2018年9月5日0時9分に朝日新聞から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
東日本大震災の津波で亡くなった約9500人分の検視記録について、東北大学が宮城県警からデータの提供を受け、死亡状況の詳しい分析に着手する。
震災の膨大な検視データを活用した初の研究。
救助や避難方法の研究につなげ、津波に巻き込まれても生き延びるための「生存学」の構築をめざす。
震災では約9割が溺死とされたが、日本法医学会の調査報告は、津波に巻き込まれる前後の打撲や水圧による胸部圧迫、長く水につかったための低体温症など、様々な要因が関連した可能性を指摘している。
今後の津波災害では、もし津波から逃げられなかったとしても、どうすれば助かるか考える必要がある。
東北大災害科学国際研究所の今村文彦教授(津波工学)、門廻充侍(せとしゅうじ)助教(同)と、同大医学部の舟山真人教授(法医学)らがチームを組み、東日本大震災での「致死プロセス」解明に取り組むことを決めた。
県警は、身元が判明した約9500人分について、個人名を除き、性別・年齢や住所、遺体発見場所、死因や所見などのデータを提供。
大学側は、遺族の異議があればデータを削除する方向で調整しており、近く、倫理委員会が結論を出す。
今後、岩手、福島両県警にもデータ提供を依頼する。
研究は、多岐にわたる。
遺体発見場所と津波で浸水した深さ、土砂の分布などを分析し、人が流れ着きやすい場所の特徴がわかれば、発災後の迅速な発見に生かせる。
津波や障害物で頭や胸にどれくらい力が加わるか分析し、避難時に身につけるライフジャケットや防災頭巾の開発につなげることができる。
また、住民約400人が犠牲になった宮城県石巻市南浜地区では、生存者から聞き取りをして、何が生死を分けたか調べるという。
今村教授は、「南海トラフ巨大地震の想定では、津波到達まで数分しかなく、物理的に避難が難しい地域もある。あきらめずに何が必要か、生存の方法を考えたい」と話す。
出典
『津波死9500人の検視記録を分析へ 東北大「生存学」』
https://www.asahi.com/articles/ASL94578TL94UTIL028.html
(ブログ者コメント)
「生存学」とは、初めて聞く言葉。
調べてみると、立命館大学に「生存学研究センター」なる組織があった。
以下は、同センターHPに掲載されている説明文(抜粋)。
東北大学でいうところの「生存学」とは、少しニュアンスが違うような気もするが、ご参考まで。
立命館大学生存学研究センターは2007年度文部科学省グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点の採択を受け、設立されました。
5年間のプログラムとして「生存学」創成拠点では、大学院先端総合学術研究科と人間科学研究所が基幹となり、教員・院生・研究員が組織を超えて連携し、研究・教育活動を展開してまいりました。
今後はこうした実績を踏まえて「生存学」を構想・提言・実践しつつ、さらなる展開を行う国内の中核的研究拠点となります。
また、海外研究者との連携を強め、グローバルなハブ機能をもった拠点として国内外での「生存学」の交信を目指します。
主な活動内容
「障老病異」を基軸とし、4つの学問的課題群としてさらなる飛躍を目指します。
具体的には、
①生存の現代史
②生存のエスノグラフィー
③生存をめぐる制・政策
④生存をめぐる科学・技術
です。
この4つの課題群を交差させつつ展開し、研究会、ワークショップ、国際共同研究会等を開催してまいります。
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「生存学」という新しい分野
私たち人間はみな「障老病異」とともに生きています。
障害、老い、病気、そして、たとえば性的なアイデンティティの面で人と異なることなどは誰の身にも起こり得ることです。
それにもかかわらず、これまではその当事者の側に立って調べたり考えたり、その情報を蓄積したりということがあまり行なわれてきませんでした。
医療やリハビリテーションは、基本的に病気や障害を「治す」ための学問です。
そうすると、「治らない状態」はその学問の枠から外されていきます。
では、そうした人のために社会福祉学があるではないかと言われるでしょうか。
けれども、福祉サービスを受ける時間以外の時間にもその人は生きています。
その人たちがどうやって生きてきたか、生きているかを知る、そしてこれからどうして生きていくか考える。
それが「生存学」です。
https://www.ritsumei-arsvi.org/aboutus/aboutus-1/
その間、ずっと奥歯に挟まっていたのは、他社の事故情報がほとんど耳に入ってこなかったことです。
そこで退職を機に、有り余る時間を有効に使うべく、全国各地でどのような事故が起きているか本ブログで情報提供することにしました。
また同時に、安全に関する最近の情報なども提供することにしました。