『停電がほぼ解消 阿蘇地区は発電機車で臨時的に』
(2016年4月21日0時1分 毎日新聞 ;趣旨・要約)
九州電力は、20日、熊本地震による停電がほぼ解消したと発表した。
一部で、電柱から家庭への引き込み線で断線している可能性もあり、引き続き作業を続ける。
16日の本震後、熊本、大分、宮崎3県で、最大約20万戸が、一時、停電した。
大規模な土砂崩れで、熊本県阿蘇地区に電力供給している6万6000ボルトの送電線が使えなくなっており、全国の電力会社から発電機車の派遣を受けて、臨時的に復旧した。
送電線の代替ルート確保のために、仮鉄塔の組み立ても、今後1週間程度で終えたい考えだ。
http://mainichi.jp/articles/20160421/k00/00m/040/090000c
『「余震だ!」揺れる高所作業車 電力復旧過酷な現場「早く明かりを」』
(2016年4月29日7時5分 産経新聞熊本版 ;趣旨・要約)
熊本地震では、電柱の倒壊や電線切断によって、最大48万世帯が停電した。
「被災地に明かりを」。
九州電力グループは総力を挙げて復旧作業にあたり、16日未明の「本震」発生から5日後の20日午後7時には、ほぼ復旧を終えた。
九電福岡配電センターの社員が、28日、産経新聞の取材に応じ、余震が続く過酷な現場での作業について語った。
取材に応じたのは、同センターの淵上さん(54)、吉村さん(45)、永井さん(43)。
3人は、「本震」直後から1週間程度、大きな被害が出た熊本県阿蘇市や益城町、熊本市内で復旧作業に従事した。
地震の爪痕は大きかった。
大規模な土砂崩れや地割れで、阿蘇地方を中心に15基の鉄塔が傾いたり、基礎が被害を受けた。
送電網の遮断は、数え切れないほどだった。
仮復旧を急いだ。
電源となる高圧発電機車を配置し、新たな送電ルート構築で停電を解消しようとした。
淵上さんは、「緊急地震速報が鳴る中、土砂が崩れのすぐ近くに立ち入って作業した。過酷な現場だった」という。
吉村さんと永井さんは、住宅地で復旧作業を担った。
作業現場のすぐそばでは家屋が倒壊し、がれきが散乱していた。
高さ15mにもなる高所作業車での作業中、余震が襲う。作業員は、左右に大きく揺れるかごにしがみついた。
九電グループは、復旧作業の経験を積んでいるが、多くは、台風など風水害によるものだ。
台風なら、事前にある程度のルートが分かって、準備ができる。過ぎ去った後は天候も回復する。
一方の地震は、発生時間は分からず、余震がいつ終息するかも読めない。
九電や九電工などグループ会社は、3千人態勢で作業にあたった。
電力他社からは、600人を超える応援が来た。
出動させた高圧発電機車は、169台に達した。
作業員の多くは、事業所の会議室や、現地のテントで寝泊まりした。張り詰めた緊張感や余震で熟睡はできなかった。
風呂にもほとんど入れず、トイレの確保が難しいため、飲み水を控える人もいた。
渋滞もひどく、車で100m進むのに1時間かかることもあった。
そんな過酷な作業を、被災者が支えた。
「電気をこんなに早く付けてくれてありがとう」。住民から、こう声をかけられた。
食事を差し入れてくれた住民もいた。
渋滞の中で、九電の作業車を優先しようと、道を譲る車にも出会った。
永井さんは、「現場に着けば、眠くてもきつくても、使命感で体が動いた。過去の災害で培ってきた九電のDNAが、グループみんなにあるんです」と語った。
http://www.sankei.com/region/news/160429/rgn1604290009-n1.html
(ブログ者コメント)
発電機車による停電解消作業については、以下のような支援も行われた。
停電した地域には、九州電力などがディーゼルエンジンなどで発電する電源車計137台を配置している。
石油元売り大手で構成する「石油連盟」は、電力供給が途切れないよう元売り各社に要請し、小型のタンクローリーやドラム缶で電源車に給油している。
※①支援物資配布システムの早期構築が課題(1/2)参照。
http://anzendaiichi.blog.shinobi.jp/Entry/5906/
その間、ずっと奥歯に挟まっていたのは、他社の事故情報がほとんど耳に入ってこなかったことです。
そこで退職を機に、有り余る時間を有効に使うべく、全国各地でどのような事故が起きているか本ブログで情報提供することにしました。
また同時に、安全に関する最近の情報なども提供することにしました。