2021年3月11日14時0分に毎日新聞から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
東日本大震災の発生から11日で10年を迎える。
千葉県内では旭市を襲った津波などで22人が死亡(災害関連死含む)し、2人が行方不明となった。
県内の最大震度は6弱(成田市、印西市)で、建物の損壊などで多くの負傷者が出た。
また、東京電力福島第1原発事故などによる避難者が多く暮らしている。
東京湾の空を赤く焦がした炎は、東日本大震災の被害の全容がつかめぬまま夜を迎えた多くの人々を動揺させた。
発生から鎮火まで10日間を要したコスモ石油千葉製油所(市原市)の液化石油ガス(LPガス)の火災爆発事故で、消火活動にあたった同市消防局消防総務課長、天野S次さん(55)に当時の様子を聞いた。
2011年3月11日午後3時15分、東日本大震災の余震とされる茨城県沖を震源とする地震が発生し、市原市では震度4を観測。
その後、同製油所のガスタンクが倒壊し、漏れたガスに引火して火災が発生した。
天野さんが現場に到着したのは午後3時50分ごろ。
倒壊したタンクを含む17基のタンク周辺で火災が発生していたという。
午後5時ごろ、加熱されたタンクが蒸気爆発を起こした。
爆発は計5回発生し「殉職者が出るかもしれない」と感じたという。
市消防局から延べ443人の消防士らが、24時間態勢で消火活動にあたった。
天野さんが現場で指揮を執ったのは発生から6日目。
現場では火勢が不安定になり、未燃ガスが拡散して再び爆発が起きる危険性があった。
天野さんは、タンク内のLPガスの気化を進め、すべて燃焼させるため、温水を散水する作戦を立案。
海水と水蒸気を混ぜる特殊な器具を現場で組み立てて作戦を成功させ、火災の終息に大きく貢献した。
「当時、火災の映像を見ていた人は『ずっと火を消せなかった』と感じたと思うが、現場ではガスを燃やし尽くすために、火勢をコントール下に置く作業が10日間続けられていた」と天野さんは説明する。
「これまで経験したことのない規模の消火活動だった」という。
発生当初、爆発の恐れから消火活動が進まなかったこともあり、市消防局には遠くから放水できる大型放水車が配備された。
また、遠隔操作で消火活動が行える機器も導入した。
震災から10年、現場で指揮を執り、全容を知る消防士は天野さんを含め2人しか残っていない。
天野さんは「震災の経験と当時の消火活動の経験を次の世代につなげていきたい」と話す。
https://mainichi.jp/articles/20210311/k00/00m/040/111000c
その間、ずっと奥歯に挟まっていたのは、他社の事故情報がほとんど耳に入ってこなかったことです。
そこで退職を機に、有り余る時間を有効に使うべく、全国各地でどのような事故が起きているか本ブログで情報提供することにしました。
また同時に、安全に関する最近の情報なども提供することにしました。