2020年7月13日5時30分に沖縄タイムスから、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
『海の安全「見守り人」引退 毎日夕暮れに灯火チェック 無事故に誇り「肩の荷が下りた」』
灯台やブイ(灯浮標)などの航路標識の光を確認する「灯火監視協力者」の交代式が7日、うるま市津堅島の離島振興総合センターであった。
2006年9月から協力者を務めた新屋さん(男性、79歳)に中城海上保安部の東城部長から感謝状が贈られた。
海の安全を守る重責を担ってきた新屋さんは誇らしい表情で受け取った。
灯火監視協力者は、航路標識の光の色や点滅の間隔などを監視し、異常があれば海上保安庁に通報するボランティアで、特に台風後など海保が即座に確認できない時に重要な役割を担っている。
県内では現在、約70の個人と団体が協力している。
新屋さんは農業を営む傍ら、毎日、夕暮れに合わせて津堅島灯台や中城湾口灯浮標など7基の航路標識について歩いて目視した。
「長く続けられるとは思わなかった」と話すが、責任を持って監視に取り組み、異常を発見して海保に報告したことも数回あったという。
灯台周辺の草刈りなどもした。
「最初はできるか心配だったが、やがて見守るのが楽しくなった。務めている間、灯台や船舶に関わる大きな事故がなかったのがうれしい。今は肩の荷が下りた感じ」と日々を振り返った。
東城部長は、「毎日暗くなってからチェックするのは大変な苦労があったはず。頭が下がる思い」と感謝した。
新屋さんは4月に後任と交代。
新型コロナウイルス感染症対策のため、交代式の実施は延期されていた。
協力者の役割は島内の緑間さん(42)と新里さん(45)に引き継がれた。
交代式で協力依頼状を受け取った緑間さんは、「海の安全のため、新屋さんのようにできるだけ長く続けたい」と意気込んだ。
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/599170
(ブログ者コメント)
関連情報調査結果、この表彰は全国的に灯台記念日(11月1日)に行われていた。
以下は、おそらくはどこかの県で表彰された記事に用語解説として掲載されていた表彰制度の概要。
『灯台記念日と灯火監視協力者』
(2008年11月01日 朝日新聞朝刊)
1868(明治元)年11月1日に神奈川県横須賀市の観音埼で日本初の洋式灯台が着工されたことを記念し、1949(昭和24)年に定められた。
各地の灯台が無料公開される。
51年に始まった灯火監視協力者制度は、灯台の近くの住民や企業、漁協などに海上保安庁が委嘱している。
県内の灯台147基のうち、機器で故障などを判断するのは約2割程度。
残りは肉眼で確かめている。
https://www.asahi.com/topics/word/%E6%B5%B7%E4%B8%8A%E4%BF%9D%E5%AE%89%E5%BA%81.html
その間、ずっと奥歯に挟まっていたのは、他社の事故情報がほとんど耳に入ってこなかったことです。
そこで退職を機に、有り余る時間を有効に使うべく、全国各地でどのような事故が起きているか本ブログで情報提供することにしました。
また同時に、安全に関する最近の情報なども提供することにしました。