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                                                       本ブログでは、産業現場などで最近起きた事故、過去に起きた事故のフォロー報道などの情報を提供しています。  それは、そういった情報が皆さんの職場の安全を考える上でのヒントにでもなればと考えているからであり、また、明日は我が身と気を引き締めることで事故防止が図れるかもしれない・・・・そのように思っているからです。  本ブログは、都度の閲覧以外、ラフな事例データーベースとして使っていただくことも可能です。        一方、安全担当者は環境も担当していることが多いと思いますので、あわせて環境問題に関する情報も提供するようにしています。       (旧タイトル;産業安全と事故防止について考える)
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2012年11月3日0時14分に西日本新聞から、「三川鉱炭じん爆発事故から49年、CO中毒の苦しみなお」というタイトルで、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
 
福岡県大牟田市の三井三池三川鉱で1963年、死者458人、一酸化炭素(CO)中毒患者839人を出した炭じん爆発事故から、9日で49年を迎える。
戦後最悪の労災事故の犠牲者にとって、この日は五十回忌の節目。
今なおCO中毒の後遺症に苦しむ患者と家族は、高齢化が進む中で不安な日々を重ねている。


2日午後、同市の大牟田吉野病院の一室。労働歌「がんばろう」のハーモニカが響いた。
奏でていたのは熊本県荒尾市の元炭鉱労働者の男性(88)。この日は米寿の誕生日で、熊本市から兄弟が十数年ぶりに集まった。


「まさちゃん、上手。よう覚えとるね」。話し掛けられるたびにほほ笑む。
炭鉱の合理化に対して労働者が激しく抵抗した三池争議で、数え切れないほど「がんばろう」を歌った男性は、「あの日」から病院のベッドにいる。


63年11月9日。坑道で吸い込んだCOに脳を侵され、重度の中毒患者となった。
妻(82)によると言葉も視覚も失い、「考える力は3歳程度となった」。でも音楽の記憶は残った。
「お父さん、ようここまで生きてくれた。三池争議も一緒に頑張ったもんね」。ベッドの傍らで妻が、男性の手をぎゅっと握った。


患者・家族団体で構成する三池高次脳連絡会議によると、現在のCO中毒の患者は約130人。
歩行や意識、言語障害に苦しみ、障害がなくても頭痛や目まいに襲われる。


吉野病院の入院患者の家族でつくる団体の代表を務める妻の人生は、闘いの連続だった。
患者救済を求めて三川鉱の坑内で座り込みの抗議を行い、会社や国が責任を認めるよう法廷で追及した。
現在も、医療体制の拡充を約束した国と交渉を続けている。


三川鉱跡は3日、97年の閉山後初めて一般公開される。
妻にとって「思い出したくもなかし、見たくもない」場所だが、意を決して跡地に立つつもりだ。
「もう残された時間はなか」。ヤマに人生を翻弄された家族、仲間のために、闘いの「原点」を確認する。


■三川鉱炭じん爆発事故

1963年11月9日、有明海の海面下350mまで続く三川鉱第一斜坑で、巻き上げ中の連結器が外れたトロッコが暴走し、火花が炭じんに引火して大爆発事故が発生。
遺族やCO中毒患者が提訴した「三池CO訴訟」では、福岡地裁が93年、会社の過失を認定して損害賠償を命じる判決を下し、98年に最高裁で確定した。


出典URL
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/332246
 
 
また、2012年11月3日18時33分にNHK福岡から、3日に公開された鉱跡に関する、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
 
国内最大級の炭鉱として戦後の復興を支えた一方、大規模な労働争議や炭鉱事故が起きた大牟田市に残る三井三池炭鉱三川坑の跡地が初めて一般に公開され、およそ2500人が見学に訪れた。

三川坑は石炭の産出量が日本一だった三井三池炭鉱の主要な坑口だったが、昭和30年代には1200人の指名解雇をめぐり、労使が激しく対立した労働争議が起きたほか、458人が死亡した戦後最悪の炭鉱事故が起きるなど、日本の歴史にたびたび登場した。

3日は平成9年の閉山後、初めて、およそ3.5haの敷地が一般に公開され、およそ2500人が見学に訪れた。

敷地には、仕事の分担を決めていた2階建ての木造の建物や作業員を運ぶ乗り物が走っていたレール、それに石炭を掘る地下につながる高さ3m余りの坑道の入り口などが残っている。
このうち坑道の入り口は、閉山をきっかけに塞がれたが、訪れた人たちはガイドの説明を聞きながら、石炭産業の名残りに見入っていた。
この炭鉱で働いていたという80代の男性は、「久しぶりに訪れ感無量です。近代化産業遺産として保存してほしい」と話していた。また、父親が働いていたという50代の女性は、「環境の厳しい職場だった事がわかりました」と話していた。


三川坑跡地の公開は3日だけで、大牟田市は今後、跡地にある施設を保存する方針。


出典URL
http://www.nhk.or.jp/lnews/fukuoka/5013145591.html
 
 
 
(ブログ者コメント)
 
この事故は、過去に起きた重大な産業事故の一つとして、先月、学生に説明したばかりだ。
ただ、その時は過去形で説明しただけで、家族を含め後遺症に苦しんでいる人が現在もいることには、触れなかった。
次回講義では、この点についても、事故の悲惨さを側面から伝える話しとして説明する所存。

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自己紹介:
化学関係の工場で約20年、安全基準の制定、安全活動の推進、事故原因の究明と再発防止策立案などを担当しました。
その間、ずっと奥歯に挟まっていたのは、他社の事故情報がほとんど耳に入ってこなかったことです。
そこで退職を機に、有り余る時間を有効に使うべく、全国各地でどのような事故が起きているか本ブログで情報提供することにしました。
また同時に、安全に関する最近の情報なども提供することにしました。

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