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7月12日15時22分にNHK岡山からは、真備町での犠牲者の多くは垂直移動が困難な高齢者だったという下記趣旨の記事がネット配信されていた。
真備町では、小田川の堤防などが相次いで決壊して広い範囲が浸水し、12日の午前中までに50人の死亡が確認されている。
亡くなった人は、「水死」または「水死とみられ」ているが、県や警察が遺体が見つかった場所を調べたところ、少なくとも39人が自宅で見つかっていたことが、関係者への取材で新たにわかった。
当時の真備町では、最も深いところで4.8mほどまで水につかったと国土地理院は推計していて、1階部分が完全に水につかる住宅も多くあった。
県などによると、死亡した高齢者が「玄関」付近や「1階の居間」などで見つかるケースが相次いでいて、緊急時に建物の2階以上に避難する、いわゆる「垂直避難」さえも困難だった実態が明らかになった。
出典
『自宅で死亡8割 垂直避難困難か』
https://www3.nhk.or.jp/lnews/okayama/20180712/4020000763.html
7月11日10時14分に山陽新聞からも、同趣旨の記事がネット配信されていた。
真備町地区で見つかった遺体のうち、9割が65歳以上の高齢者だった。
関係者によると、その多くが自宅内で見つかった。
防災の専門家は、浸水被害が夜間に、かつ急速に拡大した点に着目し、「足腰が弱り、上層階などに避難する『垂直避難』が難しい高齢者の逃げ遅れにつながったのではないか」と分析している。
県が午後5時までに把握した真備町地区の犠牲者は46人。
この中で、年齢や性別が公表された男女34人のうち、30人が91~66歳で、関係者によると、多くが溺死だったという。
近隣住民の話では、歩くのに手押し車が必要だったり、脚が悪くてほとんど外出できなかったりする人もいた。
各行政機関によると、真備町地区には6日午前11時半に避難準備・高齢者等避難開始が出され、その後、7日午前1時半までに避難勧告、避難指示が、順次発令された。
地区内を流れる小田川の支川・高馬川の決壊が確認されたのは、最初の避難関連情報から14時間後の7日午前1時34分。
複数の住民は、7日未明には地区内の水位が急激に上昇してきたと証言する。
倉敷芸術科学大危機管理学部の坂本尚史教授(災害危機管理)は、「夜間に垂直避難を試みた高齢者もいたはずだが、足腰が弱く、2階に上がるのさえ時間を要するほか、屋上や屋根に上がることは極めて困難だっただろう」と指摘。
普段から近隣同士で、高齢者や体の不自由な人たちの情報共有が重要とした上で、行政には「平時から、災害時の避難について住民への意識付けを徹底するほか、避難情報の伝達方法を考える必要があるかもしれない」としている。
出典
『夜間の浸水で「垂直避難」困難 倉敷・真備の犠牲者9割が高齢者』
http://www.sanyonews.jp/article/749226
7月10日15時24分に毎日新聞からは、自前のボートで孤立者の救出にあたっていた民間人がいたという、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
堤防が決壊し、2400人以上が、一時、孤立した真備町地区では、複数のボートが住民を助けて回った。
「困った時はお互いさま」。
名乗ることもなく救助に奔走した無名の人々に、住民たちは「一言でもお礼が言いたい」と、感謝の思いを募らせている。
7日午後、同地区の親族宅に避難していたAさん(男性、78歳)は、2階で親族4人と肩を寄せ、救助を待っていた。
激しい雨の中、目に障害のある三女(44)と足の不自由なおい(54)を連れて避難することはできなかった。
そこに、水色のボートに乗った3人組の中年男性が現れた。
「助けてくださーい」。
Aさんが懸命に手を振ると、ボートが寄ってきた。
ただ、周囲には助けを待つ高齢者がたくさんいた。
「そちらを先に」と頼むと、日焼けした一番年長の男性は、「見捨てたりしないから心配せんでいいよ」と励ましてくれた。
再びボートが現れ、救出されたのは午後5時ごろ。
「あの人たちがいなければ、私たちはここにいない。感謝してもしきれない」と話す。
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出典
『西日本豪雨 「見捨てたりしない」命救う無名のボート』
https://mainichi.jp/articles/20180710/k00/00e/040/254000c
その間、ずっと奥歯に挟まっていたのは、他社の事故情報がほとんど耳に入ってこなかったことです。
そこで退職を機に、有り余る時間を有効に使うべく、全国各地でどのような事故が起きているか本ブログで情報提供することにしました。
また同時に、安全に関する最近の情報なども提供することにしました。