2021年3月10日12時0分に文藝春秋digitalから、「トモダチ作戦に隠れた熾烈な攻防戦──10年後に明かされた驚愕の真実!」というタイトルで、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
【原発事故の情報を隠している】
2011年3月上旬。
福島第1原子力発電所の事故が発生して数日後、在日アメリカ大使館の駐在武官から、一通の極秘公電がアメリカ・ワシントンにある国防総省宛てに「緊急扱い」で届けられた。
そこには政府機関の公文書にも関わらず感情的な言葉が幾つも並べられ、最後をこう結んでいた。
〈日本政府は、原発事故に関する情報を隠している。この状態は現在のリビアより酷い〉
当時、北アフリカのリビアは40年間に渡って独裁政治を続けていたカダフィ政権と反体制派の激しい内戦が続き、政府機関は機能せず、全土が混乱していた。
駐在武官は、それよりも日本政府の状況が“酷い”と怒りを込めた公電で言い切ったのである。
「しかし、そのうち、日本は隠しているのではなく、事態を把握できていないのではないかという疑心暗鬼が広がりました。
そして、もはや菅直人首相率いる日本政府に原発対処を任せられないとの雰囲気がアメリカ軍内で高まっていったのです」(アメリカ太平洋軍幹部)
*
1枚の文書がある。
題名は、〈BCAT(ビーキャット)横田調整所の役割分担〉。
東日本大震災対処のために、自衛隊とアメリカ軍が連携して行う任務を調整する、自衛隊側の対応チームの編成表である。
細かく見ると、「原発対処主務」、「HADR(人道災害支援)主務」、「輸送機能担当」――など、任務別の名称が並ぶ。
チームのトップは、陸上幕僚監部(陸幕)防衛部長の番匠幸一郎(ばんしょうこういちろう)陸将補。
それを支えるスタッフとして自衛官と防衛省内局員の氏名が記載されている。
日米部隊の調整は、すでに東京・市ヶ谷の統合幕僚監部(統幕)でも「中央BCAT調整所」として立ち上がっていた。
しかし、この「BCAT横田調整所」が、原発の対処を巡り、日米の軍事関係者が密かに激論を交わした“最前線”であったことは、これまで明らかにされることはなかった。
アメリカ軍は震災発生の直後から東北地方一帯で、航空機や艦船を使って救助や生活支援の作戦を展開していた。
だが、それとはまったく別のところで、密やかな“日米の熾烈な攻防”があったのだ。
【「外征軍」がやってくる!】
東日本大震災&アメリカとのフレーズでネット検索して目立つのは「トモダチ作戦」という言葉だ。
アメリカ軍が命懸けで、必死で日本を支援してくれた、離島にも生活物資を運んでくれたことへの感謝の言葉は多い。
冠水した仙台空港の早期復旧には、多くの日本人から敬服する声が送られた。
震災から4日後、陸幕作成の3月15日付け「モーニングレポート」によれば、第3海兵遠征旅団の前方司令部が編成されて早くも仙台空港の修復準備に入り、第7艦隊に属する空母や7隻の艦船搭載のヘリコプターが捜索と救難活動を実施。
さらに厚木や横田の基地のヘリコプターも人命救助活動を活発化していた。
ところが同じ頃、部下からの報告を受けた陸上自衛隊(陸自)の最高幹部は思わず声を上げた。
「なに! アメリカ軍が『JTF』を編成して日本にやって来るだと!」
JTFとは、特別な作戦を行う時、任務ごとに陸海空から部隊を引き抜いて一つの「特別任務部隊(タスクフォース)」を作るアメリカ軍の主たる作戦形態である。
軍事関係者の間では聞き慣れた言葉だが、その時は違った。
最高幹部は「JTF」というフレーズに激しく反応したのだ。
「日米が共同作戦を組むというならわかります。
しかし、あの状況下で、“JTFを編成してやって来る”と聞かされたので、これはもう『HADR』などの『支援』や『共同作戦』ではなく、アメリカがアフガンなどで『外征軍』として行ってきた、政治も民政もすべて指揮下に置く軍のイメージがすぐに頭に浮かびました。
しかし日本は独立国であり、自衛隊も健在であるし、中央政府も存続している。
また韓国のように戦争時指揮権があるわけでもない。
ですから非常に深刻に受け止めました」(同陸自最高幹部)
同じ報告を受けていた統合幕僚監部(統幕)の幹部も当時を思い出す。
「真っ先に思ったことは、まさか自衛隊はアメリカ軍の隷下に入るのか!という驚きでした。
毎年の日米共同演習(ワイエス)でやっているような、日米は共同で、指揮関係はなく、並列(パラ)であるというのはいったい何だったんだ、という不満も抱きました」
その直後、同陸自最高幹部の悪い予感は当たった。
「アメリカ軍は、捜索、救助、生活支援をするためのテレビカメラに映る活動を行ったその裏側で、JTFこそ編成しませんでしたが、原発対処のために本国から次々と、放射能専門対処チームを送り込んで来たのです」(統幕関係者)
同統幕関係者によれば、それは原発事故の翌日からだった。
国防総省の「RCMT」(アメリカ軍放射能収集管理チーム)や、「DTRA(デトラ)」(脅威削減局)などの放射能専門対処チームは、来日直後から原発の現状に関する最新情報を要求してきた。
「DTRA」とは、陸自が16日付で主要部隊に配布した資料によれば、〈弾道ミサイル等の高強度脅威に関する見積・検討を担当する国防総省の機関〉とある。
陸自幹部の一人は、これら放射能専門対処チームの訪日に強い危惧を抱き始めていた。
「放射能専門対処チームは、自分たちのやり方で自衛隊や日本政府を動かし、この危機を乗り切るつもりではないか、との思いを強く持つようになってゆきました。
なぜなら、今までのような“共同で”という雰囲気をまったく感じなかったからです」
【アメリカ軍はまるでGHQだ】
その動きを察した陸幕は、本国からやってきた放射能専門対処チームと直接会って“膝詰め”でのタフな交渉が必要と判断。
日米協議の最前線とする新しい調整所の設置をアメリカ側に提案した上で、そこへ番匠を貼り付けることになったのである。
そして、その“タフな交渉の最前線”のために作られたのが、前述した番匠率いる「BCAT横田調整所」だった。
番匠は、かつてイラクの復興支援活動の初陣を切った部隊指揮官として名を馳せたが、自衛隊の中では“清濁(せいだく)併せ飲む軍師”として知られ、“笑わない目”という異名もとる。
番匠をトップとする「BCAT横田調整所」のチームが向かったのは、東京・福生市の横田基地にある在日米軍司令部だった。
もともと在日米軍司令部には、有事や合同演習で活躍する「BOCC」(日米共同運用調整所)という拠点がある。
そこを使って、アメリカ軍と膝を突き合わせてのタフな交渉が始まったのである。
さっそく協議を開始した「BCAT横田調整所」チームだったが、最初から大きな壁にぶつかることになる。
協議の冒頭から、アメリカ軍は原発対処を日本に任せず、自分たちで統治して作戦を行うのだ、というオーラが半端なかったと、統幕最高幹部は証言する。
「いち早くそれを悟って強い危機感を持った番匠は、日本が主体となって対処する事を繰り返し説明しました。
しかし、アメリカ軍は、日本政府の対応の不味さを暗に指摘した上で、日本だけで対応できる、という番匠の説得を一向に信用しようとしなかったのです」
そして間もなくして、「BCAT横田調整所」チームの中で、ある言葉が囁かれるようになった。
「アメリカ軍はまるでGHQだ」
(以下は有料 目次のみ記す)
【10万人の在日米国人の大規模避難】
【日本政府の代わりに統治する】
【番匠とウオルシュの大激論】
【それでも日本政府を信用できない】
【米軍を驚愕させた“日本の事情”】
【日本を統治してくる】
【戦慄の「石棺作戦」】
https://bungeishunju.com/n/nc9afa3562167
(ブログ者コメント)
前回も紹介した映画「Fukushima 50」中、上記内容と同じようなことを描いた横田基地などのシーンもあった。
その間、ずっと奥歯に挟まっていたのは、他社の事故情報がほとんど耳に入ってこなかったことです。
そこで退職を機に、有り余る時間を有効に使うべく、全国各地でどのような事故が起きているか本ブログで情報提供することにしました。
また同時に、安全に関する最近の情報なども提供することにしました。