忍者ブログ
                                                       本ブログでは、産業現場などで最近起きた事故、過去に起きた事故のフォロー報道などの情報を提供しています。  それは、そういった情報が皆さんの職場の安全を考える上でのヒントにでもなればと考えているからであり、また、明日は我が身と気を引き締めることで事故防止が図れるかもしれない・・・・そのように思っているからです。  本ブログは、都度の閲覧以外、ラフな事例データーベースとして使っていただくことも可能です。        一方、安全担当者は環境も担当していることが多いと思いますので、あわせて環境問題に関する情報も提供するようにしています。       (旧タイトル;産業安全と事故防止について考える)
 ブログ内検索 Site Search 
キーワードに合致した記事を検索できます(複数キーワード検索可)
 最新記事 Latest Articles 
(05/10)
(05/10)
(05/09)
(05/08)
(05/07)
(05/07)
(05/06)
(05/06)
(05/05)
(05/05)
(05/04)
(05/04)
(05/03)
(05/02)
(05/02)
(05/01)
(04/30)
(04/30)
(04/30)
(04/29)
(04/29)
(04/28)
(04/27)
(04/27)
(04/26)
 最古記事 Oldest Article 
(04/09)
(04/09)
(04/09)
(04/09)
(04/09)
(04/10)
(04/10)
(04/10)
(04/10)
(04/11)
(04/11)
(04/11)
(04/11)
(04/11)
(04/11)
(04/11)
(04/11)
(04/11)
(04/11)
(04/11)
(04/11)
(04/11)
(04/11)
(04/11)
(04/11)
[11025]  [11019]  [11026]  [11018]  [11017]  [11016]  [11015]  [11014]  [11013]  [11012]  [11011

20209141234分に読売新聞から、下記趣旨の記事が写真3枚付きでネット配信されていた。

 

2011年の紀伊水害など過去の災害を伝える石碑や記念碑が、国土地理院の地図記号「自然災害伝承碑」として登録され、ウェブ上の「地理院地図」に掲載された。

 

奈良県内では今月までに、五條市や十津川村、野迫川村の計25基が紹介されている。

 

命を守るために先人が残した伝言を、地図を頼りに巡った。

 

 

奈良県十津川村の観光地「谷瀬の吊り橋」が架かる上野地地区。

170人が暮らす集落の中心から熊野川方向に分け入った道端に、高さ95センチの古い石碑が立っている。

周囲にアサガオが茂り、歩いて探しながら2度も見過ごした。

 

表面にこう刻まれている。

明治廿二年八月十九日洪水氾濫及于此所即立石以為後之警戒
(明治22年8月19日、洪水の氾濫がこの場所まで及んだ。
 石を立てて後世の警戒とする)

 

熊野川からは200メートル以上離れ、水面よりも25メートル高い。

かつて、ここまで洪水にのまれたとは、にわかに信じられない。

 

「石があるなあ、ぐらいの認識。洪水がここに来たって書いてあるの?」。

近くに住む男性(42)も驚く。

 

紀伊水害では集落の高い場所にある診療所に避難したといい、「やっぱり早めの避難を心がけないと」とうなずいた。

 

1889年(明治22年)8月に起きた十津川大水害では、村内で168人が死亡した。

土地は荒れ、被災者ら2600人以上が北海道へ移住を余儀なくされた。

 

当時、村内の浸水箇所を示す警戒碑が60基建てられたとされる。

しかし、現存しているのは、上野地地区を含めて5基しかない。

 

石碑を調査した村総務課の防災担当・山香係長も、明治の大水害の碑の多くを知らず、聞いて回るなど探すのに苦労したという。

 

「明治の大水害は文献でしかわからない。現地を巡って『本当にここも被災したんだ』と規模を実感した」と振り返った。

 

村内の自然災害伝承碑は16基。

うち十津川大水害の警戒碑や記念碑などは9基あり、残る7基は紀伊水害で土砂崩れや洪水が起きた現場に建てられている。

 

野尻地区にある「紀伊半島大水害警戒碑」は、村営住宅2棟が流され、8人が犠牲になった場所に立つ。

裏面には、土石流に塞がれた河川が流れを変えて住宅をのみ込んだと刻まれている。

石碑の根元に、線香と飲み物が供えられていた。

 

避難の教訓を伝える石碑もある。

 

五條市西吉野町屋那瀬の「禍害復旧之碑」が立つ場所は、1982年8月の台風で2度にわたり崩落したが、早期避難で全員が無事で、「幸い人身事故には至らず」と刻まれている。

 

水害を記憶する人がいなくなっても、災害の危険は常にある。

碑に刻まれた文字に触れると、「生き延びてくれ」と先人が訴えかける声のように思えた。

 

 

【国土地理院「防災役立てて」】

 

地図記号「自然災害伝承碑」は国土地理院が新設し、昨年6月からウェブ上の地理院地図で公開を始めた。

 

きっかけは2018年7月の西日本豪雨だった。

大勢が犠牲になった広島県坂町では、1907年に40人以上が死亡した水害を伝える石碑があっても、知らない住民が多かったという。

 

国土地理院は、「貴重なメッセージが十分に生かされていない」として、自治体に災害を伝える石碑や記念碑の情報提供を求め、地理院地図で位置と写真、内容を広く知らせることにした。

 

今月1日時点で全都道府県の179市区町村から申請された593基を紹介している。

 

新たに印刷する2万5千分の1地図にも記号を順次掲載していく。

 

近畿地方測量部の千葉次長は、「スマートフォンでも手軽に地図や内容が見られる。防災教育に役立ててほしい」と話している。

 

     ◇

 

ウェブ上の「地理院地図」で「地図」を選択後、「災害伝承・避難場所」「自然災害伝承碑」とクリックすれば、地図記号が表示され、写真や説明もついている。

 

https://www.yomiuri.co.jp/national/20200913-OYT1T50133/

 

 

 

 

 

読者通信欄
ネーム 必須
メールアドレス 必須

拍手[0回]

PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
 通信欄 
問合せなどあれば記事末尾の読者通信欄に名前(匿名可)とメルアドを記入し ①確認ボタンをクリック ②記入欄に用件記入   ③確認ボタンをクリック ④内容がOKであれば送信ボタンをクリック    してください。     ちなみに「ご送信ありがとうございました」との返信がありますが。それは通信欄会社からの自動メッセージですので、ご留意ください。
 カテゴリー Category 
 最新コメント Latest Comments 
[06/09 ※無記名]
[06/01 ※無記名]
[02/08 ※無記名]
[02/08 ※無記名]
[01/20 ※無記名]
[08/31 ガーゴイル]
[09/27 三浦]
[03/02 南方英則]
[11/20 山城守]
[07/20 記事内容について訂正をお願いします。]
[07/16 神戸ファン]
[04/21 Rawi]
[08/12 山田晴通]
[04/24 道産子]
[04/15 道産子]
[04/15 道産子]
[04/05 道産子]
[04/02 道産子]
[04/01 道産子]
[02/27 道産子]
[02/26 愛読者]
[01/10 愛読者]
[11/07 愛読者]
[10/12 愛読者]
[08/24 愛読者]
 ツイッターなどへの接続 
 製造業ブログランキングへの接続 
下記をクリックすれば、2種類の製造業ブログランキングにつながります
にほんブログ村 企業ブログ 製造業へ
にほんブログ村 人気ブログランキングへ
 最新トラックバック 
 バーコード 
 カウンター 
 アクセス解析 
 プロフィール Profile 
HN:
魚田慎二
性別:
男性
自己紹介:
化学関係の工場で約20年、安全基準の制定、安全活動の推進、事故原因の究明と再発防止策立案などを担当しました。
その間、ずっと奥歯に挟まっていたのは、他社の事故情報がほとんど耳に入ってこなかったことです。
そこで退職を機に、有り余る時間を有効に使うべく、全国各地でどのような事故が起きているか本ブログで情報提供することにしました。
また同時に、安全に関する最近の情報なども提供することにしました。

Template by ららららいふ / Material by 素材くん「無料WEB素材屋」

忍者ブログ [PR]