2014年5月12日に掲載した元記事がプロバイダーの字数制限オーバーとなりましたので、ここに新情報を第3報修正2として掲載します。
第1報(1/2)は下記参照。
http://anzendaiichi.blog.shinobi.jp/Entry/3845/
第1報(2/2)は下記参照。
http://anzendaiichi.blog.shinobi.jp/Entry/3846/
第2報は下記参照。
http://anzendaiichi.blog.shinobi.jp/Entry/3888/
(2016年4月2日 修正2 ;追記)
2016年3月27日20時58分に産経新聞から、『乗客足止めの理由は自分たちが助かるため 韓国誌など事故直後の供述入手』というタイトルで、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
2014年4月に韓国で旅客船セウォル号が沈没し304人が死亡・行方不明になった事故で、乗組員が、自分たちが助かるために乗客を船内に足止めしたまま脱出したことをうかがわせる供述を事故直後にしていたことが、27日までに分かった。
供述は、捜査記録を入手し分析した週刊誌「ハンギョレ21」と人権問題に取り組む市民団体「真実の力」が明らかにした。
真実の力などによると、1等航海士のシン・ジョンフン受刑者は、取り調べに、乗客を先に脱出させれば、後回しになる乗組員に「死者が出る可能性があった」と説明、自分たちの状況が「非常に危険だった」と訴えていた。
事故当時、セウォル号が傾き始めて約45分後に海洋警察の警備艇1隻が現場に到着。
5分後にシン受刑者は、済州島の運航管理施設との最後の無線交信で、「乗客は450人おり、1隻では足りない」と伝えて連絡を絶ち、イ受刑者らと警備艇に乗り移った。
出典URL
http://www.sankei.com/world/news/160327/wor1603270029-n1.html
(ブログ者コメント)
週刊ハンギョレ21の記事(2016年3月10日7時28分)はボリューム多大ゆえ、主要部分の趣旨のみ、以下に抜粋する。
2014年4月16日午前9時40分、沈没する船から逃走する直前のセウォル号船員の最後の交信が公開された。
船が傾き沈没している時、セウォル号との交信を維持していたのは、珍島海上交通管制システム(VTS)のみとされていた。
しかし、ハンギョレ21が参加した「真実の力、セウォル号記録チーム」は、済州(チェジュ)運航管理室もセウォル号との交信を維持しており、1等航海士のシン・ジョンフンが9時40分に「乗客は450人なので警備艇一隻では(救助に)足りないと思う」と話していたことが、初めて確認された。
それが、セウォル号が外部と交わした最後の交信だった。
この内容は、裁判、検察捜査、監査院調査でも、一度も公開されたことはない。
・・・・・
済州運航管理室 「はい、○○さん、現在の進行状況をちょっと教えてください」
セウォル号 「はい、警備艇が一隻到着し、今救助作業をしています」
済州運航管理室 「はい、今、P艇は係留していますか?」
セウォル号 「はい、今、警備艇がそばに来ています。 そして、今、乗客が450人なので、今の警備艇に乗り移るには足りないので、追加で救助に来なければならないようです」
済州運航管理室 「はい、よく分かりました。今船体は傾いていないですね?」
セウォル号 (応答なし)
最後の交信を通じて、セウォル号の船員らが乗客に対して退船命令を出さずに操舵室から逃走した理由が明らかになった。
乗客に退船を命令すれば船員の脱出順序は後にならざるを得ず、事故現場に到着した100トン級の警備艇では、船員を含めて「総人員500人程度」を救うことは不可能に見えた。
救命ボートも降ろせなかった状況で、操舵室にいた甲板部の船員など10人のうち、ライフジャケットを着用していたのは3人だけだった。
「当時の状況から見て、もし乗客と船員が一度に海に飛び込めば、ライフジャケットを着用していない船員の中から死亡者が出る可能性があった」。 「非常に危険」で「死んでもおかしくない」状況だった(2014年5月8日のシン・ジョンフン第6回被疑者尋問調書)。
乗客が海に先に脱出して自分たちが“救助”される機会が失われないように、セウォル号の船員らは退船命令を出さずに小型警備艇に逃走したと見られる。
・・・・・・
出典URL
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/23547.html
その間、ずっと奥歯に挟まっていたのは、他社の事故情報がほとんど耳に入ってこなかったことです。
そこで退職を機に、有り余る時間を有効に使うべく、全国各地でどのような事故が起きているか本ブログで情報提供することにしました。
また同時に、安全に関する最近の情報なども提供することにしました。