2021年2月27日10時30分にYAHOOニュース(COURRiER JAPAN)から下記趣旨の記事が、事例ごとの写真付きでネット配信されていた。
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20世紀以降、経済発展の加速とともに、人類はビル、橋、ダムなど巨大建築物を建設し続けてきたが、それは人類の技術と自然との戦いだった。
いまも世界のどこかで数年に一度は巨大建築物の崩壊事故が起きている。
現在の巨大建築物とその管理の進歩は、過去の崩壊の惨劇による教訓をもとに築き上げられたものなのだ。
【史上最も犠牲者の多かった大型建築物崩壊事故】
「ニューヨーク・タイムズ」は、歴史上最も犠牲者の多かった大型公共建築物の崩壊事故として7つの事故を取り上げ、「建築物の崩壊事故は多くの犠牲者を出したが、発生のたびに多方面からの調査が行われ、その後の建築基準の改善に生かされていった」と伝えている。
『二度も崩落「ケベック橋崩落事故」』
1907年8月29日、カナダケベック州で当時世界最長の橋になるはずだった建設中の橋の橋梁が崩れ、橋体がセントローレンス川に崩落した。
この事故で作業中の工事関係者と技術者が水中に落ち、約80名の命が失われた。
事故が起きたのは、ちょうど工事関係者が勤務を終えようとしたタイミングだった。
長さ1マイル半の吊りケーブルと橋梁が断裂する連鎖反応を起こしており、橋の建設を担当したエンジニアの責任が問われた。
また、この橋は1916年の再建の際にも、橋の吊り上げを行なっていた際に崩落を起こし、13名が死亡している。
『ダム崩壊で大洪水「セントフランシスダム崩壊事故」』
1928年3月13日の明け方、ロサンゼルス近郊の山間部にあるセントフランシスダムが突然崩壊し、120億ガロンの貯水が海へ流れ出し、約500人の犠牲者を出した。
「巨大な洪水によって渓谷の両側にあった数百の牧畜施設が卵の殻のように破壊され、屋内にいた住民は多くが死亡した」と当時のニューヨーク・タイムズは報じている。
事故の後に、ダムは爆薬による爆発によって崩壊したとのデマが流れたが、災害を調査した当局は最終的な原因を、ダムの地盤に欠陥があったためであるとした。
『ダンス客の頭上に落下「ハイアットリージェンシー空中通路落下事故」』
1981年7月、米カンザスシティのハイアットリージェンシーで、毎週恒例のダンスパーティが行われていた最中に、会場の天井部分にあった空中通路が落下した。
最上階の空中通路はロビーの天井から鉄筋ワイヤーによって吊り下げられていた。
落下によってロビー下階の二層が崩れ、そこにいた人々を押しつぶした。
これによって100人以上が亡くなり、アメリカで最も犠牲者を出した建築物崩壊事故のひとつとなった。
その後、落下する前に人々がダンスのリズムにあわせて空中通路を揺らしていたという報道がされたが、事故後の調査では、この空中通路の耐荷重が建築基準の4分の1しかないという設計上の問題が存在したことが明らかになった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/bbcde33e72d26bda8c15422af7e76529e00807db
(ブログ者コメント)
関連情報調査結果、2事例について、より詳しい情報が見つかった。
『設計に失敗した巨大建造物たち』
(logmiBiz)
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『2度も崩壊したカナダのケベック橋』
カナダのケベック橋は、建設が始まった1900年代、世界最長のカンチレバー橋となるべく設計されました。
しかし、1917年にその称号を得るまで、2度も崩壊しました。
カンチレバー橋は、比較的水平な中央部分と、それを支える両側の大きくて重い部分で成り立っています。
建設作業中、作業員はいくつかの支持部分に、あるべき状態よりも、歪みが生じていることに気が付いていました。
そこには、設計された圧力以上の負荷がかかっていました。
その原因の1つは、当初の計画よりも、橋の長さが延長されたからです。
しかし、時間と資金を削減するために、追加の支えが加えられることはありませんでした。
設計者は、建設作業が進むにつれて、この問題は修正されるだろうと考えていました。
しかし、1907年8月29日、その日の作業の終わり頃、自らの重量により、橋の一部が崩壊。75人の作業員が犠牲となりました。
捜査官が原因を調査したのち、橋の建設は再開されました。
調査の主な結論は、橋の部材の強度が十分でなかった、というものでした。
そのため、より大きく高い強度で再建されることになりました。
しかし、追加で使われた鋼もまた、非常に重たいものでした。
1916年、中央部分を吊り上げる際、持ち上げる機械が破損し、中央部分が川に落下。
水没しました。
この時、13人の作業員が犠牲となりました。
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『1,600人集まったホテルが崩壊』
1980年代、ミズーリ州カンザスシティに、40階建てのハイアットリージェンシーホテルが開業しました。
開業してすぐ、非常に画期的なロビーで有名になりました。
ロビーには、特徴的な3つの長い空中通路があり、まるで空中に浮いているように見えまたことから、この空中通路は「スカイウォーク」と呼ばれました。
柱で支えるのではなく、それぞれのスカイウォークは天井から吊り下げ金具で吊り下げられていました。
2階通路は4階通路の下に吊り下げられており、3階通路は離れた場所で個別に設置されていました。
その独特なデザインによって、巨大なホテルホビーは、イベントやパーティの開催場所に理想的な場所だとして人気を呼びました。
1917年7月17日、1,600人もの人々が集まり、ホテルのロビーでは数百人の人々がダンスや会話を楽しんでいました。
他の人々は、ホテルの周りをうろうろとしながら、有名なスカイウォークを見学していました。
そして、午後7時05分、一切の兆候なく、突然2つのスカイウォークが崩れ落ちました。
114人が犠牲となり、200人以上が負傷。
建築物の崩落による事故としては、20年後に911が発生するまで、アメリカ合衆国史上、最悪のものとなりました。
捜査官は、スカイウォークを吊り下げる金具に、直前に変更が加えられていたことに気が付きました。
それぞれが自らの重みを支える設計でしたが、実際には相互に接続されるかたちで設置されていました。
本来の設計では、吊り下げ金具は天井から4階スカイウォークを突き抜け、2階スカイウォークに接続する予定でした。
それぞれのスカイウォークの下の部品が、自身の重量を支える設計です。
しかし、計画変更後、2階スカイウォークは、4階から吊り下がるかたちになっていました。
つまり、4階を支える部品には、スカイウォークの129トンに及ぶ重量のみでなく、2つ分の重量がかかっていたということです。
また、経費削減のために、建築材料も本来求められる十分な強度がなかったことも上げられます。
ほんのわずかに見える変更であっても、悲惨な結果を招くことがあるのです。
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https://logmi.jp/business/articles/187438#s2
その間、ずっと奥歯に挟まっていたのは、他社の事故情報がほとんど耳に入ってこなかったことです。
そこで退職を機に、有り余る時間を有効に使うべく、全国各地でどのような事故が起きているか本ブログで情報提供することにしました。
また同時に、安全に関する最近の情報なども提供することにしました。