2020年1月14日18時35分に産経新聞から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
6434人が犠牲になった平成7年の阪神大震災から、17日で25年となる。
この間、国内では大規模な自然災害が多発し、多くの人命が奪われた。
災害のたびに指摘されるのが、「阪神の教訓は生かされてきたのか」という点。
この四半世紀を振り返ると、国や自治体側に求められてきた災害対応と、命を守るために必要な行動が浮かび上がる。
【初動対応の遅れ】
阪神大震災の反省点として指摘されるのが、官側の初動対応の遅れだ。
当時、兵庫県公室次長兼秘書課長だった斎藤富雄氏(現・神戸山手大学長)は、「震災前、近畿に大地震はないという意識が国や自治体に広まっていた。防災担当の職員も少なく、初動の備えはゼロに等しかった」と振り返る。
遅れを招いたのは、不十分な情報収集体制だった。
国土庁(現国土交通省)に担当職員の宿直体制はなく、気象庁から一報を受けたのは警備会社から派遣された民間連絡要員。
職員が登庁し、情報収集を始めたのは約1時間後だった。
斎藤氏は、「複数の省庁が災害対応に関わるため、兵庫県側もどこに何を連絡していいか分からず、職員も初動が大切だと思って動いていなかった。初動の遅れが全ての遅れを招いたと思う」と話す。
震災を受け、発生から1年後の8年、首相官邸に危機管理センターが設置。
10年には緊急事態への対処で実務を統括する「内閣危機管理監」を設け、その後、関係省庁局長級幹部でつくる「緊急参集チーム」の招集権限を付与した。
7年末の災害対策基本法改正で緊急災害対策本部の設置要件を緩和。
23年の東日本大震災で初めて本部が立ち上がり、地震発生30分後には初会合が開かれた。
それでも態勢は万全とはいいがたい。
28年の熊本地震以降、被災自治体の要請を待たずに物資や機材を送る「プッシュ型支援」を実施。
だが、自治体側が対応できず、被災者に行き渡らない事例があった。
斎藤氏は、機能強化された官邸を「担当が数年でころころ変わるような現状はだめ」と指摘。
その上で、「専門知識を持つ防災省を創設すべきだ。専門職員が主導し、自治体間で安全に格差がある現状を変える必要がある」と助言する。
【避難のスイッチ】
活断層が集中するにもかかわらず、地震は起きないとの思い込みが根強かった関西。
また東北でも、東日本大震災前に大津波への警告は出されていたものの浸透できず、2万人超の犠牲者を出した。
「災害情報を提供することが大事なのではなくて、避難する『スイッチ』を入れる練習をもっとやらないといけない」
京都大防災研究所の矢守克也教授(防災心理学)は、避難への一層の意識付けの必要性を訴える。
南海トラフ巨大地震で、津波が想定される高知県の自治体で避難訓練に取り組む矢守氏は、近年の頻発する大雨による大規模水害にも注目する。
30年の西日本豪雨では、河川の決壊により岡山県で浸水被害が発生し、逃げ遅れた人たちが犠牲になった。
内閣府は昨年3月、災害の危険度を5段階にレベル分けするようガイドラインを改定。
とるべき避難行動が分かるように伝達するようにしたが、宮城、福島など12都県で死者・行方不明者が出た昨年10月の台風19号でも、避難の遅れや、避難しない人も多いなどの課題があった。
「阪神大震災で日本の安全神話は崩れ去った」と断言する矢守氏は、「提供する情報を詳しくしても、なかなか伝わらない。それよりも国や気象庁、自治体が地域に出向き、逃げることを徹底して教えていくべきだ」と話す。
https://www.sankei.com/affairs/news/200114/afr2001140020-n1.html
その間、ずっと奥歯に挟まっていたのは、他社の事故情報がほとんど耳に入ってこなかったことです。
そこで退職を機に、有り余る時間を有効に使うべく、全国各地でどのような事故が起きているか本ブログで情報提供することにしました。
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