2024年8月11日12時1分にYAHOOニュース(集英社オンライン)から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
1985年8月12日午後6時56分すぎ、乗客、乗員合わせて524名を乗せた日本航空123便(羽田発~大阪行)が群馬県・御巣鷹の尾根に墜落し、520名もの命が奪われた。
事故調査委員会はボーイング社の修理ミスによる後部圧力隔壁(飛行機の後部位にある、客室の空気を漏らさないための蓋構造物)の破壊と事故原因を結論づけたが、これに長年、異を唱え続けるのが、元日本航空客室乗務員の青山透子氏だ。
「墜落は事故ではなく事件」と言い切る彼女を直撃した。
【画像】日航機123便の乗客が撮った写真に写っていた“オレンジ色のもの”とは…
■ずっと事故原因は「圧力隔壁破壊」だと信じていた
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「もっと事故について調べてみてはどうか」と編集者に言われ、情報を集めることにし、図書館に行って、新聞の逆読みをしました。
何紙も比較しながら日付の後ろの記事から読んだのです。
そうすると、記事からいろんなことが浮かび上がってきました。
例えば、ボイスレコーダーやフライトレコーダーの解明が済んでいないのに、「事故原因は後部圧力隔壁破壊(飛行機の後部位にある、客室の空気を漏らさないための蓋構造物)」という報道があったんです。
操縦室でどんな会話がされたか、飛行機がどんな動きで飛行したか、そういうことを調べていないのに、判断を下していたわけです。
そこから、なにか隠蔽しているのではないかと思うようになりました。
実は私も、それまでの二十数年間、事故原因は圧力隔壁と思い込んでいました。
■垂直尾翼に当たったのは自衛隊のミサイルだった!?
Q.青山さんは圧力隔壁の破壊ではなく、垂直尾翼(後部に設置され飛行機の左右のバランスを保つための縦方向の翼)になにかが当たったのが事故の原因と訴えていますが、その根拠はなんでしょうか?
A.2013年に運輸省の航空事故調査委員会が作成した「事故調査報告書別冊」がネットにアップされ、飛行中の123便の垂直尾翼に、突如外部から11トンの外力が加わったとはっきりと書いてあったんです。
決定的証拠です。
圧力隔壁の破壊ではなく、最初に垂直尾翼が破壊されて操縦不能に陥ったのです。
Q.なにが当たったと考えられるのでしょうか?
A.当時、防衛庁は国産ミサイルの開発に力を入れていました。
「自衛隊がオレンジ色に塗られた模擬ミサイルで試射実験を繰り返し行なっている」と、事故前日の新聞にも出ています。
実際に、123便の垂直尾翼の一部を相模湾から回収した護衛艦「まつゆき」も、事故当日に出航しています。
記事にあるように模擬ミサイルの試射を行なっていてもおかしくはありません。
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123便の乗客が窓から外を撮った写真に黒い物体が写っていました。
これを専門家に分析して拡大してもらったら結果、オレンジ色でした。
模擬ミサイル(あるいは訓練用の無人標的機)もオレンジ色をしています。
つまり、最初に垂直尾翼に当たったのが、このどちらかという可能性があるわけです。
■政府はすぐに事故現場の特定していた!
Q.事故現場の特定に時間がかかり、実際に自衛隊の救助活動が行なわれたのは、発生から10時間以上も経ってからです。
なぜ大幅に遅れたのでしょうか?
A.NHKをはじめ多くのメディアが事故現場不明とするなか、1985年8月12日付け信濃毎日新聞号外に「墜落現場は群馬県上野村山中とみられる」と書いてあります。
わざわざNHKに「上野村が事故現場」であると電話をかけた人もいます。
現場を伝えているのに、それが一切ニュースで報道されていません。
しかも墜落前の123便を自衛隊のファントム2機が追尾しているのを目撃した人たちもいます。
つまり自衛隊は場所を特定できたはずです。
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事故から10年後の1995年には、当時米空軍第三四五戦術空輸団に所属していた元中尉のマイケル・アントヌッチ氏が墜落の20分後に御巣鷹の尾根に煙が上がるのを確認したと証言しています。
彼は沖縄から横田基地にC130輸送機で戻る途中、大島上空で123便の機長の緊急事態発生の無線を傍受しています。
アントヌッチ氏の報告を受けて米軍ヘリが上野村に向かいますが、隊員がまさにロープで降りようとした直前で、なぜか帰還命令が出されています。
目の前に犠牲者がいるのにですよ。
政府にとって都合の悪い証拠隠滅のために救助が遅れたわけです。
生存者の落合由美さんは、事故直後何人もの乗客が生きていたと証言しています。
もっと早く救助活動を行なっていれば、助かった命もたくさんあったはずです。
■おかしな裁判結果
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JALはボイスレコーダーを開示しません。
ボイスレコーダーは、航空会社でなく米国では国家運輸安全委員会、日本では運輸安全委員会が保管して、時期が来たら必ず開示する。
これは世界において当然のルールです。
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https://news.yahoo.co.jp/articles/e3d2021eef060db79cd542b87af387bf05d786a0
※関連情報調査結果、こういう情報も見つかった。
トップインタビュー 経済アナリスト・獨協大学経済学部教授 森永卓郎 氏
「マスコミ3大タブーに命賭す」
(2024年04月01日 金融ファクシミリ新聞)
私はメディア業界で仕事を四半世紀以上も続けているが、この業界で絶対に言ってはならないタブーが3つあった。
それはジャニーズ問題、「ザイム真理教」、日本航空123便の墜落事故で、このことを口にすると即刻、業界から干されることになる。
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がん宣告されたときに余命半年も無いと医師から伝えられたため、今回、文字通り命を賭けて『書いてはいけない――日本経済墜落の真相』(発行:三五館シンシャ、発売:フォレスト出版)を書きあげた。
日本経済が大転落してしまった背景には、財務省の緊縮財政に加え、日本航空123便を契機とした対米全面服従路線に走ってしまったことがあると、世に残したい。
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新刊で最も世に訴えたかったことが、この日本航空123便の墜落事故の真相についてだ。
当時は、中曽根内閣が打ち出した防衛力増強に対して野党や国民がかみついていた時代だった。
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当時からおかしな点が何点もあると考えていた。
まず、123便はエベレストの頂上に近い高度を飛行していたので、圧力隔壁に穴が空いたなら急減圧が起こり、搭乗者は目や耳を痛めてしまうはずだが、生存者の目や耳にそんな外傷はなく、ボイスレコーダーを聞くと操縦士や副操縦士、航空機関士が酸素マスクをしていないことが明らかになっているが、急減圧が起きた場合、そんなことはありえない。
さらに、墜落現場についての情報が二転三転し、翌日の朝まで分からなかったことも不可解だ。
レーダーは墜落直前まで123便を追尾していたはずだし、目撃証言によると、123便を自衛隊のファントム機・二機が墜落直前まで追いかけていたという。
自衛隊機が目の前で墜落する瞬間を見ているはずなので、政府がそれを把握できないということはあり得ない。
加えて、今回調べて分かったことだが、メディアも当日に墜落現場を把握していたことが明らかになっている。
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さらに、ニュースステーションが1995年に報道しているのだが、米軍はC130という輸送機で墜落現場を墜落直後に発見して、当日のうちに横須賀基地から救援用のヘリコプターを飛ばしていた。
ロープをおろして救援に入ろうとした時点で、日本政府からの帰還要請を受けて、米軍は被害者を救援できたにもかかわらず、帰らざるを得なかった。
この告発をニュースステーションがしたが、その後にテレビや新聞が取り上げることはなく、一切無視されている。
米軍の横田基地に着陸するための正確な高度を下げるルートを辿っていて、もう少しで横田基地への着陸態勢に入り、米軍も横田基地に着陸許可を出していたという証拠がある。
そこで、機長のボイスレコーダーの記録では、「このままでお願いします」との記録が残され、つまり、このまま横田基地に着陸させてくれという依頼だと思うが、その後123便は北に向かう。
123便の機長のボイスレコーダーの情報はその部分が消され、北に向かった原因は全く分かっていない。
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公表されている飛行ルートには入っていないが、地上からの目撃情報で長野県の川上村のレタス畑に不時着しようとしたことが明らかになっている。
そこでもなぜか不時着が許可されず、山間を縫って御巣鷹山の尾根に向かい、第4エンジンが粉々になった姿で見つかる。
公式見解では、墜落するときに立木に当たってエンジンが木っ端みじんになったとされているが、ジャンボ機のエンジンは7トンあり、バードアタックなど強い衝撃を普段から受けることが想定されているため、木に当たったくらいで粉々になることはない。
自衛隊がミサイルを撃ち込んで撃墜させた以外の原因が見当たらない。
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当時の政府は、圧力隔壁の修理ミスが原因で墜落したことにして、米ボーイング社に泥をかぶってもらったのだ。
しかし、そのツケは大きかった。
墜落からわずか40日後の1985年9月にニューヨークで結ばれたプラザ合意によってドル円は約2倍の円高になり、日本のすべての輸出商品に100%の関税を掛けるのと同じ効果を示す。
それにより、戦後絶好調だった日本経済は大転換を迎えることとなった。
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(ブログ者コメント)
〇今年1月、米国でボーイング機のドアプラグが吹き飛んだ事故の紹介時、御巣鷹山事故とイメージが重なるとコメントしたが、今回の情報が真相に近いとすれば、そのコメントは的外れだったのかもしれない。
そういう意味で、この情報を紹介する。
〇今思えば、たしか隔壁修理ミスに対し、ボ社は補償はおろか謝罪すらしなかった・・・と記憶しているが、そのことが何となく引っ掛かっていた。
それが、原因を押し付けられたからだとすれば得心がいく。
〇事故発生から当分の間はミサイル説が飛び交っていたが、いつの間にか圧力隔壁一辺倒の報道になり、その後は圧力隔壁原因説が本説になった・・・そんな記憶もボンヤリではあるが、ある。
事故原因というもの、時間が経つとアチコチの利害が絡み、ネジ曲げられてしまうことがある・・・そんな典型的な例だったのかもしれない。
その間、ずっと奥歯に挟まっていたのは、他社の事故情報がほとんど耳に入ってこなかったことです。
そこで退職を機に、有り余る時間を有効に使うべく、全国各地でどのような事故が起きているか本ブログで情報提供することにしました。
また同時に、安全に関する最近の情報なども提供することにしました。