2018年7月8日に掲載した元記事がプロバイダーの字数制限オーバーとなりましたので、ここに新情報を第2報修正1として掲載します。
第1報は下記参照。
http://anzendaiichi.blog.shinobi.jp/Entry/8551/
(2018年7月29日 修正1 ;追記)
2018年7月22日15時2分に日本経済新聞電子版から、下記趣旨の続報的記事がネット配信されていた。
古紙、ペットボトル、プラスチック……。
毎日の暮らしのなかで排出されるゴミが、行き場をなくしている。
引受先だった近隣諸国が相次いで輸入を制限した結果、あらゆる廃棄物が国内に滞留し始めた。
ゴミ処理の「最前線」で何が起きているのか。
東京・大井埠頭近くの京浜島は、高度成長期に埋め立てられた造成地。
廃棄物処理業者が軒を連ね、大型トラックが廃プラスチックや鉄くずなどを搬入する。
「もう捌(さば)ききれなくなってきた」。
7月上旬、処理業者の男性社長(44)は嘆息した。
圧縮された廃プラスチックの塊が5m近く積み上がり、保管場所はすでに満杯。
それでも、搬入のトラックは途切れない。
社長は「昨年の1.5倍はたまってる。これからもっと増える」とゴミの壁を見上げた。
日本各地の集積場所で同じような光景が広がる。
原因は、2017年末から中国が廃棄物の輸入を制限し始めたこと。
日本だけでなく、米国や欧州などで大量のゴミが行き場を失った。
「中国は80年代後半から世界の廃棄物を輸入し、再生資源にして活用してきた」。
中国のリサイクル会社、亜星再生資源開発の孫社長(54)が話す。
廃プラスチックを再生する事業を展開、中国経済の成長とともに規模を拡大した。
中国では廃棄物の輸入停止で、同国での事業継続が難しくなるリサイクル業者も出ているという。
孫社長の会社もその一つ。
上海郊外にあった工場を閉鎖、中国法人を清算する手続きを進める。
最盛期の15年、廃プラスチックだけで88万トンが中国へ輸出された。
このうち34万トンを占めるペットボトルを500mℓ入りに換算すると、110億本に相当する。
産廃を扱う白井グループ(東京)の白井社長は、「これまで中国に頼りすぎていた」。
3月、埼玉県熊谷市にリサイクル工場が竣工した。
中国のリサイクル大手、大発(浙江省)の新工場だ。
「輸入できないなら、日本でリサイクルをするまで」と杜社長(63)。
再生原料にして中国に出せば、規制を受けないという。
9月には同県加須市にも工場をオープンする。
中国のリサイクル業者が日本に拠点を移す動きは、ほかにもある。
ただ、国内の廃棄物をすべて処理することはできない。
関東の郊外。
幹線道路をはずれて細い道を進むと、廃棄物処理業者の看板があった。
作業場で若い男性が、廃棄された掃除機を本体と電源ケーブル、ホースに分解していた。
男性社長(59)は、「中国の輸入制限後、うちに回ってくるようになった」と明かす。
作業員の半数が中国からやってきた技能実習生。
作業員が足りずに、技能実習生を5人から10人に増やした。
業者の中には、廃棄物を「中古品」として輸出する者もいるという。
「いろんなルートでなんとかしている」。
社長に分別後の廃棄物の行き先を聞いてみると、こんな答えが返ってきた。
スターバックスはプラスチック製ストローの提供をやめる。
EUも使い捨てプラ製品を禁止する方針を決めた。
自国で処理しきれない量のゴミの排出は、見直す時期を迎えている。
【東南アジアでも規制の流れ】
国連環境計画の報告書によると、15年に世界で廃棄されたプラスチックの総量は約3億トン。
このうちの約1500万トンが、日米欧など消費国から途上国へ輸出されていたといわれる。
中国の輸入制限以降、輸出国は東南アジアを引受先にし、急場をしのいできた。
日本からの廃ペットボトルの輸出動向をみると、今年1~5月でベトナムやタイ、マレーシアなど東南アジア6カ国へ約7万4000トンを輸出していた。
前年同期の16倍にあたる。
欧米からの廃棄プラスチックも東南アジアに押し寄せ、環境の悪化を懸念したベトナムやタイが、中国同様に輸入抑制に動いた。
日本でも、有害廃棄物の越境移動を規制する改正バーゼル法が10月から施行され、使用済み家電の輸出規制が厳しくなる。
出典
『廃プラ「捌ききれない」 中国輸入規制で行き場なく ドキュメント日本』
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO33263470S8A720C1CC1000/?n_cid=NMAIL007
その間、ずっと奥歯に挟まっていたのは、他社の事故情報がほとんど耳に入ってこなかったことです。
そこで退職を機に、有り余る時間を有効に使うべく、全国各地でどのような事故が起きているか本ブログで情報提供することにしました。
また同時に、安全に関する最近の情報なども提供することにしました。