマン。
論点になったのは、アセチレン水添塔でエチレンの接触分解反応が起き得ることを知っていたかどうか、その1点に絞られたらしい。
そして、詳細な経緯は知る由もないが、結局は、当時、そのようなことを知っている人は日本の業界で誰もいなかったとして、全員に無罪判決が下った。
【最後に】
この事故には、
・閉めてはいけないバルブなのに、なぜ簡単に閉めることができたのか?
・頻繁に操作するバルブなのに、なぜ、なにも表示がなかったのか?
など数多くの教訓があり、それらの何点かは法律に落とし込まれた。
今、思うと、なんでそんなことができていなかった?的なことではあるが、当時の管理状態はその程度だったのだ。
今から50年ほど前に、かくも大きな事故のキッカケを作ってしまったブログ者。
反省しても、反省しきれるものではない。
2報掲載時に読者の方からもコメントいただいたとおり、あの苦い経験が心の奥底に刻み込まれていたため、事故防止に関する情報を本ブログで発信するようになったのかもしれない。
亡くなったN氏のご冥福を、改めてお祈りします。
完
付記
数年前までは、墓場まで持っていこうと思っていたバルブ誤操作のいきさつ。
考え抜いた末、今回、掲載することにしたのだが、本当にこれでよかったのだろうか?
最終稿をアップした今でも、心は揺れている。
その間、ずっと奥歯に挟まっていたのは、他社の事故情報がほとんど耳に入ってこなかったことです。
そこで退職を機に、有り余る時間を有効に使うべく、全国各地でどのような事故が起きているか本ブログで情報提供することにしました。
また同時に、安全に関する最近の情報なども提供することにしました。