2018年6月26日付で毎日新聞から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
大阪府北部を震源とする18日の地震から1週間が経過し、さまざまな要因が絡み合う、都市災害に特有の課題が浮き彫りになってきた。
朝のラッシュ時を直撃した最大震度6弱の揺れで、近畿の鉄道網は長時間乱れ、高速道路も閉鎖されたことで、幹線道路で「地震渋滞」が発生し、緊急車両の走行や復旧作業を妨げた。
災害弱者への対応にも不備があり、混乱をいかに回避するかが問われている。
「この踏切、もう2時間以上も開かないんですよ」。
18日午前11時過ぎ、大阪府摂津市内で70代女性が地震で転倒し、けがをしているとの要請で、市消防本部の救急車が出動した。
しかし、阪急摂津市駅近くの踏切手前で渋滞に巻き込まれた。
付近に止まっていた車からの情報で、救急隊長は即座に「通行不能」と判断し、迂回して現場に向かった。
女性宅に着くまで、通常なら7、8分だが、約40分かかった。
搬送が遅れたケースは、吹田市でもあった。
この日は、近畿の主要路線はダイヤが終日乱れ、JR西日本の在来線と阪急、阪神、近鉄、南海、京阪、大阪メトロの7社で、計547万人の足に影響。
震源地に近く接続路線も多い事業者は、全線運転再開に手間取り、阪急は午後10時45分、JR西の在来線は午後11時5分までずれ込んだ。
鉄道各社によると、地震の際に踏切のある一定区間で電車が緊急停車すると、遮断機は下りたままになる。
解除には、複数の係員が現地に出向いて、手作業で対応する必要がある。
JR西の広報担当者は、「今回のように広範囲で被災すると、社員を一つ一つの踏切に配置するのは困難」と言う。
名神高速など主要な高速道路も、午後1時ごろまで通行できず、そのあおりで国道などが大渋滞。
点検箇所が多い高速道路会社や大手エレベーター管理会社などでも、作業要員の移動が困難になる事態が続出した。
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出典
『クローズアップ2018 大阪北部地震1週間 鉄道止まり踏切遮断、救急搬送に遅れ 都市災害、渋滞で混乱』
https://mainichi.jp/articles/20180626/ddm/003/040/074000c
6月21日0時46分に日本経済新聞からは、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
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吹田市でも、救急車の到着に遅れが出た。
市によると、18日午前10時40分ごろ、阪急京都線正雀駅南側の住宅から通報があり、線路を挟んで北側の消防署から救急隊が出動。
最寄りの踏切を迂回したため、通常より到着に時間がかかった。
踏切付近の渋滞が影響した可能性もあるという。
阪急電鉄によると、遮断機は踏切の前後を列車が通過したのを感知し、自動的に上げ下げする仕組みになっている。
地震発生から運行が再開するまで、複数の踏切で遮断機が下りたままになっていたという。
下りた遮断機は作業員が安全確認をして手動で上げるしかなく、「復旧に向けて人手が足りない状況では難しかった」(担当者)。
関西大の安部誠治教授(公益事業論)は「無理に遮断機を上げると、再開したときにかえって危険。救急隊などは、災害時に踏切を迂回することを想定しておくことも必要だ」と話す。
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出典
『地震渋滞 招いた「想定外」 踏切開かず、救急車遅れる』
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO32038440R20C18A6AC8000/
(ブログ者コメント)
東日本大震災時は、遮断機が下りた踏切が避難の妨げにもなっていた。
その辺の状況は、2013年2月1日付の河北新報に詳しく紹介されている。
長文につき、ここでは冒頭部分のみ紹介する。
東日本大震災では、地震直後、踏切の遮断棒が下りたままになり、避難する車の行く手を阻んだ。
踏切を先頭に、車の渋滞も発生した。
人々は、津波、列車という2つの危機に直面した。
カンカン、カンカン…。警報機は鳴り続けた。
2011年3月11日、宮城県山元町山寺のJR常磐線の南泥沼踏切。
仙台市泉区の回送業樋口さん(男性、47歳)は、運転する4トントラックを止めた。
赤色灯が点滅し、遮断棒は下りている。
数10m北に、20両編成の上り貨物列車が止まっていた。
5分ぐらい、待っただろうか。
列車が動く気配はない。
車を降り、後ろのタンクローリーの運転手に「開かないねぇ」と声を掛けた。
「津波が来たら、車を置いて逃げなきゃな」と言葉を返され、「えっ!?」。
大津波警報が出ているとは知らなかった。
血が泡立つような不安に襲われた。
後続には、もう10台以上の車がつながっている。
列車の運転士が踏切に歩み寄ってきた。
「会社と連絡取れないので、踏切は開けられない」と言い、列車に戻った。
胸騒ぎを覚えた。
遮断棒は全部で4本。
時間が過ぎる。
樋口さんらは、3~4人で棒を外しにかかった。
「あ、回るぞ!」。棒を回して根本から3本を抜いた。最後の1本がなかなか回らない。
そばの男性が機転を利かせ、「押さえるから通れ」と、棒を手で押し上げた。
樋口さんは車でくぐり抜け、後ろも続いた。
間もなく、濁流が線路を覆った。
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津波災害時に踏切が車避難を妨げる問題は、北海道東方沖地震(1994年)や十勝沖地震(2003年)でも起きた。
JR東日本仙台支社の五十嵐安全企画室長は、「重大な課題と認識している。だが、地震後に列車が高い場所や内陸に避難する場合もあり得るので、踏切は開けられない」と話す。
抜本的な解決策は、道路と鉄道の立体交差で踏切をなくすしかない。
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出典
『第2部・車避難のリスク(中)遮断/開かぬ踏切、車列進めず』
https://www.kahoku.co.jp/special/spe1114/20130201_01.html
その間、ずっと奥歯に挟まっていたのは、他社の事故情報がほとんど耳に入ってこなかったことです。
そこで退職を機に、有り余る時間を有効に使うべく、全国各地でどのような事故が起きているか本ブログで情報提供することにしました。
また同時に、安全に関する最近の情報なども提供することにしました。