2020年12月4日15時1分にYAHOOニュース(現代ビジネス)から下記趣旨の記事が、破裂したタンクの写真付きでネット配信されていた。
【さかんに作られていた糖蜜が…・】
ここ数日、日本列島では冬らしい冷え込みが続いているが、緯度の高い北米の冬の寒さは耐えがたいものがある。
今からおよそ100年前の1919年1月15日、アメリカマサチューセッツ州ボストンにて「世にも奇妙な」事件が突如として起こった。
それは決して笑い話ではない。
死者21名、負傷者150名以上を出した、後に「ボストン糖蜜災害」として語られる大惨事だ。
名門大学の学生街としても知られるマサチューセッツ州・ボストン。
コマーシャル・ストリート529番地には、高さ15メートル直径27メートルという巨大な鋳鉄製の糖蜜貯槽が配置されていた。
これは「ピュリティ・ディスティリング・カンパニー」という製造業者の管理する貯蔵槽だった。
ボストンでは当時、糖蜜の製造が盛んだった。
糖蜜とは、砂糖などを精製する際に副産物として発生し、発酵させエチルアルコールを回収しラム酒などの酒類の原料になったり、料理、お菓子作りに使われたりする、どろどろした液体である。
文字通り、それは甘いシロップそのものであり、凶暴なイメージはない。
しかし、水とは違う質量を持った糖蜜が約870万リットルも突如として流出すれば、付近にいる人間はもちろん、堅い建造物でさえひとたまりもない。
だが、1月15日の12時30分ごろ、その巨大貯槽は突然破裂した。
マシンガンのように鉄のボトルが次々と飛び散り、中に入っていた大量の糖蜜は時速約55キロメートルの速さで流れた。
最大高2.5メートルの巨大な波となり、瞬く間に町中を覆った。
ボストンの街を、シロップの津波が襲う。
街は腰の高さまで糖蜜に埋まり、次々に家屋、建築物などを破壊し、人々は溺れ、破壊された家屋の下敷きとなっていった。
当時の証言によると、まるで地鳴りがするかのような大きな音が鳴り、地面は揺れたという。
【寒さが粘度に影響した】
先述のとおり、糖蜜の流出は10歳の子供から70代の高齢者まで、21人の犠牲者を出した大惨事となった。
事故翌日からホースを用いて糖蜜を流す作業が始まったが、粘性の液体に浸された町全体の清掃はまったく進まない。
消防艇で汲み取った海水で押し流し、砂に吸着させるなどの手段で海へ移動させ、元どおりになるまではしばらくの時間を要したという。
なぜ糖蜜を入れていた貯蔵槽は爆発し、粘性のあるはずの糖蜜は自動車並みのスピードで人々を飲み込んでいったのか。
これに関してはさまざまな考察や研究がある。
順を追って見ていこう。
順番は逆転するが、まず、なぜこれほどの被害が生まれたかだ。
糖蜜の密度は1立方メートルあたり1.4トンと、水よりも約40%高い。
そのため、糖蜜は大きな運動エネルギーで建物をなぎ倒し人々を飲み込んだ。
そして、当時は1月、前日までマイナス10度台の非常に寒い日が続いていたこともある。
事件が起こった日は最高気温4度と急上昇したが、この低い気温が糖蜜の温度を下げて粘性を増し、液体の威力が強まってしまったとされる。
では、そもそもタンクはなぜ爆発したのか。
これには主に二つの理由が挙げられる。
ひとつ目は気候だ。
前日との寒暖差が20度近くにおよび、タンク内の糖蜜が発酵、二酸化炭素が発生して内圧が上昇したのでは、という理由が考えられている。
【設計上のミスがあった】
もうひとつは、この巨大タンクははじめから設計上のミスがあり、タンクが870万リットルもの容量を保持できる構造ではなかったという考察だ。
一説によると、貯槽に使われていた鋼鉄の厚さが本来決められた厚さにまったく満たしていなかったという。
加えて、管理していた企業のずさんな実態も明らかになっている。
また、事故当時のアメリカでは禁酒令が広がり始めていたこともあり、マサチューセッツ州でも禁酒令が敢行される前に、なるべく多くのラム酒を作ろうという動きがあった。
そのため、タンクには容量ギリギリの糖蜜が貯蔵されたことも因果なのではとされている。
いずれにしても、決定的な要因があったというよりかは、気温の変化や小さな亀裂、管理不足などさまざまな不運が重なり、大事故につながったとみられる、やりきれない災害だ。
実際のところ、糖蜜の貯蔵タンクによる事故が起こったのはボストンのケースだけではない。
糖蜜に飲み込まれるなど、一瞬、笑ってしまう話だが、建造物がなぎ倒され、人々がもがくようにして亡くなっていったことを考えても、きちんと教訓として受け止めなければならない。
https://news.yahoo.co.jp/articles/6f575929c6bda24ad6f8d84a4e690fd1ed53b306
※関連情報調査結果、科学者と学生たちのチームが流体力学を用いて被害状況を解明
したという、4年前の報道が見つかった。
(2016年12月16日8時9分 GIZMODO)
甚大な被害をもたらす要因となったのは、温度。
1919年冬、230万米ガロン(約870万L)の糖蜜が詰まった貯槽タンクが破裂し、糖蜜の大波がボストンの街路に流れ出るという事件が起きました。
それは行く手にあったすべてのものを覆って破壊し、被害は死者21人と負傷者150人に及びました。
実は現在に至るまで、この被害がそこまで大きくなった理由はわからないままでした。
ところが、The New York Timesによると、科学者とハーバード大学の学生によるチームがその答えを見つけたようなのです。
以下は、その報道の一部です。
科学者と学生たちのチームは、アメリカ物理学会の11月の会合で、一世紀前のこの謎を解く重要なカギになりそうなことを発表しました。
カリブ海から新たに到着した糖蜜の積み荷が、冬のマサチューセッツの冷たい空気に触れたことで、街に大惨事をもたらすのに適した状態になったと結論づけたのです。
寒冷な気候による糖蜜への影響を研究することで、この災害は温暖な季節よりも、冬の間に起きた方がより壊滅的になると研究者たちは突き止めました。
糖蜜は数秒で数ブロックを覆うほどに素早く流れ出し、そして冬の空気で冷まされるにつれ、もっとドロドロとして粘性を増しましたのです。
そのドロドロになった糖蜜の波は、流れる速度が落ちるだけでなく、救助しようという試みを妨害するようになりました。
ハーバード大学の学生たちは、現代の知識である流体力学を用いて、この100年前の事件を研究しました。
彼らはまず、大型冷蔵庫の中でコーンシロップを使う実験を行なうことから始めたのです。
これにより、冬のボストンにおいて糖蜜がどう動いたかを、シミュレーションできました。
そして学生たちは、集めたデータをボストンのノースエンドを襲った糖蜜災害のモデルに適用しました。
その結果は、ボストン糖蜜災害の史実上の記録に合致したのです。
この実験で集めた科学的なデータで確認できたことの1つに、糖蜜が流れ出す速度があります。
第一波は時速35マイル(約56km/h)で押し寄せてきたと人々は語っていました。
これにより多くの人々が、タンクの破裂によって糖蜜がこのような速度で流れ出したと信じていました。
しかし、研究チームの計算は、糖蜜だけでもそれほどの速度になり得ると示したのです。
このプロジェクトに顧問として関わったNicole Sharpさんは航空宇宙学のエンジニアで、科学コミュニケーションの専門家です。
The New York Timesに「この結果は興味深く、当時は解明が不可能だったことです。事故から何十年と経つまで実際の要因を解明しようとする人は誰もいませんでした」と語っています。
破裂の2日前に配達された糖蜜は、運びやすくするために温められていました。
Sharpさんいわく、災害が起きた時の糖蜜の温度は、おそらく外気よりも4、5℃高いままだったのだろうとのこと。
被害者たちのまわりを流れた糖蜜は、冷たい空気にさらされることで粘性が増して、彼らをすぐさま捕らえたのだと学生たちは判断しました。
ところで、この研究は、同じくハーバード大学の教授であるShmuel M. Rubinsteinさんの、流体力学入門の授業から始まったものでした。
Rubinsteinさんは学生たちに「面白いプロジェクトを1つ選んで、興味深いビデオを作るように」と指導したのこと。
制作された動画はネタ元The New York Timesでチェックできるので、ぜひご覧ください。
糖蜜災害のシミュレーションを小さな模型で行なったスローモーションの動画で、昔ながらのサイエンスフェアみたいなクオリティですよ。
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https://www.gizmodo.jp/2016/12/cause-of-boston-molasses-disaster.html
(ブログ者コメント)
ブログ者はこれまで、国内外の重大事故を文献メインで勉強してきたが、この事例は知らなかった。
思うに、ネット社会になった今、文献に記載されていなかった重大事故が目に触れるようになった、ということかもしれない。
その間、ずっと奥歯に挟まっていたのは、他社の事故情報がほとんど耳に入ってこなかったことです。
そこで退職を機に、有り余る時間を有効に使うべく、全国各地でどのような事故が起きているか本ブログで情報提供することにしました。
また同時に、安全に関する最近の情報なども提供することにしました。