2021年3月18日10時40分にNHK高知から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
高知県内に整備されている114基の津波避難タワーのうち、およそ4分の1が、階段やスロープが津波で流される可能性があるのに具体的な対策がとられていないことが県の調査で分かりました。
高齢者などがタワーの上に取り残されるおそれもあり、県は、設置する自治体に対策を求めています。
高知県内では、南海トラフ巨大地震に備えて、これまでに114基の津波避難タワーが整備されています。
それぞれのタワーは、国が示す強度の基準を満たすように設計されていますが、タワー本体に付属する階段やスロープについては、基準がないということです。
このため、県は、ことし1月までにタワーのある沿岸部の17市町村に対して「階段やスロープは津波に耐える強度はあるか」と確認したところ、これまでに整備された114基のタワーのうち、およそ4分の1が、階段やスロープが津波で流されるなどする可能性があるのに、具体的な対策がとられていないことが分かったということです。
高齢者など、支援が必要な人が長期にわたってタワーの上に取り残されるおそれがあるため、県は、設置する自治体に対し、簡易式のはしごや滑り台のように地上に降りることができるシューターなどの整備を求めています。
整備する場合は、県が費用を半額負担するということです。
津波避難タワーの階段やスロープの対策は、設置する市町村の考えに委ねられているのが現状です。
県内で最も多くのタワーが設置されている香南市では、市が管理する18のタワーすべてで、津波や漂流物がぶつかる衝撃で、階段やスロープ、それに、手すりが流されたり壊れたりする可能性があるということです。
このため市は、すべてのタワーに設置段階から、下の階に降りるためのはしごと地上に降りるための救助袋を整備し、津波の水が引いて警報などが解除された後、速やかに避難所に移動できる環境を整えています。
香南市防災対策課の足達係長は、「タワーには水も食料も1人1日分の備蓄しかない。高齢者などが早めに避難所に移動して必要な手当てを受けられるよう、助かった命をつないでいきたい」と話していました。
高知県南海トラフ地震対策課の秋元課長は、「タワーには屋根や壁がない場所も多いなど、長く滞在するのは厳しく、高齢者などにとっては命に関わる問題だ」などと指摘しています。
そのうえで、「せっかく津波から助かった命をつなぐため、タワーから指定避難所に速やかに移ってもらう必要がある。市町村と連携して必要な整備を進めてきたい」などと述べ、タワーを設置する沿岸部の自治体と連携して対策を強化する考えを示しました。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/kochi/20210318/8010010884.html
(ブログ者コメント)
〇関連情報調査結果、国交省港湾局のガイドライン(平成25年10月)に以下の記述があった。
不備のある避難タワーは、このガイドラインができる前に建設されたものだろうか?
『港湾の津波避難施設の設計ガイドライン』
P26
3.2.2 階段、手すり、柵などの避難経路の仕様
階段(斜路含む)は、津波が来襲する前の地震動作用時においても、崩壊するなど被災しない構造とする。
階段(斜路含む)は、津波に伴う漂流物に対して影響を少なくするように、例えば津波の進行方向に対して施設の裏側などに設けると良い。
また、2 箇所設けると良い。
P29
4.2.2 津波避難施設の構造上の要求性能
津波避難施設の構造上の要求性能は、当該施設に本来求められる構造上の要求性能のほかに、対象とする津波の来襲時において多数の避難者が安全に避難できるよう、次の要件を満たしていることとする。
(1)対象とする津波の最大浸水深さに対して、十分に安全な高さに避難者が避難できるスペースを確保すること。
(2)対象とする津波の作用による損傷等が、津波避難施設としての機能を損なわず、安全に使用できること。
(3)対象とする津波に先行する地震動の作用による損傷等が、津波避難施設としての機能を損なわず、安全に使用できること。
(4)対象とする津波に付随して発生する漂流物の衝突や施設近傍での火災、その他の予想される事象に対して著しい損傷等が少なく、津波避難施設として使用することが可能であること。
https://www.mlit.go.jp/common/001016931.pdf
〇上記以外、高知県にも「津波避難タワー設計のための手引き」があるらしいが、その点に言及した資料のボリュームが大きすぎて、どこにあるか見つからなかった。
(2021年4月5日 修正1 ;追記)
2021年4月2日6時23分にNHK高知からは、各自治体では簡易式のハシゴやシューターの整備などを検討し始めているという、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
高知県内に設置された津波避難タワーの一部が、津波で階段などが流される可能性があるのに具体的な対策が取られていない問題で、該当するタワーがある沿岸部の自治体は、地上に降りる手段の確保に向けた検討を始めています。
この問題は、県内に設置された津波避難タワー114基のうちおよそ4分の1が、津波で階段やスロープが流される可能性があるのに具体的な対策が取られておらず、支援が必要な人がタワーの上に取り残されるおそれがあることが県の調査で明らかになったものです。
NHKが沿岸部の17市町村に取材したところ、調査中と回答した1つの自治体を除き、該当するタワーは少なくとも6つの自治体に合わせて25基あり、いずれの自治体も地上に降りる手段の確保に向けて検討を始めていることが分かりました。
具体的には、簡易式のはしごや滑り台のように地上に降りることができるシューターの整備などを検討しているということです。
自治体の担当者は、「問題の解消に向けて早急に取り組むので、地震が起きたら迷うことなくタワーに逃げてほしい」と話しています。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/kochi/20210402/8010011024.html
2021年3月11日20時0分にNHK NEWS WEBから、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
東日本大震災の発生で、地震や津波の想定は大きな見直しを迫られました。
過去の痕跡の調査から浮かび上がってきたのは、数十年から100年単位で起きる大地震の周期とは別に、広域に甚大な被害をもたらす“超”巨大地震ともいえる地震が数百年単位で起きる、「スーパーサイクル」という周期の存在です。
この10年の研究で、日本の沿岸の各地に「スーパーサイクル」が存在し、しかも、発生が切迫しているおそれのある場所も見えてきています。
産業技術総合研究所の宍倉研究グループ長は、東日本大震災の直前、過去の地層から、かつてどのような津波が襲ったかを推測する津波堆積物の調査などから、当時想定されていた大地震をはるかに上回る「スーパーサイクル」の巨大地震と大津波が東北の沿岸に切迫していると考え、対策の必要性を訴えていました。
しかし、その知見は生かされないまま、東日本大震災が発生しました。
【南海トラフ・次の地震がスーパーサイクルか】
「スーパーサイクル」の巨大地震や大津波のリスクが各地にあると考えた宍倉グループ長は、地震の規模や起こるメカニズムについてわかっていないことも多い、南海トラフの地震について、過去の痕跡を調べました。
震源域のほぼ中央に位置する紀伊半島の和歌山県串本町などで、フジツボやゴカイなどの海辺の生物の化石のかたまりが異なる高さで相次いで見つかったことに注目。
およそ5500年分の化石の年代を調べたところ、おおむね400年から600年の周期で地盤が大きく隆起し、巨大地震が起きていた可能性が高いことを突き止めました。
宍倉グループ長は、最後に発生した「スーパーサイクル」の巨大地震が1707年の「宝永地震」で、すでに300年以上がたっていることから、次に起きる地震は、広域に甚大な被害をもたらす「スーパーサイクル」の巨大地震となる可能性があると考えています。
【千島海溝・スーパーサイクル切迫か】
さらに、「スーパーサイクル」の巨大地震が切迫しているとみられるのが、北海道の沖合にある「千島海溝」です。
産業技術総合研究所が過去6500年分の津波堆積物を調べた結果、大津波をもたらす巨大地震が平均で350年前後に1度、繰り返し起きていたとみられることがわかりました。
千島海溝については、国の地震調査研究推進本部も津波の想定を発表し、マグニチュード9クラスの巨大地震が「切迫している可能性が高い」としていますが、宍倉グループ長も「前回からすでに400年程度が経過しており、もはや、いつ起きてもおかしくない」と警鐘を鳴らしています。
さらに、関東の房総半島の沖合でも、スーパーサイクルにあたる巨大地震が起きていた可能性があるとして、今後、調査を進めることにしています。
南海トラフでの「スーパーサイクル」のメカニズムを突き止める上で宍倉グループ長が注目したのが、紀伊半島の先端部分でみつかったフジツボやゴカイなどの海辺に生息する生物の化石です。
南海トラフのプレート境界では、ふだん陸側のプレートがゆっくりと“沈み込み”、地震が起きると、先端の部分が急激に跳ね上がります。
先端の地盤はこのとき“隆起”します。
フジツボやゴカイは海面付近の岩場などに生息しているため、岩場ごと隆起すると生きることができず、化石となります。
宍倉グループ長は和歌山県串本町を中心に30か所以上で化石を採取。
それぞれの化石は層のように積み重なっていて、90年から150年ほどの間隔で3つの層を持つ化石も見つかりました。
これは地盤の“隆起”と“沈み込み”の繰り返し、つまり、過去の大地震を記録していると考えられています。
【離れた場所の化石・スーパーサイクルの“物差し”に】
さらに宍倉グループ長が注目したのは、この、層状に積み重なった化石が、さらに標高の高い場所から相次いで見つかったことです。
「スーパーサイクル」の巨大地震が起きると、“隆起”の規模も大きくなります。
このため、化石の高さの差が「スーパーサイクル」を知る、いわば“物差し”にあたると考えたのです。
さまざまな場所から集めた過去およそ5500年分の化石を分析したところ、少なくとも7回、ふだんの大地震とは明らかに異なる「スーパーサイクル」の巨大地震の地盤の“隆起”を確認。
その周期はおよそ400年から600年だったことを突き止めました。
さらに、最近の観測では紀伊半島の地下20キロから30キロでプレート境界がゆっくりとずれ動く、「スロースリップ」がこの地域では起きていないことが確認され、地下のプレートどうしがしっかりくっついているとみられています。
このため、「スーパーサイクル」の巨大地震の時だけ広い範囲が一気にずれ動いて地盤が大きく隆起すると考えられています。
江戸時代の1854年と昭和の1944年と46年に起きた南海トラフ地震の痕跡を示す化石は見つかっておらず、最後に発生した「スーパーサイクル」の巨大地震は1707年に起きた宝永地震だとみられています。
宍倉グループ長は、すでに300年以上がたっていることから、次の地震が「スーパーサイクル」の巨大地震になる可能性があるとみて、「最悪に備えた対策を進めていく必要がある」としています。
【千島海溝の切迫度は】
「スーパーサイクル」による巨大地震の発生が特に切迫していると考えられているのが、北海道東部の沖合の「千島海溝」です。
「千島海溝」では、1973年(昭和48年)の「根室半島沖地震」や1952年(昭和27年)と2003年(平成15年)の「十勝沖地震」など、根室沖と十勝沖で平均して70年前後の間隔で津波を伴うような巨大地震が繰り返し起きています。
一方、津波堆積物の調査からは、17世紀にはこれらの地震の規模をはるかに上回る巨大地震が起き、大津波が押し寄せていたことがわかってきました。
過去6500年分の津波堆積物の調査から、千島海溝での「スーパーサイクル」は平均して350年前後で、前回の巨大地震からすでに400年程度が経過していることから、政府の地震調査研究推進本部は、千島海溝では、次の巨大地震の発生が「切迫している可能性が高い」としています。
去年(2020)、国が公表した想定では、巨大地震の規模は最大でマグニチュード9.3とされ、津波の高さは、北海道東部の広い範囲で20メートルを超えるとされました。
国は現在、被害想定の検討を進めています。
また産業技術総合研究所の宍倉グループ長は、関東では房総半島の東の沖合にある日本海溝沿いや、南の沖合にある相模トラフでも、「スーパーサイクル」にあたる巨大地震が繰り返し起きている可能性があるとして、今後、調査を進めることにしています。
【東日本大震災もスーパーサイクルで発生】
10年前に巨大地震が起きた東北沖でも、600年程度の「スーパーサイクル」があると考えられています。
青森県東方沖から房総沖にかけての「日本海溝」沿いでは、過去、繰り返し大きな地震が発生していて、東日本大震災の発生前は、およそ30年に1度発生するマグニチュード7クラスの宮城県沖地震をはじめ、三陸沖の地震など、複数の領域で、それぞれ数十年から百年程度に1度起きると考えられてきました。
一方、津波堆積物などの調査結果から宍倉グループ長は、複数の領域が一気にずれ動くような巨大地震が600年程度の間隔で繰り返し起きていた可能性が高いと考えていました。
東日本大震災の直前、宍倉グループ長は最後の「スーパーサイクル」よる巨大地震が15世紀ごろで、すでに600年程度が経過して切迫した状況だとして、想定に加えるよう訴えていたのです。
現在、国の地震調査研究推進本部は、岩手県沖南部から茨城県沖の領域全体が一気にずれ動くマグニチュード9程度の巨大地震は、平均で550年から600年に1度の間隔で発生しているとしています。
一方、「日本海溝」のうち、北海道の南の沖合から岩手県の沖合にかけての領域でも「スーパーサイクル」があるという指摘があり、国はマグニチュード9.1の巨大地震の想定を公表しています。
【スーパーサイクル・どう備えたら】
南海トラフや千島海溝では、国も“最悪ケース”としての被害想定をすでに発表したり、現在、検討を進めたりしています。
国や自治体も対策を進めていますが、起こりうる地震や津波の規模は大きく、すべてをハードで守りきるのは難しいといえます。
東日本大震災の教訓を改めて思い起こし、地域のリスクにあわせた避難場所や避難方法を決めておいてください。
また、被災した状況を具体的にイメージし、事前にどのように復興するかを決めたり、課題をまとめたりする、「事前復興」の取り組みを進めておくことも重要です。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210311/k10012909391000.html
2021年3月9日13時16分にNHK宮崎から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
南海トラフ巨大地震で、津波の被害が想定されている日向市。
沿岸部の化学工場では、工場を取り囲むように防潮堤の建設が行われていて、工場内の資材が流れ出て、被害が拡大するのを防ぐ対策も進められています。
防潮堤の整備が進められているのは、日向市竹島町の旭化成日向化学品工場です。
東日本大震災を教訓に防潮堤の建設が計画され、総延長は、およそ900メートル、高さは、最大で5.3メートルほどで、ことし12月までに完成する予定です。
9日も、クレーンなどを使って、高さ4mほどの型にコンクリートを流し込む作業を行われていました。
防潮堤は、海側だけでなく、工場をぐるりと囲むように整備が進められています。
工場内には、1個の重さが200キロほどもあるドラム缶およそ1万個が保管されていて、万が一、津波で市街地に流出して被害が拡大しないようにするためです。
この地域一帯には工場が多く建ち並んでいて、住民からは、工場内の資材が住宅街に押し寄せて、被害が拡大するのではという懸念の声があがっていたということです。
旭化成日向化学品工場の高津係長は、「近くにある細島港は、災害時の復旧の要衝になる。住民と定期的に意見交換を行い、地域一体となって津波の対策に取り組みたい」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/miyazaki/20210309/5060008855.html
2021年3月5日19時17分にYAHOOニュース(北海道文化放送)から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
3月5日午後、北海道 岩見沢市で、落雪によるとみられる「ガス漏れ」がありました。
5日午後5時40分ごろ、岩見沢市4条東17丁目のアパートで、住人から「落雪があった後にガスが漏れる音がして臭いがする」と119番通報がありました。
ガス会社によりますと、アパートの屋根から雪庇(せっぴ)が落下し、屋外に設置されたガスの"集合装置"が壊れたということです。
ケガをした人はいません。
現在、アパートの全世帯でガスが使えなくなっていて、ガス会社では修理を急いでいますが、屋根の雪がさらに落ちる恐れがあり、作業は進んでいないということです。
岩見沢市では5日、雪の重みにより建物が倒壊したり、アパートの階段が落下するなどの事故が相次いでいました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/413645b369669e4e6d4225c338e90533a2053cc8
※この日、岩見沢市以外でも、雪の重みで建物が倒壊する被害が続出して
いた。
(3月5日18時42分 STV)
5日の北海道は雪の重みによる家屋の倒壊が相次ぎました。
深川市では空き店舗が崩れ、その瞬間をカメラがとらえていました。
(撮影者)「ヤバイヤバイ」
倒壊したのは深川市中心部の空き店舗です。
屋根の雪の重さで崩れたとみられ、消防がかけつけたところ、2階の屋根部分が倒壊していました。
この建物は以前焼き肉店が入っていましたが、去年末に引っ越しており、けがをした人はいませんでした。
(生野記者)「いま男性が救助されました」
倒壊した家屋から救助されたのは、美唄市峰延の東正夫さん(89)です。
警察によりますと午後2時すぎ、隣の建物の三角屋根から落ちた雪の重みで東さんの住宅が倒壊しました。
崩れた家の中では、東さんが木材に足が挟まれて閉じ込められていましたが、約2時間後救出されました。
(東さんの友人は)「ちょっと驚きですね。量もさることながらこんな事故があるなんてね。何度も多くの雪が降ってますから」
東さんは話はできる状態だということです。
美唄市では5日午後3時現在、積雪は126センチ、気温は9.4度で、雪は水分を含んで重い状況だということです。
(渡辺カメラマン)「商店街に面した建物の屋根が雪で大きく抜け落ちています」
午前11時半前には、岩見沢市4条西4丁目で建物が倒壊しました。
(通報者)「突然地震のようにすごい音と震動があって、震度4、5とかあるような震動だった。雪の重みが一気にきたのかな」
現場は、JR岩見沢駅から約400メートルの商店街。
近所の住民によりますと、時計や宝石を扱う店舗でしたが去年閉店し、現在は空き店舗になっていたということです。
けが人をした人はいませんでした。
岩見沢では連日の大雪で5日朝までに180センチもの積雪が残るなか、5日は最高気温が9.7度まで上昇し、降り積もった雪もかなりの重さになっていたとみられます。
5日の北海道は南から暖かい空気が流れ込んだ影響で、各地で4月中旬から5月中旬並みの陽気となりました。
引き続き落雪に注意が必要です。
https://www.stv.jp/news/stvnews/u3f86t00000a4pvm.html
※情報量過多につき、特徴的な記事のみ紹介する。
2021年2月14日11時30分に毎日新聞からは、過去最大級の長周期地震動を観測したなど、下記趣旨の記事が大震災の余震震源分布図付きで、ネット配信されていた。
13日夜に発生したマグニチュード(M)7・3の強い地震で、宮城県と福島県では最大震度6強を観測したが、震源の福島県沖は、専門家が「もともと地震活動が活発な地域だった」と指摘する地域だ。
気象庁は「今後1週間程度は、最大震度6強程度の地震に注意を」と呼びかけており、十分な警戒が必要だ。
・・・・・
今回の地震により、福島県中通りでは、長周期地震動の揺れとしては最大の「階級4」を観測した。
長周期地震動は、規模の大きな地震が起きた際に生じる周期(揺れが1往復するのにかかる時間)の長い、ゆっくりとした揺れだ。
階級4は「高層ビルなどでは立っていることができず、這わないと動くことができない。固定していない家具の大半が移動し、倒れるものもある状況」とされる。
長周期地震動は、気象庁による情報提供が13年に始まった。
階級4が記録された地震は、16年の熊本地震の計2回と18年の北海道胆振東部地震で、今回が4回目。
震度の分布に比べ、長周期地震動は減衰しないで遠くまで伝わる特徴がある。
それに加えて、福島県中通りは地盤がやわらかく、影響が出やすかったと考えられるという。
https://mainichi.jp/articles/20210214/k00/00m/040/111000c
2月15日14時58分にNHK栃木からは、電力遮断装置が作動して23万戸が停電した、作動は大震災以来だったという、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
13日の午後11時7分に福島県沖で起きた地震では、県内で最大およそ23万戸が停電し、およそ3時間後の14日午前2時15分にすべて解消しました。
この停電の原因について、東京電力が原因を調査したところ、設備には異常やトラブルは見つからず、一部の地域への電力の供給を自動的に遮断する装置が作動したことが原因であることがわかりました。
東京電力によりますと、地震の震源地に近い福島県広野町にある東京電力などが出資する火力発電所の5号機と6号機などが停止し、電力の供給がおよそ160万キロワット低下しました。
その影響で、ふだんは一定に保たれている周波数が低下し東京電力管内の広い範囲で停電が起きるおそれがあったため、遮断装置が自動的に作動したということです。
東京電力はその後、停電の原因を確認したうえで、手動で順次、電力の供給を再開したということです。
東京電力によりますと、管内でこの装置が作動して停電が起きたのは10年前の東日本大震災以来だということです。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/utsunomiya/20210215/1090008911.html
2月15日22時38分に毎日新聞からは、東北新幹線では大震災以降、電柱の耐震化を進めているが、今回は対策優先度の低かった電柱20本が損傷したなど、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
東北新幹線は、地震で電柱が折れたり傾いたりした影響で、全線での運転再開に10日前後かかる見通しだ。
新幹線を巡っては、地震後の全面復旧が長期化するケースがこれまでもあり、耐震補強が課題に浮かび上がった。
JR東日本によると、東北新幹線は新白河駅(福島県西郷村)―古川駅(宮城県大崎市)で、少なくとも20本の電柱が損傷した。
同じ区間で高架橋の柱やレールの土台も、それぞれ数カ所、損傷している。
・・・・・
東北新幹線は、東日本大震災でも電柱約540本が折れるなどし、全線で運転を再開したのは49日後だった。
過去には他の新幹線も地震で打撃を受けた。
・・・・・
こうしたなか、JR東は東日本大震災後、東北・上越新幹線の電柱2万本のうち、5000本を対象に耐震補強する方針を決めた。
28年度に終える予定で、うち44%(2200本)が補強済みという。
一方、今回損傷した20本は5000本に含まれておらず、29年度以降に補強を検討する予定だった。
耐震補強の優先順位について、今回の地震とは別の活断層地震や首都直下地震の影響を考慮して選んだとしている。
・・・・・
https://mainichi.jp/articles/20210215/k00/00m/040/174000c
2021年2月1日8時32分にYAHOOニュース(岐阜新聞)から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
大雨によって落石や土砂崩れなど災害の危険性がある道路を、安全になるまで通行止めにする雨量規制。
災害被害を未然に防ぐために全国で運用されているこの規制は、半世紀以上前に岐阜県加茂郡白川町で起きた悲惨な事故を教訓に導入された仕組みだ。
ただ、雨が降るたびに通行止めになるのは困る、というのも住民の本音。
その一方で、災害や事故の記憶の風化も懸念される。
雨量規制と向き合う白川町の現状を探った。
1968年8月18日午前2時すぎ、切り立った山肌が迫る同町河岐の国道41号で、豪雨による土砂崩れで立ち往生していた観光バス2台が土石流に押し流されて飛騨川に転落し、104人が犠牲になった「飛騨川バス転落事故」。
猛烈な雨は時間雨量149ミリで、岐阜地方気象台が観測を始めて以来の集中豪雨だった。
多くの犠牲者が出た衝撃と、浮き彫りになった道路防災の甘さ。
それまでの通行止めは、道路が被害を受けた後に行われるのが一般的だったが、事故後は、制度の見直しや改善を通して、さまざまな対策が講じられた。
まずは、事故の翌月に「道路防災総点検」が全国一斉に実施された。
そして翌年4月、当時の建設省からの通達で、事故現場を含む同町河岐-加茂郡七宗町川並の11・4キロ区間を「国道41号上麻生規制区間」として、日本で初めて雨量規制が敷かれた。
その後、規制の対象区間は全国で順次増えていった。
国土交通省岐阜国道事務所によると、現在の県内での雨量規制区間は、直轄国道で9カ所、総延長80・1キロで、県や市町村が管理する道路になると、さらにその数は増える。
連続雨量150ミリを超えると通行止めになる上麻生規制区間では、これまでに土砂流出が幾度もあり、98年9月には25時間にわたる規制も行われた。
悲惨な事故を教訓に始まった雨量規制だが、白川町の場合、国道41号は通勤、物流など生活に欠かせない道路で、緊急車両も通る。
地域の「動脈」は、大雨が降るたびに使えなくなる。
横家敏昭町長は、「観光にも大きな影響を受けている。いつ道路が使えなくなるか分からないので、旅行会社は町へのツアーを組むことができない」と語る。
安全を確保した上で規制がなくなることが地元の望みだ。
昨年12月、事故現場を含む国道41号で、危険箇所を避ける4カ所の橋と3本のトンネルを整備する改良工事「飛水峡街道(上麻生防災)」の起工式が行われた。
完了までは長い年月がかかるが、「災害に強い道路」に生まれ変われば、雨量規制を解除できる。
岐阜国道事務所の担当者は、「国道41号は生活道路。どんな時でも安全に通れる道にする必要がある」と話す。
県内にある他の規制区間には付近に高速、道路や迂回(うかい)路があるため、改良工事をして雨量規制を解除する必要がある場所は少ないという。
事故現場近くの慰霊塔「天心白菊の塔」では、毎年8月18日に犠牲者の法要が営まれている。
だが、近年は参列する遺族の姿はわずかになった。
事故で父親を亡くした男性は、「代替わりしていることもあるだろうが、参列する遺族がほとんどいないのは悲しい」とつぶやく。
52年の時を経て、事故を記憶している人も少なくなった。
改良工事が終われば、現場周辺の道路は雨量規制を必要としない時代を迎える。
雨量規制のきっかけとなった白川町は、新たな段階に移ろうとしている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1ddfebffc0df8c6e8073269ed07c88877aa6007a
2021年1月11日21時4分にNHK富山から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
記録的な大雪になっている富山市の婦中町のガソリンスタンドでは屋根が雪の重みで2つに割れてしまいました。
11日午後、長さ10メートルほどの屋根が真っ二つに折れました。
屋根には当時、雪が60センチほど積もっていたということで、雪の重みで折れたと見られています。
当時、給油している人はおらず、けがをした人はいなかったということです。
このガソリンスタンドでは別の屋根も支柱などに亀裂が見つかり、安全を考慮してガソリンの販売は取りやめています。
ガソリンスタンドのスタッフは、「とにかく驚き。ぱっと見はなにが起きたか分からない。耐震や通常のものより丈夫に作られているので、まさか起きるとは。在庫はあるが売るものがあるのに売れないのでしんどい」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/toyama/20210111/3060006385.html
1月12日14時57分にYAHOOニュース(ねとらぼ)からは、折れた屋根は無落雪屋根と呼ばれているなど、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
各地で猛威をふるっている大雪の影響で、ガソリンスタンドの屋根が真っ二つに折れるという珍しい事故が発生。
現場の様子を捉えた写真がTwitterで話題になっていました。
写真を投稿したのは、Twitterユーザー・つるぎさん。
事故が起きたのは富山県富山市にあるガソリンスタンドで、屋外の給油設備のところに設置しているY字型の屋根が、中心部から真っ二つに折れて、屋根の部分が垂れ下がっている様子が写されています。
折れてしまった屋根は「無落雪屋根」と呼ばれるもので、太陽光や屋根に内蔵されたヒーターで溶けた雪の水を、中央に集めて排水するという構造をしています。
雪が多い地域でよく見られるものです。
ガソリンスタンドに設置されていたものは、利用者を落雪から守るために内側に向かってY字型に傾斜を設けたタイプで、耐雪設備として強度も高く、地震といった自然災害に対して頑丈に作られているはずなのですが、ここ数日各地で降り続いている記録的な大雪には耐えきれなかったようですね。
中央の柱がある部分から屋根が真っ二つに折れてしまっています。
後方に見える同タイプの屋根の上には、最も深いところで1メートルほど雪が積もっており、屋根にかなり大きな負荷がかかっていたことが推測できます。
Twitterで写真を見た人からはびっくりしたという反応が寄せられ、キレイに真っ二つになっている様子から「折りたたみ式かと思った」といった声もありました。
なお、NHK富山の報道によるとけが人は出ていないそうで、別の屋根も支柱などに亀裂が見つかったことから、ガソリンスタンドは営業を取りやめているそうです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/40fca0cc7d1f05e0023667f4fa08c3531786ebfb
2021年1月10日19時54分にNHK島根から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
冬型の気圧配置が続き、ここ数日は気温が下がって水道管が凍結するおそれがあることから、その対策として夜間、水道の水を出しっぱなしにしていたという人もいたかと思います。
しかし、県内の地域によっては、こうした対策が原因とみられる思わぬ事態が起きています。
「凍結防止のために水を出すことなどにより、配水池の水が減少し、一部の地域で水が出にくくなっています」
10日夕方、出雲市がホームページに掲載したメッセージです。
加えて「少量の水を出しっぱなしにすることや、融雪のための水の使用などを控えていただき、節水にご協力いただきますようお願いします」とも呼びかけています。
水道管を凍結させないための方法の1つとして、夜間、少量の水を出しっぱなしにするという方法があります。
しかし、出雲市はなぜ、こうした呼びかけを行ったのか。
出雲市上下水道局によると、市の中心部では今月8日から1日の水道の使用量が通常に比べて10%ほど増えていて、とくに深夜から朝にかけて使用量が増えているということです。
実は、こうした呼びかけ、出雲市のほか、大田市も行っています。
水道の使用量が増えた理由について出雲市上下水道局では、水道管の凍結を防ぐために気温の下がる夜間などに水を蛇口から出したままにしている人がいるのではないかと見ています。
出雲市の中には、水源を配水池に頼る地域があります。
水の使用量が増えたことで配水池の水位が下がっているというのです。
寒波が去って気温が今後上昇しても、配水池の水位が上がるには1週間ほどかかるということで、出雲市上下水道局では「水が潤沢にあるわけではないので、水道管が凍結しないよう水を出したままにするのは控え、布やタオルを水道管に巻くなどの方法で凍結防止してほしい」呼びかけています。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/matsue/20210110/4030007442.html
※上記報道の2日前には、島根県内で水道凍結トラブルが相次いでいるという、下記趣旨の記事が配信されていた。
(1月8日18時44分 NHK島根)
厳しい寒さの影響で島根県内では水道管の凍結が相次ぎ、工事業者が対応に追われていました。
このうち水道工事などを請け負う松江市の業者には、8日朝から水やお湯が出なくなったとの電話が相次ぎ、現場での対応に追われました。
このうち水道管が凍結し、7日夜から風呂場と洗面台の水やお湯が使えなくなった松江市の住宅では、水道管や屋外に突き出ているバルブの周辺などをドライヤーを使って、温めていました。
8日の松江市は最高気温がマイナス0.6度までしか上がらず、業者によりますと、日中の気温が上がらないと水道管の凍結を取り除くことが難しく、作業が長引くケースもあるということです。
この住宅では、これ以上の凍結を防ぐため、屋外の水道管などに新しい保温材を巻き付けて対処していました。
作業を頼んだ女性は「一生懸命作業してくれてうれしかったです。これからは、凍結させないように自分自身で気をつけたいと思います」と話していました。
また、凍結が原因とみられるトラブルに見舞われた松江市内の福祉施設では、作業員が凍結していると思われる水道と受水槽をつなぐパイプにドライヤーをあてたり、ぬるま湯をかけたりしていました。
「シンセイ技研」の森山係長は、水道管の凍結を防ぐポイントとして、「水道管に布やタオルを巻きつけ、さらに、その上からビニール袋などを巻いてもらうと、凍結を防ぐことができると思います」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/matsue/20210108/4030007422.html
※一方、中津市では凍結による水漏れが多発して給水制限する事態になっていた。
(1月9日11時31分 NHK大分)
中津市によりますと、厳しい冷え込みの影響で住宅の水道管が凍結して破損し、水が漏れる被害が市内各地で相次いでいます。
市では、この状況が続けば断水につながるおそれがあるとして、8日午後10時すぎから中津市中心部を含む中津地域と三光地域の一部の合わせておよそ2万8000世帯を対象に給水制限を行っています。
このため、市内の広い範囲で水が出にくい状態となっています。
水道管の修理が進められていますが、給水制限を解除する見通しは立っていないということです。
市では、上下水道部の庁舎や市役所の本庁舎など合わせて7か所で給水を行っています。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/oita/20210109/5070008779.html
(ブログ者コメント)
〇7日前後から全国的に大寒波に見舞われ、一部の地域では自衛隊に除雪要請したほどだった。
〇水道管にドライヤーを当てている場面も放映されていたが、凍っている管の端から溶かしていかないと、破裂する恐れがある。
2021年1月7日17時56分にNHK栃木から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
7日午後2時半ごろ、佐野市富岡町で「強風でソーラーパネルが倒れて車が下敷きになっている」と警察に通報がありました。
警察や消防によりますと、高さ10メートルほどの支柱の上に設置された大型のソーラーパネルが落下して、ほぼ真下にある駐車場に止めてあった普通乗用車2台とバイク1台が下敷きになりました。
下敷きになった乗用車のうち1台には、50代の女性1人が乗っていて、一時、車内に閉じ込められましたが、警察によりますと、まもなく救助されて病院に運ばれ、命に別状はないということです。
ソーラーパネルは長さ10メートル四方の大きさで、落下の際に近くのアパートに接触したとみられ、建物の一部が破損しましたが、住人にけがはないということです。
現場はJR佐野駅から東に2キロほど離れた住宅などが広がる地域で、気象庁の観測によりますと、佐野市では午後2時前に1月の最大瞬間風速としては最も強い20.6メートルの非常に強い風が吹いていました。
警察と消防が現場の状況などを調べています。
栃木県内では7日午後、JR宇都宮線が倒木のため一時、運転を見合わせるなど、強風の影響が出ています。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/utsunomiya/20210107/1090008590.html
(ブログ者コメント)
〇倒壊前の写真がないか、グーグルアースを含め調べてみたが、見つからなかった。
支柱の高さとパネルの大きさから考えると、支柱にもたれかかるように取り付けられていたのかもしれない。
〇7日は爆弾低気圧の影響で、全国的に風が強かった。
2020年12月17日11時54分にCBC Newsから、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
岐阜県垂井町と関ケ原町にまたがる送電用の鉄塔7基が、16日から17日にかけて損傷し、最上部で鉄塔同士を結ぶ直径1.7センチほどのワイヤーが垂れ下がっているのがみつかりました。
現場は、新幹線やJR東海道線、国道21号などの真上ですが、交通機関への影響はなく、停電も発生していません。
中部電力パワーグリッドが損傷の詳しい原因を調べています。
関ケ原町では、17日明け方に最大40センチの積雪を観測しています。
https://hicbc.com/news/article/?id=0004FDD0
12月17日17時46分にSankeiBizからは、新幹線の一部に遅れが出たなど、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
JR東海は17日、岐阜県内で中部電力パワーグリッドの送電鉄塔が損傷し、ワイヤが垂れ下がった影響で、東海道新幹線岐阜羽島-米原間の上下線で速度を落として運転したと明らかにした。
ダイヤに大きな乱れはないものの、一部に遅れが生じたという。
中部電力パワーグリッドによると、大雪の影響で鉄塔が損傷し、雷から設備を保護するためのワイヤが垂れ下がったとみられる。
https://www.sankeibiz.jp/business/news/201217/bsd2012171746012-n1.htm
12月17日20時15分にNHK岐阜からは、ワイヤーへの着雪が原因だったらしいなど、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
中部電力の子会社で送配電事業を担当する「中部電力パワーグリッド」によりますと、岐阜県の西部の垂井町から関ケ原町にまたがる鉄塔のうち7基が損傷したことが、16日から17日にかけてわかりました。
並んだ鉄塔の最上部を結び雷が落ちた時に鉄塔への被害を防ぐ避雷針の役割があるワイヤーが垂れ下がったことで、傷ついたとみられています。
「中部電力パワーグリッド」は、多くの雪がワイヤーに付着し何らかの原因で垂れ下がったとみて調べるとともに復旧作業を進めています。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/gifu/20201217/3080005241.html
(ブログ者コメント)
〇鉄塔最上部に避雷針替わりのワイヤーが張られているとは知
らなかった。ご参考まで。
ちなみに電線着雪によるトラブルは、過去に本ブログでも
何件か紹介している。
〇16日から17日にかけて日本海側は大雪。
関越自動車道では一時、立ち往生した車が2000台以上出た
ほどだった。(別記事参照)
2020年12月19日付で毎日新聞から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
日本海側を中心に大雪に見舞われた影響で、16日夕から多数の車が足止めされた新潟と群馬県境付近の関越自動車道上り線。
18日夜にやっと、立ち往生状態が解消した。
厳寒の中で2日に及んだ足止めに、ドライバーは不安を訴え、体の不調を訴える人もいた。東
日本高速道路の小畠社長らが18日、東京都内で記者会見し、「長時間滞留させ、申し訳ない」と陳謝した。
18日午後3時時点で関越道上り線の小出インターチェンジ(IC)―塩沢石打IC間で約670台が立ち往生しており、東日本高速は同日夜までにほぼ全ての車両を移動させた。
小出IC―月夜野IC間の通行止めについては、安全が確認され次第、解除するという。
東日本高速によると、16日午後6時ごろ、塩沢石打サービスエリア付近で大型車両が雪で動けなくなり、後続車も雪に埋まるなどして渋滞が始まった。
しかし、上り線を通行止めにしたのは半日以上後の17日朝だった。
この間も、関越道に並行する国道17号の雪による渋滞を避けようとした車が上り線に流入、大規模な立ち往生を招いたとみられる。
通行止めのタイミングについて、小畠社長は「16日深夜に国道管理者と協議して、国道17号でも交通障害があったため関越道は通行止めにしないと決めた。通行を維持できるだろうと判断した」と釈明。
観測史上最大の降雪であり、雪も水分が多く重かったことなども立ち往生に影響したとの見方を示した。
今後、対応が適切だったかを検証するという。
・・・・・
https://mainichi.jp/articles/20201219/ddm/041/040/084000c
12月18日21時44分に朝日新聞からは、大型車がスタック状態になったことが大規模立ち往生の発端だったなど、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
NEXCO東日本は18日午後、立ち往生した車が最大で約2100台に上ったことを明らかにした。
同日夜にすべて解消したが、なぜ、これほどの規模で立ち往生が生じたのか。
同社によると16日午後5時50分ごろ、上り線の塩沢石打インターチェンジ(IC)の手前約350メートルで、複数の大型車が動けなくなった。
雪の影響で車輪が空回りする「スタック」状態となり、車線がふさがれたことで渋滞が起きた。
さらに午後10時45分ごろ、下り線の湯沢IC付近の手前約2キロでも大型車がスタック状態になり、渋滞が生じた。
翌17日朝に、この大型車は走れるようになったが、その間に積もった雪で後続車が動けず、大規模な立ち往生につながった。
しかし、16日中には関越道は通行止めにならず、立ち往生する車が増えることになった。
同社は17日午前5時40分以降、段階的に通行止め区間を増やしたが、立ち往生の車は最大で上り1750台、下りで350台にのぼった。
通行止めが早ければ、これほどの立ち往生は防げた可能性もある。
通行止めの判断は同社だけではできず、事前に県警との協議が必要になるという。
同社の小畠社長は18日夕の会見で、大規模な立ち往生が生じたことを謝罪。
雪の水分が多く重かったことで「除雪作業をしたが滞留車が多数発生してしまった」と述べた。
通行止めの判断については「現地で関係者と相談の結果、通行止めの時期を決めたと報告を受けている。来週以降、検証したい」と述べるにとどめた。
https://www.asahi.com/articles/ASNDL6VN5NDLUTIL021.html
12月19日12時27分に毎日新聞からは、通行止めの判断が遅れ、広報も後手に回ったため大規模立ち往生に至ったなど、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
なぜ、これほどの立ち往生を招いたのか。
通行止めの判断が半日以上後に遅れ、広報も後手に回るなど、東日本高速の不手際が明らかになってきた。
同社によると、上り線で立ち往生が始まったのは16日午後6時ごろだ。
塩沢石打サービスエリア(SA)付近で大型車両が雪で動けなくなり、後続の車も雪に埋まった。
しかし、同社が上り線を通行止めにしたのは午前10時20分と、半日以上後だった。
塩沢石打IC付近を先頭に、すでに約15キロの立ち往生が起きていた。
同社は、「雪を排除して車を流す作業ができていたので、通行止めにする必要はないと考えたが、作業が追いつかなくなった。結果的に誤った判断となってしまった」と話す。
国土交通省長岡国道事務所によると、並行する国道17号も、雪の影響で上り線が約5キロ渋滞していた。
これを避けるため、東京方面に向かう車が関越道に流入し、大規模な立ち往生を招いたとみられる。
同事務所は、国道17号の渋滞については、国道17号に設置した道路情報板で「この先で通行障害」と注意喚起していた。
この道路情報板は一般道も高速道路も情報を載せられるが、同社は上り線が渋滞していることは載せず、「冬タイヤ・チェーン規制」だけを示していた。
同社は、「この対策をしてくれれば、車は高速道路を走りきれるだろうという判断だった」と話した。
さらに同社は18日午前、上り線の通行止めの台数を「68台」と誤って発表した。
しかし実際は1000台以上が立ち往生しており、撤回した。
同社は「六日町トンネル内の車を把握していなかった」と説明。
花角知事は報道陣の取材に、「私も朝、初めて(1000台という話を)聞き、
びっくりした。どうして正しい状況を早く把握できなかったのか」と苦言を呈した。
・・・・・
https://mainichi.jp/articles/20201219/k00/00m/040/005000c
12月18日15時36分にNHK首都圏からは、せんべい出荷トラックの運転手が会社からの連絡で積み荷のせんべいを周囲の車に配ったなど、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
車の立往生が続く中、トラックのドライバーが周りの車の人たちに積み荷のせんべいを配り、食料が乏しい状況の中で支え合う姿がネット上で多くの共感を呼んでいます。
新潟県長岡市の菓子メーカー「岩塚製菓」によりますと、16日の夕方、4台のトラックで関東方面に向けてせんべいを出荷したあと、このうち3台が今回の立往生に巻き込まれました。
一夜明けた17日午前8時半ごろ、菓子メーカーの担当者が運送会社と連絡を取ったところ、トラックのドライバーがトイレにも行けず、食料もない状況がわかったということです。
メーカーの担当者は「積み荷のせんべいを食べてもらってください」と伝えたということで、このうち1台のトラックのドライバーが六日町IC付近で、同じように立往生している周りの車の人たちにせんべいを配ったということです。
せんべいを受け取った人が感謝の気持ちをツイッターに投稿したところ、多くの共感を呼び、投稿は18日午後2時現在、1万リツイートを超え、3万の「いいね」がつけられ、菓子メーカーにはメールや電話で「元気をもらえた」、「感動した」といった声が相次いで寄せられているということです。
せんべいを配ったドライバーは関越道で立往生したままだということで、岩塚製菓の浅川生産管理部長は、「お菓子は食べて幸せになってもらえる1つのツールです。思わぬところで手に取っていただくことになりましたが、ほっとしていただけたらうれしいかぎりです」と話していました。
受け取った人から感謝の声があがっています。
このうち20代の女性は、17日午後6時半ごろ、塩沢石打インターチェンジと六日町インターチェンジの間で車の外に出て、マフラー付近に積もった雪を取り除いていました。
するとトラックのドライバーから「食料ないでしょ」と声をかけられ、段ボールに入ったせんべい10袋を手渡されたといいます。
女性は「食料がないという不安が大きかったので、せんべいをいただいてとても安心できました。まさに命綱となり、とてもありがたかったです」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20201218/1000057705.html
12月18日15時20分に朝日新聞からは、せんべいツイートした女性への電話取材など、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
トラックの運転手さんにお煎餅(せんべい)をいただきました――。
大雪で動けない関越道の車中から発信したツイッター投稿がSNS上で話題になっている。
「こんな時のやさしさを多くの人に知ってもらいたかった」と投稿者の女性(25)は電話取材に語ったが、18日も立ち往生は続いており、一刻も早い復旧を待っている。
「関越道で立ち往生して22時間が経ちました。支援は一度もきていません。その代わりトラックの運転手さんに、会社から承諾を得たからと、お煎餅(せんべい)をいただきました」。
女性が17日午後6時半ごろに投稿すると、18日正午時点でリツイートが約1万回、2万6千以上の「いいね」がついた。
「素晴らしい取り組み」「粋な計らいだ」などのコメントもみられる。
女性は、新潟市から群馬県高崎市へ仕事で向かっていた16日午後8時ごろ、新潟県南魚沼市内の関越道で渋滞に巻き込まれた。
「雪はどんどん積もるし、独りぼっち。ずっと泣いていました」。
雪に降られながら、排ガスが逆流しないよう、こまめに車を降りて排気口付近の雪を取り除いた。
食料はほとんどなく、わずかにあったチョコレートでしのいでいた。
「ずっと食べていないんでしょ? あとで何か持ってくるよ」。
17日午後6時過ぎに声をかけてくれたのが男性トラック運転手。
持ってきてくれた米菓を2袋すぐ食べた。
米菓はトラックの積み荷だったという。
この米菓のメーカー・岩塚製菓(新潟県長岡市)によると、17日に運送会社からトラックが立ち往生していると連絡があり、運転手らの健康を考慮して、積み荷の米菓を食べたり、配ったりしてもいいことにしたという。
同社の担当者は、「巻き込まれた人の健康が心配。一刻も早く状況が改善して、安全に帰宅できることを願っています」と話した。
https://www.asahi.com/articles/ASNDL51LYNDLUOHB013.html
2020年12月13日11時1分にYAHOOニュース(Number Web)から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
登山の際、気をつけるべきヒグマに関する記事の前編です。
雪山の現場には多量の血痕が残されており、その下方には握りの部分が折れた銃や、カバン、帽子、水筒が散乱し、さらに下方にハンターAさんの遺体があった。
死因は出血多量による失血死とされ、その受傷の状況は、右腕、右足を骨折、左腕や頚部などにも裂創があったが、とりわけ額骨、鼻骨、上下顎骨などを複雑骨折するなど、顔面に原形をとどめないほどのダメージを受けていた。
ヒグマによる顔面への執拗な攻撃は、とくに猟者に対する反撃の場合にみられる特徴だという──。
◆◆◆◆◆
札幌市郊外にある住宅地の一角に、墨痕鮮やかな木の看板が掲げられた家がある。
「北海道野生動物研究所」。
野生動物、とくにヒグマに関しては、50年以上をかけてその生態からアイヌ民族との関わりまで明らかにした第一人者、門崎允昭博士(82)の“研究拠点”である。
今春、門崎氏が上梓した『ヒグマ大全』(北海道新聞社)は、ヒグマについて氏が50年以上にわたり蓄積したあらゆる知見が惜しみなく書き込まれた白眉の1冊で、ヒグマに興味を持つ筆者にとっては、ぜひ会ってみたい人物だった。
「なぜヒグマは人を襲うのでしょうか?」
「いらっしゃい」と筆者を迎え入れてくれた門崎氏は、銀髪を短く刈り込み、ピンと伸びた背筋は年齢を感じさせない。
通された一室には、ヒグマによる事件を報じた明治期の新聞のスクラップや野生動物の行動観察記録、国内外の科学論文など、貴重な資料が堆く積まれている。
口元に柔和な笑みを浮かべながら、門崎氏は言った。
「さて、何でも聞いてください」
聞きたいことは山ほどあったが、突き詰めると、こんな質問になった。
「なぜヒグマは人を襲うのでしょうか?」
【「排除」「食害」「戯れ、苛立ち」】
この質問に対する門崎氏の回答は、実に明快だ。
「動物の行動には、必ず目的(原因)と理由があります。
これは人間も同じ。
過去の事件を検証することで、ヒグマの人に対する行動規範
を理解することが重要です」(門崎氏)
門崎氏によると、1970年から2016年までの間でヒグマによる人身事故は94件起きており、33名が死亡している。
それぞれの事件を検証すると、ヒグマが人を襲う原因は、次の3つに大別されるという。
「『排除』、『食害』、『戯れ、苛立ち』です。
『排除』は、何らかの理由でヒグマにとって脅威となった人間を排除するために襲う。
『食害』は、空腹だったり、動物性の食物を渇望しているヒグマが、人を食べる目的で襲う。
『戯れ、苛立ち』は、人を戯れの対象とみたり、気が立っているときに狂気的に襲う。
このうち、もっとも多いのは、『排除』のために襲うケースです」
【自分を撃ったハンターの顔を決して忘れない】
94件の人身事故のうち、「食害」のための襲撃は11件、「戯れ、苛立ち」は4件、「排除」は実に37件がこれに該当し、うち10件が死亡事故に至っている。
「排除」のための攻撃は、例えば以下のような場面で起こりうるという。
(1)不意に人間に遭遇したヒグマが先制攻撃をしてくる。特に子を連れた母熊が子を保護するために行う。
(2)人が所持している食物や作物、家畜などを入手するため、もしくはすでに入手したそれらを保持し続けるために邪魔な人間を攻撃する。
(3)ハンターなど猟者に攻撃されたり、脅威にさらされたとき、反撃に出ることがある。
興味深いのは、(3)のハンターに反撃したケースだ。
というのも、ヒグマとハンターをめぐっては、「ヒグマは自分を撃ったハンターの顔を決して忘れない。手負いになったヒグマは、そのハンターを特定して反撃する。とくにその顔面を執拗に攻撃する」という話を聞いたことがあったからだ。
果たしてヒグマは本当にハンターの顔を認識できるのだろうか。
【一瞬で人の顔を識別・記憶する能力がある】
「できます」と門崎氏は断言する。
識者のなかには、「ヒグマは比較的視力が弱く、おもに嗅覚を使って状況を認識する」という向きもあるが、それは間違いだという。
「ヒグマには昼夜を問わず活動できる視力があり、闇夜に川岸から飛び込んで水中の魚を捕まえることもできる。
また一瞬で人の顔を識別・記憶する能力もあります」
その一例として、門崎氏が挙げたのが、1974年(昭和49年)に北海道オホーツク管内斜里町で起きた人身事故である。
冒頭に記した凄惨な現場は、この事件のものだ。
当時、現地調査を行った門崎氏によると、事件の経緯は以下のようなものだったという。
【12日に家族が捜索願を出し、13日午前、遺体が発見された】
現場となったのは、斜里町郊外を流れる幾品川沿いの丘陵地。
一帯はジャガイモやてんさいなどの畑地で、例年ヒグマが出没する地帯だった。
畑地に接する樹林は、起伏にとみ、林床には人を寄せ付けないほどのクマイザサが密生していた。
「この地域では、この年の9月ごろからヒグマが出没していたたため、猟師による駆除が求められていました」
そんな折、11月10日夜から早朝にかけて降雪があった。
雪上の足跡を辿れば、追跡は容易になるため、猟師のAさんは11日の朝、「山に入る」と単身バスに乗り、ヒグマ撃ちに出かけたが、その後、行方不明となる。
12日に家族が捜索願を出し、13日午前、遺体が発見された。
門崎氏によると、Aさんは幾品川右岸の畑を下流に向かって探索する過程で、ビート集積場付近で足跡とともにヒグマを発見したと思われる。
Aさんに気づいたヒグマは川を渡って対岸へ逃走。
Aさんは足跡を追い、ヒグマはササが茂った斜面を逃げ、周囲を見渡せる場所に出た。
「そこでAさんがヒグマに近づき、一発撃ったようでした」
【後の力を振り絞って上方から不意にAさんを襲った】
周辺に少量の血痕が残されていたが、急所は外れたらしく、ヒグマはさらに山側へ逃げる。
Aさんが後を追うが、周辺はササが茂り、見通しは悪い。
150メートルほど進んだところで、Aさんは杖にしていた棒を放棄し、さらに追う。
ヒグマは今度は斜面を横断するように逃げたが、出血が激しくなったようで、350メートルほど進んだところに大量の血痕があり、しばらくこの場所にうずくまっていたと考えられる。
「Aさんは、おそらくこのあたりでヒグマを見失い、残された血痕をみて周囲を探したものの、発見できなかったのでしょう」
後の門崎氏による検証では、ヒグマはそこから50メートルほど下った地点の木立付近に潜んでいた可能性が高いという。
Aさんはそれに気づかず、その下を通りすぎ、Aさんをやり過ごしたヒグマは、最後の力を振り絞って上方から不意に襲ったと見られる。
加害ヒグマは、Aさんの遺体の下方、40メートルの場所で仰向けになって死んでいた。
Aさんの撃った弾はクマの内胸壁に沿って貫通、心肺には銃創がなかったため、徐々に出血し、胸腔内出血による呼吸麻痺で死んだと見られる。
【顔を狙う理由をヒグマ博士が解説】
Aさんもとくに顔面の損傷が酷かったが、なぜヒグマは、猟師の顔を狙うのか。
「ヒグマは、自分に向けて銃を撃った猟師の顔面を、銃とみなしているからだと考えられます。刃物などで反撃しない限り、ヒグマは猟師が落命するまで、その顔面を集中的に攻撃する。銃という脅威を『排除』するわけです。
また、撃たれた一瞬で、猟師の顔を識別記憶する知力がヒグマにはある。
だから、手負いにしたヒグマを後日、数人の猟師で撃ち取りにいく場合でも、ヒグマは自分を撃った猟師の顔を覚えていて、潜んでいる場所から飛び出して、他の猟師には目もくれず、その猟師を選択的に襲う事例が多いのです」
「動物の行動には必ず目的と理由がある」――
インタビュー中、何度も繰り返されたこの言葉に、動物学者としての門崎氏の哲理と信念が宿っている。
(後編に続く)
https://news.yahoo.co.jp/articles/ea729db85beea3cfb0e3243da4b9d7cce24a7058
(前編から続く)
2001年5月6日午前、札幌市の会社員Bさん(53・当時)は、定山渓の豊羽鉱山付近に「アイヌネギ(ギョウジャニンニク)を採りにいく」と行って出かけたまま、行方不明となった。
(Bさんの車は、その日の夕方、Bさんの家族によって発見され
た)
翌日、地元の警察や消防、猟師などからなる捜索隊がBさんの車があった付近を中心に捜索したところ、山中でヒグマ1頭を発見し、射殺。
その近くでBさんの遺体を発見した。
遺体はうつぶせの状態で、腰から下が土で覆われ、頭部と上体部は裸出し、両手は胸の前に交差するように組まれていた。
腹部、臀部、上下肢などを中心に食害された痕があった。
【“札幌の奥座敷”で起きた特異な事件】
「このケースは典型的な食害目的、つまりヒグマが人間を食べるために襲ったケースです。これを最後に札幌圏内で人身事故は起きていません」
そう語るのは、ヒグマ研究の第一人者・門崎允昭氏(82)だ。
いったいBさんの身に何が起こったのか。
事故直後に実際に現場を調査した門崎氏とともに、“札幌の奥座敷”で起きた特異な事件を再検証する。
現場の状況から推測される当日の経緯は以下の通りだ。
Bさんは、まだところどころ雪の残る中、豊羽鉱山の約2キロ東よりの地点にある沢に入り、幅2~4メートルの沢を遡行。
沢の入り口から200メートル、沢が二股に分かれる場所でヒグマに遭遇し、いきなり襲われたと見られる。
捜索隊は、この場所でBさんの長靴の片方が落ちているのを発見した。
「クマは立ち上がった状態で被害者を真正面から爪で引っ掻いたようです。
被害者は反射的に頭部を振って避けようとして、頚部に爪が当たり受傷しています。
倒れた被害者は、さらなる攻撃から逃れるべく、地面を這って逃げようとしたものの、現場の状況から判断すると、恐らく最初の襲撃から数秒で絶命したものと見られます」
【“獲物”を自分が安心できる場所に】
その後、クマは被害者をひきずって斜面を30メートルほど移動。
倒木に沿うように遺体を置き、その上に付近の土をかき集めて、かけた跡が残っていたという。
その後、ヒグマはさらに約60メートルほど急斜面を引きずり上げ、トドマツの疎林地へと遺体を移動させている。
この執拗な移動は何を意味しているのか。
「クマは“獲物”を自分が安心できる場所まで引きずっていく習性があります。
いったんは最初の場所に遺体を遺留したものの、不安になって、さらに安心できる場所を求めて移動したものと考えられます」
その“安心できる場所”がBさんの遺体の発見現場であり、捜索隊に発見された際にヒグマが潜んでいた場所でもある。
【“内臓から食べる”という俗説は誤りです】
「その場所にはクマイザサが密生しましたが、下方斜面は視界が開けていて、クマが好む環境でした。
要するに、外側からは潜んでいるクマは見難いが、クマの方からは、周辺をよく見渡せて警戒するのに適している。
クマはこの場所に終始潜んで、遺体を食害していたのです」
引きずられている最中に衣服や長靴は脱げたため、Bさんの遺体は靴下だけを履いた状態で、顔面や頚部には爪による創傷(2~12センチ)が14本、背部にはやはり爪による刺創が66カ所も残され、腹部、臀部、上下肢などが大きく食害されていた。
「頭と四肢下部を食い残すのは、ヒグマが牛馬やシカを食べるときに共通する習性です。
“内臓から食べる”という俗説もありますが、これは誤りです」
前編のインタビューで門崎氏が指摘した通り、ヒグマが人間を襲う理由は、「(1)排除(2)食害(3)戯れ、苛立ち」の3つに大別されるが、このケースが食害目的であると門崎氏が考える根拠はどこにあるのか。
【Bさんに助かる道はあったのか?】
「主な根拠は、この加害グマはBさんを倒した後、すぐに己が安心できる場所へと執拗に移動している点です。
さらに、短時間のうちに被害者の身体の筋肉部を食べていること、また遺体を土や自らが噛み切ったクマイザサなどで覆い隠そうとしたこと。
これらはすべて、ヒグマが自らの食料と見做した獲物に行う行為です」
この加害グマは当初から被害者を食害する目的で積極的に襲ってきた可能性が非常に強く、こうした場合、熊鈴など人の接近を知らせるための鳴り物は効力がないという。
Bさんに助かる道はあったのだろうか。
「被害者は、鉈など武器になるものは携帯していませんでしたが、もし鉈があれば、結果は違っていたかもしれません。
ヒグマに刃物は効かないという人もいますが、ヒグマの痛覚は全身にありますから、鉈で反撃することができれば、ヒグマは怯みます」
実際に1970年から2016年までに起きたヒグマによる人身事故94件のうち、一般人が生還したケースは35件あるが、うち12件において、生還者は武器を携帯していた。
逆に、死亡事故に至った18件のうち、武器を携帯していたのは、わずか3件にとどまっている。
「武器の携行が生還の確率を上げることは、データからも明らかなのです」
悲惨な事故が浮き彫りにした「教訓」を決して無駄にしてはならない。
https://news.yahoo.co.jp/articles/87cdde9ff3cf9cded1a7bef36c127620abb8f23d?page=1
2020年10月20日8時0分に朝日新聞から、下記趣旨の記事が複数枚の写真付きでネット配信されていた。
7月11日夜、岐阜県瑞浪市にある大杉が倒れた。
同日は大雨だったため、風雨が理由と考えられていたが、根の強度不足が倒木の原因だったことが、神戸大学大学院教授らの研究チームの調査で判明した。
倒木の原因を科学的に調査するケースはほとんどなく、チームは倒木の危険性や巨樹の管理方法を考える上で大きな成果があったとしている。
大杉は瑞浪市大湫町の神社の境内に立っていた岐阜県天然記念物。
高さ約40メートルで樹齢約1300年とされ、旧中山道・大湫宿のシンボルだった。
その大杉が大雨が降った7月11日の夜に突然、北西側にある社殿と反対側に倒れた。
これまで「大雨による自然災害」とされていた。
なぜ大杉が倒れたのか、科学的に原因を究明しようと、神戸大学大学院の黒田慶子教授(森林保護学)と樹木医ら5人が研究チームを結成した。
7月28日、大杉の樹木や根の状態について現地で調べた。
調査によると、大杉が倒れたとき、幹を支える太い根はほぼ破断していた。
大杉には太い根が少なく、根は枯死や、木を分解する腐朽が進んでいた。
大杉の北西側は、社殿を建てた際に切断されたのか、太い根が少なかったこともわかった。
また、大杉の西側と南側には池が二つあり、根は常に水に漬かった状況で腐っていた。
幹の傷みも見つかった。
大杉は最近では2004年5月に落雷の被害を受けている。
いつの落雷の影響かわからないが、割れたり腐ったりしていた。
黒田教授は「大杉は倒れる前からやや南側に傾いていた。幹は少なくとも100トン以上あり、根が支えきれずに切れた」と推測する。
一般的に、大木が倒れても大雨や台風が原因とされ、原因を解明する調査はほぼされていないという。
黒田教授は「今回の倒木の結果がはっきりして、研究上の大きな成果となった。倒木の危険性を予測する方法を見つけるためにも、今後も、倒木があったときには樹体と根を調査し、巨樹を管理するために必要な情報を収集し、公表していきたい」と話した。
今回の研究結果は地元の「神明大杉再生検討会議」に中間報告として伝えられた。
11月28日~12月5日にオンラインで開催される「樹木医学会大会」で発表される。
https://www.asahi.com/articles/ASNBM64ZYNBJOHGB014.html
(2021年9月28日 修正1 ;追記)
2021年9月27日10時35分に毎日新聞からは、樹齢は約670年だった、幹の体積に比べ根の体積が少なかったなど、下記趣旨の記事がネット配信されていた。(新情報に基づき、タイトルも修正した)
「令和2年7月豪雨」の際に倒れた岐阜県瑞浪市大湫(おおくて)町の「大湫神明神社」の樹齢約670年のスギ(高さ40メートル超、幹回り約11メートル)の倒木原因を、名古屋大大学院の平野恭弘准教授(森林科学)らの研究グループが解明した。
当時は、豪雨により地盤が緩んだことが原因とされたが、それだけでなく、根の体積が幹に比べて小さく、豪雨による土壌水分量の増加や経年腐朽などの要因も加わってバランスを崩したとしている。
研究成果は、根研究学会誌「根の研究」に27日、掲載される。
スギは、中山道の宿場町を行き来する人々を見守り続けたご神木として知られてきたが、豪雨発生を受け、2020年7月11日夜に根元から倒れた。
もともと樹齢1200~1300年と推定されていたが、倒木後、名大などの調査で樹齢約670年と修正された。
研究では、レーザースキャナーで樹木全体をデジタル化。
根と幹の体積を推定した結果、幹と枝の体積が158立方メートルだったのに対し、根は43立方メートルだった。
他のスギに比べ、根の体積の割合が小さいことが分かった。
この土地の土壌が硬い特性を持っていた可能性があるという。
また、目視により、根の中心部で経年による腐朽が確認された。
さらに、豪雨期間中の日照時間が短く、スギと土壌が乾きにくい環境で土壌と幹の水分量が増加したと推察。
以前からの厳しい発達状況に気象条件が加わり、根の支持力が低下してバランスを崩して倒れたと考えられると結論づけた。
平野准教授は、「倒木は豪雨のみが要因ではなかった。今後も豪雨などの際に倒木を防ぐためにも、日ごろから地上部の衰退状況だけでなく、根の育成状況を地中レーダーを活用するなどして評価することが求められる」と話している。
https://mainichi.jp/articles/20210926/k00/00m/040/133000c
2020年10月19日18時39分にNHK首都圏から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
去年の台風19号では、多摩川沿いの東京や神奈川の住宅地で雨水を排水しきれなかったり、支流があふれたりするなどして浸水被害が相次ぎましたが、専門家が調べた結果、広い範囲で浸水した地域のほとんどに、かつて川が流れていたことを示す「旧河道」と呼ばれる地形が含まれていたことが分かりました。
わずかな高低差によって水が集まりやすいということで、専門家は、いち早い避難に役立てるため、土地の成り立ちにも注目してほしいと指摘しています。
去年の台風19号で、多摩川では堤防は決壊しませんでしたが、雨水を排水しきれなかったり、支流があふれたりするなどして、浸水被害が相次ぎました。
地理学などが専門で帝京平成大学の小森次郎准教授は、多摩川の下流沿いで広い範囲に浸水被害が確認された川崎市や東京・世田谷区など15の地域で、被害の状況や、土地の成り立ちとの関係について調べました。
その結果、13の地域に、かつて川が流れていたことを示す「旧河道」と呼ばれる地形が含まれていたということです。
小森准教授によりますと、「旧河道」は、周囲より低くなっていることが多いため、水が集まりやすく、いち早く浸水するリスクが高いということです。
このうち、川崎市中原区の住宅地では、特定の地域に浸水被害が集中していましたが、その多くは、「旧河道」の範囲と一致し、周囲より1メートルから2メートル前後低かったということです。
また、雨水が排水しきれずに浸水したJR武蔵小杉駅とその付近にも、「旧河道」が含まれていました。
浸水は、多摩川からおよそ800メートル内陸側の場所でも確認されているということです。
小森准教授は、「都市化が進む地域では、旧河道での地形のわずかな高低差がわかりにくくなっている。浸水の影響がいち早く始まるおそれがあり、避難のルートなども考えておく必要がある。ハザードマップに加えて、今いる場所がどういう地形かも調べてほしい」と話しています。
小森准教授の調査では、旧河道沿いだったことで、浸水の被害がより深刻になったおそれのある場所も見つかりました。
川崎市高津区では、多摩川の支流、平瀬川が水が流れ込めずに逆流する「バックウォーター現象」などによってあふれ、多摩川と合流する一帯が水に浸かりました。
マンションが最大2メートル近く浸水し、1階に住んでいた男性が死亡しました。
小森准教授によりますと、このマンションの一帯は旧河道にあたるほか、建物の背後に土の堤防があったことで、浸水がより深刻になった可能性があるということです。
住宅地の中にあるこの堤防は、かつての川の流れによって土が堆積したものがもとになっていて、今でも多摩川下流の浸水を食い止めるため、「霞堤」として活用されています。
小森准教授は、この堤防が建物の背後にあったため、旧河道の一帯に流れ込んだ水の逃げ場所がなくなり、浸水がより深くなった可能性があると指摘しています。
小森准教授によりますと、多摩川は江戸時代以降、川の流れをまっすぐに変えたり、用水路を作ったりする工事が行われたということで、今回浸水被害があった「旧河道」も、そのころまでは川だったとみられています。
自治体が浸水を想定して作成しているハザードマップは土地の高低差のデータをもとに作られており、旧河道の多くは、浸水が想定されています。
ただ、浸水するおそれのある最大の深さにあわせて色分けされているため、旧河道の正確な位置や、どのくらい低いのかまではわかりません。
旧河道がどこかは、「治水地形分類図」をみればわかります。
国が管理する一級河川を対象に、国土地理院が作っているもので、「地理院地図」というウェブサイトを開いたあと、左上にある「地図」のマークから「土地の成り立ち・土地利用」の中にある「治水地形分類図」を選択すれば、地図上に表示されます。
白地に青色の線が入っているところが「旧河道」です。
この地図では「旧河道」のほかにも、泥が堆積してできた土地のため水分を含みやすく、長期間水につかるおそれがある「後背湿地」や、過去の洪水で上流からの土砂が堆積してできた平野部で、再び浸水するリスクがある「氾濫平野」など、さまざまな災害リスクのある地形が示されています。
また、現在の土地の細かな起伏を知るには、同じ地理院地図から選択できる「陰影起伏図」が参考になります。
土地の起伏を強調して表示しているため、どの程度低くなっているのかを視覚的に把握することができます。
また、治水地形分類図などと重ね合わせて表示することもできます。
国土地理院は、周辺の地形の特性を知り、防災に役立てる足がかりとして、ハザードマップとあわせた利用を呼びかけています。
https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20201019/1000055151.html
2020年9月14日12時34分に読売新聞から、下記趣旨の記事が写真3枚付きでネット配信されていた。
2011年の紀伊水害など過去の災害を伝える石碑や記念碑が、国土地理院の地図記号「自然災害伝承碑」として登録され、ウェブ上の「地理院地図」に掲載された。
奈良県内では今月までに、五條市や十津川村、野迫川村の計25基が紹介されている。
命を守るために先人が残した伝言を、地図を頼りに巡った。
奈良県十津川村の観光地「谷瀬の吊り橋」が架かる上野地地区。
170人が暮らす集落の中心から熊野川方向に分け入った道端に、高さ95センチの古い石碑が立っている。
周囲にアサガオが茂り、歩いて探しながら2度も見過ごした。
表面にこう刻まれている。
明治廿二年八月十九日洪水氾濫及于此所即立石以為後之警戒
(明治22年8月19日、洪水の氾濫がこの場所まで及んだ。
石を立てて後世の警戒とする)
熊野川からは200メートル以上離れ、水面よりも25メートル高い。
かつて、ここまで洪水にのまれたとは、にわかに信じられない。
「石があるなあ、ぐらいの認識。洪水がここに来たって書いてあるの?」。
近くに住む男性(42)も驚く。
紀伊水害では集落の高い場所にある診療所に避難したといい、「やっぱり早めの避難を心がけないと」とうなずいた。
1889年(明治22年)8月に起きた十津川大水害では、村内で168人が死亡した。
土地は荒れ、被災者ら2600人以上が北海道へ移住を余儀なくされた。
当時、村内の浸水箇所を示す警戒碑が60基建てられたとされる。
しかし、現存しているのは、上野地地区を含めて5基しかない。
石碑を調査した村総務課の防災担当・山香係長も、明治の大水害の碑の多くを知らず、聞いて回るなど探すのに苦労したという。
「明治の大水害は文献でしかわからない。現地を巡って『本当にここも被災したんだ』と規模を実感した」と振り返った。
村内の自然災害伝承碑は16基。
うち十津川大水害の警戒碑や記念碑などは9基あり、残る7基は紀伊水害で土砂崩れや洪水が起きた現場に建てられている。
野尻地区にある「紀伊半島大水害警戒碑」は、村営住宅2棟が流され、8人が犠牲になった場所に立つ。
裏面には、土石流に塞がれた河川が流れを変えて住宅をのみ込んだと刻まれている。
石碑の根元に、線香と飲み物が供えられていた。
避難の教訓を伝える石碑もある。
五條市西吉野町屋那瀬の「禍害復旧之碑」が立つ場所は、1982年8月の台風で2度にわたり崩落したが、早期避難で全員が無事で、「幸い人身事故には至らず」と刻まれている。
水害を記憶する人がいなくなっても、災害の危険は常にある。
碑に刻まれた文字に触れると、「生き延びてくれ」と先人が訴えかける声のように思えた。
【国土地理院「防災役立てて」】
地図記号「自然災害伝承碑」は国土地理院が新設し、昨年6月からウェブ上の地理院地図で公開を始めた。
きっかけは2018年7月の西日本豪雨だった。
大勢が犠牲になった広島県坂町では、1907年に40人以上が死亡した水害を伝える石碑があっても、知らない住民が多かったという。
国土地理院は、「貴重なメッセージが十分に生かされていない」として、自治体に災害を伝える石碑や記念碑の情報提供を求め、地理院地図で位置と写真、内容を広く知らせることにした。
今月1日時点で全都道府県の179市区町村から申請された593基を紹介している。
新たに印刷する2万5千分の1地図にも記号を順次掲載していく。
近畿地方測量部の千葉次長は、「スマートフォンでも手軽に地図や内容が見られる。防災教育に役立ててほしい」と話している。
◇
ウェブ上の「地理院地図」で「地図」を選択後、「災害伝承・避難場所」「自然災害伝承碑」とクリックすれば、地図記号が表示され、写真や説明もついている。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20200913-OYT1T50133/
2020年2月11日に掲載した元記事がブログサイト運営会社の字数制限に抵触しましたので、ここに新情報を第2報修正4として掲載します。
第1報(2/2)は下記参照。
https://anzendaiichi.blog.shinobi.jp/Entry/10441/
(2020年7月5日 修正4 ;追記)
2020年6月28日2時0分に毎日新聞からは、遺族がマンション管理会社の代表とマンションの区分所有者を告訴した、区分所有者には賠償も求めているという、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
遺族がマンション管理会社の代表を業務上過失致死の疑いで県警逗子署に刑事告訴した。
マンションの区分所有者の住民らも過失致死の疑いで告訴し、いずれも受理された。
捜査関係者への取材で判明した。
告訴は23日付。
捜査関係者によると、事故前日、マンションの管理人が斜面に数メートルのひび割れがあるのを発見し、管理会社に伝えていた。
遺族側は、管理会社は適切な措置を講じなかった責任があり、住民らも安全管理を怠ったとしているという。
現場は民有地で、県は2011年に、この斜面一帯を土砂災害警戒区域に指定していた。
事故後、国土交通省国土技術政策総合研究所は「風化を主因とした崩落」と指摘している。
関係者によると、遺族は区分所有者に対し、内容証明郵便(25日付)で総額1億1800万円の損害賠償を求めている。
https://mainichi.jp/articles/20200627/k00/00m/040/180000c
6月27日5時0分に神奈川新聞からは、損害賠償請求に関するやや詳しい記事が下記趣旨でネット配信されていた。
遺族側が同マンションの区分所有者に対し、安全対策を怠っていたとして、総額約1億1800万円の損害賠償を請求したことが26日、関係者への取材で分かった。
同マンションの区分所有者は約40世帯いるが、遺族側の請求への対応を今後協議し、判断するとみられる。
今回の事故の崩落原因については、現地調査を行った国土交通省国土技術政策総合研究所が3月に最終報告を発表。
「水による流動・崩壊ではない」と指摘し、直接的な引き金は不明としつつ、「地表面の低温、凍結、強風の複合的な作用で風化が促進された」などと結論付けている。
関係者によると、遺族側は同研究所の調査結果を踏まえ、崩落が発生しないように安全性を確保するための斜面の管理がなかった結果、事故が起きたなどと訴えている。
亡くなった女子生徒が将来就労することを想定した逸失利益や慰謝料などとして、総額約1億1800万円を請求している。
https://www.kanaloco.jp/article/entry-392885.html
(ブログ者コメント)
〇2011年の県指定に関し、第1報(1/2)では、以下の報道内容も紹介している。
県は、この斜面を「急傾斜地の崩壊」の恐れがあるとして、2011年に土砂災害警戒区域(イエローゾーン)に指定している。
〇責任問題については、少し前になるが、以下のような解説報道もあった。
(2020年2月21日 週間ダイヤモンド)
・・・・・
「台風や地震で崩落したわけではないのでマンションの所有者全員か管理組合に責任がある」
現地調査を行った国土交通省は2月14日、報告書(速報)を公表。
「日当たりの悪い斜面のため(地盤を固める)植生が弱く、風化により崩落した」などと結論付けた。
国交省の示した事故原因は、同じような斜面を持つマンションならば他でも起こり得ることを示している。
実際、土砂災害警戒区域に所在する物件は少なくなく、大手デベロッパーや管理会社はこの前代未聞の事故に度肝を抜かれて、自社物件の総点検をこっそり行っている。
だが、最終的に事故の責任はマンションの所有者にある。
「台風や地震によって斜面が崩落したわけではないので、マンションの所有者全員か管理組合が占有者として責任を負うことになるだろう」と話すのは、不動産に詳しい「麹町パートナーズ法律事務所」の神戸靖一郎弁護士だ。
そのうえで、「賠償額は被害者の年齢から7000万~8000万円。遅延損害金や弁護士費用も含めれば、総額1億円を超える可能性もある。もし賠償責任保険が出なければ、所有者全員で自己負担することになるだろう」(神戸弁護士)という。
マンション所有者の負担はそれだけにとどまらない。
不動産関係者は、「人命を失うような事故が起きたことで、物件の資産価値の大幅な低下は避けられない」と、口をそろえる。
・・・・・
http://dw.diamond.ne.jp/articles/-/28827
(2月7日6時0分 日刊ゲンダイ DIGITAL)
(神戸靖一郎弁護士のコラム?)
・・・・・
道路脇にある擁壁上の土ののり面は、あるマンションの敷地となっており、区分所有者が共有している。
傾斜地にあるマンションは少なくないので、自分のマンションで同じ事が起きるのではないかと心配になる人も多いだろう。
こうした事故で被害者に対する損害賠償責任を誰がいくら負担するのか、簡単に解説したい。
民法には「土地工作物責任」という制度がある。
土地の工作物の設置または保存の瑕疵によって損害を生じた場合、占有者(二次的に所有者)が責任を負うというものだ。
「土地の工作物」というのは建物などが典型的だ。
のり面下の石積みの擁壁は工作物に当たるが、土ののり面自体が「工作物」なのか若干疑問はあるものの、宅地造成で作られたものであれば、該当する可能性が高い。
設置または保存の瑕疵は、判例的には「工作物が通常有すべき安全性を欠く」ことをいう。
要するに、土ののり面に欠陥があったり、崩れそうなのに放置したりすることである。
地震や台風の後に事故が起きたわけではないので、土ののり面に瑕疵があったことは十分に考えられるだろう。
いずれの要件もクリアになると、土砂崩れの原因箇所の占有者が「土地工作物責任」を負う。
のり面が原因箇所である場合は、マンションの管理組合または区分所有者全員が占有者となる。
なお、のり面が工作物に当たらない場合も、その管理に過失があれば、管理組合は不法行為責任を負うことになる。
もちろん、のり面に全く瑕疵がない場合は、マンション側は土地工作物責任を負わない。
この場合、被害者側は市道を管理する逗子市に賠償責任の追及を検討することになるが、マンション側に対する請求よりも格段に難易度が高くなる。
さて、仮にマンション側が損害賠償責任を負うとして、その損害額はいくらになるか。
人身事故の損害額は大体の基準が定まっている。
18歳未成年者の死亡事故による損害額は7000万円~8000万円が相場だ。
多くの事案では、訴訟ではなく示談交渉で解決するが、訴訟となった場合は、遅延損害金や護士費用によって、賠償額が1億円を超えることもある。
賠償責任保険が使用できず、管理組合にカネもないということであれば、区分所有者が全員で支払うしかない。
1億円を区分所有者で負担すると、単純計算で、50戸のマンションであれば1戸当たり200万円。100戸だと100万円になる。
徴収に応じない人がいれば、他の区分所有者でその分を立て替えることになる。
それでも支払いができなければ、被害者側は各区分所有者の部屋を強制執行することも、給料を差し押さえることもできる。
【管理組合にお金がなければ区分所有者が負担】
こうした事態を想像すると、事故後、すぐにマンションを売って出て行きたいという区分所有者もいるだろうが、それで責任を免れるかは難しい問題である。
責任を免れるケースもあり得るが、その場合、買主が責任を負担することになる。
マンション側で損害賠償金を支払うとなると、必ず、管理会社に責任を転嫁できないかという声が出てくる。
実際に敷地の管理をしているのは管理会社なので、管理契約の内容や管理実態によっては、一定の損害を負担させることも不可能ではない。
ただし、明らかな落ち度がない限り、素直に支払いに応じる管理会社があるとは思えないので、多くの事案で訴訟提起が必要になるだろう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/268737
2020年6月12日5時45分に毎日新聞から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
地震で大量の本が崩れ、命を落とす――。
12日は宮城県沖地震(1978年6月)を受けて制定された「みやぎ県民防災の日」。
これまで県内外で発生した地震では、本や本棚の下敷きになる被害が相次いでおり、各地域の消防は家具の固定などの対策を呼びかけている。
14日で発生から12年を迎える2008年の岩手・宮城内陸地震は、山間部の土砂災害で多くの犠牲者を出したが、比較的揺れが小さかった仙台市の中心部でも、本の下敷きになり亡くなった人がいた。
同市青葉区のアパート2階に住む男性会社員(当時37歳)の死因は窒息死だった。
その日の夜、出勤しなかったことを不審に思った同僚らが自宅を訪ねて、大量の本に埋もれていた男性を発見。
男性の部屋には天井近くまで1000冊以上の本が積まれ、重さは数百キロあったという。
同区は震度5弱だった。
同様の事例は他の地震でも確認されている。
09年8月に静岡市で、11年6月に長野県松本市で、それぞれ震度5強の地震が発生し、いずれも集合住宅の住民が本の下敷きになり死亡。
震度6弱を観測した18年6月の大阪北部地震では、読書が趣味だったという茨木市の男性が亡くなった。
本や本棚に限らず、家具の転倒で命を落とす例は多い。
各自治体は、家具の転倒防止器具や落下防止器具の取り付けを呼びかけている。
東京消防庁は「家具類の転倒・落下・移動防止対策ハンドブック」をウェブで公開し、本の落下防止器具として、本棚に取り付ける棒や滑り止めのテープを紹介している。
仙台市消防局では、家具の転倒防止器具の取り付けを代行する事業を実施。
高齢者や視覚障害者が住む世帯を主な対象として、器具の購入費用以外は、原則、無料で行っている。
同局予防課の佐藤課長は、「自分の体を守るための基本的な対策なので、家具の転倒防止に関心を持ってほしい」と話した。
https://mainichi.jp/articles/20200611/k00/00m/040/335000c
(ブログ者コメント)
〇本棚の危険性については、本ブログで過去に、札幌市の本屋での死亡事例を紹介している。
また、茨木市の事例についても簡単に触れた報道を紹介している。
〇本棚の危険性について改めて調べたところ、茨木市の事例については、以下の詳しい報道が見つかった。
(2018年6月18日 22時33分 朝日新聞)
大阪府茨木市小川町のマンションでは、6階に住む後藤さん(85)が就寝中に倒れてきた本棚の下敷きになり亡くなった。
「助けてください!」。
後藤さんと同じ6階に住む自営業の和田さん(65)は、地震発生直後に女性の声を聞いた。
助けに後藤さんの部屋に入ると、幅約1メートル、高さ約1・8メートルの木製の本棚が倒れ、本が散乱していた。
別の若い男性と2人で本棚を起こしたが、下にいた後藤さんの意識はすでになかったという。
茨木署によると、後藤さんは妻と2人暮らし。
妻は別の部屋で就寝中で無事だった。
近所の人たちは、後藤さんが道を歩きながら本を読む姿を覚えている。
同じ6階に住む女性(83)は、「読書家だったから、本棚に囲まれて暮らしていたのだと思う」。
和田さんは「本好きで、『やさしいおじいちゃん』という印象の人だった。ショックです」とうつむいた。
後藤さんと40年来の付き合いがあるという2階に住む女性(82)は、妻と仲良く買い物に行く姿もよく見かけたという。
6階に住む田中さん(47)は、あいさつすると、いつも笑顔で返してくれたことを思い出すという。
「おとなしくて優しい人だった。信じられない」と肩を落とした。
https://www.asahi.com/articles/ASL6L56MZL6LPTIL05B.html
2020年6月10日6時45分に朝日新聞から、下記趣旨の記事が大きな落下痕の写真付きでネット配信されていた。
鹿児島地方気象台は8日夜、桜島(鹿児島市)の南岳で4日午前3時ごろに発生した爆発的噴火で出たとみられる大きな噴石が、火口から約3キロ離れた地点で確認されたと発表した。
噴石の破片は、人家の100~150メートル近くまで届いていた。
人的被害は確認されていないという。
約20~30センチ以上の大きな噴石が火口から3キロを超えた地点で確認されたのは、1986年11月23日以来。
ただ、山体の隆起や膨張といった火山活動がさらに活発化する兆候は認められないとして、気象庁は噴火警戒レベルは3(入山規制)を維持している。
同気象台によると、「噴石が落ちている」との連絡を受け、8日午後に市職員や専門家らと現地を調査した。
その結果、火口から南南西約3キロの同市東桜島町で、直径約6メートル、深さ約2メートルの落下痕を確認し、近くで最大約30センチの複数の噴石の破片を見つけた。
4日の爆発による噴石とみられ、元の大きさは、直径50~70センチの可能性があるという。
桜島の噴火警戒レベルの判定基準では、大きな噴石が火口から2・5キロ以上に飛散した場合はレベル5(避難)に引きあげるとされるが、同気象台は「監視カメラで十分確認できるような(大きさや量の)噴石の飛散ではなかった」と、レベルを維持した理由を説明している。
火口から約2キロの範囲については引き続き、大きな噴石や火砕流への警戒を呼びかけている。
https://www.asahi.com/articles/ASN696251N69TLTB003.html
6月10日10時30分に南日本新聞からは、記者が現地に行ってのレポート記事が、下記趣旨でネット配信されていた。
4日未明に桜島の南岳山頂火口が爆発し、大きな噴石が火口から南南西の民家の約150メートル近くまで飛散した鹿児島市東桜島町を9日、歩いた。
住民は「家を直撃したらひとたまりもなかった」と恐怖心を語り、「備えを徹底したい」と気を引き締めた。
飛散場所は同町湯之地区の住宅街のはずれ。
腰の高さほどある雑草がうっそうと生えたやぶを進むと、直径6メートル、深さ2メートルにえぐれた穴(落下痕)がぽっかりと開いているのが見えた。
周囲の木々の枝は円を描くように折れ、爆弾が落ちたかのようだ。
推定1メートルの噴石が直撃した破壊力に圧倒された。
近くの建設作業員山下さん(男性、63歳)は4日午前3時ごろ、「ヒューッ」という耳慣れない大きな音で目が覚めた。
「何の音か分からず、車の事故だと思った。噴石が上空から飛んできた音とは」と驚いた。
現場から150メートルほどの家に住む男性(83)は、9日のテレビで落石があったことを初めて知った。
「気がつかなかっただけに怖い」と心配そうな様子だった。
噴石の第1発見者で、同町の建設会社代表の松元さん(男性、44歳)は4日午前、やぶの隣にある倉庫の天井に、約20センチ四方の穴が開いているのを見つけた。
翌日、付近を見回り、やぶの中の穴を発見した。
「噴石から焦げたにおいがした。山火事にならず運がよかった」と胸をなで下ろす一方、「火山の動向に日頃から気を配りたい」と話した。
噴石の破片は市職員が回収。
近くの役場支所に保管されている。
一方、4日の爆発では多数の小さい噴石が風下の火口東側4~5キロの同市黒神町に降った。
住民の川添さん(男性、83歳)宅では、物置の天井に2~3センチの穴が20カ所以上開いていた。
川添さんは「けがをしなくてよかった。修理が大変そう」とため息。
「火山の恵みを受けて生活をしている。多少の不自由は仕方ない」と話した。
https://373news.com/_news/?storyid=120786
2020年5月5日13時35分に毎日新聞から、下記趣旨の記事が写真付きでネット配信されていた。
大分県警中津署は3日夜、中津市耶馬渓町金吉の県道で落石が発生したと発表した。
人的な被害はないという。
同午後9時50分ごろ、「約30分前に大きな音がして道路の片側が土砂で塞がれている」などと110番があり、落石が確認された。
県中津土木事務所によると、石は約4メートル×約3メートル×約3メートル。
山側にある金網の落石防護柵を壊し、幅6メートルの道路で2回バウンドしたとみられ、向かい側の土地に乗り上げ、「後藤又兵衛の墓」の手前で止まった。
道路には長径約2メートル、短径約1メートル、深さ20センチなど、穴が二つあいていたという。
同事務所は斜面の状況を調査するなどし、今後の対応を検討する。
県道は現場付近で通行止めとなっている。
https://mainichi.jp/articles/20200505/k00/00m/040/040000c
5月4日19時59分にFNN PRIME(テレビ大分)からは下記趣旨の記事が、毎日新聞とはアングルの異なる写真付きでネット配信されていた。
落石当時は雨が降っていたということで、県では地盤が緩んでいる可能性もあるとみて原因を調べています。
https://www.fnn.jp/articles/-/39218
5月4日21時39分にOBSからは、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
現場は、山崩れによりおととし住民6人が犠牲になった場所から、およそ5キロの距離にあります。
http://www.e-obs.com/news/detail.php?id=05040048783&day=20200504
5月4日付で中津市のHPには、市長が落石のあった山のほうを視察している写真が掲載されていた。
https://www.city-nakatsu.jp/mayor-docs/2020050400030/
その間、ずっと奥歯に挟まっていたのは、他社の事故情報がほとんど耳に入ってこなかったことです。
そこで退職を機に、有り余る時間を有効に使うべく、全国各地でどのような事故が起きているか本ブログで情報提供することにしました。
また同時に、安全に関する最近の情報なども提供することにしました。