2023年6月12日18時8分にYAHOOニュース(北陸朝日放送)から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
北陸電力の志賀原子力発電所で臨界事故が発生し、その事実をおよそ8年間、隠ぺいした問題を受け、北陸電力は事故の教訓を語り継ぐための式典を開きました。
式典は志賀原発の敷地内で開かれ、北陸電力の松田社長をはじめ、およそ50人が出席しました。
24年前の1999年6月、定期検査のため停止していた志賀原発1号機の原子炉内で制御棒が3本抜け落ち、核分裂が継続して起こる臨界状態となりました。
誤った手順で作業したことによる事故でしたが、北陸電力は国と自治体に報告せず、この事実を8年間にわたり、隠ぺいしていました。
北陸電力は、臨界事故や当時の状況を知らない社員に対しても教訓を語り継ぐため、事故発生日の6月18日を「安全と公正・誠実を誓う日」に定め、隠さない企業風土づくりなどに努めていきたい考えです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/89d10dfc3edf2ea3824e8aa5092f73314161c220
※事故の概要は、失敗学会の知識ベースに下記趣旨で掲載されていた。
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「経過」
2002年8月に顕在化した東京電力の保全データねつ造につられるように次々にデータ改ざん、隠ぺい発覚事件が相次ぎ、経済産業省では、2006年11月30日、経済産業大臣から全電力会社に対して、これまでのデータ改ざん、隠ぺいについて明らかにするよう指導した。
その結果、2007年3月15日、北陸電力志賀1号機で1999年の第5回定期点検中に、想定外の臨界が起こっていたことが判明した。
問題の臨界事故は以下のようにして起こった。
【1999年 4月29日】
第5回定期検査開始。
【1999年 6月18日】
制御棒1本の急速挿入を伴う試験を行うため、他の制御棒が動作しないよう、残り88本の制御棒駆動機構の弁を、順次閉止する作業を開始。
(午前 2時17分)
制御棒3本が全挿入位置から引き抜け始める。
制御棒が引き抜けた原因は、誤った手順により制御棒駆動機構の弁を操作したため、制御棒駆動機構冷却水系の圧力が過大となり、制御棒が動き始めたものと推定されている。
図2(a)-(f)にその推定原因を図示する。
(午前 2時18分)
原子炉が臨界状態となり、出力が上昇し原子炉自動停止信号が発生したが、試験のために挿入ラインの弁が閉となっていたこと及び制御棒緊急挿入用水圧制御ユニットアキュムレータの充填圧力がなかったことから、制御棒の引き抜きは止まったが、緊急挿入されなかった。
(午前 2時33分)
閉めた弁を再び手動で開に戻すことにより、原子炉自動停止信号発信の約15分後、制御棒が全挿入となり、事態が収束した。
このしばらく後、発電所関係者による緊急会議が行われたが、出席者のうち臨界が発生した疑念を持った者はわずかであったと報告されている。
ここで協議の結果、所長は社外に報告しないと決めた。
この決断が、その後の隠ぺいの連鎖につながった。
志賀発電所と本店原子力部、東京支社、石川支店を結ぶテレビ会議では、誤信号であったと報告された。
このため、同社内部でさえ、この事故は発電所内部の限られた人間のみが知ることとなった。
発電課長は、中央制御室の当直長らに、引継日誌にこの事故のことを書かないよう指示した。
また、記録計チャートの当該部分には「点検」とのみ、書かれ、警報の印字記録もオリジナルを紛失している。
「原因」
本事例の臨界事故に関しては、当時、安全を最優先する組織風土になっていなかったと言わざるを得ない。
行った作業の危険性を作業員が認識していなかった。
設備の試験を行うのに、手順書の1項目ずつを確実にチェックしなかったために、起こるべくして起こった手順からの逸脱、そして作業長の管理が不十分であったこと、作業前の手順確認が不十分であったこと、があげられる。
そして次の隠ぺい、改ざんについては、発電所での多くの関係者が少なくとも中性子束が増加するという大変なことが起きたとの認識はあったものの、2号機への工程に遅れがでることを恐れた、また誤信号(ノイズ)として説明できると思ったこと、があげらている。
いずれにしても、計画優先で、安全、そしてそれを実現するためのルール無視は組織文化の不良と言えよう。
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「知識化」
作業の重大性を認識せずに言われたことをやるだけということでは、マニュアルに沿って行う作業であっても思わぬ危険をはらむことになる。
特に複雑なシステムでは、他の作業との連携や手順をよく考えないと、システムが予期せぬ反応をし、思わぬ結果が起こることがある。
ルールには、多くの場合、状況によっては違う行動をとってもいいものと、大原則として認識しそのルールが当てはまったら何も考えずに従うべき絶対的なものがある。
どんなに大きな利益であれ、目先のものに囚われて原則的なルールを無視すると、後からしっぺ返しがある。
「背景」
事故発生の4日前、非常用ディーゼル発電設備のクランク軸にひびが発見され、その対応に追われていた。
また、改良型の志賀2号機が2ヶ月後に着工予定であった。
この時期に臨界事故として明るみに出たなら、2号機の着工が遅れ、1号機の定期点検後の営業運転再開もいつになるやも知れないという心理が関係者の間で働いた。
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https://www.shippai.org/fkd/cf/CZ0200701.html
(2023年6月22日 修正1 ;追記)
2023年6月17日16時0分に朝日新聞からは、「誓う日」は2年前に就任した松田社長の発案で今年から制定されたなど、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
北陸電力(本社富山市)は、1999年6月18日に起こした志賀原発(石川県志賀町)の臨界事故を約8年間隠蔽(いんぺい)した過去を心に刻むため、今年から6月18日を「安全と公正・誠実を誓う日」に制定した。
同原発は2014年から、再稼働を目指して原子力規制委員会の審査を受けているが、長年の課題だった敷地内の断層をめぐる論点で前進を果たしたばかり。
事故から10年や20年の節目でもない今年に突然、記念日を設けたことに、同社は、再稼働の動きとは無関係だと説明している。
事故は、停止中だった1号機で手順書とは異なる操作を引き金に起きた。
当時の所長らは「公表すると2号機の工程が遅れる」「作業員の被ばくはない」などとして、日誌を改ざんして事実を隠蔽。
07年3月になって公表し、同社も「北電で最大の失敗」と位置づける。
同社によると、安全を誓う日は、事故を経験していない若い社員らが増えるなか、21年6月に就任した松田社長が発案したという。
発電所事務棟入り口近くに、事故や隠蔽の事実を説明したパネル10枚余りや、誓いを込めた鰐口(わにぐち)(青銅製、直径48センチ)を置いたアーカイブコーナーを新設した。
6月20日19時32分にYAHOOニュース(FNN PRIME;石川テレビ)からは、松田社長は事故隠し公表当時、再発防止対策委員会のメンバーだったなど、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
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2007年の公表当時、営業部の課長だった松田社長は、再発防止対策委員会のメンバーに加わり発電所の職員へ聞き取りを行った経験がある。
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事務所の一角に設けられた資料エリアには、公表した当時の新聞記事などが展示されている。
さらに、中央に設置した銅鑼には、松田社長の特別な思いが込められている。
松田社長:
「隠さない意識を常に持ち続けられるよう、お天道様は見ているという戒めを込め、この『仰天不愧』という言葉を自ら揮毫させていただきました。」
北陸電力は毎年、事故があった日に式典を開き、教訓を語り継ぐことにした。
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https://news.yahoo.co.jp/articles/2e2c1ea35079c317b360e057b2a6709d6cd6c9ec
その間、ずっと奥歯に挟まっていたのは、他社の事故情報がほとんど耳に入ってこなかったことです。
そこで退職を機に、有り余る時間を有効に使うべく、全国各地でどのような事故が起きているか本ブログで情報提供することにしました。
また同時に、安全に関する最近の情報なども提供することにしました。