【バルブ誤操作から火災炎上まで】
バルブ切り替え後、計器室に戻ってみると、ボード上の警報が多数発報し、そこにいる皆がテンヤワンヤ状態になっていた。
聞けば、装置が原因不明で緊急停止したとのこと。
その時は、バルブ誤操作が原因で緊急停止したとはツユほども思わず、すぐさまボードマンの指示に従い、現場作業に従事した。
そして、緊急停止した原因を皆が知らないまま、装置は再び運転可能な状態になったため、運転再開に向けた作業に入った。
緊急停止直後とはいえ、運転再開作業は通常のスタートアップ作業と似たようなもの。
さしたるトラブルもなく順調に進み、遅めの夕食を食べたりして気持ちも落ち着いてきた時のこと。
もしかして、あの違和感を覚えたバルブ操作がやはり間違っていたのでは?・・・との疑念が頭をもたげ、IM氏が閉めたバルブを、閉まったままでありますようにと念じつつ、こっそりと見に行った。
すると、ゲートバルブのステムが、バルブが閉まっていれば見えないはずなのに、半分ほど見えている状態。
ああ・・・やっぱりか・・・。
「これは、すぐ直長に報告しなければ・・・」
「いや、まだ少しバタバタしているので、もうちょっと落ち着いてからのほうがよいかもしれない」
「後刻、IM氏と一緒に報告することにしようか・・・」
そういった、さまざまな考えが頭の中を交錯したことまでは覚えているが、肝心の、直長に報告したかどうかについては記憶に薄い。
そして、いよいよ運命の時。
7月7日22時13分ごろ。
ブログ者は計器室に背を向け、道路の側溝付近で作業の後片付けをしていたところ、急に眼の前が明るくなった。
時々、フレアーが大きくなった時に明るくなることはあるが、フレアーの炎にしては明るすぎる。
なんだろう?と思い、振り返ると、計器室の左手、コンプレッサー建屋の向こう側に、大きな炎の塊がモクモクと上がっているのが目に入った。
音がした記憶はない。
思えば、それは開口したフランジから噴き出した大量のガスに着火した炎であり、爆発ではなかったからだろう。
その、モクモクと上がる炎を見た瞬間に感じたこと。
「これは大変だ。装置が爆発する。いや工場全体が跡形もなく吹き飛ぶかも・・・」
今となっては噴飯ものだが、当時、火災爆発現象のイロハも知らなかったブログ者は、本当にそう思ったのだ。
そして、自分の担当する分解炉部門の近くにいたため、計器室に行くことなく、現場で分解部門の緊急停止操作を行った。
後になって振り返れば、それは全く意味のない操作だったのだが・・・。
その操作を現場で終えた後、近くに新入社員のO氏がいたので、そのまま一緒に逃げ出し、工場敷地境界のグリーンベルトに座って、なすすべもなく炎を見つめていた。
余談になるが、そのO氏、逃げる途中で植木を支えるため斜めに張られていた針金に激突し、当分の間、顔面に線条痕が残っていた。
それほど慌てて、必死に逃げたということだ。
逃げた2人はさておき、後で聞けば、先輩方は皆、爆発の後、計器室に集まり、直長の指示の下、
・火災発生場所を孤立させるため、大きなバルブを閉める
・系内の液化ガスを抜き出すため、ホースを仮配管する
などの作業をしていたとのことだった。
現在では、緊急事態発生時には一旦、全員が計器室に集合し、直長の指示のもと対応する・・・といったようなことがマニュアルに記されていることだろう。
当時も、そのように決められ、教育も受けていたかもしれない。
ただ、間近に大きな炎が見える恐怖心ハンパなく、計器室に戻るという考えはツユほども頭に浮かばずに、一目散に逃げ出してしまった。
まこと、お恥ずかしい限り。
事故後、何の場だったか、自分たちが行った作業内容を話し合ったことがある。
そこで、逃げたことをありのまま話したところ、思いのほか、皆から責められることはなく、先輩のIT氏からは、「そりゃー、仕方ないわ」的なことを言われた覚えがある。
その後も、軽口を含め、非難めいたことを言われたことは一度もなかった。
懐の深い上司先輩に感謝感謝だ。
この現場からの逃避行、事故後50年近く経った今でも、しばしば思い出すことがあるが、そのたびに恥かしさ、やるせなさがこみあげてくる。
【記憶に残るマスコミ取材1;装置炎上直後に構内で】
その後、系の孤立などを行っていた先輩たちもグリーンベルトに集合し、たしか、各課毎にまとまって座るよう指示があった。
そして、なすすべもなくグリーンベルトに座り込んでいると、どこの局だったか、テレビクルーが近くに来て、避難している社員たちをライトで照らしつつ、ゆっくりと歩きながら映し始めた。
事故に打ちひしがれている顔を映されたくないこと、また、煌々と照らされるライトがまぶしくて、皆、顔を伏せる。
しかし、そんなことにはおかまいなしに、テレビクルーはゆっくりと近づいてくる。
なんたる無神経。
人の不幸が、そんなに面白いのか!
そう感じたのはブログ者だけではなかったようで、先輩のM氏などは憤って、近づいてきたカメラの前で、被っていたヘルメットを地面に叩きつけていた。
当然、ライトとカメラはM氏のほうに向けられたが、M氏はそれ以上、何もしなかったので、カメラはそのままスルーしていった。
今では、どこの会社でも、事故が起きた場合、マスコミを現場に入れることはないだろうが、当時は入れていた。
(無理やり入ってきたのかもしれないが)
このこと一つとっても、安全管理、危機管理という点で、隔世の感がある。
【誤操作したIM氏のその後】
そして、時間的にいつだったのか?
場所的には、グリーンベルト上だったような気がするのだが・・・。
その辺、ほとんど記憶がないのだが、ともかく人員確認が始まった。
しかし、どうもIM氏だけが見当たらない模様。
「誰か、IM氏を知らないか?」という呼びかけがあったので、ひょっとして、あのことで?と思い、先に書いたようないきさつを説明した。
そのIM氏だが、責任を痛感して工場外に出ていたとのこと。
出た後の足取りなど詳細は覚えていないが、とにもかくにも、その後、IM氏は無事に見つかった。
後日、IM氏との雑談時、事故当時の状況に話しが及んだことがあるが、なぜ、あのバルブを閉めたのか、自分でもわからないと言っていた。
また、工場から出た後、死のうかと思っていたとも言っていた。
一方、これも後日談になるが、事故の後始末に最後まで関わっていたIS氏から聞いた話では、当時ご存命だった佐三店主、「逃げた社員がいたようだが、処罰してはいかん」と言った由。
氏の面目躍如といったところだ。
その言葉通り、IM氏はクビになることも左遷されることもなく、その後は普通の社員と同じように遇されていた。
(人事考課でどのように記されていたかは不明だが)
(次回最終稿は7月28日 予定)
その間、ずっと奥歯に挟まっていたのは、他社の事故情報がほとんど耳に入ってこなかったことです。
そこで退職を機に、有り余る時間を有効に使うべく、全国各地でどのような事故が起きているか本ブログで情報提供することにしました。
また同時に、安全に関する最近の情報なども提供することにしました。