本ブログでは、産業現場などで最近起きた事故、過去に起きた事故のフォロー報道などの情報を提供しています。 それは、そういった情報が皆さんの職場の安全を考える上でのヒントにでもなればと考えているからであり、また、明日は我が身と気を引き締めることで事故防止が図れるかもしれない・・・・そのように思っているからです。 本ブログは、都度の閲覧以外、ラフな事例データーベースとして使っていただくことも可能です。 一方、安全担当者は環境も担当していることが多いと思いますので、あわせて環境問題に関する情報も提供するようにしています。 (旧タイトル;産業安全と事故防止について考える)
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福島第1原発事故の国会事故調査委員会報告書に対する欧米での辛口批評が、以下のように報道されていた。
(2012年7月8日9時11分 msn産経ニュース)
国会事故調が最終報告書を提出したことについて、英各紙は日本文化に根ざした習慣や規則、権威に従順な日本人の国民性が事故を拡大させたとする点を強調し、「日本的な大惨事」に苦言を呈する報道が目立った。
ガーディアン紙は「フクシマの惨事の中心にあった日本文化の特徴」と題した記事で報告書の前文を引用し、島国の慣習や権威に責任を問わない姿勢が事故原因の一端にあるとする報告書の内容を伝えた。
6日にも「文化の名の下に隠れるフクシマ・リポート」と題した記事で、「重大な報告書と文化を混同することは混乱したメッセージを世界に与える」と批判した。
一方、「非常に日本的な大惨事」との見出しで報じたタイムズ紙(6日付)も「過ちは日本が国全体で起こしたものではなく、個人が責任を負い、彼らの不作為が罰せられるべきものだ。集団で責任を負う文化では問題を乗り越えることはできない」とコメントした。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120708/dst12070811130003-n1.htm
(2012年7月12日00時05分 朝日新聞)
国会の事故調査委員会の英語版の報告書が「根本原因は日本に染みついた習慣や文化にある」などと記したことについて、英米メディアから「事故の本質を見誤らせる」と批判が出ている。
米ブルームバーグ通信は8日、「不満が残る報告書」という社説を配信。
内容の詳細さや、「人災」と断定したことを評価しつつも、「誰がミスを犯したのかを特定していない」と指摘。
「集団主義が原因」「(責任のある立場に)ほかの日本人が就いていたとしても、同じ結果だった可能性は十分ある」といった記載については「責任逃れで陳腐な言い訳」と手厳しかった。
日本に詳しい、コロンビア大のジェラルド・カーティス教授も英紙フィナンシャル・タイムズへの寄稿でこうした記述に言及。
「文化によって行動が決まるのならば、誰も責任を取らなくてよい。問題は人がした選択であり、その文化的背景ではない」と主張した。
同紙は8日付の東京発記事でも、「最悪の状況に備えることへの構造的な不備、規制官庁との一体化、独立したメディアの監視の欠如などの問題は世界に共通する」と述べ、事故を「メード・イン・ジャパン」と分類することを懸念。
「旧ソ連のチェルノブイリ原発事故の後で、悲劇的にも、日本の政治家や技術者は事故原因がソ連の設計や運用にあると判断し、日本の原発の安全性を検証しなかった。他の国はこの過ちを繰り返すべきでない」と伝えた。
問題となっている表現の多くは、黒川清委員長が書いた報告書の英語版の序文に含まれているが、日本語版には入っていなかった。公表後の会見では「なぜ日本語版と英語版が違うのか」と疑問の声が上がっていた。
http://digital.asahi.com/articles/TKY201207110806.html?ref=comkiji_txt_end
(2012年7月20日 毎日新聞朝刊紙面 「発信箱」)
国の公式な文書が外国語になったら、原文にない文章が続々登場、なんていうのは普通聞かない。
ところが、今回の報告書序文の英語版は、別の作品と呼べるくらい日本語と違う。
例えば事故の根本的原因。
英語版は「日本文化、日本的慣習に根ざしたもの」とし、「権威に異を唱えない体質」「集団主義」や「島国根性」などと挙げた。
文化うんぬんは日本語版序文にはない。
そして英語版にだけ「今回の事故で責任を負うべき立場の人が別の日本人だったとしても、結果は同じだっただろう」とある。
このことに関し黒川委員長は記者会見で質問され、「(英語版は)国際社会向けに書いた。日本人がこの内容を理解できると思う?」と逆質問していた。
結局、日本語版を英語版に合わせて直すらしいが、変な話だ。
(ブログ者コメント)
□英語版には「Message from the Chairman」という委員長の写真付の序文があり、日本語版には委員長名で、「はじめに」という序文がある。
両者をキーワードだけで比較したが、確かに、英語版にある、「What must be admitted – very painfully – is that this was a disaster “Made in Japan.”」という表現、「至極残念だが、日本ゆえに起きた惨事ということを認めざるをえない」とでも訳すのだろうか?・・・が、日本語版には見当たらなかった。
最も近い表現は、「日本が抱えている根本的な問題を露呈することとなった」くらいだが、ニュアンスは違う。
□本件、どこでどう違ったのか不思議に思っていたが、なんと意図的にそうしたとのこと。
隠ぺい体質を糾弾している報告書なのに、なぜ隠ぺいもどきのことをしたのか?ちょっと解せない。
□一方、今回の報告書が、個人名を挙げて厳しく追及していないのは、2011年7月8日に本ブログでも紹介したとおり、原子力学会が真の事故原因を表に出すべく、個人の責任追及をしないよう声明を出したことが影響しているのかもしれない。
□個人の責任を厳しく追及するのと、その背後にある要因をつぶすことの、どちらが類似事故の再発を防止できるのだろうか?
数10年前までは、日本でも、個人の責任を追及するムードが強かったが、最近では、個人に事故を起こさせる環境を是正するほうに主眼が置かれている。
それは、個人の責任をいくら追及しても、それはモグラ叩きに過ぎないという考え方によるものだ。
その流れに竿さすような欧米からの批評。
これは、東洋哲学と西洋哲学の違いなのかもしれない。
□個人の責任を厳しく問うようにすれば、事故が起きるかもしれないと薄々感じながらする不安全行動には、歯止めがかかるだろう。
しかし、当人が思ってもみなかったところで起きる事故に対しては、さほど歯止めにはならないだろう。
ブログ者が感じるところでは、産業現場で起きる事故というもの、後者の割合のほうが多い気がするが、はてさて、福島原発事故は、どちらのカテゴリーに入るのだろうか?
(2012年7月8日9時11分 msn産経ニュース)
国会事故調が最終報告書を提出したことについて、英各紙は日本文化に根ざした習慣や規則、権威に従順な日本人の国民性が事故を拡大させたとする点を強調し、「日本的な大惨事」に苦言を呈する報道が目立った。
ガーディアン紙は「フクシマの惨事の中心にあった日本文化の特徴」と題した記事で報告書の前文を引用し、島国の慣習や権威に責任を問わない姿勢が事故原因の一端にあるとする報告書の内容を伝えた。
6日にも「文化の名の下に隠れるフクシマ・リポート」と題した記事で、「重大な報告書と文化を混同することは混乱したメッセージを世界に与える」と批判した。
一方、「非常に日本的な大惨事」との見出しで報じたタイムズ紙(6日付)も「過ちは日本が国全体で起こしたものではなく、個人が責任を負い、彼らの不作為が罰せられるべきものだ。集団で責任を負う文化では問題を乗り越えることはできない」とコメントした。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120708/dst12070811130003-n1.htm
(2012年7月12日00時05分 朝日新聞)
国会の事故調査委員会の英語版の報告書が「根本原因は日本に染みついた習慣や文化にある」などと記したことについて、英米メディアから「事故の本質を見誤らせる」と批判が出ている。
米ブルームバーグ通信は8日、「不満が残る報告書」という社説を配信。
内容の詳細さや、「人災」と断定したことを評価しつつも、「誰がミスを犯したのかを特定していない」と指摘。
「集団主義が原因」「(責任のある立場に)ほかの日本人が就いていたとしても、同じ結果だった可能性は十分ある」といった記載については「責任逃れで陳腐な言い訳」と手厳しかった。
日本に詳しい、コロンビア大のジェラルド・カーティス教授も英紙フィナンシャル・タイムズへの寄稿でこうした記述に言及。
「文化によって行動が決まるのならば、誰も責任を取らなくてよい。問題は人がした選択であり、その文化的背景ではない」と主張した。
同紙は8日付の東京発記事でも、「最悪の状況に備えることへの構造的な不備、規制官庁との一体化、独立したメディアの監視の欠如などの問題は世界に共通する」と述べ、事故を「メード・イン・ジャパン」と分類することを懸念。
「旧ソ連のチェルノブイリ原発事故の後で、悲劇的にも、日本の政治家や技術者は事故原因がソ連の設計や運用にあると判断し、日本の原発の安全性を検証しなかった。他の国はこの過ちを繰り返すべきでない」と伝えた。
問題となっている表現の多くは、黒川清委員長が書いた報告書の英語版の序文に含まれているが、日本語版には入っていなかった。公表後の会見では「なぜ日本語版と英語版が違うのか」と疑問の声が上がっていた。
http://digital.asahi.com/articles/TKY201207110806.html?ref=comkiji_txt_end
(2012年7月20日 毎日新聞朝刊紙面 「発信箱」)
国の公式な文書が外国語になったら、原文にない文章が続々登場、なんていうのは普通聞かない。
ところが、今回の報告書序文の英語版は、別の作品と呼べるくらい日本語と違う。
例えば事故の根本的原因。
英語版は「日本文化、日本的慣習に根ざしたもの」とし、「権威に異を唱えない体質」「集団主義」や「島国根性」などと挙げた。
文化うんぬんは日本語版序文にはない。
そして英語版にだけ「今回の事故で責任を負うべき立場の人が別の日本人だったとしても、結果は同じだっただろう」とある。
このことに関し黒川委員長は記者会見で質問され、「(英語版は)国際社会向けに書いた。日本人がこの内容を理解できると思う?」と逆質問していた。
結局、日本語版を英語版に合わせて直すらしいが、変な話だ。
(ブログ者コメント)
□英語版には「Message from the Chairman」という委員長の写真付の序文があり、日本語版には委員長名で、「はじめに」という序文がある。
両者をキーワードだけで比較したが、確かに、英語版にある、「What must be admitted – very painfully – is that this was a disaster “Made in Japan.”」という表現、「至極残念だが、日本ゆえに起きた惨事ということを認めざるをえない」とでも訳すのだろうか?・・・が、日本語版には見当たらなかった。
最も近い表現は、「日本が抱えている根本的な問題を露呈することとなった」くらいだが、ニュアンスは違う。
□本件、どこでどう違ったのか不思議に思っていたが、なんと意図的にそうしたとのこと。
隠ぺい体質を糾弾している報告書なのに、なぜ隠ぺいもどきのことをしたのか?ちょっと解せない。
□一方、今回の報告書が、個人名を挙げて厳しく追及していないのは、2011年7月8日に本ブログでも紹介したとおり、原子力学会が真の事故原因を表に出すべく、個人の責任追及をしないよう声明を出したことが影響しているのかもしれない。
□個人の責任を厳しく追及するのと、その背後にある要因をつぶすことの、どちらが類似事故の再発を防止できるのだろうか?
数10年前までは、日本でも、個人の責任を追及するムードが強かったが、最近では、個人に事故を起こさせる環境を是正するほうに主眼が置かれている。
それは、個人の責任をいくら追及しても、それはモグラ叩きに過ぎないという考え方によるものだ。
その流れに竿さすような欧米からの批評。
これは、東洋哲学と西洋哲学の違いなのかもしれない。
□個人の責任を厳しく問うようにすれば、事故が起きるかもしれないと薄々感じながらする不安全行動には、歯止めがかかるだろう。
しかし、当人が思ってもみなかったところで起きる事故に対しては、さほど歯止めにはならないだろう。
ブログ者が感じるところでは、産業現場で起きる事故というもの、後者の割合のほうが多い気がするが、はてさて、福島原発事故は、どちらのカテゴリーに入るのだろうか?
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男性
自己紹介:
化学関係の工場で約20年、安全基準の制定、安全活動の推進、事故原因の究明と再発防止策立案などを担当しました。
その間、ずっと奥歯に挟まっていたのは、他社の事故情報がほとんど耳に入ってこなかったことです。
そこで退職を機に、有り余る時間を有効に使うべく、全国各地でどのような事故が起きているか本ブログで情報提供することにしました。
また同時に、安全に関する最近の情報なども提供することにしました。
その間、ずっと奥歯に挟まっていたのは、他社の事故情報がほとんど耳に入ってこなかったことです。
そこで退職を機に、有り余る時間を有効に使うべく、全国各地でどのような事故が起きているか本ブログで情報提供することにしました。
また同時に、安全に関する最近の情報なども提供することにしました。