







2021年3月13日5時55分に神戸新聞から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
神戸市立こうべ小学校(同市中央区)で2月中旬以降、彫刻刀や小刀を使う図工の授業で5年生10人が相次いで手などをけがしたことが分かった。
うち1人は右手親指のけんを縫合する手術を受け、重大事故として市教育委員会に報告した。
市教委などによると、ろうの立体を削る課題で2月15日に4人、同16日に2人、3月8日に4人がけがをした。
手術を受けた児童は今後リハビリを始める予定といい、ほかにも1人が手を数針縫った。
同小は、彫刻刀などを使う授業では安全のため、図工の教員だけでなく、担任も補助で入ることにしていたが、手術を受けた児童がけがをしたときは不在だったという。
保護者の一人は「学校として安全意識が足りないのでは」と憤った。
市教委によると、過去に図工の授業中、彫刻刀などでけがをした児童数の集計データはないという。
ただ、負傷件数が多いとして、原因究明と再発防止を徹底するよう同小に指導した。
中田校長は、「けがをした児童の一日も早い回復を祈っている。指導方法を一から見直し、反省しなければならない」と話した。
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202103/0014147137.shtml
3月15日17時9分に毎日新聞からは、この授業は当面中止になったという、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
市教委によると、ろうを削って作品をつくる授業で、5年生の4クラスで行われた。
うち3クラスで2月15日に4人、同16日に2人、3月8日に重傷の2人を含む4人がけがをした。
小刀を使う際、安全確保のために図工教諭に加え、担任が補助に入ることにしていたが、3月8日は不在だったという。
市教委は15日、原因究明までの措置として、市立小に対し小刀を使う授業を当面停止するよう通知した。
「大きなけがが続けて起きたのは問題がある。再発防止に努めたい」としている。
https://mainichi.jp/articles/20210315/k00/00m/040/064000c
2021年3月13日12時35分にYAHOOニュース(石川テレビ)から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
13日朝6時40分ごろ、金沢市古府町のS精練の本社工場で乾燥機が爆発し、作業中の30代男性がケガをしました。
「ドカーン!っていう音でびっくりしました。地震みたいな感じです。怖いです」
工場は2階建てで、乾燥機は1階にあったということです。
警察と消防は、乾燥機のガスに引火したとみて、詳しい原因を調べています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c97dcda7a1e8df43aa95d0896082a57eb71297ba
3月13日18時37分にYAHOOニュース(テレビ金沢)からは、数人がLPGを使って布を乾かす作業をしていたなど、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
13日午前6時40分ごろ、金沢市古府町にあるS精練の染色工場で、爆発とみられる火事があった。
この事故で、工場の窓ガラスが割れる被害が出たほか、30代の男性作業員1人が頭にけがをしたが、命に別状はないという。
当時、従業員数人がLPガスを使って布を乾かす作業をしており、警察では何らかの原因でガスに引火した可能性も含めて詳しい原因を調べている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/83f6c46e8b18031e8e364e598ce12b95f076ef76
金沢西署と市消防局は同日、実況見分し、乾燥機のLPガスが漏れ、引火したとの見方を強めた。
当時は男性のほか、10人前後が作業していたという。
2021年3月12日13時17分にNHK長崎から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
去年の12月、西海市の工事現場で男性作業員が点検台から落下して死亡する事故があり、長崎労働基準監督署は落下を防ぐための措置を講じていなかった疑いがあるとして、福岡市の土木建設会社と現場責任者を書類送検しました。
書類送検されたのは、福岡市中央区の土木建設会社「N工業」と、事故当時64歳だった男性の現場責任者です。
長崎労働基準監督署によりますと、去年12月、西海市の製塩工場で、屋根の補修を行うために組んだ足場を解体する作業を行っていた当時57歳の男性作業員が、工場に常設されていたおよそ9メートルの高さの点検台から落下して死亡しました。
点検台の床は、網目状の金属でできていたものの、一部が腐食し、穴が開いていたということです。
長崎労働基準監督署は、現場責任者が覆いを設けるなどの落下を防ぐための措置を講じていなかった疑いがあるとして、12日、この会社と現場責任者を労働安全衛生法違反の疑いで長崎地方検察庁に書類送検しました。
長崎労働基準監督署の調べに対し、この会社と現場責任者は容疑を認めているということです。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/nagasaki/20210312/5030010863.html
(ブログ者コメント)
書類送検された「会社」とは、どちらの会社だったのだろうか?
製塩会社?土木建設会社?
文脈からすると土木建設会社のような気がする。
(2021年4月29日 修正1 ;追記)
2021年4月28日付で労働新聞からは、書類送検されたのは土木建設会社だったという、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
長崎労働基準監督署は、墜落防止措置を講じなかったとして土木建築業のN工業㈱(福岡県福岡市)と同社長崎出張所工事主任を労働安全衛生法第21条(事業者の講ずべき措置等)違反の疑いで長崎地検に書類送検した。
労働者が腐食した点検台を踏み抜き、墜落死している。
災害は令和2年12月14日、長崎県西海市内で台風被害を受けた工場建屋の災害復旧工事現場で発生した。
労働者は屋根を補修するために組んでいた足場を解体する際、工場の既設設備である点検台に立ち入った。
点検台は地上から高さ8.8メートルで、床は網目状の金属だったが、腐食で破損して一部が開口部となっていた。
労働安全衛生規則第519条では、高さが2メートル以上の開口部などで墜落の危険性がある場合、囲いや覆いを設けなければならないとしているが、同社はこれを怠った疑い。
https://www.rodo.co.jp/column/104198/
2021年3月11日21時55分に産経新聞から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
平成26年7月に静岡市で開かれた花火大会の露店で冷やしキュウリを食べて食中毒になったとして、31人が露店の男性や、大会に補助金を交付した静岡市などに損害賠償を求めた訴訟の判決で、静岡地裁は11日、露店の男性に対し、26人に計約1167万円を支払うよう命じた。
市などへの請求は棄却した。
小池あゆみ裁判長は判決理由で、男性はキュウリを漬けるバケツを洗う際に洗剤を使わず、水で流してアルコールスプレーを吹き付けるだけだったなど、衛生管理が不十分で、キュウリに腸管出血性大腸菌O(オー)157が付着したと指摘した。
市については、この露店が加入する組合を対象にした出店説明会で衛生上の注意喚起をしており、食中毒発生は予見できなかったと判断した。
判決によると、26年7月26日の安倍川花火大会後、510人が嘔吐(おうと)や下痢といった症状を訴え、市と保健所は、露店の冷やしキュウリが原因と断定した。
https://www.sankei.com/affairs/news/210311/afr2103110071-n1.html
3月12日12時44分に静岡新聞からは、露天商男性は金がないので賠償は難しいと述べていたなど、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
判決理由で小池あゆみ裁判長は「食中毒を発生させないよう細心の注意を払ってキュウリを加工すべきだったのに怠った」と露天商の賠償責任を認めた。
一方、市については集団食中毒を具体的に予見できる事情はなく、露天商を行政指導する義務は無かったと判断した。
「大会の実質的主催者だ」との原告側の主張も退けた。
組合と大会本部の安全配慮義務違反も否定した。
静岡市の田辺信宏市長は「市の主張が認められた妥当な判決」などとコメントした。
露天商の男性は20年8月の本人尋問で謝罪した上で、賠償について「気持ちはあっても金が無く、現状では難しい」と述べていた。
https://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/869774.html
※事故発生当時の報道は下記参照。
(2014年8月18日12時49分 日本経済新聞)
静岡市の花火大会の露店で売られた浅漬けの冷やしキュウリによって腸管出血性大腸菌O157の集団食中毒が発生し、発症者は過去10年間の食中毒で最多の481人となった。
浅漬けによる食中毒では、2年前に8人が死亡。
厚生労働省が原材料を塩素消毒するよう衛生規範を全面改正していたが、露天商には徹底されていなかった。
7月26日夜、静岡市葵区で開かれた安倍川花火大会。
午後8時でも気温は30度を下回らず、氷で冷やされたキュウリに涼を求め、見物客らが長い列をつくった。
キュウリは同市駿河区の男性(38)が販売。
男性と家族ら5人が午後1時半ごろから約500メートル離れた場所に止めたワゴン車内で皮をむき、浅漬け液に漬けていた。
客の好みで塩、みそ、マヨネーズを付け、1本200円で千本を売り切った。
食べた人たちが腹痛や血便などの症状を訴えるようになったのは31日ごろから。
8月に入り患者が急増した。
食べた人の約半数が発症し、市保健所は汚染がかなり深刻だったとみている。
県食品衛生法施行条例では、お好み焼きなどの調理が必要なものは保健所の許可が必要だが、綿菓子や焼き芋など加工が単純なものは不要。
冷やしキュウリも許可が要らない食品に該当する。
浅漬けは加熱殺菌されず、塩分濃度も低いことから、他の漬物よりも菌が繁殖しやすいとされる。
2012年には、札幌市の食品会社の浅漬けを食べた160人以上が食中毒を発症し、4~102歳の女性8人が死亡。
厚労省は漬物の衛生規範を全面的に見直し、塩素系溶液での殺菌や、原材料を流水で十分に洗浄し10度以下で保存することなどを盛り込んだ。
駿河区の男性は調理にアルコール消毒した手袋や皮むき器を使用したものの、キュウリの洗浄にはペットボトルの水を使い、塩素消毒していなかったとみられる。
静岡市保健所の検査で調理器具から菌は検出されず、調理に当たった6人の検便で1人から菌が検出されたが、当該人物は「キュウリを食べた」と証言。
感染経路の解明は難しい状況だ。
県や市は今後、冷やしキュウリは浅漬けであると判断し、再発防止に向け、露店業者にも漬物の改正規範を守るよう指導していく方針だ。
食の安全に詳しい消費者問題研究所の垣田達哉代表は、「そもそも露店で売られているものは衛生面で心配なものが多い。子どもには非加熱のものを食べさせないなど注意が必要」と話している。
〔共同〕
https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG1800Q_Y4A810C1CR0000/
(ブログ者コメント)
〇汚染原因は特定できなかった模様。
https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11121000-Iyakushokuhinkyoku-Soumuka/0000078249.pdf
〇2012年の札幌市事例については、本ブログでも紹介スミ。
2021年3月11日20時0分にNHK NEWS WEBから、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
東日本大震災の発生で、地震や津波の想定は大きな見直しを迫られました。
過去の痕跡の調査から浮かび上がってきたのは、数十年から100年単位で起きる大地震の周期とは別に、広域に甚大な被害をもたらす“超”巨大地震ともいえる地震が数百年単位で起きる、「スーパーサイクル」という周期の存在です。
この10年の研究で、日本の沿岸の各地に「スーパーサイクル」が存在し、しかも、発生が切迫しているおそれのある場所も見えてきています。
産業技術総合研究所の宍倉研究グループ長は、東日本大震災の直前、過去の地層から、かつてどのような津波が襲ったかを推測する津波堆積物の調査などから、当時想定されていた大地震をはるかに上回る「スーパーサイクル」の巨大地震と大津波が東北の沿岸に切迫していると考え、対策の必要性を訴えていました。
しかし、その知見は生かされないまま、東日本大震災が発生しました。
【南海トラフ・次の地震がスーパーサイクルか】
「スーパーサイクル」の巨大地震や大津波のリスクが各地にあると考えた宍倉グループ長は、地震の規模や起こるメカニズムについてわかっていないことも多い、南海トラフの地震について、過去の痕跡を調べました。
震源域のほぼ中央に位置する紀伊半島の和歌山県串本町などで、フジツボやゴカイなどの海辺の生物の化石のかたまりが異なる高さで相次いで見つかったことに注目。
およそ5500年分の化石の年代を調べたところ、おおむね400年から600年の周期で地盤が大きく隆起し、巨大地震が起きていた可能性が高いことを突き止めました。
宍倉グループ長は、最後に発生した「スーパーサイクル」の巨大地震が1707年の「宝永地震」で、すでに300年以上がたっていることから、次に起きる地震は、広域に甚大な被害をもたらす「スーパーサイクル」の巨大地震となる可能性があると考えています。
【千島海溝・スーパーサイクル切迫か】
さらに、「スーパーサイクル」の巨大地震が切迫しているとみられるのが、北海道の沖合にある「千島海溝」です。
産業技術総合研究所が過去6500年分の津波堆積物を調べた結果、大津波をもたらす巨大地震が平均で350年前後に1度、繰り返し起きていたとみられることがわかりました。
千島海溝については、国の地震調査研究推進本部も津波の想定を発表し、マグニチュード9クラスの巨大地震が「切迫している可能性が高い」としていますが、宍倉グループ長も「前回からすでに400年程度が経過しており、もはや、いつ起きてもおかしくない」と警鐘を鳴らしています。
さらに、関東の房総半島の沖合でも、スーパーサイクルにあたる巨大地震が起きていた可能性があるとして、今後、調査を進めることにしています。
南海トラフでの「スーパーサイクル」のメカニズムを突き止める上で宍倉グループ長が注目したのが、紀伊半島の先端部分でみつかったフジツボやゴカイなどの海辺に生息する生物の化石です。
南海トラフのプレート境界では、ふだん陸側のプレートがゆっくりと“沈み込み”、地震が起きると、先端の部分が急激に跳ね上がります。
先端の地盤はこのとき“隆起”します。
フジツボやゴカイは海面付近の岩場などに生息しているため、岩場ごと隆起すると生きることができず、化石となります。
宍倉グループ長は和歌山県串本町を中心に30か所以上で化石を採取。
それぞれの化石は層のように積み重なっていて、90年から150年ほどの間隔で3つの層を持つ化石も見つかりました。
これは地盤の“隆起”と“沈み込み”の繰り返し、つまり、過去の大地震を記録していると考えられています。
【離れた場所の化石・スーパーサイクルの“物差し”に】
さらに宍倉グループ長が注目したのは、この、層状に積み重なった化石が、さらに標高の高い場所から相次いで見つかったことです。
「スーパーサイクル」の巨大地震が起きると、“隆起”の規模も大きくなります。
このため、化石の高さの差が「スーパーサイクル」を知る、いわば“物差し”にあたると考えたのです。
さまざまな場所から集めた過去およそ5500年分の化石を分析したところ、少なくとも7回、ふだんの大地震とは明らかに異なる「スーパーサイクル」の巨大地震の地盤の“隆起”を確認。
その周期はおよそ400年から600年だったことを突き止めました。
さらに、最近の観測では紀伊半島の地下20キロから30キロでプレート境界がゆっくりとずれ動く、「スロースリップ」がこの地域では起きていないことが確認され、地下のプレートどうしがしっかりくっついているとみられています。
このため、「スーパーサイクル」の巨大地震の時だけ広い範囲が一気にずれ動いて地盤が大きく隆起すると考えられています。
江戸時代の1854年と昭和の1944年と46年に起きた南海トラフ地震の痕跡を示す化石は見つかっておらず、最後に発生した「スーパーサイクル」の巨大地震は1707年に起きた宝永地震だとみられています。
宍倉グループ長は、すでに300年以上がたっていることから、次の地震が「スーパーサイクル」の巨大地震になる可能性があるとみて、「最悪に備えた対策を進めていく必要がある」としています。
【千島海溝の切迫度は】
「スーパーサイクル」による巨大地震の発生が特に切迫していると考えられているのが、北海道東部の沖合の「千島海溝」です。
「千島海溝」では、1973年(昭和48年)の「根室半島沖地震」や1952年(昭和27年)と2003年(平成15年)の「十勝沖地震」など、根室沖と十勝沖で平均して70年前後の間隔で津波を伴うような巨大地震が繰り返し起きています。
一方、津波堆積物の調査からは、17世紀にはこれらの地震の規模をはるかに上回る巨大地震が起き、大津波が押し寄せていたことがわかってきました。
過去6500年分の津波堆積物の調査から、千島海溝での「スーパーサイクル」は平均して350年前後で、前回の巨大地震からすでに400年程度が経過していることから、政府の地震調査研究推進本部は、千島海溝では、次の巨大地震の発生が「切迫している可能性が高い」としています。
去年(2020)、国が公表した想定では、巨大地震の規模は最大でマグニチュード9.3とされ、津波の高さは、北海道東部の広い範囲で20メートルを超えるとされました。
国は現在、被害想定の検討を進めています。
また産業技術総合研究所の宍倉グループ長は、関東では房総半島の東の沖合にある日本海溝沿いや、南の沖合にある相模トラフでも、「スーパーサイクル」にあたる巨大地震が繰り返し起きている可能性があるとして、今後、調査を進めることにしています。
【東日本大震災もスーパーサイクルで発生】
10年前に巨大地震が起きた東北沖でも、600年程度の「スーパーサイクル」があると考えられています。
青森県東方沖から房総沖にかけての「日本海溝」沿いでは、過去、繰り返し大きな地震が発生していて、東日本大震災の発生前は、およそ30年に1度発生するマグニチュード7クラスの宮城県沖地震をはじめ、三陸沖の地震など、複数の領域で、それぞれ数十年から百年程度に1度起きると考えられてきました。
一方、津波堆積物などの調査結果から宍倉グループ長は、複数の領域が一気にずれ動くような巨大地震が600年程度の間隔で繰り返し起きていた可能性が高いと考えていました。
東日本大震災の直前、宍倉グループ長は最後の「スーパーサイクル」よる巨大地震が15世紀ごろで、すでに600年程度が経過して切迫した状況だとして、想定に加えるよう訴えていたのです。
現在、国の地震調査研究推進本部は、岩手県沖南部から茨城県沖の領域全体が一気にずれ動くマグニチュード9程度の巨大地震は、平均で550年から600年に1度の間隔で発生しているとしています。
一方、「日本海溝」のうち、北海道の南の沖合から岩手県の沖合にかけての領域でも「スーパーサイクル」があるという指摘があり、国はマグニチュード9.1の巨大地震の想定を公表しています。
【スーパーサイクル・どう備えたら】
南海トラフや千島海溝では、国も“最悪ケース”としての被害想定をすでに発表したり、現在、検討を進めたりしています。
国や自治体も対策を進めていますが、起こりうる地震や津波の規模は大きく、すべてをハードで守りきるのは難しいといえます。
東日本大震災の教訓を改めて思い起こし、地域のリスクにあわせた避難場所や避難方法を決めておいてください。
また、被災した状況を具体的にイメージし、事前にどのように復興するかを決めたり、課題をまとめたりする、「事前復興」の取り組みを進めておくことも重要です。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210311/k10012909391000.html
2021年3月11日14時0分に毎日新聞から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
東日本大震災の発生から11日で10年を迎える。
千葉県内では旭市を襲った津波などで22人が死亡(災害関連死含む)し、2人が行方不明となった。
県内の最大震度は6弱(成田市、印西市)で、建物の損壊などで多くの負傷者が出た。
また、東京電力福島第1原発事故などによる避難者が多く暮らしている。
東京湾の空を赤く焦がした炎は、東日本大震災の被害の全容がつかめぬまま夜を迎えた多くの人々を動揺させた。
発生から鎮火まで10日間を要したコスモ石油千葉製油所(市原市)の液化石油ガス(LPガス)の火災爆発事故で、消火活動にあたった同市消防局消防総務課長、天野S次さん(55)に当時の様子を聞いた。
2011年3月11日午後3時15分、東日本大震災の余震とされる茨城県沖を震源とする地震が発生し、市原市では震度4を観測。
その後、同製油所のガスタンクが倒壊し、漏れたガスに引火して火災が発生した。
天野さんが現場に到着したのは午後3時50分ごろ。
倒壊したタンクを含む17基のタンク周辺で火災が発生していたという。
午後5時ごろ、加熱されたタンクが蒸気爆発を起こした。
爆発は計5回発生し「殉職者が出るかもしれない」と感じたという。
市消防局から延べ443人の消防士らが、24時間態勢で消火活動にあたった。
天野さんが現場で指揮を執ったのは発生から6日目。
現場では火勢が不安定になり、未燃ガスが拡散して再び爆発が起きる危険性があった。
天野さんは、タンク内のLPガスの気化を進め、すべて燃焼させるため、温水を散水する作戦を立案。
海水と水蒸気を混ぜる特殊な器具を現場で組み立てて作戦を成功させ、火災の終息に大きく貢献した。
「当時、火災の映像を見ていた人は『ずっと火を消せなかった』と感じたと思うが、現場ではガスを燃やし尽くすために、火勢をコントール下に置く作業が10日間続けられていた」と天野さんは説明する。
「これまで経験したことのない規模の消火活動だった」という。
発生当初、爆発の恐れから消火活動が進まなかったこともあり、市消防局には遠くから放水できる大型放水車が配備された。
また、遠隔操作で消火活動が行える機器も導入した。
震災から10年、現場で指揮を執り、全容を知る消防士は天野さんを含め2人しか残っていない。
天野さんは「震災の経験と当時の消火活動の経験を次の世代につなげていきたい」と話す。
https://mainichi.jp/articles/20210311/k00/00m/040/111000c
2021年3月13日18時41分に朝日新聞から下記趣旨の記事が、当日の給食の写真付きでネット配信されていた。
埼玉県の朝霞市教育委員会は13日、市立朝霞第五小学校(児童数956人)で、11日昼の学校給食で出した皿うどんの麺が硬かったため、1~5年の児童6人と教師1人の歯の一部が欠けるなどしたと発表した。
児童3人が病院で治療を受けた。
6人とは別に、口の中が傷ついた児童が数人いたという。
市教委によると、11日のメニューは皿うどん、春雨サラダ、カステラ、牛乳。
同校にある給食室で皿うどんを調理する際、麺を揚げる油の温度が下がったことから、給食時間に間に合わない恐れが出てきた。
このため、1回に揚げる麺の量を増やして、揚げる時間も10分ほどに延ばしたところ、硬くなったという。
児童に配膳する前に検食(試食)した教頭が、少し硬いが問題ないと判断したという。
同小では10日の給食でも、県学校給食会が納入した期限切れのドーナツを提供して児童2人が食べてしまうトラブルがあった。
https://www.asahi.com/articles/ASP3F6427P3FUTNB00G.html
3月13日23時59分に読売新聞からは、一度に多くの麺を入れたため温度が下がり、揚げ時間がわからなくなったという、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
同校の施設で調理員が麺を揚げる際、提供時間に間に合わせようと1度に多くの麺を油に入れたところ、油の温度が下がり、揚げ時間がわからなくなって揚げすぎたという。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20210313-OYT1T50192/
3月13日10時0分にNHK埼玉からは、マニュアルには揚げ時間が記載されていなかったなど、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
この小学校では学校内で給食を調理していて、栄養士が作る「調理指示書」では適切な揚げ時間が記載されておらず、担当した調理業者のスタッフ2人が「揚げ不足だ」と判断してしまったということです。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/saitama/20210313/1100011049.html
3月15日21時1分にYAHOOニュース(FNN PRIME)からは、最初は2つの釜で40人分の麺を2~3分かけて揚げていたなど、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
市の教育委員会によると、問題の皿うどんは、業者から仕入れた蒸し麺を学校内の給食室で調理し、提供したものだった。
児童と教職員合わせて、計1,013食分の麺を揚げるため、調理員は180度の油が入った釜2つで、40人分の麺を約2~3分の時間で揚げる方法を繰り返していた。
ところが、途中で提供時間に間に合わないと思い、より多くの麺を釜に投入。
すると油の温度が下がったため、麺の量を減らすなど試行錯誤。
それでも温度が上がらないため、最終的に揚げる時間を本来の5倍以上の約10分に延ばして調理。
その結果、麺が硬くなってしまったという。
この麺を食べ、歯を痛めたのは、1~5年生の児童6人と教師1人。
そのうち教師と3年生の児童1人は永久歯が欠け、5年生の1人は乳歯が抜けたという。
実際に食べた児童はこう話している。
実際に給食を食べた児童: みんな「硬い」と言っていたけどおいしかったです。
一方で保護者は、こんな話を聞いていた。
保護者: 中華餡がかかってふやけていてもなお硬かったと言っていたので、相当硬かったんじゃないかと思います。
皿うどんがメニューにある飲食店「ちゃんぽん由丸 品川港南店」からは、今回の事態に驚きの声が聞かれた。
ちゃんぽん由丸 品川港南店 金子店長: 正直言ってびっくり。ありえないことだなと。(揚げ時間が長くなると)麺に入っている水分が出てしまって硬くなったのでは。
https://news.yahoo.co.jp/articles/95b83094fc1cc3ff3c2a545d752f4923fdd4c6c5
(ブログ者コメント)
朝日新聞掲載写真を見れば中太麺。
色は黄色につき、揚げた現物ではなく、生麺ではないかと思われる。
それにしても、揚げた麺を食べて歯が欠けるとは・・・。
思いもつかないことが起きるものだ。
2021年3月10日12時0分に文藝春秋digitalから、「トモダチ作戦に隠れた熾烈な攻防戦──10年後に明かされた驚愕の真実!」というタイトルで、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
【原発事故の情報を隠している】
2011年3月上旬。
福島第1原子力発電所の事故が発生して数日後、在日アメリカ大使館の駐在武官から、一通の極秘公電がアメリカ・ワシントンにある国防総省宛てに「緊急扱い」で届けられた。
そこには政府機関の公文書にも関わらず感情的な言葉が幾つも並べられ、最後をこう結んでいた。
〈日本政府は、原発事故に関する情報を隠している。この状態は現在のリビアより酷い〉
当時、北アフリカのリビアは40年間に渡って独裁政治を続けていたカダフィ政権と反体制派の激しい内戦が続き、政府機関は機能せず、全土が混乱していた。
駐在武官は、それよりも日本政府の状況が“酷い”と怒りを込めた公電で言い切ったのである。
「しかし、そのうち、日本は隠しているのではなく、事態を把握できていないのではないかという疑心暗鬼が広がりました。
そして、もはや菅直人首相率いる日本政府に原発対処を任せられないとの雰囲気がアメリカ軍内で高まっていったのです」(アメリカ太平洋軍幹部)
*
1枚の文書がある。
題名は、〈BCAT(ビーキャット)横田調整所の役割分担〉。
東日本大震災対処のために、自衛隊とアメリカ軍が連携して行う任務を調整する、自衛隊側の対応チームの編成表である。
細かく見ると、「原発対処主務」、「HADR(人道災害支援)主務」、「輸送機能担当」――など、任務別の名称が並ぶ。
チームのトップは、陸上幕僚監部(陸幕)防衛部長の番匠幸一郎(ばんしょうこういちろう)陸将補。
それを支えるスタッフとして自衛官と防衛省内局員の氏名が記載されている。
日米部隊の調整は、すでに東京・市ヶ谷の統合幕僚監部(統幕)でも「中央BCAT調整所」として立ち上がっていた。
しかし、この「BCAT横田調整所」が、原発の対処を巡り、日米の軍事関係者が密かに激論を交わした“最前線”であったことは、これまで明らかにされることはなかった。
アメリカ軍は震災発生の直後から東北地方一帯で、航空機や艦船を使って救助や生活支援の作戦を展開していた。
だが、それとはまったく別のところで、密やかな“日米の熾烈な攻防”があったのだ。
【「外征軍」がやってくる!】
東日本大震災&アメリカとのフレーズでネット検索して目立つのは「トモダチ作戦」という言葉だ。
アメリカ軍が命懸けで、必死で日本を支援してくれた、離島にも生活物資を運んでくれたことへの感謝の言葉は多い。
冠水した仙台空港の早期復旧には、多くの日本人から敬服する声が送られた。
震災から4日後、陸幕作成の3月15日付け「モーニングレポート」によれば、第3海兵遠征旅団の前方司令部が編成されて早くも仙台空港の修復準備に入り、第7艦隊に属する空母や7隻の艦船搭載のヘリコプターが捜索と救難活動を実施。
さらに厚木や横田の基地のヘリコプターも人命救助活動を活発化していた。
ところが同じ頃、部下からの報告を受けた陸上自衛隊(陸自)の最高幹部は思わず声を上げた。
「なに! アメリカ軍が『JTF』を編成して日本にやって来るだと!」
JTFとは、特別な作戦を行う時、任務ごとに陸海空から部隊を引き抜いて一つの「特別任務部隊(タスクフォース)」を作るアメリカ軍の主たる作戦形態である。
軍事関係者の間では聞き慣れた言葉だが、その時は違った。
最高幹部は「JTF」というフレーズに激しく反応したのだ。
「日米が共同作戦を組むというならわかります。
しかし、あの状況下で、“JTFを編成してやって来る”と聞かされたので、これはもう『HADR』などの『支援』や『共同作戦』ではなく、アメリカがアフガンなどで『外征軍』として行ってきた、政治も民政もすべて指揮下に置く軍のイメージがすぐに頭に浮かびました。
しかし日本は独立国であり、自衛隊も健在であるし、中央政府も存続している。
また韓国のように戦争時指揮権があるわけでもない。
ですから非常に深刻に受け止めました」(同陸自最高幹部)
同じ報告を受けていた統合幕僚監部(統幕)の幹部も当時を思い出す。
「真っ先に思ったことは、まさか自衛隊はアメリカ軍の隷下に入るのか!という驚きでした。
毎年の日米共同演習(ワイエス)でやっているような、日米は共同で、指揮関係はなく、並列(パラ)であるというのはいったい何だったんだ、という不満も抱きました」
その直後、同陸自最高幹部の悪い予感は当たった。
「アメリカ軍は、捜索、救助、生活支援をするためのテレビカメラに映る活動を行ったその裏側で、JTFこそ編成しませんでしたが、原発対処のために本国から次々と、放射能専門対処チームを送り込んで来たのです」(統幕関係者)
同統幕関係者によれば、それは原発事故の翌日からだった。
国防総省の「RCMT」(アメリカ軍放射能収集管理チーム)や、「DTRA(デトラ)」(脅威削減局)などの放射能専門対処チームは、来日直後から原発の現状に関する最新情報を要求してきた。
「DTRA」とは、陸自が16日付で主要部隊に配布した資料によれば、〈弾道ミサイル等の高強度脅威に関する見積・検討を担当する国防総省の機関〉とある。
陸自幹部の一人は、これら放射能専門対処チームの訪日に強い危惧を抱き始めていた。
「放射能専門対処チームは、自分たちのやり方で自衛隊や日本政府を動かし、この危機を乗り切るつもりではないか、との思いを強く持つようになってゆきました。
なぜなら、今までのような“共同で”という雰囲気をまったく感じなかったからです」
【アメリカ軍はまるでGHQだ】
その動きを察した陸幕は、本国からやってきた放射能専門対処チームと直接会って“膝詰め”でのタフな交渉が必要と判断。
日米協議の最前線とする新しい調整所の設置をアメリカ側に提案した上で、そこへ番匠を貼り付けることになったのである。
そして、その“タフな交渉の最前線”のために作られたのが、前述した番匠率いる「BCAT横田調整所」だった。
番匠は、かつてイラクの復興支援活動の初陣を切った部隊指揮官として名を馳せたが、自衛隊の中では“清濁(せいだく)併せ飲む軍師”として知られ、“笑わない目”という異名もとる。
番匠をトップとする「BCAT横田調整所」のチームが向かったのは、東京・福生市の横田基地にある在日米軍司令部だった。
もともと在日米軍司令部には、有事や合同演習で活躍する「BOCC」(日米共同運用調整所)という拠点がある。
そこを使って、アメリカ軍と膝を突き合わせてのタフな交渉が始まったのである。
さっそく協議を開始した「BCAT横田調整所」チームだったが、最初から大きな壁にぶつかることになる。
協議の冒頭から、アメリカ軍は原発対処を日本に任せず、自分たちで統治して作戦を行うのだ、というオーラが半端なかったと、統幕最高幹部は証言する。
「いち早くそれを悟って強い危機感を持った番匠は、日本が主体となって対処する事を繰り返し説明しました。
しかし、アメリカ軍は、日本政府の対応の不味さを暗に指摘した上で、日本だけで対応できる、という番匠の説得を一向に信用しようとしなかったのです」
そして間もなくして、「BCAT横田調整所」チームの中で、ある言葉が囁かれるようになった。
「アメリカ軍はまるでGHQだ」
(以下は有料 目次のみ記す)
【10万人の在日米国人の大規模避難】
【日本政府の代わりに統治する】
【番匠とウオルシュの大激論】
【それでも日本政府を信用できない】
【米軍を驚愕させた“日本の事情”】
【日本を統治してくる】
【戦慄の「石棺作戦」】
https://bungeishunju.com/n/nc9afa3562167
(ブログ者コメント)
前回も紹介した映画「Fukushima 50」中、上記内容と同じようなことを描いた横田基地などのシーンもあった。
2021年3月9日19時53分にNHK東北から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
東北大学の研究グループが、東日本大震災で「低体温症」で死亡した人を調べた結果、8割近くが屋内で発見されていたことがわかりました。
研究グループは、自宅などで救助を待つ間に、寒さが原因で死亡に至ったケースも考えられるとして、避難所などでの対策の重要性を指摘しています。
東北大学災害科学国際研究所の門廻充侍助教らのグループは、東日本大震災で死亡した人のうち、宮城県の9527人について、死因や、遺体が発見された場所などの記録を宮城県警から提供を受け、3年前から分析を進めています。
研究グループは、このうち、「低体温症」で死亡した22人を詳しく調べた、今年度の研究結果を今月発表しました。
それによりますと、22人のうち、8割近くにあたる17人は、建物の中など屋内から発見されていたということです。
15人は、津波が到達している地区の屋内で発見されましたが、残りの2人は、浸水していない気仙沼市の大峠山地区で見つかっていました。
2人の自宅はいずれも別の地区にあり、大峠山地区には、避難所となっていた中学校などがあるということです。
このため研究グループは、津波を逃れて体がぬれなかった人でも住宅などの高い階に避難して救助を待つ間や、避難所に移動して過ごしているうちに、寒さが原因で死亡に至ったケースも考えられるとしています。
門廻助教は、「津波で体がぬれて低体温症になった人が多いと考えていたが、浸水していない地域で亡くなった人がいたのは正直驚いた。寒さにどう備えるかについて次の災害に向き合う人たちに今回わかったことを届け、1人でも多くの命を救うことにつなげたい」と話しています。
門廻助教らの研究グループが宮城県警から提供を受けたデータは、9527人分の年代や性別、死因のほか、遺体が発見された場所などがまとめられています。
死因は多い順に
「溺死」が8677人
「焼死」が 81人
「窒息」が 63人
「頭部損傷」が49人
などとなっていて、「低体温症」は海上で見つかった1人も含めて23人でした。
今年度の研究では、陸上で見つかった「低体温症」の22人を詳しく分析しています。
このうち、見つかった場所は、気仙沼市の大峠山地区が3人と最も多く、石巻市の雄勝町雄勝と、南三陸町の志津川汐見町、亘理町吉田、山元町山寺が、いずれも2人で、沿岸部8自治体の16地区となっています。
さらに、「低体温症」で死亡した人は、70代以上の人が7割を超えていました。
高齢者は自分で熱を生む力が低下し、外気温の影響を受けやすいとされていて、研究グループは、特に高齢者に対して、災害時の寒さ対策が必要だと指摘しています。
今回の研究結果をもとに、門廻助教は、自分でできる低体温症対策の1つとして、小さな袋に入れて持ち運びができるタイプの上着を災害時の非常持ち出し袋に入れておくことを提案しています。
着るだけでなく、床にしいたりひざかけにしたりなどさまざまな用途で寒さをしのげることから、活用を呼びかけています。
https://www3.nhk.or.jp/tohoku-news/20210309/6000013859.html
2021年3月9日19時6分にNHK NEWS WEBから、下記趣旨の記事が複数枚の写真付きでネット配信されていた。
これはブログ者も視聴した番組が文字情報として配信された記事。
主だった写真と共に主要部分を紹介する。
・・・・・
あの日、地震発生から津波到達まで30分から1時間ほどの時間がありました。
どうすれば避難することができるのか。
何が生死をわけたのか。
今、津波避難の専門家が注目しているのが、“避難のカスケード”です。
※カスケード:連なった小さな滝、連鎖的に物事が生じる様子
(NHKスペシャル「津波避難 何が生死を分けたのか」取材班)
【「津波から逃げる目的ではない人」が避難できていた】
津波到達までの時間、人々は何を考え、どのように行動していたのか。
震災を伝える団体と研究機関が、1200人分の詳細な調査を行った地域があります。
宮城県石巻市にある、門脇・南浜地区です。
海に面した住宅地の奥に標高60メートルの日和山があり、あの日、ここに多くの人が避難し助かっていました。
この避難行動の調査を分析した富士通研究所の牧野嶋さんは、人が避難した理由に注目します。
日和山にたどりついた人のうち、半数近くが、「津波から逃げる目的ではない人」が避難していたのです。
【避難できるきっかけ カギとなる「率先避難」】
なぜ、こうした人が日和山までたどり着けたのか。
カギとなっていたのが、門脇小学校です。
当時の校長、鈴木Y子さんは、地震の直後、児童224人を日和山まで避難させると決断します。
当時、門脇小学校は津波の指定避難所になっていましたが、“災害に絶対の安全はない”という考えで、地震発生の15分後には日和山まで避難していたのです。
実はこの行動が、多くの命を救うきっかけとなっていました。
まず保護者です。
津波から逃げる明確な意思がなくても“子どもに会いに行かないと”“子どもの無事を確認したい”という理由で日和山に向かい助かっていました。
当時の日和山で撮影された映像にも、子どもの傍らに多くの保護者がいることがうかがえます。
避難に踏み切れない状況を打ち破り、真っ先に避難をし始める人を「率先避難者」といいます。
避難行動の専門家、東京大学大学院特任教授の片田敏孝さんは、「率先避難者は避難の弾み車のような役割で、避難するかしないか迷う膠着(こうちゃく)した状況を変え、周囲を避難するんだという雰囲気に向かわせることができる重要な役割」と指摘しています。
【率先避難が連鎖し広がる「避難のカスケード」】
さらに、この「率先避難者」は、学校と関係の薄い地域の住民までも日和山までひっぱりあげる効果がありました。
その一人が石川Y恵さんです。
当時、津波への意識はなく、日和山まで避難することは全く考えていませんでした。
そんな石川さんが日和山まで行くことになったのは、小学校の校庭にいた知人の女性が「高台まで避難して」と声をかけたことでした。
石川さんは、「多くの人が校庭で戸惑っていたけど、知人の女性が『子どもも日和山へ避難しました。皆さんも山に上がってください』と言われ、そのとき、逃げなきゃと思った」といいます。
知人の女性が、こうした声がけができたのは、保護者の対応をするためにとどまった教員から、「山へ逃げろ」と言われたからでした。
教員から知人、知人から石川さんへの避難が連鎖しました。
こうして、「津波から逃げる目的ではない」という住民が、日和山へたどりついていました。
分析を行った牧野嶋さんは、身近な人だけでなく、関係性のない人にまで、避難が連鎖する様子を滝の流れになぞらえ、「避難のカスケード」と名付けました。
「自分の避難行動は、考えている以上に、その先の人にまで影響することが示唆される」と牧野嶋さんは話します。
校長と児童から始まった率先避難がどのような広がりで影響したのかをまとめました。
【校長と児童の率先避難からまず、保護者へ広がった避難。】
保護者のなかには、3人の住民に声をかけ、日和山まで導いた人もいました。
さらに、校庭にとどまった教員からは、保護者だけでなく、住民に繰り返し避難が連鎖していました。
調査から、「避難のカスケード」によって、少なくとも300人を超える人が日和山までたどりついていたのです。
【指定避難所だった門脇小学校は津波に巻き込まれた】
その後、想定をこえる津波は安全とされたはずの門脇小学校にまで到達しました。
火災も発生し、大きな被害となりました。
門脇・南浜地区では545人が犠牲になりました。
知人からの声がけで日和山までのぼった石川さんは、「あの声がけがなければ、私はおそらく死んでいたかもしれない」と振り返っています。
【避難できなかった人の傾向も明らかに】
命を救う「避難のカスケード」があった一方で、避難ができなかった人も多くいました。
石巻市に暮らす草島M人さんは避難が遅れ、津波から間一髪逃れた一人です。
地震が発生した時、石巻市内を車で移動していました。
草島さんは、家族の安否が気になり、海のそばにある自宅に車を走らせます。
家族は自宅におらず、避難所になっている小学校へ向かいますが、「防寒具も何も持っていない」と思い、再び自宅へと向かいます。
この時、すでに地震発生から1時間近くが過ぎ、津波が迫っていました。
草島さんの目に飛び込んだのは建物の2階を超える高さの津波。
車を全速力で走らせなんとか逃げきりました。
「私の人生はこれで終わるんだなと思いました。
自分のすべての行動・判断が間違えていたんだと…」
【逃げ遅れるリスク「外出先」「自宅兼店舗」】
1200人分の避難行動の調査から、逃げ遅れるリスクの高い人の傾向がわかってきました。
その一つが草島さんのように「外出先」にいた人です。
家族や、自宅の被災状況などが気になり、自宅に戻ったり家族を探したりすることで避難が遅れてしまいます。
調査からは、外出先にいた人のうち4割が津波に遭遇したなど、危険な状況にあったことがわかりました。
もう一つリスクの高い傾向にあったのが、地震発生時に「自宅兼店舗」にいた人たちです。
「店の片付けを急いだ」「客の安全確認などの対応をした」などの理由で避難が遅れていました。
片田敏孝教授は、こうした行動は災害時に多くの人に起こりやすいと指摘しています。
「人は、逃げないといけないとわかっていてもなかなか逃げられないものです。人は逃げない選択を積極的にとっているわけではなく、逃げようという最後の意思決定ができずにいる状態が続いてしまう。避難というのは、行動に移すことが難しい行為なんです」
【新たな技術で「避難のカスケード」をサポート】
東日本大震災の大規模調査から見えてきた、一人の行動が他の人の避難行動に影響し広がっていく避難のパターン。
どうすれば、今後、発生が懸念される災害でいかしていけるでしょうか。
今回、「避難のカスケード」を提唱する牧野嶋さんは、効率よくカスケードを引き起こそうと新たな技術の開発を進めています。
・・・・・
【 “災害に絶対安全はない” 様々な選択肢で避難訓練を】
東日本大震災の教訓から様々な選択肢を見据えた訓練を続ける地域もあります。
高知県の黒潮町です。
・・・・・
【自分の避難行動は知らない誰かを救っている】
避難行動を研究する京都大学の矢守克也教授は、いざというとき私たちにできることを教えてくれました。
「自分が避難するという行動をとることが、知らないだれかの命を救うことにつながる。逆に、とどまっていることが、ほかの人に影響するということを知っていてほしい。津波に限らず、災害の時、みずからが動けるかどうか、それが周囲の命を守るカギにもなる」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210309/k10012903971000.html
2021年3月9日18時36分にNHK香川から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
去年、坂出市の与島沖で旅客船が沈没した際に組合員が船に乗っていた小学生らの救助にあたった与島漁協の事務所に、ボランティアで海難救助にあたる「水難救済会」の活動拠点が設けられました。
「水難救済会」は明治22年に海の神をまつる琴平町にある金刀比羅宮の宮司が創設した団体で、全国の救難所を拠点として、海難事故の際、ボランティアで人命救助をします。
与島漁協の事務所には県内13か所目の救難所が置かれることになり、金刀比羅宮では9日、香川県水難救済会の会長でもある権宮司が与島漁協の岩中組合長に救難所の看板や救難所長の委嘱状を手渡しました。
救難所には今後、与島周辺の海難事故で海上保安部や自治体が人手が必要だと判断した場合に直接、救助要請が入るほか、組合員が海上保安部と合同で訓練することなども予定されています。
与島漁協は去年11月、与島沖で旅客船が沈没した際に、船に乗っていた小学生ら62人を海の中から救助したことで組合員の人命救助に対する意識が高まり、救難所の開設につながったとしています。
救助した小学生から贈られた黄色のリボンを着けて出席した岩中組合長は、「今後は海上保安部から連絡を密にし、自分たちの安全確保についても意識を高めたい」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/takamatsu/20210309/8030009461.html
(ブログ者コメント)
以下は、水難救済会HPに掲載されている会長挨拶文。
これを読んで、同会のおおよその概要が把握できた。
わが国は小さな島国ですが長大な海岸線を有し、その沿岸海域では船舶海難や海浜事故が発生しておりますが、船舶海難や海浜事故に迅速かつ的確に対応することは、海上保安庁や警察・消防などの国や地方自治体による公的な救難体制だけでは困難です。
このため、全国の臨海道府県には民間ボランティア団体である40の地方水難救済会が設立されており、これら地方水難救済会の傘下にある救難所及び同支所が全国津々浦々に合計1,300ヶ所以上も設置され、海難発生等の一報を受けたときはこれらに所属する総勢約5万1千名のボランティア救助員が、荒天暗夜をも厭わず、生業を投げ打ってでも直ちに捜索救助活動に対応する体制をとっています。
本会は、こうしたボランティア救助員の救難活動を支援するために、明治22(1889)年に創設されて以来、130年余の長い歴史がある団体ですが、これまで沿岸海域における人命・財産の救助において輝かしい実績と伝統を誇っております。
また、沿岸海域のみならず、遥か洋上の船舶内で傷病者が発生した場合に、海上保安庁の船艇・航空機等により医師を現場に派遣し、傷病船員等を収容して応急手当てを施しつつ、最寄りの医療機関まで救急搬送するという、世界で唯一の洋上救急事業も運営しています。
このような本会の活動に対しまして、皆さまのご理解と更なるご支援をいただきますようよろしくお願い申し上げます。
http://www.mrj.or.jp/about/index.html
2021年3月9日13時16分にNHK宮崎から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
南海トラフ巨大地震で、津波の被害が想定されている日向市。
沿岸部の化学工場では、工場を取り囲むように防潮堤の建設が行われていて、工場内の資材が流れ出て、被害が拡大するのを防ぐ対策も進められています。
防潮堤の整備が進められているのは、日向市竹島町の旭化成日向化学品工場です。
東日本大震災を教訓に防潮堤の建設が計画され、総延長は、およそ900メートル、高さは、最大で5.3メートルほどで、ことし12月までに完成する予定です。
9日も、クレーンなどを使って、高さ4mほどの型にコンクリートを流し込む作業を行われていました。
防潮堤は、海側だけでなく、工場をぐるりと囲むように整備が進められています。
工場内には、1個の重さが200キロほどもあるドラム缶およそ1万個が保管されていて、万が一、津波で市街地に流出して被害が拡大しないようにするためです。
この地域一帯には工場が多く建ち並んでいて、住民からは、工場内の資材が住宅街に押し寄せて、被害が拡大するのではという懸念の声があがっていたということです。
旭化成日向化学品工場の高津係長は、「近くにある細島港は、災害時の復旧の要衝になる。住民と定期的に意見交換を行い、地域一体となって津波の対策に取り組みたい」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/miyazaki/20210309/5060008855.html
2021年3月9日18時30分にTBS NEWSから、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
東京・赤坂の工事現場で9日昼前、鉄パイプが落下し、直撃した作業員の男性が死亡しました。
午前11時半ごろ、港区赤坂のビルの工事現場で重さ6キロほどの鉄パイプが9階のあたりの高さから地上に落下し、歩道で作業をしていた40代の作業員の男性の頭を直撃しました。
男性作業員は病院に運ばれましたが、その後、死亡が確認されました。
通行人や他の作業員にけがはありませんでした。
鉄パイプは、ワイヤーを巻きつけてクレーンで吊り上げられていましたが、突然、落下したということで、警視庁は当時の状況を詳しく調べています。
現場は東京メトロ・赤坂見附駅近くのオフィス街です。
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4217444.html
3月9日17時41分に産経新聞からは、鉄製の台が数10個ワイヤから外れて落ちたらしいという、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
9日午前11時半ごろ、東京都港区赤坂の路上で、近くのビル建設現場から鉄製の台数十個が落下し、40代の男性作業員の頭を直撃した。
男性は都内の病院に搬送された後、死亡が確認された。
警視庁赤坂署が原因を調べている。
署によると、他の作業員や通行人にけがはなかった。
クレーンでビルの9階付近までつり上げていた台がワイヤから外れて落ちたとみられる。
現場は東京メトロ赤坂見附駅から西に約300メートルのオフィス街の一角。
https://www.sankei.com/affairs/news/210309/afr2103090014-n1.html
(2022年9月30日 修正1 ;追記)
2022年9月29日14時0分に朝日新聞からは、現場所長など3人が書類送検されたなど、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
警視庁は29日、工事を請け負っていた中堅ゼネコン「T建設」(大阪市)の現場所長の男性(55)ら3人を業務上過失致死容疑で書類送検した。
捜査関係者への取材でわかった。
送検されたのは、現場所長のほか、工事を監督する立場にあった男性会社員(29)と同社の下請け会社の社員でクレーンを操作していた男性作業員(48)。
事故は昨年3月9日午前11時半ごろ、東京都港区赤坂4丁目の建設中の10階建てビルで発生。
クレーンでつり上げられていた鉄の資材(1個あたりの重さ5・6キロ)計112個がバランスを崩し、うち48個(計約270キロ)が約30メートル落下して、地上にいた作業員の長田さん(当時43)の頭などを直撃した。
長田さんは搬送先の病院で死亡が確認された。
警視庁は、資材が落ちる可能性があるにもかかわらず、クレーンの直下を人が往来していた状況を問題視。
現場所長ら3人が立ち入りを禁じるなどの指示をしなかった結果、長田さんを死なせた疑いがあると判断した。
https://www.asahi.com/articles/ASQ9Y3J9YQ9YUTIL001.html
9月29日14時54分に産経新聞からは、現場責任者は細かく指示していなかったなど、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
捜査関係者によると、書類送検されたのは、現場責任者の男のほか、工事を監督する立場にあった同社社員の男(29)と、別会社に所属するクレーンの運転手の男(48)。
現場責任者は「(安全確認について)細かく指示していなかった」などと容疑を認めているという。
https://www.sankei.com/article/20220929-D6ZRJH6VBVOCZMOLV54NLGD7WA/
9月29日17時48分にYAHOOニュース(TBS NEWS)からは、被災者は昼の休憩時間にクレーンの真下エリアに通じるドアを開けて道路に出たところ、上から落下してきたなど、下記趣旨の記事がネット配信されていた。(新情報に基づき、タイトルも修正した)
警視庁によりますと、長田さんが昼の休憩時間にクレーンの真下のエリアに通じるドアを開け、道路に出たところ、クレーンが持ち上げていた鉄製の資材48個、およそ270キロが30メートルの高さから落下し、頭などを直撃したということです。
3人はドアを施錠していなかったほか、クレーンの下のエリアを通行禁止にせず、監視員の配置するなどの安全管理を怠っていたということです。
任意の聴取に対し、現場監督の男性は「孫請け業者に責任があると思う」と一部容疑を否認していますが、ほかの2人は容疑を認めているということです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/cf495742d342a9cee6a0257c846d07cda0964e99
2021年3月8日21時28分に産経新聞から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
東京電力福島第1原発事故から11日で10年となるのを前に、首相官邸で当時、内閣危機管理監として対応に当たった伊藤哲朗東大生産技術研究所客員教授(72)が産経新聞の取材に応じ、新型コロナウイルスへの政府対応について「原発事故の教訓が生きていない」と述べた。
「情報共有が不十分だったのが一番の問題だ。官邸の危機管理部門が有効に活用されなかった」
伊藤氏は、こう振り返る。
政府は平成7年の阪神大震災で統一的な対応ができなかった反省から、10年に危機管理監以下の対応部門を発足させ、官邸地下に危機管理センターを設置した。
23年3月11日。
大地震と大津波への対応に、こうした体制は機能した。
だが、福島第1原発で起きた停電で事態は一変した。
当時の原子力安全・保安院は現地の情報を把握できずに初動が遅れ、民主党政権下の菅(かん)直人首相(当時)をトップとする官邸は、午後7時ごろに原子力緊急事態宣言を発出するまで事態発生から2時間以上かかった。
午後8時半ごろ、伊藤氏はある異変に気付く。
幹部会議室に政治家の姿が突然見えなくなった。
首相や海江田万里経済産業相ら政権幹部が保安院幹部らとセンター内の休憩室にこもってしまったからだ。
首相らは、伊藤氏がいる危機管理センターとは別に東電から直接情報を集めていたことが後で分かった。
センターには一部の重要な情報が入ってきていない状態だった。
「緊急事態に重要なのは、情報を共有し、指揮命令系統を一元化すること。基本が全くできていなかった」
この1年間の政府の新型コロナ対応を見ていると、伊藤氏は情報共有が図られず、対応が後手に回っているのではと感じる。
一連の対応では、昨年1月上旬に中国が感染の確認を公に発表したが、中国全土との事実上の往来停止は同年3月上旬だった。
当時の安倍晋三首相が2月下旬に突然、全国小中高校の一斉休校を発表した際には、官房長官だった菅義偉(すが・よしひで)首相らに事前の相談がなかった。
21年の新型インフルエンザ流行時も危機管理監として対応に当たった伊藤氏は、「パンデミック(世界的大流行)の時こそ危機管理部門の出番のはずだ。政治家は役人をフル活用すべきだ。今回の官邸の危機管理は、むしろ後退している印象すら抱く」と危機感をあらわにした。
https://www.sankei.com/affairs/news/210308/afr2103080033-n1.html
(ブログ者コメント)
先日、渡辺謙氏が吉田所長を演じた映画「Fukushima 50」が日テレから放映されていた。
以下は、政府首脳が部屋にこもり東電首脳らから説明を受けていたシーン。
この情報は、これまでブログ者のアンテナにひっかかっていなかったが、この映画、そこまで再現していたことに驚いた。
それ以外にも、ブログ者のアンテナにひっかかっていなかった情報としては、本社が手配した電源車が到着したものの、必要だった高圧電源用ではなく低圧電源用だったため使えなかったとか、あれやれ、これやれと言うだけの本社首脳の指示や、官邸からの素人考えの指示に対し吉田所長がテレビ会議で何回もキレ、それに対し本社首脳が「やれ!」と怒鳴り返していたとか、菅首相はヘリで現地に飛んだ際、着替えという入室ルールを拒絶した、といった情報が盛り込まれていた。
※電源車の件だが、ブログ者は当時、消防車のカップリングが合わなかったかのような報道があったと記憶していた。
しかし、その後、調べ直しても、そのような情報なし。
もしかすると、高圧電源の装置側カップリングに低圧電源車のカップリングが合わなかった、ということだったのかもしれない。
一方、アンテナにひっかかっていた情報としては、官邸からの海水注入停止指示に対し面従腹背で海水注入を続行した件や、全員退避という誤情報を信じた首相が東電本社に怒鳴りこんだ件など、細かいところまで再現されていた。
それやこれやで、ドキュメンタリータッチのこの映画、当時の緊迫した状況をかなり忠実に再現しているようにお見受けした。
(2021年3月21日 修正1 ;追記)
2021年3月20日12時19分にYAHOOニュース(映画ジャーナリスト斉藤氏の寄稿文?)からは、映画「Fukushima 50」は政治色をできるだけ少なく描いていたなど、下記趣旨の解説記事がネット配信されていた。
ブログ者は、ここまで描いたか!と感じていたのだが・・・。
3月19日、2020年度の日本アカデミー賞は、最優秀作品賞を『ミッドナイトスワン』に授与して幕を閉じた。
最優秀主演男優賞も同作の草彅剛で、2冠となる。
・・・・・
授賞式の流れからして、最優秀作品賞は『Fukushima 50』という可能性も高かった。
監督賞、渡辺謙の助演男優賞など6部門で最優秀を獲得していたからだ。
しかも『Fukushima 50』は、東日本大震災、福島第一原発事故から10年目というタイミングであり、一昨年の『万引き家族』、昨年の『新聞記者』の流れをくむと、社会性という点では今年の栄冠にふさわしいとも考えられた。
同じように『浅田家!』も東日本大震災、『罪の声』もグリコ・森永事件を背景/モデルにしているので、社会性という点に適合する。
ただ、『Fukushima 50』は賛否が大きく分かれた作品でもあった。
原発事故の現場を生々しく克明に再現しつつ、政治色はできるだけ少なく描いたこと。
原発の是非というメッセージ性は抑えめで、ヒューマンな感動を追求したこと。
それらが複雑に絡み合って、ストレートに感動した人が多くいた一方で、描き方の甘さを指摘する声もたくさんあった。
『Fukushima 50』は日本アカデミー賞授賞式のちょうど一週間前に、日本テレビで地上波ノーカット初放映された。
日本アカデミー賞の生中継も同じく日テレ。
なんだか『Fukushima 50』が最優秀作品賞に輝いたら、「やらせ」「できすぎ」の香りも漂ったが、あえてそれを避けたようにも感じられる(投票者はそこまで考えていないだろうが…)。
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https://news.yahoo.co.jp/byline/saitohiroaki/20210320-00228378/
2021年3月8日11時32分にYAHOOニュース(ラジオ関西)から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
神戸市灘区の阪急電鉄神戸線六甲-御影間の高羽踏切で2020年11月23日夜、新開地発大阪梅田行きの特急電車(8両編成)が軽自動車と衝突し、先頭車両が脱線した事故で、兵庫県警は8日、軽自動車を運転していた配送会社従業員の男性(42)を過失往来危険容疑で書類送検した。
捜査関係者への取材でわかった。
事故前、男性は踏切の北にある下り坂の路肩に車を止めて、車外に出ていた。
車は下り坂を無人のまま発進して約60メートル後退し、踏切内に進入した。
男性は「当時は車から離れていた。サイドブレーキの引きが甘かったので、車が踏切まで動いたかもしれない」と説明していた。
兵庫県警は書類送検の際、あくまでも検察官の判断に委ねる「相当処分」の意見を付けた(4段階のうち最も厳しい「厳重処分」に次ぐ2番目に当たる)。
特急電車は8両編成。
運転士が軽自動車に気付いて非常ブレーキをかけたが衝突し、先頭車両の最前方とその後ろの車輪が左側に約40センチ脱線した。
乗客約400人は阪急電鉄が誘導し車外へ避難、けがはなかった。
阪急神戸線は23日、終電まで新開地―夙川間の上下線で運転を見合わせた。
神戸線が運転を全面再開したのは、事故から約13時間40分後の翌24日午前9時20分ごろ。
乗客約10万人に影響した。
■「下り坂道での一定時間の停車、ストッパーの活用を」
捜査関係者によると、実験結果から「サイドブレーキの引きが甘い場合、車は数分間ならば停止するものの、下り坂では車の重量と道路の重力との兼ね合いで一定時間が経過すると発車する」ということが判明したという。
そのうえで「坂道が多い神戸市内での配送業務ならばなおさら、一定時間路肩で停車する場合、タイヤストッパー(車止め)を使用するなどの配慮が必要」と指摘する。
https://news.yahoo.co.jp/articles/59b661de011c86c373a10c2ad53220f5d8f76a87
3月8日11時32分に朝日新聞からも同趣旨の記事が、事故経路図と写真付きでネット配信されていた。
集配業の男性運転手は、業務用の軽ワンボックス車を、踏切から北に約60メートル登った坂道の路肩にサイドブレーキを十分にかけずに停車。
業務で離れた間に車を無人のまま坂を後退させ、踏切内で特急電車と衝突させて先頭車両を脱線させた疑いがある。
「サイドブレーキが甘かったかもしれない」と容疑を認めているという。
車は坂を下る途中に電柱と接触し、方向を変えて踏切内に入り、特急電車と衝突したという。
車は電車とフェンスの間にはさまり、車体がつぶれて大破した。
電車も先頭車両のフロントガラスが割れ、踏切から約150メートル進んで脱線した。
https://www.asahi.com/articles/ASP383R1LP34PIHB01J.html
3月8日19時25分にYAHOOニュース(mBS NEWS)からも、同趣旨の記事がネット配信されていた。
警察によりますと、踏切から約60m離れた坂道に停車していた軽トラックが、男性運転手が集配作業で離れた後に動き出したということです。
その後の調べで男性運転手がサイドブレーキを十分にかけていなかったことがわかったため、警察は男性を過失往来危険の疑いで今年3月8日に書類送検しました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7490e1347e149ec39c04ebfee0626c7eeb285484
2021年3月8日20時11分にNHK徳島から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
8日午後3時20分ごろ、海陽町平井の県道142号線で「警備員が10メートルくらい下の川に転落した」と消防に通報がありました。
警察が駆けつけたところ、およそ8メートル下の海部川の河川敷で美波町の警備員、馬見さん(男性、60歳)が倒れているのが見つかり、死亡が確認されました。
当時は、のり面の崩落を防ぐための工事をしていて、馬見さんは車両の誘導をしていました。
警察によりますと、道幅が2.9メートルと狭く、馬見さんは通行する車両を通すため、ガードレールに背中をつけて誘導していたということです。
警察は、馬見さんが誤って転落したとみて、事故の原因について詳しく調べています。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/tokushima/20210308/8020010339.html
3月9日5時0分に徳島新聞からは、高さ75㎝のガードレールを乗り越えて落ちたらしいなど、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
8日午後3時20分ごろ、徳島県海陽町平井の県道沿いの斜面を補強する工事現場で、交通誘導をしていた美波町の警備員の男性(60)が、約7.7メートル下の海部川河川敷に転落した。
駆け付けた消防組合員が男性を引き上げ、その場で死亡が確認された。
牟岐署によると、男性は工事現場を出入りするミキサー車を誘導しており、河川敷に背を向けた際にバランスを崩した。
県道の幅は2.9メートルで、高さ75センチのガードレールがあったが、乗り越えて落ちたとみられる。
https://this.kiji.is/741747706904690688?c=39546741839462401
2021年3月8日17時27分にYAHOOニュース(茨城新聞)から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
8日午後2時半ごろ、神栖市東和田の「K硝子」の工場内で、山積みになっていた粒状のガラス(カレット)が崩れ、重機に乗って作業をしていた男性1人が重機ごと生き埋めになった。
男性は同8時56分ごろ救助され病院に搬送されたが、死亡が確認された。
神栖署で事故原因を調べている。
同署によると、カレットは高さ15メートル、直径6メートルのサイロに保管され、男性はサイロの出口でカレットをかき出す作業をしていた。
一緒に作業をしていた男性が事務所の女性を通じ119通報した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/2743d80696ebed6b431e9a7da7e732e438fe7727
他事例の関連情報調査中、以下の情報が目に入った。
金属火花が着火源だった事例として、ポイントのみ紹介する。
『粉じん爆発による出火事例』
(北九州市消防局警防部警防課調査係)
1 はじめに
平成 16 年 1 月、北九州市内の工場にて、大規模な爆発を伴う火災が発生しました。
工場での通常業務を行う中、突然発生した大規模な爆発でした。
当初は何が爆発したのか、なぜ爆発したのか疑問に思われたところですが、工場の事業内容、工場内における木粉の堆積状況 及び大量の粉じんが常時舞っている状況等を考慮した結果、粉じん爆発が発生したものと考えられました。
さらに、屋根、壁面の破損状況から、爆発は数回にわたって発生していることが疑われました。
今回は、なぜ粉じん爆発が発生したのか、現場見分状況に基づく考察及び爆発の可能性を立証するために行った実験等について紹介します。
2 事業所及び工場の概要
爆発火災の発生した事業所は、建設リサイクル法に対応した廃棄物処理事業として、 廃棄された家具等の木製品を再利用し、製品化している事業所である。
工場では、廃材の木製品をチップ状にして再形成し、パーティクルボードと呼ばれる木質建材を製造している。(写真 1 参照)
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4 現場見分状況及び原因
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(2)工場内及び工場の屋根に大量の粉じんが堆積している。(粉じんは火災前から堆積していた。)
(3)工場内には、原料となる木粉が圧送されるダクトが張りめぐらされている。(写真 5 参照)
(4)原料となる廃棄された木製品には、釘等の金属片が付いたまま、工場ラインに流れている。(写真 6 参照)
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6 考 察
現場見分状況及び実験結果等から、粉じん爆発に至った過程を簡潔に説明すると以下のようになる。
(1)家具に付いた釘等の金属片が、除去されないまま原料の木粉に混入し、工程へ流れる。
(2)混入した金属片が原料の木粉とともにダクト内に圧送される。
(3)工程内には、数箇所に圧送用のファンがあり、金属片がファンの羽に高速で衝突することで火花が発生する。
(4)その火花がダクト内の粉じんに着火し、ダクト内を高速で圧送される過程において威力が増し、工場内に張りめぐらされたダクト内を火炎が伝播する。
(5)ダクト内を高速で伝播した火炎が密閉された装置に送られたところで、装置の内圧が上昇し、爆発、さらにその爆風で工場内に堆積した粉じんが舞い上がり、その粉じんにも着火、粉じん爆発を起こす。
その後、数回にわたって大規模な粉じん爆発を誘発する。
7 事業所に対する指導
本火災は、事業所側にいくつかの不備が重なったために、発生したものと考えられる。
よって、同種災害の再発防止対策として、事業所に対し、いくつかの指導を行った。
主な指導内容は以下のとおりである。
(1)金属片等の異物除去の徹底
(2)火花センサーと制御装置の連動
(3)ダクト系統の分散化
(4)粉じんの堆積を防ぐ掃除の励行
(5)爆発の可能性がある装置を屋外に移動
(6)作業員への安全教育の徹底
8 おわりに
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リサイクルで事業所を成り立たせるには、 コスト削減が大原則と考えられています。
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当工場でも、コストダウンを優先したことが防災意識の低下を招き、今回のような大規模火災をもたらしたと考えています。
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https://www.isad.or.jp/pdf/information_provision/information_provision/no80/100p.pdf
2021年3月9日19時6分にNHK NEWS WEBから、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
これはブログ者も視聴した番組が文字情報として配信された記事。
主だった写真と共に主要部分を紹介する。
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あの日、地震発生から津波到達まで30分から1時間ほどの時間がありました。
どうすれば避難することができるのか。
何が生死をわけたのか。
今、津波避難の専門家が注目しているのが、“避難のカスケード”です。
※カスケード:連なった小さな滝、連鎖的に物事が生じる
様子
(NHKスペシャル「津波避難 何が生死を分けたのか」
取材班)
【「津波から逃げる目的ではない人」が避難できていた】
津波到達までの時間、人々は何を考え、どのように行動していたのか。
震災を伝える団体と研究機関が、1200人分の詳細な調査を行った地域があります。
宮城県石巻市にある、門脇・南浜地区です。
海に面した住宅地の奥に標高60メートルの日和山があり、あの日、ここに多くの人が避難し助かっていました。
この避難行動の調査を分析した富士通研究所の牧野嶋さんは、人が避難した理由に注目します。
日和山にたどりついた人のうち、半数近くが、「津波から逃げる目的ではない人」が避難していたのです。
【避難できるきっかけ カギとなる「率先避難」】
なぜ、こうした人が日和山までたどり着けたのか。
カギとなっていたのが、門脇小学校です。
当時の校長、鈴木Y子さんは、地震の直後、児童224人を日和山まで避難させると決断します。
当時、門脇小学校は津波の指定避難所になっていましたが、“災害に絶対の安全はない”という考えで、地震発生の15分後には日和山まで避難していたのです。
実はこの行動が、多くの命を救うきっかけとなっていました。
まず保護者です。
津波から逃げる明確な意思がなくても“子どもに会いに行かないと”“子どもの無事を確認したい”という理由で日和山に向かい助かっていました。
当時の日和山で撮影された映像にも、子どもの傍らに多くの保護者がいることがうかがえます。
避難に踏み切れない状況を打ち破り、真っ先に避難をし始める人を「率先避難者」といいます。
避難行動の専門家、東京大学大学院特任教授の片田敏孝さんは、「率先避難者は避難の弾み車のような役割で、避難するかしないか迷う膠着(こうちゃく)した状況を変え、周囲を避難するんだという雰囲気に向かわせることができる重要な役割」と指摘しています。
【率先避難が連鎖し広がる「避難のカスケード」】
さらに、この「率先避難者」は、学校と関係の薄い地域の住民までも日和山までひっぱりあげる効果がありました。
その一人が石川Y恵さんです。
当時、津波への意識はなく、日和山まで避難することは全く考えていませんでした。
そんな石川さんが日和山まで行くことになったのは、小学校の校庭にいた知人の女性が「高台まで避難して」と声をかけたことでした。
石川さんは、「多くの人が校庭で戸惑っていたけど、知人の女性が『子どもも日和山へ避難しました。皆さんも山に上がってください』と言われ、そのとき、逃げなきゃと思った」といいます。
知人の女性が、こうした声がけができたのは、保護者の対応をするためにとどまった教員から、「山へ逃げろ」と言われたからでした。
教員から知人、知人から石川さんへの避難が連鎖しました。
こうして、「津波から逃げる目的ではない」という住民が、日和山へたどりついていました。
分析を行った牧野嶋さんは、身近な人だけでなく、関係性のない人にまで、避難が連鎖する様子を滝の流れになぞらえ、「避難のカスケード」と名付けました。
「自分の避難行動は、考えている以上に、その先の人にまで影響することが示唆される」と牧野嶋さんは話します。
校長と児童から始まった率先避難がどのような広がりで影響したのかをまとめました。
【校長と児童の率先避難からまず、保護者へ広がった避難。】
保護者のなかには、3人の住民に声をかけ、日和山まで導いた人もいました。
さらに、校庭にとどまった教員からは、保護者だけでなく、住民に繰り返し避難が連鎖していました。
調査から、「避難のカスケード」によって、少なくとも300人を超える人が日和山までたどりついていたのです。
【指定避難所だった門脇小学校は津波に巻き込まれた】
その後、想定をこえる津波は安全とされたはずの門脇小学校にまで到達しました。
火災も発生し、大きな被害となりました。
門脇・南浜地区では545人が犠牲になりました。
知人からの声がけで日和山までのぼった石川さんは、「あの声がけがなければ、私はおそらく死んでいたかもしれない」と振り返っています。
【避難できなかった人の傾向も明らかに】
命を救う「避難のカスケード」があった一方で、避難ができなかった人も多くいました。
石巻市に暮らす草島M人さんは避難が遅れ、津波から間一髪逃れた一人です。
地震が発生した時、石巻市内を車で移動していました。
草島さんは、家族の安否が気になり、海のそばにある自宅に車を走らせます。
家族は自宅におらず、避難所になっている小学校へ向かいますが、「防寒具も何も持っていない」と思い、再び自宅へと向かいます。
この時、すでに地震発生から1時間近くが過ぎ、津波が迫っていました。
草島さんの目に飛び込んだのは建物の2階を超える高さの津波。
車を全速力で走らせなんとか逃げきりました。
「私の人生はこれで終わるんだなと思いました。
自分のすべての行動・判断が間違えていたんだと…」
【逃げ遅れるリスク「外出先」「自宅兼店舗」】
1200人分の避難行動の調査から、逃げ遅れるリスクの高い人の傾向がわかってきました。
その一つが草島さんのように「外出先」にいた人です。
家族や、自宅の被災状況などが気になり、自宅に戻ったり家族を探したりすることで避難が遅れてしまいます。
調査からは、外出先にいた人のうち4割が津波に遭遇したなど、危険な状況にあったことがわかりました。
もう一つリスクの高い傾向にあったのが、地震発生時に「自宅兼店舗」にいた人たちです。
「店の片付けを急いだ」「客の安全確認などの対応をした」などの理由で避難が遅れていました。
片田敏孝教授は、こうした行動は災害時に多くの人に起こりやすいと指摘しています。
「人は、逃げないといけないとわかっていてもなかなか逃げられないものです。人は逃げない選択を積極的にとっているわけではなく、逃げようという最後の意思決定ができずにいる状態が続いてしまう。避難というのは、行動に移すことが難しい行為なんです」
【新たな技術で「避難のカスケード」をサポート】
東日本大震災の大規模調査から見えてきた、一人の行動が他の人の避難行動に影響し広がっていく避難のパターン。
どうすれば、今後、発生が懸念される災害でいかしていけるでしょうか。
今回、「避難のカスケード」を提唱する牧野嶋さんは、効率よくカスケードを引き起こそうと新たな技術の開発を進めています。
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【 “災害に絶対安全はない” 様々な選択肢で避難訓練を】
東日本大震災の教訓から様々な選択肢を見据えた訓練を続ける地域もあります。
高知県の黒潮町です。
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【自分の避難行動は知らない誰かを救っている】
避難行動を研究する京都大学の矢守克也教授は、いざというとき私たちにできることを教えてくれました。
「自分が避難するという行動をとることが、知らないだれかの命を救うことにつながる。逆に、とどまっていることが、ほかの人に影響するということを知っていてほしい。津波に限らず、災害の時、みずからが動けるかどうか、それが周囲の命を守るカギにもなる」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210309/k10012903971000.html
2021年3月6日11時2分にYAHOOニュース(現代ビジネス)から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
これまでに情報提供してきた内容とかぶるところも多いので、かぶった部分以外を抜粋して紹介する。
日本には「湯治」という文化があり、古くから入浴は、万病に効くと伝えられてきた。
だが、湯船に浸かる時間と温度を間違うと反対に健康を害する。
死の危険は何気ない生活習慣にこそ、潜んでいる。
【熱中症が原因だった】
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浴槽に浸かっている時間が長ければ長いほど、人間の体温は上昇する。
やがて熱中症を起こし、意識を失う―。
本誌前号の特集記事「風呂に10分以上入ってはいけない」は大きな反響を呼んだ。
20年にわたり、3万人以上の入浴を医学的に調査してきた医師の早坂信哉氏が解説する。
「人間は42度のお湯に10分浸かると、体温が1度以上上昇します。
日本人の平均体温は36・9度なので、やや熱めの風呂に入れば、あっという間に38度になってしまう。
体温が38度を超えると、軽度熱中症となり、めまいやふらつき、筋肉のしびれが出ます。
40度で重度の熱中症となり、失神や痙攣を起こします。
そうして浴槽内で溺死してしまうのです。
たとえ、ぬるま湯(39~40度)であっても、10分も入っていれば、0・5度は体温が上がります。
20~30分と長く入っていると、体温は38度以上に上昇し、熱中症を起こすので注意が必要です」
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これまで入浴中の不慮の事故は、発見されるまで時間が経っていることが多く、死因がはっきりとわかっていなかった。
それを説明するために出てきたのが、ヒートショック説だ。
そもそもヒートショックとは医学用語ではなく、メディアの造語で、'90年代後半から使われ始めた。
【即、心停止】
以来、冬の風呂場での死亡事故といえば、「寒暖差」ばかりが原因として取り上げられるようになった。
しかし、実はヒートショックは、ほとんど起きておらず、そんな用語自体がでっち上げだった可能性があるのだ。
黒木氏が続ける。
「もし本当に多くの人が、ヒートショックが原因で亡くなっているとしたら、洗い場や脱衣所で倒れて死亡するケースがもっとあってもいいはずです。
しかし、実際は風呂場で亡くなった人の9割が浴槽内で眠るようにして死亡している。
この点からも大半の人は、熱中症が引き金となって亡くなっていると考えられます」
では、浴室熱中症で死ぬとすれば、具体的に現場ではどんなことが起きているのか。
「熱中症で亡くなるパターンは二つあります。
一つは、体温が40度以上になり、意識を失って溺死するケース。
たとえば、転居した日に入ったお風呂で溺死した高齢女性がいました。
初めての家で、風呂の温度設定がよく分からず、45度で入浴してしまったようです。
その女性は15分ほどで意識を失った可能性が高い。
もう一つは高カリウム血症です。
体温が42・5度を超えると、人間の細胞は壊れ始め、カリウムが血中に溶け出し、心室細動(致死性の不整脈)を起こします。
すると血圧が一気に下がり、即、心停止となるのです」(黒木氏)
ただし、体温が40度になると脳が耐えられないため、その前段階で意識を失って、溺死することが多いという。
「全身浴の場合、41度なら33分、42度なら26分で体温が40度に達します。
若い人であれば、体温が39度以上になると、大量発汗、動悸、頭痛などの熱中症の症状が出現し浴槽から出るのですが、高齢者の場合は、老化により神経系が鈍感になっているので熱さを感じにくく、そうした症状を自覚しないまま、意識障害に陥っていると推測されます。
昨年の2月に浴槽内で亡くなったプロ野球の野村克也元監督も、報道ではヒートショックが原因だと言われていますが、私は熱中症を起こして、自力脱出できずに溺死してしまったと見ています」(黒木氏)
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【年間2万人以上が死んでいる】
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死亡者の9割超を65歳以上の高齢者が占めている。
その理由について、帝京大学医学部教授の三宅康史氏はこう語る。
「歳を取ると基礎代謝が落ちるので、寒がりになる。
そのため身体を温めようとして、つい長湯をしてしまいがちです。
加えて、若い頃と比べて体内水分量が少なく、汗が出にくくなるので、熱が放散されず、体内に籠もっていく。
そうして、知らず知らずのうちに熱中症になっている可能性が高いと考えられます。
入浴中の死亡事故が、気温の低い11~2月に集中しているのは、熱いお風呂に長時間入る人が増加するためです。
その点からも、やはり入浴時間は10分以下が望ましいと思います」
・・・・
「我々は、'12年10月~'13年3月までの半年間、東京都、山形県、佐賀県の3つの地域の消防署に協力してもらい、入浴中に救急車を要請した4593件を調査しました。
その内、死者は1528人で、高齢になるほど、死亡率は高くなっていました。
この調査をもとに、人口構成から全国の死者数を推測した結果、2020年には、年間約2万3000人が亡くなっていると我々は考えています。
今後、高齢者人口がピークを迎える2035年には、2万5000人以上がお風呂で亡くなる時代が来ると考えています」
【入浴剤が体温を上げる】
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「このケースで注目すべきは入浴剤です。
入浴剤は血流をよくして、コリをほぐす効果がありますが、血管が拡張するので同時に血圧が上がります。
普通のお湯より体温が上昇しやすいので、入浴時間は10分以内を心がけたほうがいいでしょう」(前出・早坂氏)
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https://news.yahoo.co.jp/articles/35631bd8aeece91266c00e272a5e4d4bc732e19


















その間、ずっと奥歯に挟まっていたのは、他社の事故情報がほとんど耳に入ってこなかったことです。
そこで退職を機に、有り余る時間を有効に使うべく、全国各地でどのような事故が起きているか本ブログで情報提供することにしました。
また同時に、安全に関する最近の情報なども提供することにしました。