2019年11月5日21時36分に読売新聞から、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
福島県南相馬市職員の大内さん(男性、25歳)が、台風19号で住民対応にあたった後、車で帰宅中に死亡したことについて、市は5日、原因などを調査する第三者委員会を今月中に発足させると決めた。
大内さんが職場を離れる際、帰宅ルートにあたる小高川流域には避難指示が出されていたが、上司が帰宅するよう指示していた。
第三者委は、この指示が適切だったかなどについて検証する。
大内さんは10月12日夜、同市の小高区役所で災害支援物資の運搬などに従事。
翌日午前0時半頃、上司から帰宅指示を受け、約4キロ離れた同市原町区の自宅へ車で向かった。
約10分後、「車が浸水した」と職場に電話した後に連絡が途絶え、同日朝、区役所から約1キロ離れた県道交差点付近で溺死しているのが見つかった。
大内さんが職場を出た時間帯は、付近で雨が降り続き、大雨特別警報や避難指示が出されていたうえ、小高川の氾濫で一帯が冠水していた。
第三者委メンバーは防災や法律の専門家らを予定し、年明けに再発防止策も含めて調査結果を公表する。
門馬市長は5日の定例記者会見で、帰宅の指示について「翌日業務に備える必要があった。今のところ市の対応で明らかな過失はなかったと考えている。調査で詳しく調べる」と語った。
大内さんの父親(56)は「なぜあの大雨の時に帰宅の指示を出したのか。市の責任を明らかにしてほしい」と話している。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20191105-OYT1T50226/
11月5日17時23分にNHK福島からも、同趣旨の記事がネット配信されていた。
市によりますと、大内さんは次の朝からの勤務もあるため、上司から自宅に帰って休むよう言われ、13日の午前0時半ごろ帰宅したということですが、当時、市内には大雨特別警報が出され、避難指示も出ていたということです。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/20191105/6050007841.html
(ブログ者コメント)
「帰宅を指示」と報じられている件、「指示」とは、どのような性質のものだったのだろうか?
上司が部下の健康を気遣い、「もう家に帰って休め」程度のことだったのでは?
どのような状況だったか詳細は不明だが、仮に帰宅を「命令」されたとしても、大雨が降っていて道が冠水しているような状況であれば、帰宅せずに空いている部屋で仮眠する・・・そんな選択肢はなかったのだろうか?
以下はNHK映像の1コマ。
画面右隅の黒い乗用車に乗っていて左方面に流されたらしい。
(2020年6月9日 修正1 ;追記)
2020年6月8日19時53分にNHK福島から、上司は通常の通勤ルートが冠水する危険があるため別ルートをとるよう説明していたなど、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
8日、原因を調査するため市が設置した第三者委員会が、調査結果を報告しました。
それによりますと、大内さんはふだん通勤するルートで帰宅していましたが、上司は事前に、冠水する危険があるとして、別のルートにするよう2、3回説明したとしています。
その上で、指示されたルートではなく、ふだんのルートで帰宅することを予見できたとは認められないとして、「市側の判断が事故を招いたとまでは認められない」と結論づけました。
ただ、帰宅を指示したことについては、「雨の夜間に1人で自動車を運転することの危険の認識が高くなかった」としています。
第三者委員会の委員長を務める平間浩一弁護士は、「批判をいただく内容かもしれないが、悩んで報告書を作成した。教訓として生かしてほしい」と話しました。
【大内さんの父親は】
大内さんの父親は7日、南相馬市役所で、第三者委員会の委員から調査結果の報告を受けたということです。
ただ、その報告については、市の落ち度があまり指摘されていなかったように感じ、不満に感じていると話していました。
父親は、NHKの取材に対して電話で、「上司の説明と反して、危険な道を車で通って帰ってしまった息子の認識の甘さはあったかも知れないが、息子なりにその道を通った理由や心情があったと思うし、あんな台風が一番ひどいときに自宅に帰らせるという判断をした市の認識の甘さもあると思う。市には、1人の職員を失ったという重みをしっかり受け止めたうえで、申し訳なかったという言葉を発してほしい」と話していました。
【南相馬市長は】
第三者委員会から答申を受けた南相馬市の門馬和夫市長は、記者会見で「前途有望な若い職員を失ってしまったことは、自分自身にも責任があると感じている。今回受けた調査結果を重く受け止めたい」と話していました。
その上で今後の対応については、「具体的な再発防止策はこれから検討するが、答申を参考にしながら、仮眠を取れる場所を設けることや、災害が発生した場合の自宅に帰るまでの行動マニュアルを作るなどの対応を検討していきたい」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/20200608/6050010538.html
6月9日5時0分に読売新聞からは、上司から説明されたルートは地元の人でも知らない道だったなど、下記趣旨の記事がネット配信されていた。
市が設置した専門家による調査委員会は8日、「市が事故を招いたとは言えない」とする報告書をまとめた。
遺族は「納得できない」と反発している。
調査委は、現場や関係者らへの聞き取りにもとづき、「市側は通勤ルートでの帰宅を予見できなかった」と結論づけた。
一方で、通勤ルートの冠水を大内さんに説明しなかったことや、大内さんが区役所に「車が冠水した」と連絡してから警察署に届けるまで1時間20分かかり、捜索が遅れたことなどは問題だったと指摘した。
報告書によると、大内さんは台風が通過した昨年10月12日夜、小高区役所で災害対応業務に従事。
13日午前0時半頃、直属の係長らが次の勤務に備えて帰宅を指示し、冠水が少ないルートを提示した。
しかし、大内さんは指示とは異なる、いつもの通勤ルートを車で走り、遺体で見つかった。
調査委は、現場や関係者らへの聞き取りにもとづき、「市側は通勤ルートでの帰宅を予見できなかった」と結論づけた。
一方で、通勤ルートの冠水を大内さんに説明しなかったことや、大内さんが区役所に「車が冠水した」と連絡してから警察署に届けるまで1時間20分かかり、捜索が遅れたことなどは問題だったと指摘した。
これに対し、大内さんの父親(57)は、「指示されたルートは地元の人も知らない道で、息子も相当迷った上で通勤ルートを選んだと思う。職員の帰宅を早めるなど全体に指示が出ていれば命は助かった」と批判した。
https://www.yomiuri.co.jp/local/fukushima/news/20200609-OYTNT50004/
(ブログ者コメント)
上司が別ルートを説明していたという件だが、うがった見方をすれば、組織防衛・自己保身に走っての説明ではなかったか・・・?そう思う人もいることだろう。
かくいうブログ者も、その一人だ。
調査委員会は、上司からの聴き取り以外、他の人にも確認をとったのだろうか?
調べてみたが、その点に言及した報道は見つからなかった。
その間、ずっと奥歯に挟まっていたのは、他社の事故情報がほとんど耳に入ってこなかったことです。
そこで退職を機に、有り余る時間を有効に使うべく、全国各地でどのような事故が起きているか本ブログで情報提供することにしました。
また同時に、安全に関する最近の情報なども提供することにしました。