2018年7月16日10時47分に山陽新聞から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
各地に甚大な被害をもたらした西日本豪雨で、6日から7日にかけ、大雨と地元のアルミ工場爆発という2つの非常事態に直面した総社市下原地区では、300人余りの住民が迅速な避難を果たした。
明治期に近くの高梁川が氾濫して多くの命が失われた記憶を胸に、毎年、防災訓練を実施。
真夜中にもかかわらず、素早く組織だった動きを見せたことが、その後に浸水した地区で一人の死者も出さないことに役立った。
岡山県で初めて大雨特別警報が発令された6日。
下原地区の約110世帯が加入する自主防災組織は、夕方から水害に備え動き始めた。
家の2階へ上がるよう、車で回るなどして住民に呼び掛ける活動を午後10時すぎに終え、組織の主だったメンバーで、その後の避難の流れを話し合っていた同11時半すぎ、突然、爆音と地響きが一帯を襲った。
アルミ工場が爆発し、爆風で民家や店の窓ガラスが割れ、住民にけが人も出て、地区は混乱に陥った。
二次爆発の恐れから、一刻も早い避難が必要となったが、組織副本部長の川田さん(男性、69歳)らは、うろたえなかった。
6年前に組織を立ち上げてから、水害などを想定した避難訓練を重ね、時には暗さを体感するため、夜間にも行ってきた。
「どんな事態でも、迅速に避難する基本は同じ。訓練通りに手順を踏んだ」と川田さん。
地区はあらかじめ7つの班(1班は6~21世帯)に分けられており、班ごとにリーダーがくまなく回って避難を呼び掛けた。
1人では逃げられない高齢者らが地区に約30人いることを普段から把握しており、これらの人を含め、残った人がいないかをチェックした。
避難先は約3km東にある地区外のスポーツセンターに設定され、可能な人はマイカーで、そうでない人は総社市が用意した車で移動した。
下原地区は、7日に1.5mを超す浸水被害があったとされる。
下原地区周辺は、1893(明治26)年の高梁川大洪水で甚大な被害を受けた。
大洪水を扱った1979年の本紙夕刊記事は、「総社市秦で10カ所、同市上原、富原、下原などで5カ所、真備町で1カ所、合計2.9km以上の堤防が決壊、382戸を押し流し、167人が死んだ」と記している。
川田さんは、「明治の大洪水は地区で語り継がれ、住民の記憶に根付いている。小田川の堤防決壊もあり得るとの意識はあった」と話す。
出典
『豪雨と爆発でも訓練通り迅速避難 明治の教訓生かした総社・下原』
http://www.sanyonews.jp/article/751623
(ブログ者コメント)
地域の人たちが普段から重ねていた訓練が奏功したとのこと。
こういった事例が報じられるのは珍しいと思い、紹介する。
大雨と爆発という2つの災害が重なって大混乱となったであろう中、「基本は普段の訓練どおり」と対応した川田さんたちに敬意を表する。
その間、ずっと奥歯に挟まっていたのは、他社の事故情報がほとんど耳に入ってこなかったことです。
そこで退職を機に、有り余る時間を有効に使うべく、全国各地でどのような事故が起きているか本ブログで情報提供することにしました。
また同時に、安全に関する最近の情報なども提供することにしました。