2019年9月4日8時16分にNHK兵庫から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
近年、豪雨災害が相次いでいることを受けて兵庫県は、県が管理する680の河川のうち249の河川について、「1000年に1度」の大雨が降った場合の新たな被害想定を公表した。
このうち、住宅が密集する神戸市兵庫区を流れる新湊川の流域では12時間に817ミリの雨が降り、JR神戸駅や兵庫駅を含む8.5km2が浸水すると想定している。
水の深さは最大で11.4mに達し、2日近く浸水が続き、川沿いでは家屋が倒壊するおそれもあるとしている。
また、豊岡市を流れる円山川の下流では48時間に505ミリの雨が降って、JR豊岡駅を含むおよそ60km2が浸水し、1週間近く水が引かないと想定されている。
この被害想定は兵庫県のホームページで公開されていて、県総合治水課は、「自宅や学校、職場など、自分の生活圏の被害想定を見て危険度を把握し、災害に備えて欲しい」としている。
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190904/2000019822.html
9月6日19時17分に神戸新聞からは、神戸市長がツイッターで苦言を呈したという、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
兵庫県が「想定し得る最大規模の高潮」による神戸市内での浸水想定区域図を発表したことに対し、同市の久元市長が自身のツイッター上で、「何を根拠にこんなことを言うのか、県にはしっかりとした説明責任が求められる」と苦言を呈した。
県が4日に公表した高潮浸水想定区域図は、2015年の水防法改正に伴い、「想定し得る最悪のケース」の高潮被害を予測。
同市内で「3m以上5m以下」の浸水となる地域は、住宅地も含め約2.8km2に及ぶとした。
これに対し、久元市長はツイッターで、「あらゆる想定は必要で、高潮には万全の態勢で臨む必要があるが、心配する市民も多いだろう」と指摘。
想定の前提や根拠についての丁寧な説明を求めた。
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201909/0012676333.shtml
(ブログ者コメント)
〇以下は、今回想定し直した浸水被害予想地域と思われる映像の
1コマ。
〇それにしても県は、神戸市など従来より被害が拡大すると想定が変更された市町村に対し、こういった内容で発表すると事前に連絡していなかったのだろうか?
一方、神戸市長は、なぜ、正規のルートではなく、自身のツイッターで苦言を呈したのだろうか?
まさか、トランプ大統領のひそみに倣った?
実際の災害発生時、県と神戸市間で情報伝達や意思疎通ルートに問題が出なければいいのだが・・・。
2019年9月3日23時27分に毎日新聞から、浸水地域の図解付きで、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
佐賀県を中心に大規模冠水などをもたらした九州北部の大雨は4日、発生から1週間となった。
地元鉄工所から油が流出するなどし、深刻な被害が出た同県大町町では、水害対策として水を川に排出する排水機場の一つが8月28日午前の急激な水位上昇によって浸水。
操作員はポンプを止めて避難を余儀なくされ、機能不全に陥っていたことが判明した。
排水機場の浸水被害は全国で報告されており、識者は対策の必要性を指摘している。
大町町の浸水地域は低平地で水はけが悪く、水害の常襲地だった。
排水機場は、大雨時の市街地や農地の冠水を防ぐため、用水路などの水を遊水池に誘導しポンプで河川に送り出す仕組み。
町を流れる六角川に排水機場は計36あり、このうち町が管理する「下潟(しもがた)排水機場」(1秒当たり排水量7.5m3)は被害が大きかった地域の主要施設だが、雨で膝上の高さまで浸水した。
操作員の避難後に電気系統が故障したとみられ、復旧作業が続いている。
町から操作員を委任された男性住民によると、下潟排水機場では大雨に備えて8月27日昼からポンプを動かし始めたが、28日午前3時半から3時間で遊水池の水位は1.7m上昇。
水は増え続け、電気設備が浸水すれば感電する恐れがあるため、ポンプを止め、町の許可を得て正午前、備え付けのボートで避難した。
町内の浸水被害は、停止した下潟排水機場の周辺で広範囲に拡大し、床上・床下浸水は少なくとも381軒(8月末現在)。
順天堂病院が一時孤立したほか、冠水した佐賀鉄工所から油約5万ℓが流出し、水に混ざって住宅や農地に流れ込んだ。
操作員の男性は、「ポンプを動かしていれば被害は軽くなったかもしれないが、雨量が想定以上だった」と話した。
気象庁によると、大町町に近い観測地点(佐賀市)の28日の降水量は283ミリに上り、1890年に記録を取り始めて以降、最大だった。
排水機場が浸水して機能停止する例は、宮崎県えびの市の川内川(2006年)など、各地で報告されている。
政府の中央防災会議の専門調査会は10年、地盤かさ上げなどの対策を提言したが、市町村の財源は限られ、下潟排水機場など既存施設は、更新期まで改修されないのが現状だ。
調査会で副座長を務めた関西大の河田恵昭・社会安全研究センター長(危機管理)は、排水機場の停止で被害が広がった可能性を指摘し、「浸水の恐れがある排水機場は全国にある。国による現状調査と財政措置を伴った対策強化が必要だ」と話している。
https://mainichi.jp/articles/20190903/k00/00m/040/282000c
9月3日21時22分に同じ毎日新聞から下記趣旨の関連記事が、ポンプ場の水位上昇写真付きでネット配信されていた。
長年水害に苦しんできた佐賀県大町町。
1990年の水害を受け、水防の要として2000年に完成した「下潟排水機場」が、8月末に九州北部を襲った記録的な大雨で機能不全に陥った。
町を守ろうとぎりぎりまで排水機場に残り、ポンプを操作した住民2人が緊迫した当時の状況を振り返った。
町に委任され、00年の稼働開始から操作員を務める近くの建設業、牛島Tさん(男性、62歳)らは、8月28日が大雨になるとの予報を受け、前日の27日昼ごろから排水を始めた。
当初、排水は順調だったが、28日午前3時過ぎから、遊水池の水位は急に上がり始める。
午前3時半に2.00mだった水位は、3時間後には3.75mに。
「排水が追いつかん。こら、やばかぞ」。
一緒にポンプ操作していた親戚の養鶏業、牛島Hさん(男性、56歳)が排水機場を飛び出し、消防団の車で周辺住民に避難を呼び掛けて回った。
2人は、この時点まで刻々と上昇する水位を運転日誌に記していたが、余裕がなくなり、以後は,持ち場に戻ったHさんがスマートフォンで水位計を撮影して記録した。
午前7時半、水位計の針は4mを指そうとしていた。
排水機場入り口には濁った水が迫っていた。
施設内にはバッテリーなど電気機器が並ぶ。
「このまま水が増えたら感電する。危なかけん、逃げてよかか」。
Hさんは町役場に電話し、了承を得た。
最後に撮影した水位計は午前9時58分の4.25m。
これ以上とどまるのは危険と判断した2人はポンプを止め、備え付けのボートで排水機場を離れた。
「止めたら集落がつかる」と頭をよぎったが、他に選択肢はなかった。
排水の止まった町は広範囲で水につかった。
「水害から解放されたと思っていた。まさか浸水するとは」。
排水機場完成時、町長だった武村さん(男性、78歳)は、今回の災害に声を失った。
水害対策は、炭鉱の閉山後、人口が減少する町で工場誘致などの振興策を進めるための最重要課題だった。
ポンプの完成後はこれまで大きな被害はなく、武村さんは「今回は想定を超える雨だったとしか言いようがない」と語った。
ポンプ操作に当たった2人の自宅も浸水した。
飼育していた鶏約2000羽のほとんどを失ったHさんは、「これからは想定のさらに上の対策をしなければならない時代になったのかもしれない」とうめいた。
https://mainichi.jp/articles/20190903/k00/00m/040/286000c
9月6日付で西日本新聞からも、同趣旨の記事がネット配信されていた。
・・・・・
牛島Tさんは祖父の代から水門管理を担い、住民から「係さん」と呼ばれる。
2000年に排水機場が開所し、父から「係さん」を継いだ。
大雨が降れば、何時でも雨具を着て排水機場に向かう。
あの日も、そうだった。
しとしと雨が落ちる27日昼からポンプを動かした。
夜通し,排水機場の水位計に気を配った。
強まる雨脚。
28日午前6時、水位が4m近くに。
2時間で2mも上がった。
「排水が追い付かん。これまでと違う」
午前11時23分、携帯電話が鳴り、町の担当者が言った。
「鉄工所の油が流れているのでストップしてくれ」。
ポンプを止めれば住宅が水に漬かる。
頭に浮かんだものの、「町には逆らえん」。
指示に従った。
ただ、水位に応じて用水路から川に自然排水する水門は開けたままにした。
既に水位は門の下部に達しており、水面に浮いた油は滞留すると考えた。
わずかな望みを胸に家に戻った。
ぐんぐん水位が上昇。
黒い油水にのまれる一帯を、2階からただ見つめるしかなかった。
ポンプは停止後に冠水し、故障。
水門も国交省九州地方整備局職員の手で閉められていた。
・・・・・
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/540982/
(ブログ者コメント)
排水場のポンプが浸水した事例は、過去に本ブログでも紹介している。
2014年8月22日掲載
『2014年8月17日 京都府福知山市を襲った豪雨で2400棟以上が床上床下浸水したのは、排水ポンプ4台のディーゼルエンジンが水をかぶって動かなくなったことも一因』
http://anzendaiichi.blog.shinobi.jp/Entry/4202/
2019年3月25日23時8分に山陽新聞から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
昨年7月の西日本豪雨さなかのアルミ工場爆発と浸水による二重被害に遭った自動車部品製造のK鉄工所(総社市下原)が25日、約8カ月ぶりに生産を再開した。
工場の屋根が吹き飛び、生産設備も泥だらけになったが、周囲の支援も得て復旧。
関係者を招いてセレモニーを開き、再稼働した工場を披露した。
高梁川西岸に位置するAアルミ産業が爆発したのは、7月6日午後11時35分ごろ。
北隣のK鉄工所は、鍛造工場や製品検査工場といった計8棟が、爆風などでスレート製の屋根が飛ばされたり、大破したりした。
従業員ら45人は、退社して無事だった。
浸水被害も重なり、工場は全面的にストップ。
被害額は計り知れないという。
それでも、岡山県内外から駆け付けた取引先などの応援を力に、泥の処理などから着手。
機械は少しずつ修繕するなどしてきた。
昨年末には、金型工場などの6棟が被災前の状態にほぼ回復。
鍛造工場の6ラインのうち、1本をこの日、本格稼働させた。
金型工場なども動き始めたものの、稼働率はまだ全体の1割に満たず、全面稼働は見通せない状況という。
セレモニーには片岡総社市長をはじめ、行政、地元自治会などから関係者ら約40人が出席。
川上社長が、「豪雨でかつてない打撃を受けたが、多くの方々のおかげで歩み出せた。再び(工場が稼働する)音を聞けて本当にうれしい。この地で事業を続け、皆さんのお役に立てるよう頑張りたい」とあいさつ。
社員が工場内を出席者に案内した。
K鉄工所は1932年に大阪市で創業し、72年に現在地に移転した。
熱した鋼材をたたいて加工する「熱間鍛造」が専門で、変速機やエンジンなど自動車の動力を伝える駆動系部品などを製造している。
出典
『爆発と浸水 川上鉄工所が生産再開 総社 8カ月ぶり、工場を披露』
https://www.sanyonews.jp/article/883381/
(ブログ者コメント)
アルミ工場の爆発事故は本ブログでも紹介スミ。
2019年1月12日3時0分に朝日新聞から、橋の出入り口を塞ぐタイプの中型?陸閘の写真付きで、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
昨年7月の西日本豪雨の際、堤防の切れ目にあって河川の水が住宅地に流れ込むのを防ぐ「陸閘(りっこう)」と呼ばれるゲート15カ所以上が開いたままだったことがわかった。
11日にあった、豪雨時の県の対応を検証する災害検証委員会の場で、県側が明らかにした。
県管理の15カ所のほか、倉敷市管理の陸閘が閉まっていなかったケースもあったという。
陸閘は、堤防などの切れ目にある鉄製の扉や板。
川が増水した際は、閉めることで、住宅地などへの浸水を防ぐ堤防の役割を果たす。
県河川課によると、陸閘を閉めるタイミングを示す操作基準などは特になく、管理者や地元住民の判断に任せられているという。
同課によると、豪雨災害の際、県が管理する387カ所の陸閘のうち、高梁市落合町や倉敷市真備町などの少なくとも15カ所が閉められていなかった。
このほか、倉敷市真備町の末政川にある市管理の陸閘も閉まっていなかったという。
陸閘付近が冠水し、管理者らが近づけなかったことなどが理由とみられる。
11日にあった4回目の検証委で、委員の前野詩朗・岡山大大学院教授は、陸閘が閉まらなかったことで大きな浸水被害につながった可能性があるとし、「陸閘は、住宅街への水の浸入を防ぐ重要な水防施設。普段から住民と話し合い、しっかり訓練をしておくことが重要だ」と指摘。
委員長の河田恵昭・関西大社会安全研究センター長は、「最終的には、陸閘の近くに住む県庁職員が駆け付け、閉めるということも考えてもらいたい」との意見を述べた。
この日は、決壊の恐れなどがある危険箇所の把握についても意見交換がされた。
豪雨災害の際、県管理の河川で決壊した16カ所のうち、特に注意して水防活動に取り組む「重要水防箇所」として指定されていたのは3カ所だった。
県は今後、指定基準が適切かどうか見直す方針だという。
県が、被災した約7000世帯を対象に、豪雨時の避難行動などについてたずねたアンケートについては、3928世帯(回収率59.12%)から回答があった。
2月に開かれる次回会合で、調査結果を含めた報告書案を公表する予定。
河田委員長は会合後、「私たちが提言するだけではなく、提言をベースに住民側で議論していただきたい。住民だけでなく、被災した市町村に県としての覚悟を述べ、それを受けて市町村が次にどう動くのかが大変期待されている」と語った。
出典
『岡山)15カ所の陸閘、閉まらず 県災害検証委員会』
https://digital.asahi.com/articles/ASM1C4F4WM1CPPZB00D.html?rm=423
1月10日22時5分にNHK NEWS WEBからは、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
去年7月の西日本豪雨で、大規模な浸水被害が出た岡山県倉敷市真備町では、川の水が流れ込むのを防ぐ「陸閘」という設備が閉められなかったことで、場所によっては、浸水の深さが増すスピードがおよそ1.7倍速くなり、住民の避難を困難にした可能性があることが、専門家の解析でわかった。
陸閘は、道路や橋を通すため、堤防の高さが周囲より低い部分を門扉や板などで閉じる設備で、川が増水した際に住宅地などへの浸水を防ぐ応急的な堤防の役割を果たす。
岡山県と倉敷市によると、真備町には合わせて7つの陸閘があったが、去年7月の西日本豪雨の際は、いずれも開いたままになっていた。
河川の災害に詳しい東京理科大学の二瓶泰雄教授は、現地調査などを基にシミュレーションを行い、陸閘が開いている場合と閉まっている場合の浸水被害の広がりを分析した。
その結果、陸閘が開いていると、地区によっては浸水の深さが増すスピードがおよそ1.7倍速くなったほか、住宅の1階部分が水没する深さ3mに達するまでの時間も3時間半近く早まり、住民の避難を困難にした可能性があることがわかった。
また、最終的な浸水の深さも、50cm近く深くなったという。
陸閘が閉鎖されず浸水被害が出るケースは、ここ数年、各地で相次いでいて、二瓶教授は、「いざという時に活用できるよう、備えておくことが必要だ」と指摘している。
【なぜ陸閘は閉鎖されなかったのか】
専門家の解析で最も影響が大きかったのは、町内を流れる末政川にかかる有井橋の陸閘が開いたままだったことだ。
有井橋は、真備町内を東西に走る片側1車線の市道にあるため、陸閘の管理や操作は倉敷市が担当していた。
道路沿いには病院や商店が建ち並んでいて、交通量が多く、陸閘を閉めるには道路を通行止めにする必要がある。
しかし、どのような状況で道路を通行止めにし、陸閘をいつ閉めるのか、具体的な雨量や水位の基準はなかった。
また、倉敷市によると、閉鎖に使う板は、管理を県から移管された10年以上前から無かったということで、他の場所から大型の土のうを運んできて閉鎖する予定だったという。
倉敷市は、住民から寄せられた「末政川があふれた」という情報を基に、去年7月6日の午後11時ごろ、地元の建設会社に陸閘を閉めるよう要請したが、すでに水があふれていて、作業ができなかったという。
川の近くで自動車販売店を営む男性は、「当時は川からあふれた水の勢いが強く、車が押し流されるような状況だった。しっかり閉鎖してほしかった」と話していた。
倉敷市は、現在、有井橋のたもとに土のうを保管していて、設置までの時間を短縮する対応をとっている。
当時の対応について倉敷市土木部の梶田部長は、「もう少し早めの対応が必要だったと感じるが、夜間で川の状況もわからなかったこともあり、残念ながら閉鎖できなかった。一方で、閉鎖が早すぎると幹線道路を止めることになり、避難する住民をせき止めてしまうのではとジレンマを感じている」と振り返った。
そのうえで、今後の対策について、「陸閘を閉める雨量などを示し、早めの避難をお願いするなど、市民との事前の申し合わせが重要だと感じている。また、災害時は、陸閘の対応だけに時間を割けないので、将来的には、道路の改良工事を行って陸閘自体を廃止するなど、抜本的な対策も必要で、岡山県とも協議を進めたい」と話していた。
【専門家「事前の確認が不可欠」】
東京理科大学の二瓶康雄教授は、「陸閘は非常に重要な施設で、洪水時に閉められていないと、本来ならば浸水せずに済んだ場所が浸水したり、浸水の量が増えたりして、甚大な被害につながる可能性が高い。自治体は、真備町で起きたことをひと事と思わず、運用の実態を把握し、いざという時に誰がどのようなタイミングで閉鎖するのか、確認しておくことが重要だ」と指摘している。
そのうえで、「陸閘を閉めることで道路が使えなくなれば、『いつもより大きな洪水が起きる可能性がある』というメッセージを住民に伝える効果も期待できる。住民も陸閘の役割を知り、閉鎖されなければ浸水のリスクが高まることを理解しておくことが重要だ」と話していた。
【陸閘が閉鎖されず被害が出た例】
陸閘が閉鎖されず、周辺の住宅地などが浸水する被害は、近年、各地で相次いでいる。
去年9月の台風21号の際は、高潮で海水が川を逆流し、神戸市東灘区を流れる高橋川が氾濫した。
高橋川にかかる深江橋には陸閘があったが、開いたままの状態になっていて、周辺の住宅地が最大で60cm浸水した。
東京理科大学の二瓶教授の研究グループのシミュレーションでは、陸閘が閉まっていれば、周辺には浸水被害は出なかった可能性がある。
この陸閘を管理する神戸市によると、陸閘を閉めるため、業者が現場に向かった際には、すでに浸水が始まっていて、閉鎖が間に合わなかったという。
また、おととし8月には、滋賀県長浜市を流れる姉川で、堤防より低い場所にかかる大井橋から水があふれ、周辺の住宅が浸水した。
洪水時には、地元の住民が板を設置して閉鎖することになっていたが、間に合わなかった。
近くに別の橋があることから、その後、この場所は閉鎖され、現在は通行できない状態となっている。
出典
『「陸閘」未閉鎖で浸水加速か 住民避難を困難にした可能性』
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190110/k10011774031000.html
1月13日15時27分に読売新聞からは、陸閘閉鎖のマニュアルがなく訓練も実施されていなかったなど下記趣旨の記事が、人だけが出入りする小型?陸閘の写真付きでネット配信されていた。
県は11日、堤防の役割を果たす開閉式の門扉設備が適切に閉鎖されていなかったことを明らかにした。
少なくとも県内の4市15か所で閉じられておらず、大規模浸水が起きた倉敷市真備町も含まれていた。
県によると、河川近くの道路に設置されている「陸閘」と呼ばれる施設。
県管理の陸閘は県内に387か所あり、うち125か所では問題はなかったが、真備町妹や高梁市落合町阿部など15か所で、不適切だったことが判明した。
残り247か所は調査中という。
増水時の対応は、道路管理者または管理者から委託された地元住民が判断する。
県は、適切に対応できなかった理由について「マニュアルがなく、訓練も実施されていなかった」と説明。
「閉鎖しようとした時には、既に付近が冠水しており、近付くことができなかった」と述べた。
県は、今後、マニュアルの作成や訓練の実施を進めていくという。
出典
『マニュアル・訓練なし、冠水で門扉閉鎖できず』
https://www.yomiuri.co.jp/national/20190113-OYT1T50034.html?from=ycont_top_txt
2019年1月4日11時21分に京都新聞から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
建設残土を巡って、近年、一部の民間処分場で災害時に土砂が崩れ、民家に流れ込むなどの被害が各地で起きている。
背景には、処分場が少なく、事業者が土砂の持って行き場に困っている現状がある。
国や自治体は規制強化やリサイクルの促進など対策を進めるが、多くは未利用のまま処分されているのが実態だ。
国交省によると、2001~16年に全国で建設残土が崩落した事案は14件に上る。
09年には、広島県東広島市で民家に土砂が流入し、2人が死傷した。
14年には大阪府豊能町で土砂が車道に流れ、半年近く通行止めが続いた。
京都市伏見区小栗栖の大岩山では、山の南側斜面に積まれた残土が7月の西日本豪雨で崩落し、住宅街の約10m手前まで迫った。
市によると、市内の土木会社から昨年、「太陽光パネルを設置するので山頂付近を造成したい」と相談があった。
だが実際には、残土処分場として、大量の土砂を受け入れていた。
残土を持ち込んでいた京都市内の運送会社の男性社長(49)は、「依頼したその日のうちに運んでも受け入れてくれる、ありがたい存在だったが、後に問題があると分かり、使うのをやめた」と明かす。
搬入作業に当たった元従業員によると、処分料は10トントラック1台当たり8500円。
「6000~1万円」という相場の範囲内だが、他の処分場よりも少ない人員や重機で作業を行うことで利益を上げていたという。
残土処分場の数について明確なデータはないが、男性社長は、「常に処分場を探している状態。京都府内に処分場は足りない」と話す。
災害時の崩落防止や適切な処理のため、京都府を含む20都府県と約300市町村は、昨年8月までに、残土を受け入れる事業者に、事前許可や土質調査などを義務付ける土砂条例を制定している。
ただ、小規模事業所は許可が不要で、罰則は100万円以下の罰金にとどまるなど、実効性は高くない。
京都市のように、条例を定めていない自治体も多い。
国交省によると、12年度に国内で発生した建設残土、約1億4000万m3のうち、再利用されたのは36%で、残りの64%は未利用のまま処分された。
同省は、搬出、搬入双方の情報を集約しマッチングさせるためのホームページを15年に立ち上げたが、今年3月末までにマッチングが実現したのは14件(14万m3)のみ。
同省の担当者は、「時期や土質が合わないことが多い。まずは制度の周知を図りたい」としている。
◇仮置き場設置を
【建設残土に詳しい京都大の嘉門雅史名誉教授(環境地盤
工学)の話】
大阪万博の開催が決まったことで、人工島の夢洲が有力な残土の受入地となり、関西で数年間は処分に困らなくなる可能性が高い。
ただ、東京五輪に向けたインフラ整備に伴い、建設残土は全国的に増加傾向にある。
国のマッチング制度の活用を進めるには、残土の仮置き場を開設し、搬入・搬出双方の時間差や土質を調整する方法が考えられる。
課題は、誰が仮置き場を設置するかだ。
まずは、行政や事業者の間で再利用の意識向上に努めてほしい。
出典
『建設残土の崩落被害、各地で発生 処分場少なく、再利用も進まず』
https://this.kiji.is/453748181158085729?c=39546741839462401
※大岩山の事例は、下記記事参照。
(2019年1月4日11時0分 京都新聞)
京都市は1月、市内の土木業者が山頂付近に大量の土砂を搬入している事実を把握。
宅地造成規制法に基づき、土地管理者である栃木県内の不動産管理会社に撤去を指示したが、管理会社側の対応は遅く、崩落を招いた。
10~11月、管理会社が緊急対策工事を実施。
市は、来年1月末に恒久対策案をまとめる方針。
残土の受け入れや崩落の責任を巡っては、管理会社が土木会社を相手に損害賠償を求めて京都地裁に提訴しており、現在、係争中。
出典
『大岩山残土崩落問題とは』
https://this.kiji.is/453744572595700833?c=39546741839462401
(2018年8月31日22時3分 朝日新聞)
京都市伏見区の大岩山(標高182m)で7月、西日本豪雨により大規模な土砂崩れがあり、ふもとの住宅から約10mまで土砂が押し寄せた。
山頂付近に無許可で投棄された建設残土に加え、その崩落を防ぐ工事用として業者が搬入した土砂も流された。
大雨で再び崩落することを心配する地元住民は、8月31日、工事の中止や早急な安全対策を京都市に申し入れた。
市や住民の説明では、7月5~7日の豪雨で、山の南側斜面が約400mにわたり崩れた。
土砂や樹木などが市有地内の農業用ため池(縦約27m、横約15m、深さ約4m)を埋め、民家の約10m手前まで迫った。
山頂付近の土地は、栃木県の不動産管理会社が管理する。
市は1月、現場付近に大量の建設残土が無許可で持ち込まれ、造成されていることを確認。
宅地造成等規制法に基づき、土砂の傾斜を30°以下に抑えるよう、管理会社に是正指導をした。
この無許可投棄について、管理会社は、京都市内の土木会社が無断で持ち込んだとして、この会社に損害賠償を求めて京都地裁に提訴しているが、土木会社は関与を否定している。
・・・・・
出典
『不法投棄の残土、西日本豪雨で崩落 民家に迫り「不安」』
https://www.asahi.com/articles/ASL804TRLL80PLZB00K.html
2018年12月27日12時0分に産経新聞westから、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
7月の西日本豪雨で大きな浸水被害が発生した広島市安佐北区の口田(くちた)地区。
一級河川の矢口川の氾濫によって、過去に何度も浸水している地区で、今回は国交省中国地方整備局が36億円をかけて、4月に新しい排水機場を設置した。
しかし豪雨当日は故障で稼働せず、またも被害を出した。
整備局は、「想定以上の雨で、流入した大量のゴミなどがポンプをつまらせた」と説明。
ただ、正常に稼働しても排水能力を超えていたという。
設置当初は「10年に1度の豪雨でも大丈夫」と“安全宣言”も出していただけに、住民らは「裏切られた」と怒りが収まらない。
【過去に何度も浸水被害】
矢口川は、広島市内を北から南に流れる一級河川の太田川に合流する支流。
合流部の口田地区は矢口川の近くまで民家が立ち並び、本格的な堤防もないため、過去にも頻繁に浸水被害が発生してきた。
降雨で太田川の水位が上がると、矢口川への水の逆流を防ぐため矢口川の水門が自動閉鎖され、行き場を失った矢口川の水があふれる。
浸水はこうして起きており、構造的な問題も指摘されてきた。
そこで、矢口川には平成元年、浸水対策として毎秒4トンの排水能力を持つ排水機場が設置された。
豪雨時に矢口川の水をポンプでくみ上げ太田川へ流す仕組みだが、それでも雨量によっては排水が追いつかず、最近では17年、22年と立て続けに床上浸水が起きている。
こうした実態を踏まえ、国と県、市は24年、矢口川総合内水対策計画を策定。
ハード面の対策として整備局が行ったのが、毎秒4トンの排水能力を持つ新たな排水機場2基の設置だった。
2基は工期5年と総工費36億円をかけ4月に完成。
これで既存の排水機場と合わせ、計3基で毎秒計12トンの排水が可能となり、整備局は住民に「10年に1度の豪雨でも大丈夫」と説明していた。
ところが、わずか3カ月後の7月6日、西日本豪雨でまたも川は氾濫した
【なぜ、川はあふれた?】
排水機場から約400mに位置する「山下医院」事務部長の増原さんは、同日午後5時過ぎに水位を心配して川に向かい、目を疑った。
川の水位は河岸の高さまで30cmの余裕もないほどだった。
排水機場を見ると、ポンプによって吸い込まれるはずの水が、停滞したまま動いていない。
身の危険を感じた増原さんは即座に整備局に電話し、すぐポンプを動かすよう要請した。
その後、ポンプは稼働し、水位は下がり始めた。
祈るような思いで川を見つめていた住民も安堵し、家路についた。
だが住民らによると、その約20分後の午後5時半ごろ、川が氾濫し、地区内に水が流入してきたという。
あわてて避難を始めたものの、水の勢いは急激に増し、流木や車も流れ始め、一帯は危険な状態に陥った。
浸水発生当時、山下病院には透析患者約30人、入院患者約10人がいた。
医院の隣の薬局によると、一時は床上約160cmで水位が上昇。
夜になってレスキュー隊が到着し、孤立した患者の一部を運び出した。
浸水域ではないが、午後6時前には矢口川の少し上流の地区で山崩れが起き、土砂が民家を押しつぶし3人が死亡している。
市によると、口田地区の浸水域は約8.6ヘクタールに及び、死者はなかったが、3000余りの世帯のうち床上・床下浸水が約110軒に上り、最大60人が避難した。
地域から水が引いたのは翌7日午後。
排水機場が新設されたのに,なぜ今回も浸水被害が起きたのか。
整備局からは説明がなく、不審を抱く住民も多かった。
何度も床上浸水を体験してきた薬局経営者は「今回が一番ひどい」と証言。
避難が遅れ、孤立者が多数出たことに、「排水機場ができ、誰もが今度こそ安全だと思っていたのに、裏切られた」と話した。
【想定以上の雨で故障】
「新設のポンプ2台のうち1台が正常に稼働していなかった」。
整備局は10月末になって、ようやく口田集会所で住民説明会を開き、正式に発表した。
被害があってから3カ月余りがたっていた。
原因は、排水機場に備わる、流木などのゴミを取り除く除塵機が大量の土砂やゴミを排除しきれず停止。
このため排水機場内の水槽に土砂などが流入し、水槽の水位が下がったことで、ポンプが間欠運転(止まったり動いたりする運転)を繰り返し、排水能力が低下したという。
さらに流入した泥によってポンプの軸受けが破損したことも、排水能力を下げた一因という。
住民からは、「もしポンプが動いていれば、浸水は起きなかったのか」との質問も出たが、整備局側は「申し訳ないが、それでも浸水は起きた。雨は想定以上で、排水能力が足りなかった。もし前回の説明で(当時の担当者が)『二度と浸水被害が起こらない』と言ったのなら、大変申し訳なく思う」と回答した。
しかし、こうした説明に約100人の住民からは、「泥やゴミくらい最初から考慮すべきだ」「いざというときに動かんのじゃあ、36億もかけた意味がない」「排水能力不足の設備をなぜ作ったのか。これは人災だ」と怒りの声が噴出。
一部では被害の賠償を求める声も出ている。
整備局は、ポンプ増設は難しいとして、故障したポンプを改良して再設置するとしている。
整備局の担当者は、「同型ポンプは全国的に採用されている平均的な構造だが、雨が想定を上回った。(土砂や流木が多く見込まれる)山から近いこの場所への設置は適していなかったのかもしれないが、当面の対策として、矢口川の上流側に土石流を捉えるワイヤネットを設置した。今後はポンプの改良に加え、除塵機の増強なども検討したい」と話す。
しかし住民らは納得せず、「春の雨すら怖い。せめてスピーカーでもつけて、危険を知らせほしい」との声もある。
出典
『国の36億円排水ポンプ故障 西日本豪雨で役立たず』
https://www.sankei.com/west/news/181227/wst1812270002-n1.html
2018年8月18日13時5分に毎日新聞から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
7月の西日本豪雨の救助活動で福岡県久留米市では、2012年九州北部豪雨を受けて市が配備した市消防団のボートを活用した。
ボートは、13~15年度に12年九州北部豪雨で浸水した11校区に11艇、大雨で浸水の恐れがある17校区に17艇を、5月末に配備を終えたばかりだった。
同市は、12年九州北部豪雨で床上浸水174戸、床下浸水1148戸の被害が発生。
住宅が冠水して、住民の救出にはボートが必要となったが、市内に43分団ある消防団にボートはなく、久留米広域消防本部のボートに頼らざるを得なかった。
消防団がボートを持つことで、もっと早く救助できるとして、ボートを配備。
今回は、28艇のうち13艇を使い、同本部とも協力し、ボートで200人近くを救助した。
西日本豪雨の住宅被害(7月22日現在)は床上浸水423戸、床下浸水1011戸で、浸水件数と床上浸水件数とも、12年九州北部豪雨を上回った。
・・・・・
出典
『教訓生きた ボート配備で200人救助』
https://mainichi.jp/articles/20180818/k00/00e/040/301000c
※当時の救助活動の様子を伝える記事が2018年7月8日6時37分に西日本新聞から、下記趣旨でネット配信されていた。
九州を襲った記録的な豪雨は、一夜明けた7日、各地で詳細な被害状況が次々と明らかになった。
土砂崩れや浸水による孤立も一時相次ぎ、ボートや重機を使った救助や復旧作業が夜遅くまで続いた。
福岡県筑後地区では、未明から幅広い範囲で浸水被害が発生。
久留米広域消防本部には、「自宅が水に漬かって避難できない」などの救助要請が何10件も入った。
久留米市によると、住宅1170戸が床上・床下浸水。
市内の大刀洗川、山ノ井川があふれ、消防隊員らが救助用ボートを使って、高齢者を中心に60人以上を救出した。
ボートに乗り込んだ人たちは不安そうな表情で、川のようになった住宅街を進んだ。
九州自動車道久留米インターチェンジ付近も冠水し、渋滞が続いた。
・・・・・
出典
『住宅街、まるで川 西日本豪雨 久留米市“救助の要請”次々と』
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/431054/
2018年8月14日13時46分に朝日新聞から、シリーズ企画として下記趣旨の記事がネット配信されていた。
7月の西日本豪雨は、各地に未曽有の雨を降らせた。
四国・愛媛県も例外ではなかった。
1級河川の肱(ひじ)川では、貯水能力を上回る大量の水が流れ込んだ2つのダムが、過去最大の緊急放流に踏み切った。
川は下流で氾濫し、犠牲者が出た。
あのとき、何が起きていたのか。
国や自治体、地元の消防団、住民らへの取材を通じ、時間を追って「ダム・クライシス(危機)」が高まっていった様子を再現する。
《7月4日20:00》
【ダムへの流入量は毎秒890トン】
愛媛県西予市の野村ダムにある国交省の管理所。
職員たちは、日本気象協会による予想雨量をもとにした48時間後の推計データを確認するのが日課だった。
はじき出された数字を見て、職員たちは戦慄した。
普段の流入量は毎秒数トンほど。
これまでの最大は、1987年の梅雨時期の毎秒806トンだった。
この時は、下流で駐車場や田畑が水没した。
その後に河川は改修されたものの、毎秒1000トンに迫る放流をすれば、下流が水没する恐れがあった。
【(ダムの水を利用する権利を持つ)水利者と協議して、事前放流が必要だ】
2日後に予想された豪雨を前に、川西・管理所長らは動き出した。
事前放流とは、大量の水が流入するのが予想される場合に備え、貯水量を減らしておく処置だ。
このダムは、周辺地域のかんきつ畑や水道に水を供給する水がめでもある。
「野村ダムなくして、南予のミカンはない」と考えていた川西所長。
迫り来る豪雨を前に、地域の生活や農業に用いるための貯水をあきらめてでも、水位を大幅に下げておく必要があると判断した。
《5日9:30》
一夜明け、野村ダムは事前放流を始めた。
この時間までに、関係する水利者の承諾は得られた。
管理所の雰囲気について、酒井専門官は、「予想雨量が大きく、緊張感があった」と証言する。
野村ダムの貯水能力は1270万トン。
この放流によって水位は下がり、利水用の250万トンを加えた計600万トン分を空けた。
《6日22:00》
事前放流から1日半が過ぎた。
予報通り、雨雲は停滞。
野村ダムの上流域も雨が降り続き、水の流入量が毎秒300トンを超えた。
下流には、もう一つの鹿野川ダムがあるが、そのまま流せば最下流の大洲市で浸水が懸念される量だ。
管理所には、当直以外の職員も含めて、ダムの操作に関わる約10人全員が詰めていた。
事態は、事前放流による「備え」を超えつつあった。
《7日2:30》
「今のままでは川があふれる恐れがある。(流入量まで放流量を増やす)異常洪水時防災操作を午前6時50分に行う」
川西所長は、西予市野村支所の土居支所長にホットラインの電話をかけた。
この操作は緊急放流とも呼ばれ、これまでダムが受けとめることによって絞ってきた下流への水の量が一気に増えることを意味する。
土居支所長は車を走らせ、西予市の管家市長らと協議。
「移動の安全も考えて、少し明るくなった時間に避難させよう」。
午前5時半までに、住民らに避難指示(緊急)を発令することが決まった。
《3:37》
午前3時以降、1時間に20ミリを超える雨が続き、歴史的な豪雨になり始めた。
川西所長が土居支所長に伝えた。
「操作の実施は、(30分前倒しして)午前6時20分になる」
支所へ戻る途中だった土居支所長は、急いで部下たちに指示を与えた。
「消防団員らを集めて、午前5時10分の避難指示を住民に呼びかけてくれ」
ダムが大雨による水を受け止めきれない。
苦肉の策の緊急放流が迫るなか、すぐ下流で、消防団員らによる必死の呼びかけが始まった。
出典
『西日本豪雨 ダムクライシス ダム緊急放流、決断の背景に迫る 河川氾濫で犠牲者多数』
https://www.asahi.com/articles/ASL895RKYL89PTIL011.html
(ブログ者コメント)
8月9日に開かれた住民説明会では、住民側から「人災」という厳しい声が飛んでいた由。
(2018年8月10日 毎日新聞大阪版)
『西日本豪雨 愛媛・肱川氾濫 「人災」住民謝罪求める 野村ダム説明会』
https://mainichi.jp/articles/20180810/ddn/012/040/041000c
人間が考え、あるいは作業したことで起きた事故には、多少なりとも人災という側面がある。
それが今回は、これまでに得られた情報から考えると、一気に大量放流したことよりも、大量放流の危険性がかってないほど高いものであると住民らに正しく伝えられなかったことのほうが人災割合大だったような気がしている。
(2/3に続く)
(1/3から続く)
8月15日18時36分に朝日新聞から、シリーズ2回目として、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
7月の西日本豪雨では7日早朝、愛媛県西予市の野村ダムが下流への放水を急激に増やす緊急放流に踏み切った。
正式には、「異常洪水時防災操作」という処置だ。
流入する水を受け止めきれなかったダムから放たれた濁流は、まだ住民の残る肱川下流の同市野村地区を襲った。
《7日6:30ごろ》
野村地区で、消防団員らによる避難の呼びかけが終了した
大森さん夫婦(夫82歳、妻74歳)は、2度にわたって消防団員に声をかけられた。
だが、後になって水に沈んだ自宅の玄関そばで亡くなっているのが発見される。
市の関係者によると、夫は介護が必要な状態だったという。
《6:30》
野村地区の下流。
大洲市の消防団が鹿野川地区の詰め所に集まった。
老人ホームの近くで土砂崩れが起きたという情報が入り、緊張が走る。
「2つの班は土囊作り! 残りは町の警戒!」。
分団長の指示が飛んだ。
《6:37》
「河川、越水!」
野村地区。
肱川の近くで活動していた消防隊員から無線が入った。
地区には、まだ、住民らが残っていた。
(残り1418文字は有料/全文:1892文字)
出典
『西日本豪雨 ダムクライシス 「戸が開かん、助けて」 放たれた濁流は住民残る集落へ』
https://www.asahi.com/articles/ASL704323L70PTIL00N.html
(3/3に続く)
(2/3から続く)
8月15日19時19分に朝日新聞から、シリーズ3回目として、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
7月の西日本豪雨で流れ込む水を受け止めきれず、流域の2つのダムが異常洪水時防災操作(緊急放流)を行った愛媛県の肱川。
川沿いの西予市と大洲市で相次いで氾濫が起き、住民らは混乱に陥った。
最下流の大洲市では、ダムの放流量が増えることを知らせる警報が、必ずしも届いていなかった。
《7日8:00》
大洲市消防団のNT分団長(50)のもとに、消防団の本部から、ダムの放流を知らせる無線連絡が入った。
ただ、放流量までは知らされず、住民らの避難に向けた動きは、必ずしも素早いものとは言えなかった。
NTさんが地区を回ると、川沿いの住宅の敷地に水が押し寄せ、水位がみるみる上昇していった。
道路も冠水していた。
「避難してくれー。死んでまうぞー」
「車を捨てろ!高台に行け!」。
消防車のマイクを握って叫んだ。
「まだうちにばあちゃんがいるんです!」。
住民が叫ぶ。
消防団員が急いで家に駆けつけ、高齢女性を消防車に乗せた。
《8:20》
大洲市の地元消防団のNKさん(39)が自宅近くの橋で水位を確認していると、肱川支流の河辺川の水位が一気に増し、川が橋をのみこんだ。
肱川の水位が上がったことで,河辺川の水が逆流したとみられる。
橋にいたNKさんは足をすくわれ、溺れた。
高台に続く坂道まで、数10mを何とか泳ぎ切った。
「ちょっと死にかけた」。
NKさんは、その後、消防団員の仲間らに、こうLINEで報告した。
「本当に死にそうだった。ダムの緊急放流の話は知らなかったし、サイレンも聞こえなかった」
(残り1487文字は有料/全文:2139文字)
出典
『西日本豪雨 ダムクライシス 急激な増水「死んでまうぞー」 住民に届かなかった警報』
https://www.asahi.com/articles/ASL70438YL70PTIL00P.html
(2018年12月23日 修正1 ;追記)
2018年12月21日17時43分にNHK四国から、国や自治体はソフト、ハード面での対策を打ち出したが納得していない住民も多いという、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
西日本豪雨で、愛媛県内ではダムが大量の水を放流したあとに下流の川が氾濫し、甚大な被害が出た。
これを受けて国や自治体は、ダムの情報を避難の基準に取り入れるなど、半年近くかけてこれまでの対応を見直したが、住民ひとりひとりの確実な避難につながるかが課題となっている。
7月7日、西予市にある野村ダムは、貯水量が限界に達した。
午前6時20分、緊急措置として、ダムに流れ込んだ大量の水をそのまま放流する「異常洪水時防災操作」が行われ、この直後、下流の肱川が氾濫した。
濁流は西予市野村町の中心部を襲い、5人が犠牲になった。
野村ダムの緊急の操作から1時間あまり後の午前7時35分、20kmほど下流にある鹿野川ダムでも貯水量がいっぱいになり「異常洪水時防災操作」が行われた。
放流量は、一時、安全とされる基準のおよそ6倍に達し、大洲市内の広い範囲が浸水し、流域で3人が死亡した。
これについて、住民から情報が不十分だったといった声があがり、ダムを管理する国交省四国地方整備局は、専門家や自治体を交えて、住民への情報の伝え方やダムの操作のあり方などを検証した。
その結果、国はこれまでの対応を見直し、川の氾濫の危険度を段階ごとに伝えたり、緊迫感が伝わるサイレンの鳴らし方や呼びかけ方に改善したりすることになった。
また、自治体は、避難の基準にダムの放流情報を反映することや、新たにハザードマップを作ることになった。
ハード面でも、見直しが行われた。
国と県は、肱川の従来の治水計画を前倒しし、おおむね5年後までに今回並みの豪雨に耐えられるよう、堤防をかさ上げしたり新しく作ったりするほか、おおむね10年後までに大洲市の山鳥坂ダムを完成させることにしている。
こうした治水対策に伴って、国はダムの操作方法も改善していく方針だ。
しかし、国や自治体の対応に納得していない被災者も多く、地域住民の理解を得たうえでひとりひとりの確実な避難につながるかが課題となっている。
国交省四国地方整備局の渡邊河川管理課長は、「検証結果を確実に実施し、進捗状況をチェックすることが重要だ。治水対策といったハード面の整備だけでは危険は残るので、県や地元の自治体と協力してソフト対策を進め、住民の主体的な避難につなげたい」と話している。
出典
『ダム放流の検証・対策と課題』
https://www3.nhk.or.jp/matsuyama-news/20181221/0002843.html
2018年8月6日付で中国新聞から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
西日本豪雨のため福山市内の約2000haが浸水した問題で、甚大な被害の出た地域にある大半の排水ポンプが水に漬かり、稼働停止していたことが分かった。
記録的な雨量に対応し切れずポンプが停止し、被害を拡大させたとみられる。
水田などが広がっていた時代に土地改良区が整備した排水能力の低いポンプも多く、新増設の必要性が浮き彫りとなった。
・・・・・
出典
『浸水で大半のポンプ停止 福山』
2018年8月5日7時30分に毎日新聞からは、国交省は長年の要望を受け合流点の付け替え工事を来年度から始める予定だったなど、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
西日本豪雨で堤防が決壊した岡山県倉敷市真備町地区の小田川について、国の河川改修計画が完了していれば、決壊地点の水位は約1.5m低下できたと、前野詩朗・岡山大教授(河川工学)が4日に広島市であった土木学会調査団の記者会見で明らかにした。
前野教授は、「改修していれば、被害はこれほど大きくならなかったと予測される」と話した。
真備町地区では1級河川・高梁川の水位が上昇し、支流の小田川の流れをせき止める「バックウオーター現象」が発生。
小田川の堤防は、高梁川との合流点から3.4km上流など、複数箇所で決壊した。
小田川に注ぐ支流でも堤防が決壊し、真備町地区は約12平方kmが浸水、51人が自宅などで亡くなった。
前野教授らの調査では、浸水した深さは最大5.38mに達したという。
前野教授は、国交省などのデータから、今回豪雨時の流量や水位を分析。
小田川と高梁川の合流地点を約5km下流に移す付け替え工事が完成していた場合、小田川の水位は合流点から3.4km上流で1.5m、6.4km上流で0.9m、それぞれ低下したと推計した。
前野教授は、「河川改修で併せて計画されている河川掘削や河道内の樹木伐採も同時に行えば、水位はさらに下げられたはずだ」と話した。
小田川では、1972、76年にも大規模な浸水があり、国交省は住民の長年の要望を受けて、小田川の流れをスムーズにする付け替え工事を来年度から始める計画だった。
出典
『西日本豪雨 小田川改修で水位1.5m低下「減災できた」』
https://mainichi.jp/articles/20180805/k00/00m/040/094000c
少し前、2018年7月13日6時0分に東洋経済からは、50年も前から計画されていた付け替え工事がなかなか進まなかったのは相手自治体の反対や治水目的のダムが水源確保目的にすり替わったためだったなど、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
【半世紀前からあった計画】
小田川をめぐっては、高梁川との合流地点を付け替える工事が今秋に予定されていた。
小田川が高梁川と合流する位置を現在より約4.6km下流に移動させることで、合流部分の洪水時の水位低下を図るものだ。
もっと早く対策しておけば・・・・。
そんな声も漏れ伝わる一方、工事は一筋縄ではいかない現実が横たわる。
計画自体は50年も前から存在していたにもかかわらず、なぜ、現在まで着工に至らなかったのか。
高梁川と小田川の流域は、幾度となく水害に悩まされてきた。
1893年10月に上陸した台風では、岡山県全域で床下・床上浸水5万209戸、全半壊1万2920戸という被害に遭った。
そこで、東西に分岐して海に流れていた高梁川を西側に一本化し、東側は埋め立て、西側の一部は貯水池として整備された。
だが、その後もたびたび洪水に見舞われたため、治水の重要性が再び浮上してきた。
そんな中、小田川の合流地点付け替え工事は、2007年に基本方針が策定された。
今秋に予定される工事は11年越しとなるわけだが、実は、前身となった計画は昭和にまでさかのぼる。
もともとは、治水対策としてダム建設が計画されていたからだ。
1968年、旧建設省は柳井原堰(ダム)建設の構想を発表した。
場所は、今回の小田川付け替え工事完了後の合流部分に当たり、水害の相次ぐ小田川の治水と、水島コンビナートを中心に渇水にあえぐ下流地域の水源開発が目的だった。
建設予定地は倉敷市と船穂町(現倉敷市船穂町)にまたがっていたが、船穂町は柳井原堰の建設に猛反発した。
第一に、治水の恩恵は上流の真備町(現倉敷市真備町)などの小田川流域、利水の恩恵は下流の倉敷市などの都市部が中心で、船穂町には大きなメリットがなかった。
加えて、明治から大正時代に行われた、東西に分かれていた高梁川を一本化する工事にて、船穂町の一部の集落が貯水池の底に沈んだという苦い過去も想起された。
1980年には、周辺自治体が開発を促進する会を結成し、幾多の交渉が続けられたものの、船穂町は慎重姿勢を崩さず、計画は棚ざらしとなった。
【ようやく日の目を見るはずだった】
ところが1995年2月、事態は急展開を迎える。
船穂町が、硬化させていた態度を一転させ、建設省および岡山県との間で柳井原堰建設の覚書を締結したのだ。
背景には、周辺自治体に比べて開発の遅れていることへの焦りがあった。
柳井原堰の建設計画の行方が定まらぬままで、大規模な都市開発やインフラ整備を実施できていなかった。
同時期に進められていたポッカコーポレーション(現ポッカサッポロフード&ビバレッジ)の工場誘致も用地買収が難航し、黄信号が灯っていた。
そこで建設と引き換えに、覚書には、船穂町振興計画の実施に向けて国と県、町が協力することを盛り込んだ。
バイパスや下水道の建設、農業集落の整備など計36項目、総額630億円の支援事業が並んだ。
建設容認を通じて、町の未来を託した格好だ。
同時に、柳井原堰建設を1997年から開始することについても合意。
2008年頃には竣工する計画だった。
建設省の発表から27年、ダム建設計画はようやく日の目を見る・・・はずだった。
(2/2へ続く)
(1/2から続く)
【建設に向けた準備が少しずつ進んでいたさなかだった】
「国が建設を進めている船穂町の柳井原堰(中略)については、本体工事未着手のこの段階で見直しを行いたいと考えております」。
2002年6月10日、岡山県知事はダムの建設中止を、突然、表明した。
倉敷市長や船穂町長でさえ、「青天の霹靂(へきれき)だった」と言う、突然の中止宣言。
いったい何が起きたのか。
背景には、1968年の計画発表時から30年以上が経過し、社会情勢が様変わりしていたことがある。
当時の倉敷市の推計によれば、1日当たりの計画水量を32.2万トンとしていたが、実際の使用量は20万トン程度にとどまり、利水としてのダムの意義は薄れていた。
本来は治水対策のはずの柳井原堰だったが、倉敷市議会からは「(倉敷市に)関係があるのは(総工費600億円のうち)2割の利水。柳井原堰はメリットが本当にあるのか」という声も上がった。
折しも、バブル崩壊後の景気後退を受け、国は公共事業の見直しを進めていた。
建設省は、計画の進捗が見られないダムの建設中止を、次々と決定した。
柳井原堰は幸い、中止を免れたものの、事業主体である岡山県の財政状況も厳しさを増すなど、逆風は確実に吹いていた。
結局、関係自治体の間で、ダムがなくても安定して水を供給できるという結論に達し、2002年秋、柳井原堰の建設中止を中国地方整備局に正式に申し出た。
翌年の事業評価にて、中国地整は「中止は確定したが、高梁川ならびに小田川の治水対策を行う必要があるため、今後、早期に小田川合流点の付け替え処理等抜本的な治水対策を行う必要がある」と指摘したものの、小田川の治水対策は、事実上、振り出しに戻った。
その後、2005年には、政令指定都市を目指す倉敷市が真備町と船穂町を編入合併している。
【被害は軽減できた】
2007年8月に柳井原堰を除いた小田川の改修工事の基本方針が、2010年には具体的な整備計画が策定された。
環境アセスメントなどを経た後、2014年にようやく国交省の予算がついた。
この間、堤防の整備や川底に堆積した土砂の掘削など、小田川の部分的な治水工事は細々と行われたものの、抜本的な工事は今秋から始まる予定だった。
その直前に、地域一帯を豪雨が襲った。
国交省の計画によれば、仮に付け替え工事が完了していたら、ピーク時の水位は最大6~7m低下し、堤防の外側の土地よりも水位が高まる(洪水の危険がある)時間も、対策前の80~90時間から20時間にまで抑えられていたという。
「被害を防げたとはいえないが、軽減はできたかもしれない」(中国地整)。
現在は、盛り土や土嚢による仮復旧の状態。
付け替え工事は今後も進めていくが、「計画よりも早めに進めたい」(同)。
一度災害が発生すると対策が急速に進むことは、裏を返せば、災害が起こるまで対策は進まないことを意味する。
小田川の氾濫対策は、かねて警鐘が鳴らされていた。
倉敷市が公表している「第六次総合計画施策評価シート(平成29年度)」では、防災政策に関する市民からのアンケート結果として、「高い重要度に見合った満足度が得られていない領域」という評価が下されるなど、住民の中でも災害に対する懸念は根強かった。
それでも、政治や利害対立に揉まれた結果、計画から工事着手まで50年も要した。
行政評価に詳しい高崎経済大学地域政策学部の佐藤徹教授は、「どの事業も重要であるから(政策に)優先順位をつけたくない、というのが行政の本音ではないか。(優先順位を付けたとしても)結果を踏まえた予算配分を行う、という仕組みがないと予算には結びつかない」と指摘する。
付け替え工事の完了は、およそ10年後を予定している。
その間、豪雨に襲われない保証は、どこにもない。
小田川の堤防決壊は、防災政策の優先順位を高める必要性を、われわれに示している。
出典
『真備町浸水、50年間棚上げされた「改修計画」 政治に振り回されている間に、Xデーは訪れた』
https://toyokeizai.net/articles/-/229270
2023年10月30日17時18分に読売新聞からは、合流点の付け替え工事が進められているという、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
2018年の西日本豪雨で甚大な浸水被害が出た岡山県倉敷市真備町などで国土交通省が進めている小田川と高梁川の合流点を下流に付け替える事業で、同省は29日、小田川から新たな流路への通水を開始した。
今後、両河川を分離する堤防工事に取りかかり、来年3月の完成を目指す。
西日本豪雨の際には、本流の高梁川の水位上昇により、支流の小田川の水が本流に流れにくくなる「バックウォーター現象」が発生。
小田川の堤防が決壊し、周辺の約4600棟が全壊するなどした。
事業では合流点を約4・6キロ・メートル下流に付け替えることで、大雨が降っても小田川の水位は現状よりも大幅に低下し、氾濫のリスクを減らす効果があるという。
川沿いの山を20年1月から掘削するなどして新たな流路を作った。
現在、小田川と新たな流路は直径70センチの管で結ばれており、この日、管を塞ぐ土のうを重機で持ち上げると、小田川から水が勢いよく流れ込んだ。
今後、管を撤去した上で、通水箇所を広げ、今の合流点を分離する堤防も整備する。
水が通る様子は地域住民ら数十人も見守った。
地元の防災啓発団体「川辺復興プロジェクトあるく」代表(44)は、「安心して暮らすことのできる地域に一歩近づいたと思う。ハード面の整備に安心するだけでなく、地域住民もしっかり防災に取り組みたい」と語った。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20231030-OYT1T50069/
2018年7月28日に掲載した元記事がプロバイダーの字数制限オーバーとなりましたので、ここに新情報を第3報として掲載します。
第2報は下記参照。
http://anzendaiichi.blog.shinobi.jp/Entry/8628/
(2018年8月10日 修正2 ;追記)
2018年8月4日5時0分にNHK NEWS WEBから、国交省は緊急放流時の住民への周知方法を見直したなど、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
西日本豪雨で、愛媛県の肱川がダムの放水量を増やした後で氾濫したことを受けて、国交省は、肱川の上流にある2つのダムで緊急的な放流を行う際に、サイレンを鳴らす回数を増やすなど、住民に周知する方法を見直した。
先月の西日本を中心とした豪雨で、愛媛県の西予市と大洲市では肱川が氾濫し、逃げ遅れるなどして9人が犠牲になった。
上流にある野村ダムと鹿野川ダムでは、ダムの流入量と放水量をほぼ同じにする「異常洪水時防災操作」が行われ、その後、急激に増水していたため、住民から国の周知の在り方に疑問の声が出ていた。
このため国交省四国地方整備局は、この操作を行う際の住民への周知について、より切迫感のある方法に見直した。
具体的には、野村ダムで、50秒間のサイレンを5秒の間隔をおいて3回鳴らす動作と、鹿野川ダムで、およそ1分間のサイレンを10秒の間隔をおいて5回鳴らす動作の回数を、いずれも従来の1回から2回に増やす。
また、スピーカーなどで知らせるアナウンスの表現を、「これまでに経験のないような洪水です。直ちに命を守る行動をとってください」と改めるほか、警報表示板の表示を「ダム放流中」から「ダム放流増加非常事態」と変更する。
国交省は、新たな方法で住民への周知の徹底を図るとともに、より効果のある情報提供の在り方を、今後もさらに検討していくとしている。
出典
『愛媛 肱川のダム緊急放流 住民への周知方法を見直し』
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180804/k10011562861000.html
8月3日22時1分に産経新聞westからは、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
国交省は3日、両ダムで大量放流時に流す警報について、「経験のないような洪水です」といった、より切迫感が伝わる表現に見直したと発表した。
試験的に実施し、本格的な変更に向け検証する。
ダムに入ってくる量とほぼ同量を放流する緊急操作の際、警報やアナウンスを屋外スピーカーから流すことになっているが、これまでの放送は「緊急操作に移行する予定。厳重に警戒してください」との表現で、住民から「どのくらい切迫している状況なのかが分からない」と批判の声が上がっていた。
国交省は、「これまでに経験のないような洪水です。直ちに命を守る行動を取ってください」と呼び掛ける表現に変更。
サイレンの回数も増やし、住民に対し、より効果的な情報提供をするとしている。
出典
『ダムの警報より切迫感ある表現に見直し 大量放流は「洪水」に変更』
http://www.sankei.com/west/news/180803/wst1808030088-n1.html
8月4日付で毎日新聞東京版からは、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
変更した内容は、大雨特別警報で気象庁が呼びかける内容とほぼ同様の表現。
従来は、「異常洪水時防災操作に移行する予定。厳重に警戒してください」だった。
出典
『西日本豪雨 ダム放水時の放送内容変更 四国地方整備局』
https://mainichi.jp/articles/20180804/ddm/012/040/042000c
2018年7月31日付で毎日新聞東京版から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
西日本豪雨で11府県に出された大雨特別警報の対象は、186市町村に及んだ。
2013年度に制度化されてから10回目の発表となった大雨特別警報で、気象庁は前代未聞の規模で「最後通告」を発していた。
その切迫感が自治体や住民には十分に伝わらず、「平成最悪」の広域豪雨災害となった。
5日朝。
登庁した気象庁の黒良(くろら)・主任予報官は、自席のパソコンで目を通した予報資料に驚いた。
梅雨前線の停滞で、日本列島の広い範囲で今後3日間、24時間雨量が200ミリを超える。
見たこともないデータに、「大きな河川が氾濫するかも」と焦りを募らせた。
上司の梶原・予報課長は、梅雨前線による大雨では異例の記者会見を開くべきだと考えた。
危険が及ぶ地域を細かく特定するデータはなかったが、橋田長官が「やりましょう」と決断した。
黒良予報官は、午後2時からの記者会見で、「西日本から東日本で記録的な大雨になる恐れがある」と強調した。
6日午前10時半からの会見では、気象庁が「最後通告」と位置づける大雨特別警報発表の可能性に言及。
午後5時10分、福岡など九州3県に最初の大雨特別警報を出し、8日までに順次拡大した。
各自治体は避難勧告・指示を最大約863万人に出したが、犠牲者は30日現在の毎日新聞集計で221人に上った。
24人が死亡した広島県呉市の新原(しんはら)市長は5日夕の飛行機で上京したが、事務方は気象庁発表の内容について、予想雨量などから「報告する必要はない」と判断。
新原市長は6日朝から財務省などを回る公務をこなして広島に戻ったが、交通渋滞に巻き込まれ、呉市役所到着は午後11時過ぎ。
広島県に大雨特別警報が出てから3時間半近くがたっていた。
広島市危機管理室の貞森・災害対策課長は6日午前6時半に出勤し、予想雨量から土砂災害の危険度を5段階に色分けしてパソコン画面の地図に示す「メッシュ情報」のチェックを続けた。
午後7時40分、大雨特別警報が広島県内に出た。
地図は、危険度が最も高い紫色で埋まっていく。
「土壌は相当水を含んでいるはずだ。早くやんでくれ」
広島市は、死者が77人に上った14年8月の土砂災害で避難勧告の遅れを批判され、避難所開設を待たずに発令できるよう、地域防災計画を改正した。
今回の豪雨では市内で23人が犠牲になり、大半が勧告を出した地域にいた。
貞森課長は、「我々の危機感は強かった。まだ住民への伝え方が足りないのか……」と悩む。
小田川が氾濫し51人が死亡した岡山県倉敷市真備町地区。
諏訪さん(男性、71歳)は、6日の気象庁会見をNHKで見たが、ピンとこなかった。
午後9時ごろ、自宅前の水路があふれ、間もなく自宅が浸水。
自衛隊のボートで2階から救助された。
「気象庁や市は情報発信してくれたのに、鈍感だった」と反省する。
甚大な被害を受けて、情報発信の見直しが迫られるのは必至だ。
菅義偉官房長官は12日の会見で、
「ここ数年、従来と桁外れの豪雨被害が繰り返し発生している。防災気象情報と避難情報の連携を含めてしっかり検証する必要がある」
と述べた。
静岡大防災総合センター長の岩田孝仁教授は、
「特別警報など、新たな情報が創設され、避難勧告が低く見られた結果、住民が逃げない一因になっているのでは。
今回は、気象庁の危機感が十分に伝わらなかった。
市町村長が直接呼びかけたり、首相や官房長官が会見したりすることも検討すべきだ」
と指摘する。
出典
『検証 西日本豪雨/1 特別警報、伝わらぬ切迫感 市民「ピンとこず」避難遅れ』
https://mainichi.jp/articles/20180731/ddm/041/040/038000c
(ブログ者コメント)
先日紹介した台風21号時の高波被害も、これと同じことではないかと感じた。
2018年7月30日8時6分に読売新聞から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
西日本豪雨の影響で肱川が氾濫した際、国が管理する大川水位観測所(愛媛県大洲市森山)が浸水被害に遭い、肱川の水位が観測できなくなったことがわかった。
大洲市が菅田地区などへの避難指示・勧告を発令する際の基準とする水位を測る施設で、当面の間、上流の鹿野川ダムの放流量などによる推計値で判断基準を代替するという。
国交省大洲河川国道事務所によると、肱川には大洲、西予両市で計7か所の水位観測所があり、大川観測所は、氾濫で流失した大成橋の上流700mの肱川堤防沿いに立地。
7日午前8時40分頃、2m以上の床上浸水に遭い、観測機器などが故障した。
大洲市は7日午前7時30分、市全域に避難指示を出しており、故障は判断に影響していないとしている。
大洲河川国道事務所は8月中の仮復旧を目指すが、それまでの間は、鹿野川ダムの放流量と肱川の支流・小田川の水位を測る内子水位観測所(内子町知清)での観測データを基に、大川観測所付近の水位を推計する。
大洲河川国道事務所の阿部副所長(53)は、「本来あってはならないことで、遺憾だ。河川が氾濫した場合でも浸水などで機器が故障しないよう、対策をしっかりと考えたい」と話した。
出典
『水位観測所が浸水「本来あってはならないこと」』
https://www.yomiuri.co.jp/national/20180729-OYT1T50092.html
2018年7月27日23時9分にdmenuニュース(山陽新聞)から下記趣旨の記事が、越水現象の図解付きでネット配信されていた。
西日本豪雨により倉敷市真備町地区の小田川が決壊した原因を探っている国の調査委員会(委員長・前野詩朗岡山大大学院教授)は27日、岡山市内で会合を開催。
川の水があふれ出て「越水」し、堤防が外側から削られたことなどが影響したとの見解で一致した。
地盤・地質や河川の専門家ら委員7人が出席し、非公開で行われた。
終了後に会見した前野委員長は、「現段階では、水流で堤防(外側ののり面)が削られ、破堤したことが主な原因と考えられる」と説明した。
ただ、河川の水が堤防に染みこんでもろくなるなど、複数の要因が絡んだ可能性もあるとみている。
越水を主な原因とした根拠については、テレビ報道で流れた映像での確認に加え、決壊場所近くの堤防上に漂流したごみが残るといった痕跡があることを挙げた。
また、越水の発生原因に関しては、本流である高梁川の水位が上がり、支流の小田川の水が流れにくくなる「バックウオーター現象」によって引き起こされたとの見方を示した。
今回の豪雨で、真備町地区では小田川2カ所が決壊したほか、同川の支流である末政川、高馬川、真谷川の3河川でも計6カ所が決壊し、推計で4600戸の浸水被害が出た。
同委員会は、支流の6カ所も同じく越水が要因で破堤したとみている。
次回会合は8月中旬ごろを予定。
詳しい要因を明らかにするとともに、今秋以降に取り組む堤防の本復旧工事の工法を協議していく。
出典
『小田川堤防決壊の主要因は越水』
https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/sanyo/region/sanyo-107923450
7月27日23時9分に毎日新聞からは、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
調査委によると、住民が洪水時に撮影した映像で、川の水が堤防の外側を削る様子が一部の決壊場所で確認できた。
一方、川底や堤防の内側がコンクリートで覆われているのに決壊した箇所もあり、内側から堤防が壊れる「浸食破壊」の可能性が低いことも、越水が原因とする判断理由になったという。
前野委員長は、「複合的な要因で決壊した可能性があり、さらに検討したい」と話している。
出典
『西日本豪雨 真備決壊は「越水」原因か 堤防の外側削る』
https://mainichi.jp/articles/20180728/k00/00m/040/131000c
(2018年8月24日 修正1 :追記)
2018年8月22日19時57分に毎日新聞から、堤防決壊の主因は越水だったと結論づけられたなど、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
調査委は7月から、現地を訪れるなどして決壊の原因を調査。
その結果、8カ所のうち7カ所はバックウオーターの影響で水位が上昇して越水が起き、あふれた激しい水流が堤防の外側(市街地側)を削って堤防の強度を弱め、決壊を招いたとの結論に至った。
残る1カ所では、バックウオーターの影響で堤防以外の部分から水があふれる「(溢水いっすい」が起き、同様に決壊を招いたとした。
この場所には、堤防より低い場所に橋が架かっており、この橋の部分から溢水したという。
こうした調査結果を基に調査委は、小田川と支流の水位を下げる必要があると判断。
小田川の流れをスムーズにするための河川付け替え工事や、河道掘削工事を進めるよう提言した。
調査委の前野詩朗委員長(岡山大教授)は、「国や県は、効果的かつ効率的な工法を決定し、速やかに復旧工事に着手してもらいたい」と話した。
出典
『岡山・真備決壊 主因は「越水」 国の調査委が結論』
https://mainichi.jp/articles/20180823/k00/00m/040/062000c
2018年7月23日15時7分に読売新聞から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
西日本豪雨による浸水被害で3人が死亡した広島県三原市の沼田(ぬた)川で、川の中州などに茂った樹木が流れを妨げ、氾濫の一因となったとみられることが、土木学会の現地調査でわかった。
県も危険性を認識し、今秋以降に伐採する予定だった。
専門家は、「全国各地に同様の河川がある。早急に対策を取るべきだ」と指摘する。
三原市などによると、同市では今月6日夜から7日朝にかけて、沼田川や支流の菅川などで、水が堤防を越える越水や決壊が発生、約2200戸が浸水、3人が死亡した。
県の水道施設も水没し、同市や尾道市など4市1町の約9万世帯で断水が発生した。
15日に現地調査した土木学会の河原能久・広島大教授(河川工学)は、沼田川の中州などに茂った樹木に大量の流木やがれきが引っかかっているのを確認した。
すぐ近くで水が堤防を越えており、河原教授は、「樹木や流木が流れを妨げ、川の水位が上昇したと考えられる」と分析した。
・・・・・
出典
『中州の樹木、川の氾濫の一因に…土木学会調査』
https://www.yomiuri.co.jp/national/20180723-OYT1T50041.html
7月16日7時41分にNHK NEWS WEBからも、同趣旨の記事がネット配信されていた。
今回の豪雨で8人の死亡が確認されている三原市では、市内を流れる沼田川があふれ、さらにその支川の堤防が決壊するなどした結果、これまでに住宅180棟余りが床上や床下が水につかる被害が出ている。
15日は、河川の災害に詳しい広島大学大学院の河原能久教授が広い範囲が浸水した三原市本郷町を訪れ、現地の様子を写真に撮ったり、流域の人に当時の川の様子について聞き取ったりした。
その結果、沼田川では、中州などに手入れされず大量に茂った樹木が水の流れを妨げ、被害を拡大させたと見られることがわかった。
さらに、橋の上流の住宅に被害が多く確認されたことから、橋脚に流木などが引っかかり、水の流れをふさぐ障害物になったと見られるという。
河原教授は、「今回のようにまとまった雨が長時間降り続く場合、ほかの場所でも同じような被害が出る恐れがある。水を下流に流す川の本来の能力を低下させないようにすることが防災につながる」と指摘している。
出典
『三原市の河川を専門家が調査』
https://www3.nhk.or.jp/hiroshima-news/20180716/0001550.html
2018年7月22日17時40分に朝日新聞から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
西日本豪雨の影響で、岡山、島根、愛媛3県の浄水場14カ所が被災し、うち11カ所が土砂災害や洪水の危険の高い区域にあったことがわかった。
災害から2週間が経った今も復旧していない地域があり、生活再建の妨げになっている。
厚労省のまとめでは、今回の豪雨による断水は最大26万戸。
22日時点でも、広島、岡山、愛媛3県の1万7000戸にのぼる。
川などから取った水を浄化する浄水場は、岡山、島根、愛媛3県の8市町で被害を受けており、そのうち岡山県新見市と愛媛県宇和島市では断水が解消していない。
朝日新聞の調べでは、8市町の被災浄水場は計14カ所。
このうち3県7市町の11カ所は、土砂災害防止法に基づいて都道府県が指定する「土砂災害警戒区域」や、水防法に基づく「洪水浸水想定区域」にあった。
「水がないだけで、こんなに困るとは思わなかった」。
土砂災害で11人が亡くなった愛媛県宇和島市吉田町の山口さん(女性、77歳)は話す。
吉田町の山間部にあった浄水場は、大雨が降った7日に土砂崩れで壊滅した。
市によると、22日午後5時時点でも、約5000戸が断水している。
住宅街には、浸水の汚れを洗い落とせていない家や店舗が残る。
管理する南予水道企業団によると、浄水場は1983年の建設で、配水しやすいようにと高台につくられた。
今年6月、県が一帯を土砂災害警戒区域に指定したが、直後の豪雨で砂防ダムを乗り越えた土砂にのみこまれた。
企業団の担当者は、「ここまでの土砂は想定していなかった」と話す。
岡山県倉敷市の浄水場は川に近く、洪水で5m以上の浸水が想定される区域にあり、昨年度から電源設備などのかさ上げを進めている最中だった。
岡山県高梁市で被災した4つの浄水場も、洪水浸水想定区域にあったが、水害対策はしていなかった。
担当者は、「川のそばは取水効率やコスト面で便利だが、水の恐ろしさを知った」と言う。
厚労省は2015年に「水道の耐震化計画等策定指針」を改定し、水道事業者に施設の水害対策を要請。
土砂災害警戒区域や浸水の想定区域を把握し、対策を取るように求めてきた。
しかし、15年に鬼怒川が氾濫した関東・東北豪雨や、昨年の九州北部豪雨でも、浄水場が被災している。
今回、壊滅した宇和島市吉田町の浄水場について、企業団などは同じ場所での再建を諦め、1kmほど離れた場所に代替施設を建てることを決めた。
ただ、その予定地も土砂災害警戒区域。
山がちで、海沿いの平地は津波の恐れもあり、適地が限られるという。
関西大学の河田恵昭・社会安全研究センター長は、「一度被災すれば復旧に時間がかかり、泥を洗い落とせない住民も生活再建が止まってしまう。施設の被災を想定していない水道事業者は、防災対策を見直すべきだ」と指摘している。
出典
『「ここまでの土砂想定外」被災浄水場、8割が危険区域に』
https://www.asahi.com/articles/ASL7N74RPL7NUTFL01G.html
7月15日22時18分に産経新聞westからも、同趣旨の記事がネット配信されていた。
西日本豪雨では各地の水道事業者の給水機能がストップし、12府県で一時、最大で27万戸近くが断水し、今も計16万戸以上で断水が続く。
愛媛県では、隣接する山の斜面が崩落して施設が埋没して復旧を断念。
広島県では、病院が節水を余儀なくされ、必要最小限の治療にとどまる。
被災地の水不足は、連日の酷暑に追い打ちをかけられるように、深刻な状況に陥っている。
【浄水池に土砂】
「考えもつかない量の雨が降り、想定を超える土砂崩れが起きた」。
愛媛県宇和島市の吉田浄水場を運営する南予(なんよ)企業団の担当者は慨嘆した。
同浄水場は昭和61年に供用を開始し、宇和島市吉田町と三間町(みまちょう)の約6500戸に水道水を供給してきた。
しかし、豪雨で周囲の山の斜面が3カ所で崩れ、大量の土砂や流木が、砂防ダム2基を乗り越えて、浄化槽や機械室、浄水池に入り込んだ。
このため、7日から送水の停止が続いている。
復旧を目指して調査が行われたが、再び大雨が降れば同じような土砂崩れが起きる恐れがあるとして、別の場所での建て直しを余儀なくされた。
九州や四国から給水活動の応援を続けているが、両町の水道は復旧が見通せない状況だ。
【医療現場でも節水】
7日から断水が続いている広島県尾道市の因島総合病院(160床)では、職員が島内の貯水施設まで給水車を往復させ、院内で使用する水を確保している。
同院では、通常、1日100トンの水が必要だが、被災当初、確保できたのは3分の1程度の約30トンだった。
同院は島内で唯一、人工透析を実施し、100人超の透析患者に対応している。
患者は2日に1度、数100ℓの水を必要とする透析治療を受けるが、現在は通常の半分ほどの水量に減らして治療を続けている。
このほか、入院する約120人の患者に提供する病院食から汁物を外したほか、入浴の代わりに汗ふきシートを利用。
トイレの水量を減らしたり、食器も洗わずに済む使い捨てのものにしたりなど、節水には余念がない。
尾道市によると、病院が位置する地域では16日以降の復旧を見込むが、同院担当者は、「自信を持って医療を提供し続けていけるか不安だ。1秒でも早く復旧してほしい」と話した。
・・・・・
出典
『16万戸断水続く…浄水場被害深刻、復旧見通せず』
https://www.sankei.com/west/news/180715/wst1807150041-n1.html
2018年7月15日に掲載した元記事がプロバイダーの字数制限オーバーとなりましたので、ここに新情報を第2報修正1として掲載します。
第1報は下記参照。
(1/2)
http://anzendaiichi.blog.shinobi.jp/Entry/8573/
(2/2)
http://anzendaiichi.blog.shinobi.jp/Entry/8577/
(2018年7月28日 修正1 ;追記)
2018年7月20日10時19分に読売新聞から、検証活動中の学識者はダム放流は必要だったと話したという、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
国交省四国地方整備局は19日、学識者らを集めた委員会による検証活動を開始した。
委員らは現地調査後、放流が適切に行われたかどうかなどについて議論。
放流の操作をしなかったとしても、最終的には同じ水量がダムを越えて肱川に流れ込むうえ、ダム施設が壊れる恐れもあったことから、委員の鈴木幸一・愛媛大名誉教授(河川工学)は「操作は必要だった」と話した。
出典
『増水5人死亡も…ダム緊急放流は「必要だった」』
https://www.yomiuri.co.jp/national/20180720-OYT1T50037.html
7月20日20時23分にNHK NEWS WEBからは、当時の情報伝達状況の詳細などが、下記趣旨でネット配信されていた。(新情報に基づき、タイトルも修正した)
・・・・・
【ダム放流「知らなかった」の声相次ぐ】
ダム放流の情報は、住民に適切に伝わっていたのか。
「知らなかった」と言う住民の声が相次いでいる。
鹿野川ダムの1kmほど下流、
大洲市肱川町の下鹿野川地区に住むW武士さん(77)と仁恵さん(73)の夫婦。
午前8時半ごろ、2人がいた自宅の1階に水が一気に入り込んで来た。
「水が入ってくるまで、何もわからなかった。放流を知らせるサイレンは鳴っていなかったと思うし、鳴っていたとしても気づかなかった」(武士さん)
自宅は1階部分がほぼ水没。
武士さんは2階から裏山に、間一髪、難を逃れたという。
武士さんは、「もっと早く知っていれば、避難することもできた」と話す。
同じ地区に住むHさん(男性、77歳)が危険な状況に気づいたのは午前8時すぎ。
ダム放流の緊急措置から、すでに30分以上たっていた。
「避難した方がいい」、知人から電話を受け、外を見ると、氾濫した川から水が自宅に向かって津波のように押し寄せてきていたため、あわてて2階に逃げた。
「電話をもらっても、『うそだろ』と思いました。近所の人でダムを放流するということを聞いた人は、誰1人いないと思う。今回は天災ではなく、人災だと思っている」
・・・・・
【なぜ聞こえなかったか ダム管理者の周知は】
なぜ、ダムの放流を知らせる警報の音声やサイレンは聞こえなかったのか。
ダムの管理事務所は、決められた手順で行ったとしている。
鹿野川ダムでは、7日の朝の放流警報は2回。
1回目は午前5時半。
「ダムは現在、毎秒約600トンを放流中ですが、さらに放流量を増やします。川の水が増えますので、厳重に警戒してください」
このときはアナウンスのみ。
放流量の増加の程度が規定を超えず、サイレンは鳴らしていない。
2回目は午前6時18分。
「ダムの流入量は今後も一層増加することが予想されるため、異常洪水時の操作に移行する予定です。川の水が急激に増えますので、厳重に警戒してください」
このときは、放流量の増加の程度が規定を超えたため、サイレンも鳴らされた。
管理事務所は、同じ内容をアナウンスする警報車を、鹿野川ダムの流域で2台走らせたとしている。
それでも、聞こえなかったことについて、管理事務所は「かなり強い雨が降っていたからではないか」と説明している。
地区から最も近い場所でサイレンが鳴らされたスピーカ-は、鹿野川ダムの事務所に設置されているもので、地区の中心部からおよそ600mあり、サイレンの音が確実に届くと想定されているぎりぎりの範囲だった。
ダムの放流の音や激しい雨の音で、警報放送はおろか、比較的遠くまで届くはずのサイレンの音さえも届いていなかった可能性がある。
【“毎秒6000トン放流の見込み”情報生かせず】
ダム放流の情報を受け取った自治体も、その情報を直接、住民に伝えていなかったこともわかった。
鹿野川ダムで放流の緊急措置が始まった7日の午前7時35分。
実は、その2時間以上前から、大洲市にはダムの管理事務所からのホットラインでダムの放流情報が、逐一、伝えられていた。
午前5時10分。最初のホットラインが入る。
ダム;「洪水調節中。最大で毎秒1800トンの流入が予測され、放流を850トンまで増量予定」
この段階で市は、放流量の増加で川の水位にどの程度影響が出るのか調べるよう、担当課に指示を出したという。
次のホットラインは午前6時20分。
ダム;「過去最大の放流量になる見込み」
しかし市は、この時点でも、住民に放流の情報を伝えることはなかった。
そして、その30分後の午前6時50分。最後のホットラインが入る。
ダム;「鹿野川ダムで6000トンの放流見込み。現在、通行可能となっている道路も、追って冠水が想定される」
鹿野川ダムでは、安全だとする放流の基準は毎秒600トン。
その10倍の放流を見込むとする、かつてない異常を知らせる連絡だった。
このときの市長の答え。
市;「尋常ではないのですね。とにかく普通でないことはよくわかった」
大洲市は、肱川の水位の情報をもとに、午前7時半に避難指示を出したが、最後まで、ダムの放流情報を住民に直接伝えることはなかった。
市は、「ダム放流の具体的な数字を伝えることで混乱を招くことを懸念した。今後、ダムの放流情報についても住民に周知することを含め、検討していきたい」としている。
・・・・・
出典
『ダム放流“知らなかった” 肱川氾濫の真相は』
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180720/k10011542011000.html
その間、ずっと奥歯に挟まっていたのは、他社の事故情報がほとんど耳に入ってこなかったことです。
そこで退職を機に、有り余る時間を有効に使うべく、全国各地でどのような事故が起きているか本ブログで情報提供することにしました。
また同時に、安全に関する最近の情報なども提供することにしました。