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                                                       本ブログでは、産業現場などで最近起きた事故、過去に起きた事故のフォロー報道などの情報を提供しています。  それは、そういった情報が皆さんの職場の安全を考える上でのヒントにでもなればと考えているからであり、また、明日は我が身と気を引き締めることで事故防止が図れるかもしれない・・・・そのように思っているからです。  本ブログは、都度の閲覧以外、ラフな事例データーベースとして使っていただくことも可能です。        一方、安全担当者は環境も担当していることが多いと思いますので、あわせて環境問題に関する情報も提供するようにしています。       (旧タイトル;産業安全と事故防止について考える)
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2021513150分に毎日新聞から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

滋賀県信楽町=現・甲賀(こうか)市=で平成3年、信楽高原鉄道(SKR)とJR西日本の列車が正面衝突して乗客ら42人が死亡した事故は、14日で発生から30年となる。

当時、鉄道事故の原因を究明する専門の調査機関はなく、遺族らは「鉄道安全推進会議」(TASK)を設立。

現在の運輸安全委員会の発足につなげたほか、事故遺族を支援する制度も充実させた。

TASKは一昨年、役目を終えたとして解散したが、安全の指針として社会に示したものは大きい。

 

【鉄道安全推進会議(TASK)を設立】

《事故に奪われた命はかえってくるものではないが、事故の悲惨な犠牲を将来に生かすことはできる》

5年8月に発足したTASKの設立趣意書には、鉄道事故調査の専門機関を求める遺族らの強い決意が記されている。

その8カ月前、旧運輸省が公表した事故の報告書は、わずか12ページ。
到底、遺族が納得できる内容ではなかった。

事故はなぜ起きたのか。

直接原因は、信楽駅で信号が赤のまま変わらないトラブルが生じたのに、SKRが規則通りの対応をしないまま列車を出発させたこと。

JR西の運転士も、列車がすれ違える唯一の場所だった待避線にSKRの列車がいなかったことを分かってはいたが、青信号に従って漫然と運行を続けた。

背景要因もあった。
ずさんな安全管理だ。

両社は、法律に基づく届け出をせずに、それぞれの信号システムを変更。
当日のトラブルを生んだ。

事故前にも3回、信号トラブルが起きていたが、原因究明や再発防止の行動を取らなかった。

両社間の連携不足、安全意識の欠如…。
組織的背景が複合して起きた事故。

しかし、運輸省の調査は、運転が規則通りに行われたかどうかに焦点が絞られた。

関西大の安部誠治教授(交通政策論)は、「なぜ現場がルール違反をしたのか。再発防止にはその背景までも解明することが重要だが、その観点は全くなかった」と指摘する。

遺族らは事故翌年、独立組織として事故原因を調査するアメリカのNTSB(国家運輸安全委員会)を訪問し、専門機関の必要性を確信。

その後もヨーロッパを視察したり、ほかの鉄道事故の被害者らから状況を聞き取って、独自の観点から事故原因を考察した意見書を作成したりしながら、運輸省への訴えを続けた。

 

【運輸安全委員会発足につながる】

国は当初、「飛行機や船の事故は場所を特定することから始まり、難航する。鉄道はレールの上。わざわざ調査機関は必要ない」といった説明を繰り返していたが、TASK元副会長の国府(こくふ)泰道弁護士は「次第に訴えに耳を傾けるようになった」と振り返る。

そして事故から10年後の13年10月、航空・鉄道事故調査委員会が発足。

同委員会は20年、権限を大幅に拡大した運輸安全委員会となった。

13年以降、運輸安全委員会は鉄道事故だけでも320件を調査。

調査は事故原因を明らかにするだけではなく、乗客の生死を分けた状況から座席や設備の問題を分析する「サバイバルファクター」なども加わった。

乗客106人が死亡した17年のJR福知山線脱線事故の調査では、JR西への情報漏洩(ろうえい)が発覚したが、その反省から、調査の途中経過の公開範囲を拡大し、被害者への情報提供を強化する事故被害者情報連絡室が新設された。

安部教授は、「遺族らが求めてきたことは一定実現された。だが、安全の追求に終点はない。より良い調査方法や報告書への執念を失ってはならない」としている。

 

【被害者支援も後押し】

悲願の運輸安全委員会が発足する2カ月前の20年8月。
当時TASKの会長だった遺族の吉崎さん(男性、故人)は、75歳の高齢ながら、群馬県の「御巣鷹(おすたか)の尾根」へ初めて登った。

520人が死亡した昭和60年の日航ジャンボ機墜落事故の慰霊登山。
「事故は違っても痛みは同じ」。
ほかの事故遺族の悲しみに寄り添う姿は、TASKの理念を象徴していた。

30年前、信楽高原鉄道事故の遺族は家族の安否を知るため、現場や病院をさまよった。

鉄道会社や国は、説明を求めても、ほとんどが門前払いだった。

「被害者を均等にサポートする仕組みが必要」。
事故調査機関の設置に並ぶTASKの目標となった。

「国に被害者支援も自分たちの仕事だと理解させることが第一歩。そのために手をつなごう」。

信楽事故の遺族の言葉に共感し、TASKに参加したのが、花火大会の見物客11人が死亡した平成13年の兵庫県明石市の歩道橋事故で次男を亡くした下村さん(男性、62歳)。

下村さん自身も行政や警察の対応に憤りを感じていた。

歩道橋事故では、情報の乏しい中で複数の病院を回った揚げ句、遺体安置所で子供と対面した夫婦もいたという。

下村さんはTASKの役員として「被害者の心情に共感して寄り添う支援」を求めて奔走。
国土交通省に要望書を提出したり、職員に被害者支援の必要性を訴えかけたりした。

中華航空機墜落事故(6年)やJR福知山線脱線事故(17年)など、多くの事故遺族とも連携を深めた。

その結果、国交省は21年度に被害者支援の検討会を立ち上げ、24年、国交省は検討会のまとめを受け、「被害者らに寄り添う」ことを基本とした「公共交通事故被害者支援室」を設置した。

 

【「被害者に寄り添う」組織の設置】

同室は約70人の職員が、事故の被害者からの相談を一元的に受け付け、安否情報の収集や、補償制度の紹介などを担う。

15人が死亡した28年の長野県軽井沢町でのスキーバス事故では、現場に近い事務所に臨時の窓口を設置し、継続的に被害者の支援にあたった。

一方、同室を周知するために配布されるカードについて、JR福知山線脱線事故の負傷者らと意見交換した際は、「見た目を柔らかくすべきだ」などの指摘を受け、一部、文章を改めた。

同事故で次女が負傷した三井さん(女性、65歳)は、「国の職員が被害者と一緒に机を囲み、未来の支援のために意見を聞こうとする日が来るなんて思ってもみなかった」と話す。

「TASKの一員であったからこそ、悲しみに押しつぶされそうになったときも『将来の安全のために』と自身を奮い立たせることができた」と下村さん。

遺族らの思いや活動が積み重なり、TASKは事故の遺族や被害者支援のあり方に大きな足跡を残した。

           ◇

【信楽高原鉄道事故】

平成3年5月14日午前10時35分ごろ、滋賀県信楽町(現・甲賀市)で、信楽高原鉄道(SKR)の列車とJR西日本の臨時列車が単線上で正面衝突。
乗客ら42人が死亡し、600人以上が重軽傷を負った。

大津地裁は12年、業務上過失致死傷罪などでSKR側の3人を有罪とした。

JRの運転士らは不起訴となったが、一部遺族が起こした民事訴訟で大阪地裁は11年、事故原因は「両社による複合的な人為ミス」として、JR西の注意義務違反を認定。
大阪高裁もJR西の控訴を退け、判決が確定した。

SKRは単線(貴生川-信楽)を折り返し運転していたが、当時、信楽町では世界陶芸祭が開催されており、輸送量向上のため、途中ですれ違える待避線を設けてJR西の列車が直接乗り入れられるようにしていた。

https://www.sankei.com/affairs/news/210513/afr2105130010-n1.html 

 

514198分にNHK滋賀からは、信楽鉄道では事故当時を知る社員が1人もいなくなったので風化防止が課題など、下記趣旨の記事がネット配信されていた。

信楽高原鉄道事故から30年、事故の記憶と教訓をどう伝えていくのか、遺族と鉄道会社の今を取材しました。

【高齢化の中で遺族は】

事故のあと遺族らは「鉄道安全推進会議・TASK」という組織を立ち上げ、鉄道事故の調査の専門機関を設置するよう国に求めるなど、積極的に活動してきました。

しかし、遺族の高齢化が進む中、中心的なメンバーが亡くなったほか、事故の調査機関の設置や被害者支援で一定の役割を果たしたとして、おととしにはこの組織も解散しました。

遺族の1人、京都府城陽市の西山さん(男性、72歳)は、事故で妻の姉の中田さん(当時42)を亡くしました。

事故直後には、現場近くに建てられた慰霊碑のデザインをするなど、事故の原因究明に向けて遺族会の活動に積極的に参加していました。

しかし、西山さん自身も70歳を超えるなど、遺族の高齢化が進み、事故が風化するのではないかと不安を募らせています。

西山さんは、「一緒に活動してきた遺族の仲間が亡くなっていき、本当につらい。消えていく意見かもしれないが、この事故のことを誰かに知っていてもらいたい」と述べ、事故のことを忘れないでほしいと訴えていました。

【教訓を継承する取り組み】

事故から30年、信楽高原鉄道では、事故当時を知る社員が1人もいなくなり、記憶と教訓の継承が課題となっています。

こうした中で、月命日である毎月14日を安全の日として定め、それにあわせて、社員が慰霊碑周辺の草むしりなどをし、犠牲者を追悼する取り組みを、10年前から続けているということです。

また7年前からは、毎年5月に、地元の甲賀市の新人職員を事故現場に招き、事故の経緯と原因について説明を行うなど、風化の防止に向けた取り組みも行っています。

去年の夏に、信楽高原鉄道の安全管理を担当する常務に就任した松田さんは、「わたしも事故を経験していないので、正確に自分自身が知ることが大事だし、風化を防止するために継続して伝えていくことが重要と考えている」と話しています。

一方、JR西日本でも、8年前から、新人を含めた社員が年に1回慰霊碑の清掃に取り組むなど、若い世代へ事故の教訓と再発防止に向けた活動に取り組んでいます。









https://www3.nhk.or.jp/lnews/otsu/20210514/2060007511.html

 

51390分に毎日新聞からは、事故当時の様子などが下記趣旨でネット配信されていた。

すし詰めだった乗客が衝撃音と共に折り重なった。
漂う燃料の臭いに恐怖感は増す。
助け出された母の手を握ると脈は止まっていた――。

滋賀県甲賀市(旧信楽町)で1991514日、信楽高原鉄道(SKR)とJR西日本の列車が正面衝突して42人が死亡、600人以上が負傷した事故。

自らも重傷を負って生き延びた女性は、当時の光景をまざまざと思い出す。

あれから30年。
関係者の高齢化が進み、亡くなる人も相次ぐ中、風化を懸念する遺族らと、教訓を受け継ぐ人たちの声を聞いた。

・・・

あの日。久しぶりに親子で出掛けようと、信楽で開かれていた世界陶芸祭に母と姉と3人で向かっていた。

「車で行くより列車の方が安全だから」と鉄路を選び、SKRに直通乗り入れしていたJRの先頭車両に京都駅から乗車。

車内は陶芸祭を目指す人であふれていた。

・・・

突然「ドーン」と大きな音がした。
同時に身動きが取れなくなった。

何が起きたのか分からず、隕石(いんせき)が落ちたのかと思った。

人が折り重なり、左肩に姉のあごが乗っていた。
足は座席に挟まれ、首もわずかしか動かせない。

「どうしよう、ママがいない」。
姿が見えない母を姉と一緒に何度も大声で呼んだが、返事はなかった。

「苦しい」「息ができない」――。
しぼり出すような声が周りで聞こえ、消えていった。

燃料の臭いがして、誰かが「燃えるんちゃうか?」と声を上げた。
「このまま焼け死ぬの?」。
恐怖で体が震えた。

どれくらい閉じ込められていただろうか。

ようやく救助作業が始まり、他の乗客たちの下敷きになっていた母が引き上げられていくのが見えた。
ぐったりして意識はないようだった。
とっさに手を伸ばし、母の手首を握った。
数秒だったが、「脈がない」と感じた。
引き上げた隊員が首を横に振るのが見えた。

・・・

 

【信楽高原鉄道事故】

1991514日午前1035分ごろ、JR草津線貴生川駅と信楽高原鉄道(SKR)の信楽駅を結ぶSKRの単線上(滋賀県甲賀市、旧信楽町)で、SKRの普通列車(乗車人数15人)とJR西日本の臨時快速(同716人)が正面衝突。
42
人が死亡、628人が負傷した。

両駅のほぼ中間にある信号所でSKRの列車が待機し、JRの快速と行き違うはずだったが、信号トラブルが発生してSKR側は赤信号で出発。

JR側も、信号所にSKRの列車が待機していなかったのに青信号に従って進行し、衝突した。

SKR側は過失責任を認め、業務上過失致死傷罪などに問われた社員ら3人が2000年に大津地裁で執行猶予付き禁錮刑を言い渡されて確定。

JR西は過失を認めず刑事訴追もされなかったが、遺族に起こされた民事訴訟の大阪地裁判決(99年)で「事前の信号トラブルなどから事故を予見できた」として過失責任を認定された。

控訴審判決(02年)でも敗訴し、社長が03年に初めて責任を認め謝罪した。

https://mainichi.jp/articles/20210512/k00/00m/040/227000c

 

(ブログ者コメント)

温故知新事例として紹介する。

 

 

 

 

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化学関係の工場で約20年、安全基準の制定、安全活動の推進、事故原因の究明と再発防止策立案などを担当しました。
その間、ずっと奥歯に挟まっていたのは、他社の事故情報がほとんど耳に入ってこなかったことです。
そこで退職を機に、有り余る時間を有効に使うべく、全国各地でどのような事故が起きているか本ブログで情報提供することにしました。
また同時に、安全に関する最近の情報なども提供することにしました。

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