2015年9月28日12時0分に読売新聞から、『フォルクスワーゲンの謀略と落とし穴』というタイトルで、モータージャーナリストの御堀直嗣氏の解説記事が、下記趣旨でネット配信されていた。
フォルクスワーゲンは、まだ自動車が裕福な人たちのものであった時代に、自動車技術者のフェルディナント・ポルシェが構想した“庶民のための自動車”が源だ。
戦後ドイツ復興の中で槌音高く量産が開始された乗用車「タイプ1(通称ビートル)」をはじまりとし、社名も、“国民車”という意味そのままの「フォルクスワーゲン」と名付けて創業した。
そこからの70年に及ぶ歴史は質実剛健で、あえて言えば、あまり面白みはないかもしれないが、“買って損をしない確かな製品”という確固たる信頼を地道に築き上げてきた。
今回の不祥事は、その土台を一気にひっくり返すような、大きな出来事だ。
この不祥事が誘発されるに至った発端を、考えてみたい。
近年、日本国内でも人気が高まりつつあるディーゼルエンジンは、ガソリンエンジンに比べて燃費が良い反面、排ガス浄化が難しいとされてきた。
ガソリンエンジンに比べ、窒素酸化物(NOx)の排出量が多いのだ。
それから、従来のポート噴射式を採用するガソリンエンジンでは問題視されなかった粒子状物質(PM)も排出される(最近、多くなってきた直噴式では少し状況が異なる)。
このNOxとPMを同時に減らすのが、実は難しい。
NOxは、燃料を高温で燃焼すると発生しやすい特徴がある。
一方、PMを減らすには、燃料の燃え残りが少なくなるよう、高温で燃やし尽くす必要がある。
しかし、高温ではNOxが多く出てしまう。
NOxを減らすには燃焼温度を下げればよいが、それでは逆に燃料の燃え残りができ、PMが生じやすくなるというジレンマが生じる。
2000年以降、欧州で急速にディーゼルエンジンの人気が高まり、市場の50%を占めるに至ったとき、誰にでもわかりやすい黒煙に通じるPM規制は厳しく行われたが、NOxに対しては規制が甘かった。
巨大都市(1000万人を超えるメガシティー)がない欧州では、NOxを要因とするスモッグが認識されることが少なかったためだ。
ところが、近年になって、欧州各国の都市で、大気汚染が問題化している。
パリ、ロンドン、ローマ……。ガソリンエンジン車に比べNOx排出量の多いディーゼルエンジン車が増えたためだ。
たとえば仏のパリの場合、市長が「2020年までにディーゼル車の市内での運行を禁止する」と発言するほどまで、事態は深刻化している。
しかし、欧州の排ガス規制も厳しさを増し、「EURO6」と呼ばれる排ガス規制を実施する今日では、日本の排ガス規制「ポスト新長期規制」とほぼ同等の基準値となっている。
この厳しい規制をクリアしたクリーンなディーゼルエンジンを搭載する新型車が、日本へも続々と輸出されるようになった。
それでも、米国の排ガス規制では、さらに高い壁が待ち受けている。NOxの排出基準がさらに厳しいという現実だ。
これが、不正の根となった一因ではないかと考えられる。
次に、なぜ不正を犯してまで、ディーゼル車を米国市場に導入しなければならなかったのか?
欧州は、概して、クルマの速度域が高い交通状況にある。
市街地では時速50km規制が敷かれるが、市街地を離れると、一般道でも時速80~100kmで走れる。
高速道路では、独アウトバーンの速度無制限は有名だが、その他の国でも、時速130kmの速度規制になる。
この状況では、日本発のハイブリッド車の燃費性能は期待されるほどには発揮されないのが実情だ。
一方、米国は日本に比較的近い交通状況にあり、市街地も高速道路(フリーウェイ)も、速度に対する制約が厳しい。
したがって、日本が世界に先駆けて量産市販したハイブリッド車が、燃費性能もよく、走行性においても満足がいくのでよく売れている。
しかしながら、欧州車にはハイブリッド車が少なく、メルセデス・ベンツSクラスやBMW3シリーズの高性能車種などに限定される。
したがって、米国市場で売れ筋の日本の小型ハイブリッド車と燃費で競争できる商品はというと、ディーゼル車しかない、という状況に追い込まれるのだ。
そこにフォルクスワーゲンの場合、トヨタと世界一の販売台数を競うという経営戦略が加わってくる。
冒頭に紹介したように、そもそもフォルクスワーゲンは質実剛健、買って損のない市民のための自動車を造ってきた。
ところが、数で世界一を目指すようになったことで、台数を多く売ることに経営の重心が移ってしまい、品質は二の次に追いやられてしまったのではないだろうか。
似たようなことは、日本のホンダでも起きた。
急激な販売台数の増加を目指した結果、13年9月に発売したコンパクトカー「フィット」や小型SUV(スポーツ用多目的車)「ヴェゼル」のハイブリッド車で、大量のリコールを出してしまったのがそれだ。
ホンダの創業者、本田宗一郎は、「世のため人のため」を旨とし、三つの喜びを目指した。
すなわち、造って喜び、売って喜び、買って喜ぶ。メーカーも販売店も消費者も、三者みんなが幸せになるクルマづくり、およびバイクづくりを目指してきた。
ところが、“売って喜ぶ”が強調された結果、追いつかなくなった品質がリコールを生む結果となった。
未完成ともいえる状況で市販を余儀なくされた開発者・技術者らも、さぞかし辛い思いをしたに違いない。
フォルクスワーゲンも、フェルディナント・ポルシェが庶民のための自動車を構想した志を受け継いできたはずなのに、“売って喜ぶ”を前面に押し出したら、結果として落とし穴にはまってしまい、今回の不祥事が起こった。
自動車に限らずだが、消費者が喜ぶ製品を適正価格で売り、それが結果的に数のナンバーワンとなるなら、それは素晴らしいことであろう。
だが、数を追い、ナンバーワンになることが前面に押し出されたとたん、本田宗一郎の言うところの三つの喜びのバランスがほころびを見せるのだ。
創業の志を忘れ、売り上げ至上主義に走ったフォルクスワーゲン。
これまで真摯な汗で築き上げてきた信頼は一気に崩れ去った。
これは、フォルクスワーゲンの例にとどまらず、また自動車にとどまらず、あらゆる物づくりを源とする企業にとって、決して人ごとではない。
頂点を極めたいと思う人間の欲望と、人のために尽くす物づくりとのせめぎ合いは、常にそこに潜んでいるのである。
出典URL
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20150926-OYT8T50047.html?page_no=4
その間、ずっと奥歯に挟まっていたのは、他社の事故情報がほとんど耳に入ってこなかったことです。
そこで退職を機に、有り余る時間を有効に使うべく、全国各地でどのような事故が起きているか本ブログで情報提供することにしました。
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