2020年1月30日2時0分に日本経済新聞電子版から、下記趣旨の記事が写真や図解付きでネット配信されていた。
長さ140ミリメートルもの疲労亀裂が走り、破断寸前に至った新幹線「のぞみ34号」(博多発・東京行、N700系16両編成)の台車事故。
2017年12月にJR西日本が運行する車両で起き、製造を手掛けたのは川崎重工業であることは広く報じられた。
国土交通省の運輸安全委員会は、この事案を重大インシデントに認定し、19年3月には調査報告書を発表した。
多くは、この事故を特定企業による特殊事例であり、報告書が公表された段階で「一件落着」とみなす。
だが、「決して対岸の火事で済ませてはならない」と、日本の製造業にも川崎重工業の内情にも詳しい識者が警鐘を鳴らしている。
注意すべきは、作業者の「腕(技術や技能、ノウハウ、スキル)」に依存して仕上げる製品だ。
具体的には、少量生産の大物部品や、いわゆる「一品物」と呼ばれる受注製品、開発側が決めた配合通りにはなかなか出来ない化学製品など、生産現場での調整作業を要する製品である。
高速車両や船舶、航空機の部品といった大物機械部品は、まさにこの製品に相当し、件(くだん)の台車事故が示した通り、一つ間違えば人命を危険にさらす大事故に発展しかねない。
【大物部品製造は難易度が高い】
調査報告書は、川崎重工業の生産現場における管理の杜撰(ずさん)さを断じている。
だが、「単に生産部門の管理を強化するだけでは不十分だ」と識者は指摘する。
結論を先に言えば、より大切なのは「設計の意図を生産現場に伝えること」だ。
この台車の場合、「図面の意図を生産現場が十分に把握していなかった可能性が高い」(同識者)。
まず押さえておくべきは、台車のような大物機械部品は、決して「コモディティー製品ではない」ということだ。
確かに、新幹線は1964年に運行を開始して、2020年で56年目を迎える長い歴史がある。
しかも、台車の構造自体はそれほど複雑ではない。
これをもって、台車の製造は簡単であり川崎重工業の生産現場が手を抜いたのだ、という理解は間違いだ。
大物機械部品は寸法精度を満たすのがとても難しい。
大きくて重い上に、台車の場合は高速で長距離を移動するため、精密な精度を要求されるのだ。
部品を外注し、図面通りの部品が納入されたとしても、簡単には製品(台車)に組み上がらない。
デジタル製品とは異なり、単純な組み立て型製品には該当しないからだ。
加えて、与えられたコストを満たすために、1人もしくは2人といった少数でさまざまな調整を施しながら組み上げていく必要がある。
それを実現する武器は、「職人技」と呼ばれるような作業者の腕だ。
もちろん、川崎重工業の生産現場には、作業手順を記した作業標準書がある。
一般に、調整の手順もその作業標準書にできる限り記載しようと生産現場は努めるのだが、限界があるという。
調整作業のイメージを身近な例で分かりやすく伝えよう。
例えば、「テーブルの水平出し」だ。
ある家屋のリビングの床(水平とは限らない)に対し、テーブルの天板を極めて高い精度で水平に設定する作業を想定してほしい。
この場合、4本ある脚の長さをそれぞれ調整する必要がある。
天板の傾きを確認しながら、長過ぎる脚を見つけて少し削っては確認し、また削るという作業を繰り返すことになるだろう。
だが、この作業を正確に作業標準書に記載することはできない。
削る脚や箇所、削る量は「現物」を見てみない限り、分からないからだ。
そのため、多くの場合、この作業は「天板の水平度(平面度)を製品の規格(仕様)に合わせること」などと、大ざっぱな表現で作業標準書に記載されることとなる。
【図面の意図を作業者が知らなかった】
台車に亀裂が生じた直接の原因は、部品(側バリ)を削り過ぎたことにある。
そうしないと、要求された寸法精度を満たせなかったからだ。
設計では、加工後に側バリ下面(下板)の板厚を7ミリメートル以上確保しなければならなかったのに対し、最も薄い箇所で板厚が4.7ミリメートルになるまで研削していた。
これに対して調査報告書は、作業指示を作業者にきちんと伝えていなかった生産現場のマネジメントの責任を指摘している。
確かに、作業標準書の内容を正しく伝えなかったり、間違った解釈をしたりした生産現場の管理者の責任は重い。
だが、こうした調整作業は先述の通り、作業標準書に正確に記載することが難しい上に、作業方法が作業者個人の判断に委ねられるケースが間々あると識者は言う。
納期やコストの圧力も受ける作業者は、組み立てが完了した後に、最終的に精度を満たせばよいと考えがちだ。
では、なぜ作業者は削ってもよいと判断してしまったのか。
その理由こそ、「作業者が図面の意図を十分に理解していなかった」(識者)ことにある。
この台車事故の真の原因はここにあると、識者は指摘する。
【従来はベテランがカバーしていた可能性】
この台車事故から学ぶべき教訓は、管理者が設計者の考えをくみ取り、図面の意図を作業者にしっかりと伝えることだ。
ただし、図面の全情報を作業者に伝えるのは、管理者にとっても作業者にとっても負担が大きい。
そこで、機能や品質、安全などにおいて極めて重要な情報に絞って、管理者が作業者に伝えるのである。
「製造上、絶対に守るべき点とそれほどでもない点を識別し、守るべき点について設計の意図をしっかりと作業標準書に記載して作業者に伝えることができなかった。これが台車事故につながった川崎重工業の生産現場の実態である」と識者は指摘する。
従来は問題にならなかったのは、熟練者が作業していたり、熟練者が他の作業者に教えていたりしたからだろうと識者は推測する。
つまり、経験や知見が豊富なベテランが、設計の意図を作業者に伝える管理者の代わりを担っていたという指摘だ。
ところが、定年退職などでベテランの多くが職場を去ったことを機に、重要な設計の意図を作業者に伝えることがなくなり、結果、欠陥のある台車を造ってしまったのではないか──。
これが識者の見立てだ。
ある造船会社は、図面の読み合わせ会を開始した。
図面の意図を正確に生産現場に周知させる必要性を痛感したからだ。
きっかけは、やはりベテランが減ったことだった。
併せて、作業標準書の読み合わせ会も行い、いわゆる勘やコツに依存することからの脱却を目指しているという。
【設計は完璧だったのか】
調査報告書は生産現場の責任を指摘するが、この台車の場合、設計が完璧とはいえなかった可能性も払拭できないと識者は言う。
というのは、「重大インシデントになるほど重要な箇所であれば、7ミリメートル以上といったざっくりとした指示ではなく、生産側にもっと注意を喚起しているはずだ。当時の解析技術では、亀裂の発生を設計者が想定できていなかったのではないか」(同識者)。
実は、大物機械部品の分野では、自動化や標準化、コンピューター化などが他の分野に比べて遅れている。
そのため、部品単体の強度はシミュレーションしていても、組み立てた製品の強度まではシミュレーションできていないケースが結構あるという。
果たして、この台車では、台車構造全体の強度評価ができていたのか。板厚を削って薄くなった際にどうなるのか、すなわち亀裂が生じる可能性があるということを想定できていたのか疑問が残るという指摘である。
「この薄さになると、この強度になるため、こうした事象になる」ということを経験則ではなく、シミュレーションを通じて理論的な知見として獲得する。そして、その理論的な知見を基に図面を作成し、かつ生産規格(作業指示)を決めていたのか──。もしもこのことを当時の川崎重工業ができていなかったとすれば、欠陥のある台車を造った責任は生産現場ではなく、むしろ設計側にあると識者は指摘する。
こうした事態を防ぐには、経験則から脱却してシミュレーションを徹底し、トラブル源を洗い出すことが基本だ。
最新の解析技術を駆使して理論的な知見を増やすのが理想である。
だが、当時の解析技術ではそれができていなかったのかもしれない。
図らずも台車事故で露呈した川崎重工業の生産現場と設計現場の実態や課題を、対岸の火事と言い切れる日本企業は少ないのではないだろうか。
[日経 xTECH 2020年1月8日付の記事を再構成]
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO54456080W0A110C2000000/?n_cid=NMAIL007_20200130_Y
(ブログ者コメント)
新幹線の台車枠削り過ぎ事例は本ブログで第9報まで掲載している。
その間、ずっと奥歯に挟まっていたのは、他社の事故情報がほとんど耳に入ってこなかったことです。
そこで退職を機に、有り余る時間を有効に使うべく、全国各地でどのような事故が起きているか本ブログで情報提供することにしました。
また同時に、安全に関する最近の情報なども提供することにしました。